第二話 不明な入金。やだ怖い。
「お電話有難うございます。名楼銀行カスタマーサービスセンターの西垣です。」
「あ、お世話になっております。私、可児支店の口座を持っている吉成忠幸と申しますが、通帳に心当たりのない入金がありまして――」
スマートフォンを持つ手に、いつもよりも力が入っている気がしたが、電話越しに聞こえる銀行の担当者の声が冷静な印象で、その声色が心と握力を落ち着かせてくれる気がした。
入金の数字を見た時はテンションが上がった。
そりゃあもう自分の通帳に1000万円の入金という数字など初めて見たし嬉しいことこの上無かった。だが、すぐに冷静な自分が顔を出し、そして問うてきた『この入金は何?』と。
もちろん神社の変美人とのやり取りは朧気ながらも頭に残っていた。だが、あんなやり取りで実際にお金の振込などあるはずなど無い。
もし本当に変美人からの振込だとすれば、大金の振込理由が『口論』ということになる。とても納得できる理由ではない。
それになにより俺は変美人に振込ができるような情報を伝えていない。というか名前すら教えていないのだ。初対面の人間にメインで使用している銀行や銀行口座番号を教えることも無いし、聞くこともない。物理的な情報不足の状態で振込などできるはずはないのだ。
記憶が曖昧だけれど、俺は部屋に帰ってきていた。もしかすると、あの変美人が俺を部屋まで運んできてくれたかもしれないと一瞬だけ思ったが、その可能性は限りなく低い。なぜなら変美人が俺の家の住所を知っているはずが無いからだ。財布の免許証を見たとかも考えられるが、残念ながら免許証の住所は実家が記載されていて一人暮らしの現住所は分からないようになっている。
だから、やはり俺は自分の足で自分の家に帰ってきた。それ以外の答えを考えようがない。鍵もポケットに入っているし施錠されている。俺がかけた以外には考えられない。
変美人からの入金の可能性はゼロ。ゆえに導き出される結論はひとつ。『誤入金』しかない。
今日は休日『日曜日』であり、なおかつ振込人名義に『オイナリサマカンパニー』とあったことから、同銀行に口座をもつ、そのオイナリサマカンパニーの誰かしらが、似たような口座番号の似たような名前だった誰かと間違えて俺の講座に振込をしたのだ。もしそうでなければ、何かしらの犯罪にまきこまれた可能性まで考えられる。
そうと決まれば俺の取るべき手段は一つしかない。
銀行に報告して返金処理をする。だ。
金は怖いからな。争いの元にしかならないし、平和主義の俺は無駄に誰かと争う気などサラサラ無い。まぁ、返金を受けたオイナリサマカンパニーとやらが金額が金額だけに菓子折りかカタログギフトなんかをくれるかもしれないし、それをもらって一件落着。万々歳だ。それで充分。
「ご連絡有難うございました。すぐに確認いたします。」
「お手数おかけしますが、よろしくお願いします。」
銀行担当者に概要と連絡先を伝え、電話を切って横になる。
仰向けのままため息をつき、通帳を開いて1000万円の数字を眺めた。
「1000万なー……」
すぐに返金で消えてなくなるだろう数字が少し寂しく見える。
「1000万も使っていい金があったら何したんだろうなー。」
大金の使い道の妄想が始まる。
だが思い浮かぶのは、なんとなく美味しいご飯を食べに行くとか、旅行ツアーに申し込むとか、ちょっとした贅沢程度しか思い浮かばない。具体的な数字を前に思った以上に妄想がはかどらず、結局貯金して日常通り過ごして終わりと脳が結論付けると妄想は強制的にシャットダウンされた。
「ははっ、夢がねぇな。あーあ……」
自身の小市民っぷりを自嘲しながら溜息を吐く。
ただ妄想の残渣が今日の夕飯は少しだけ贅沢をしようという気持ちを起こし、その気持ちにつられるようにスマホで近場の飯屋を検索を始めていた。
いくつかの名前を見つけ詳細を見ようとしたその時、着信が入る。
「うぉっと!」
発信元はさっき電話をかけた名楼銀行カスタマーサービスセンターだ。予想以上に連絡が早い。すぐに電話を受ける。
「あ、はい。吉成です。」
「名楼銀行カスタマーサービスセンターの西垣ですが、先ほどはご連絡をいただき有難うございました。」
「いえ。とんでもないです。どうでした?」
「先ほどの件に関しまして、入金先、および入金額についてをオイナリサマカンパニー様に連絡を取って確認を行いましたところ、吉成忠幸様方当て、金1,000万円で間違いはなく、正しく処理されているとのことでした。」
「……は?」
「当行といたしましては適正に処理が行われたと判断させていただく他なく、お客様間のお取引内容について当行が関わることは誠に申し訳ございませんが致しかねますので、お振込内容についてはオイナリサマカンパニー様に直接ご確認願えますでしょうか?」
「い、いや、ちょ、ちょっと待ってください! 俺、本当に、そのオイナリサマカンパニー様ってのが誰なのかも知らないんです! まったく心あたりがないんです!」
「……そうなのですか? …………それは……少しももモモモンンンンンダだだだだだダダダダ」
ブチッ、ツー、ツー、ツー
電話が突然切れた。
「なんだっ!?」
呆気にとられながらスマホを確認すると、またすぐに電話が鳴った。
発信元はさっき電話をかけた名楼銀行カスタマーサービスセンター。もしかして断線でもしたのだろうか?
