夜のサーカス
「これで依頼は達成ね」
ふう、と息を吐き聖国ギルドへの報告を終えたイビルシャインは、楽しげに辺りを見回した。街の景観は、王都とは別の活性を感じさせる。
後ろに立つアイリスは、何かを聞きたげに彼女の背中を凝視している。
あの後――怨嗟の害虫者との戦闘後、三人がモンスターと遭遇することはなかった。
そして、イビルシャインが何かを語ることもなかった。質疑に満ちたアイリスを無視して。
怨嗟の害虫者の現れた穴は、いつの間にか塞がっていた。イビルシャインは疑問に感じていたが、ギルド曰く、早急にソール階級の冒険者を派遣して調査するとの事だった。
自分達が出向く必要はないならば、この件はギルドに預けようとそれがイビルシャインの判断だ。
ただ、どのようにしてソールクラスの化け物を退治したのか、後日、王都のギルドに説明する義務があるとのことだった。
「さて、折角だし街を見て回りましょうか」
王都に戻れば直ぐにギルドへ向かわなくてはならない。だが幸い、ここはトリスメ聖国だ
帰還する前に、少しくらい観光するのも悪くないだろう。
イビルシャインは真紅の瞳を輝かせた。
しかし、アイリスからの応答はない。訝しげにイビルシャインは振り向いた。
「あの……さっきの武器ってどうしたんですか?」
「武器……。ああ、慈悲深き災いの剣のこと」
イビルシャインとアイリスの目があった。アイリスは、強い眼差しで彼女を見据えている。
その声に、僅かな戸惑いを混ぜて。彼女は、拭いきれなかった疑問をイビルシャインへ投げた。
さっきの武器とは、怨嗟の害虫者との対峙で、イビルシャインが使用した武具のことだろう。
アイリスは、二週間の時を彼女と暮らし共に依頼を受けていた。
その中で、様々な魔法を教わり見てきた。しかし、一度もあの剣を――真紅に輝く剣を目にしたことはない。
勿論、そのような武具を持っていることも聞いたことはない。故に、彼女は疑問を抱いた。
だが、イビルシャインは、そのことについて道中語ろうとはしなかった。
アイリスの疑念に気が付きながら。そして、アイリスも聞こうとはしなかった。
イビルシャインが自分から話すことはないと知っていながら。
だが、このまま知らずに疑問が流れることをアイリスは拒んだ。
彼女とは、これからも冒険者として共に歩んでいきたかったからだ。
アイリスは、イビルシャインと出会い、様々な魔法に触れられた。
自分の知らない魔法を語る彼女。まだ、自分が扱えない魔法を軽々と使いこなす彼女。
深夜まで、魔法の訓練に付き合ってくれる彼女。
アイリスは、二週間という僅かな時間の中で、イビルシャインに恩義と友情と憧れを抱いていた。
だからこそアイリスは些細な疑念を、しこりとして残したくなかった。
それが今後、どんな悪影響を及ぼすか計り知れない。円満に、ただ平和にアイリスは、イビルシャインと共に歩みたい。それが、彼女の願いだった。
そして、いつかは彼女の背中を守りたい。アイリスの中には明確な絆が存在していた。
「まあ、隠すことのないことだから別に良いのだけれど」
呆れながらにイビルシャインは口を開いた。アイリスの顔がぱあっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
「ふふ、別にお礼を言われる必要はないわよ。初めて出会った時から思っていたけれど、あなたはお礼が好きね」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「でも、折角なら何処かお店にでも入りましょう。ゆっくり話せる場所で説明するわ」
そう言って、イビルシャインは街を進みだした。アイリスは、靄の消えた表情を浮かばせて彼女の後を追いかける。その足取りは実に軽やかだった。
*************
トリスメ聖国――そこはエミューレ王国の西北側に建国された大国だ。
約四百年前に建国され、現在は法王を頂点とした教会派と呼ばれる勢力が実権を握っている。
神の存在を信じる宗教国でもあり、この世界を創ったと言い伝えられている神アルメフェイラを信奉している民も少なくない。
また、国の頂点である法王も神の存在を定義付けているが、だからといい決して理不尽な縛りが国民に課せられているわけでもない。
この国の西側にある独裁国との冷戦状態を除けば、いたって平和といえる国であろう。
王国同様に、亜人と人間が共存する国でもあるため、街にはエルフやドワーフの姿も見受けられる。
イビルシャインとアイリスは現在、聖国を堪能中だ。
二人は、ゆっくり話のできる場所を探しながら、様々な店を見て回っていた。
聖国に並ぶ店は、王国では決して目にすることのできない商品を扱っていたりしている。
そのため、彼女達の好奇心は刺激されっぱなしだった。
例えば、この国には不思議な効力を持つポーションが多く取り扱われている。
そもそも、ポーションとは薬草を始め、様々な素材を調合することにより、生み出される治癒薬である。
効力はポーションによりけりだが、傷を癒すという効果はどれも同じだ。
しかし、聖国の取り扱うポーションは傷を癒す他にも様々な効力を持つ。
