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目を覚ませば、暖炉で燻る弱々しい炎が見えた。
「ここ・・・は」
立ち上がろうとして、身体を預けていたソファの肘掛に手を下ろすと、剥き出しの骨が見える。
少しだけ驚きつつも、鮮明になり始めた意識で、昨日から今日にかけて己の身に起こった事を整理する。
「そうか・・・俺は死んだんだっけか」
言ってみて、その事実を案外すんなりと受け入れられたのは、ハルトという人物が尋常ではない胆力を備えていたから、では無い。
蜥蜴頭の老婆曰く、ここに来た者は著しく感情を欠損するため、だそうだ。
「起きたかい」
「アイビさん?なんだ、その格好は」
目を見開いたハルトの目の前には、祈祷師や魔術師を思わせる紺のケープを羽織る老婆の姿があった。
その手には木の枝のようにも見える、細くて歪な杖と、指輪がある。
「・・・ついて来な」
ハルトの問いに答えずにリビングから出て行ったアイビを追いかけて外に出れば、昨夜と変わらず、一寸先すらも見通せぬ霧が立ち込めていた。
分厚い雲越しに照りつける陽光、水滴で湿った木製のドアノブにぬかるんだ地面。
陰鬱さを助長するようなそれらの要素はされど、この街に住む者達のそれには劣る。
「アイビさん、なんだあれ?」
ハルトが指差した先には、敷き詰められた石畳のメインストリート、そのど真ん中をあたかもカタツムリのように、ノロノロと這って進む巨大な何かの影があった。
霧の向こうにいるので正確な姿こそ分からないが、ハルト二人分よりは高い身長、小さな家よりも巨大な横幅は見る者に恐怖を与える。
「知るかい・・・言っておくが、この世界の連中には下手に関わるんじゃないよ?基本的にここの連中は他者に無関心で、関わられる事を嫌う」
「なら、あんたはどうなんだ?何故、俺に関わった」
「言ったろ・・・私は案内人だよ」
「ここに住む者は他者に無関心じゃないのか?」
「基本的に、だ。私みたいな例外だっていない訳じゃない・・・だが、余計な会話や揚げ足を取るようなガキは嫌いだよ」
「・・・すまなかった」
睨みつけたその視線に込められた気迫に思わずたじろぐ。
昨日のやり取りから薄々とわかっていた事だが、恐らくこの老婆の実力は相当のものだ。それこそ、規格外の化け物と言われる竜種や天霊とすらやりあえる程の。
「まあ、いい」
それからは無言のまま進む。
そして、一時間程が経った頃には既に辺りの景色に人工物らしきものは残っておらず、木々が点在する沼地のような場所に二人は入り込んでいた。
膝下まで浸かる泥水は灰色で、辺りには何かが腐ったような嫌な臭い。骨だけの身体でなかったら、絶対に訪れたくは無い。
老婆はどうやっているのか、泥水の上を歩いており、そのせいで沼がより深くなるたびに、二人の頭の位置が先程よりどんどんと近づいている。
「・・・ここは《イーリアの沼地》と呼ばれている」
唐突に喋り出したのはアイビであった。
ハルトの反応を伺う事なく彼女は続ける。
「この世界を作った神の一人が統治する場所の一つで、私に与えられた土地だ」
「与えられた、土地?」
「ああ、私はここに出現する化け物を定期的に殺す代わりに、この沼地の所有権を貰ったのさ。この世界を作った神様にね」
「神様には気軽に会えるものなのか?」
「・・・まあ、そうさね。こちらの世界じゃ割と簡単に会える。それより、態々ここに来た理由、もう分かってるんじゃないかい?」
「・・・手伝えって事か」
「そうだよ。案内人とは、ここに来たやつを養う仕事じゃあない。一人でやっていけるように教育してやる仕事だ。だから、暫くは私の家に住む家賃代わりに、この仕事を手伝いな。色々と教え終わったら、自分で仕事を探すんだね」
「分かった。どれくらいやれば良いんだ?」
「そうさね・・・まあ、少なくとも今見える奴らは全滅しな」
グルリと見渡せば、辺りを幽鬼のように徘徊する影がいくつも見える。
ハルトは昨日から使い続けている剣を握り直して、近くの一匹へと躍り掛かった。
「・・・まあ、1回目にしちゃあ上出来だよ」
「そりゃどうも」
結果から言うと、ハルトの討伐数は二匹だった。
ハルトと似たようなスケルトン一匹と、《レイス》と呼ばれるガスのような魔物。
腕と脚を一本ずつ失い、肋骨を数本折った成果としては微妙なところである。
「レイスはスケルトンなんか目にならない程の上位種だ。私からしてみれば大した違いは無いが、あんたにとってはかなりの強敵だったろう?」
「これは勉強代か」
失った腕を見ながら息を吐き出すように呟く。昨晩失った腕は寝て起きたら治っていたが、これもそうなるのだろうか。
「ま、失った代わりに得られた物もデカかっただろう?」
「確かにな」
確かにその通りだった。
今、ハルトは胸の内より湧き上がるような力が全身に行き渡り、脚も腕もないというのに先程より身体は動かしやすい。
昨日、スケルトンを倒した時のようにその力を身体に取り込んだのだ。
「一体、この現象は何なんだ?」
「知らないよ。私が知るのは、この世界にいる奴を殺せばその力を手に入れられるという事だけ・・・それより」
言いながら老婆が辺りを見渡せば、同胞を殺されたからというわけでもないだろうが、辺りを徘徊していた無数の魔物が向かって来ているのが見えた。
「私を見ておきな」
だが、アイビは焦った様子など微塵もなくて、寧ろ丁度いいとばかりに口の端を上げる。
耳元の辺りまで避けた口から覗く鋭牙、細まる黄色い瞳孔、その姿は敵対してないというのにハルトに恐怖を覚えさせた。
そして、彼女が歪な杖で空中に何かを描いた瞬間ーー。
「《エイザス》」
沼を構成していた泥水が無数の刃を象って周囲を囲んでいた魔物を切り裂いた。
余りにも瞬間的な出来事すぎて理解が追いつかない、一体彼女は何をしたというのか。
「・・・もし、あんたがこの世界で己の願いを貫き通したいのであれば、最低でもこれくらいは出来なきゃならない」
アイビが振り返った瞬間、急に風が強く吹き荒れた。捲き上げるような突風が木の葉を揺らして、沼地に根を張る木々が悲鳴を上げる。
そして、老婆の身を覆っていたローブともマントとも付かぬ布切れが舞い上がって、初めてアイビの姿が見えてーー絶句した。
「それ・・・は」
「少なくとも、私程度じゃあこの世界を創った神々の一人に傷を付けることすら叶わなかったよ」
そこにあったのは蜥蜴のような身体でも無ければ、老婆の身体でも無い。
継ぎ接ぎだらけの、辛うじて身体のような形を保っている何かだった。