「もしもし?」
「こちら名楼銀行カスタマーサービスセンターの西垣と申しますが、そちらは吉成様の電話で宜しかったでしょうか?」
「え? えぇ、はい! すみません携帯の調子が悪かったのか突然切れちゃいました。」
俺の言葉に、なぜか返答に困ったように銀行担当者の間が空く。
「えぇと、すみません。先ほどお電話いただきました件についてですが、入金先、および入金額についてをオイナリサマカンパニー様に連絡を取り確認を行いましたところ、吉成忠幸様方当て、金1,000万円で間違いはなく、正しく処理されているとのことでした。」
「え? えぇ。それははい。さっきも聞きましたよね?」
俺の言葉に、また返答に困ったように銀行担当者の間が空く。
どうにも様子がおかしい。
「当行と致しましては、適正に処理が行われていると確認が取れましたので、お客様間のお取引内容につきましては、申し訳ございませんが、直接オイナリサマカンパニー様にご確認願えませんでしょうか?」
「いや、だからさっきも言いましたが、俺、そのオイナリサマカンパニーってのが誰かも分からないんですってば!」
「……先方は吉成様のことを、ご存知のようでしたが?」
「でも俺は心あたりが無いし、それに、そもそもお金をもらう理由も何もないんですよ!」
「…………それは……ななななナナナナんんンンンントトトトト」
また機械がバグったような声が聞こえたと瞬間を放ち、断線するように電話が切れた。
「またかよっ! なんだこれ!」
携帯を見る。スマホを触ってみるが反応は正常に動いているように見える。
「まさか……」
また直ぐに電話が鳴った。
「はい……」
「こちら名楼銀行カスタマーサービスセンターの西垣と申しますが、そちらは吉成様の電話で宜しかったでしょうか?」
「…………えぇ。」
「先ほどお電話いただきました件についてですが――」
この後、俺は何度かカスタマーサービスセンターから同じ電話を受け、同じ内容を聞かされた。
そして理解した。
「――はい。すみませんでした。入金の予定があったのを忘れていました。ええ。予定通りの入金です。お手間おかけしてしまって申し訳なかったです。」
「いえ、入金の心あたりがあったのであれば良かったです。もし、また何かご不明な点などがございましたら、いつでもお気軽にご利用くださいませ。名楼銀行カスタマーサービスセンターの西垣が担当させていただきました。有難うございました。」
電話がようやく正常に切れる。
どうやらこの電話は、俺が銀行が問題視しそうな対応をした場合、延々と『やり直し』させていたようだ。
大きく息を吸い込み、大きく息を吐く。
常識では説明がつかないような不可思議な体験。
そしてこの『常識では説明がつかない体験』という認識が、変美人とのやり取りが現実に起きていた可能性が高いという思いを、じんわりと認識させ始める。
頭の中で、あの変美人とのやり取りを必死に思い返す。
『そんなに金を信じておると言うのならば実際に金のある生活をさせてやろうではないか!』
『おーおーそりゃあ望むところですねぇ! そんな生活させてもらえりゃあ、それこそ金こそが正義、且つ全てだと証明できらぁ! 金こそが全てなんだよ!』
…………
『1日1,000万円だね! これくらいあれば、いや、これくらい無いと金が全てだと証明できないね。』
『よかろう。1日1,000万円。くれてやろうではないか。』
「……まさかねぇ。」
チラリと通帳に目を向ける。
『オイナリサマカンパニー 10,000,000』
1,000万円の入金。
そして銀行から正常なやり取りである事の確認が取れた。
オイナリサマカンパニー……お稲荷様カンパニー。お稲荷様といえば神の使い。それに商売繁盛や五穀豊穣の印象がある。特に狐は銭のイメージ。
あの変美人は、お稲荷様の化身だったとでも言うのだろうか。
「……よしっ!」
俺はとりあえずコンビニで強いシュワシュワしたヤツを買うことを決めた。
記憶忘却且現実逃避剤は人類の味方なのだ。
とりあえず今日は全てを忘れることにした。
――そして翌日。
「はぁあぁんっ!?」
若干の二日酔いの俺の目に飛び込んできたのは
『オイナリサマカンパニー 10,000,000
オイナリサマカンパニー 10,000,000』
勝手に記帳されて残高が倍々ゲーム化した数字だった。