ポーションの薬臭さを消し、いろいろな香りを付与した物。飲んだ時の味を改良した物。
どれも実用的というよりは、ユーモアに沿った効果を持っている。
そんな一風変わった商品を聖国は多彩に取り扱っていた。
「この服はイビルシャインさんに、良く似合うと思います!」
「そうかしら? 少し派手すぎない?」
アイリスは一着のドレスを手に取る。イビルシャインの瞳と同じくそれは紅色だった。
丈は長く、襟元は胸元まで開いた大胆ながらも妖艶さを感じさせるドレスだ。
彼女の大人びた雰囲気にはぴったりだろう。アイリスは自信ありげにドレスを彼女に合わせる。
二人は聖国の冒険者ギルドから受け取った報酬で少し懐が暖かかった。
昇格依頼の報酬が聖国の冒険者ギルドを通して支払われていたからだ。
ルルファの護衛は王都から聖国までの道中のみ。
アグリス曰く聖国のギルドへ依頼完了の報告をすれば、その場で報酬は受け取れるとの事だった。
そのため、ルルファを聖国まで案内した二人は、一番に聖国のギルドへ向かったのだ。
そして現在、報告を終えた彼女達は報酬で膨らんだ懐を衣服で散財しようとしていた。
二人がいる質屋の取り扱う衣服は少々高値だ。アイリスが持つドレスもそこそこ高い。
しかし、メルクリウス階級の報酬額を手に入れた彼女達が買えない値ではなかった。
折角の昇格なのでと、アイリスは昇格記念にドレスを買いたいとのこと。
しかし――。
「あっ! これ、このドレスもイビルシャインさんにぴったりですよ! ん、あのドレスもいいですね!! きっとイビルシャインさんに似合いますって!!」
どういうわけか、先ほどからイビルシャインに着てほしい物しか選んでいない。
真紅のドレスを戻すと、今度は黒の落ち着いたドレス。それを戻すと、今度は黄色のドレス。
彼女が手に取る物全てが、イビルシャインに向けてのドレスだった。
「……私はいいから、自分の選びなさいよ」
「いやー、なんだかついついイビルシャインさんに似合いそうなドレス探しちゃうんですよねぇ」
「あなたがドレスが欲しいと言ったのでしょう?」
「えへへ。そうなんですけど。あ、折角だしイビルシャインさんが選んでくださいよ!」
「はあ?」
「いいじゃないですかー」
「……まあ、いいわ。これ以上、あなたが自分で探すのを待っていたら日が暮れそうだし」
「やったー!」
そう言ってイビルシャインは店内を見回した。目に映るのは色とりどりのドレス。
アイリスは期待した様子で身体を硬直させている。
どんな衣装を選ぶかわくわくしながら。
そして、イビルシャインは一着のドレスを手に取った。
「これなんて実にあなたらしいわね」
純白のドレスだった。透き通るような白色に、何層にも重なったフリル。
肩は出ており、背中も開いた大人びドレスだ。
「うぇ!? こんなに背伸びしたの似合いますか?」
自分が持つ自身のイメージとかけ離れている。アイリスはそう思い、素っ頓狂と反応を示す。
イビルシャインは優しく微笑み、口を開いた。
「そうね。これは今のあなたに向けて……ではなく、未来のあなたに向けてのドレスかしらね」
「未来の私?」
「ええ。あなたはきっと良い女性になるわ。だから、これが一番アイリスに似合うはずよ」
困惑するアイリス。イビルシャインは、それを余所にドレスを彼女に渡した。
アイリスは数秒ドレスを見つめた。そして、だらしなく顔を緩ませた。
「えへへへ。そうですかね。私いい女になりますかね。でもそうかぁ。イビルシャインさんには、そう見えているんですよねぇ。うへへへ」
「ええ。きっとね。未来があれば……だけれど」
「じゃあ、これ買います!!」
アイリスは嬉々としてドレスを抱きしめた。
鼻歌交じりに喜ぶ彼女にイビルシャインも僅かに笑みが零れた。
こうして二人は、質屋での買い物を終えたのだった。
*********
二人が聖国を堪能し終えたのは日が落ちてから数時間後だった。
晴天は既に夜空へと移り変わり、街を照らす明るさも気が付けば人為的な光となっている。
自然光とは違う灯に当てられながら、二人は夜の街を歩く。
「すっかり夜になっちゃいましたね。今から、王都に帰る馬車取れるんでしょうか?」
「無理でしょうね。夜はモンスターの姿が確認し難いのだし。危険と判断して、この時間の送迎はないはずよ」
「じゃあ、どこかで宿取らないとですね。アグリスさんには怒られますけど」
「そうね。適当なお土産でも渡せば大目に見てくれるはずよ」
「だといいんですけど」
本来ならば、既に二人は王都にいるはずだった。
怨嗟の害虫者の件の報告と階級の昇格手続き。
それらやるべきことを王都で済ませなくてはならない。
しかし思った以上に聖国を堪能してしまい、本日中には不可能だろうと。
イビルシャインとアイリスは判断した。適当な宿を探し、今日はそこに泊まる。
二人の行動方針はそう決定された。
「そういえば、結局のんびりお話はできませんでしたね」
「ええ、そうね」
不意にアイリスが呟いた。イビルシャインはただ相槌をする。
二人は顔を合わせずに街を進んだ。
「宿、見つかったら教えて下さいね」
「大丈夫よ。ちゃんと説明するから」
その言葉を聞いてアイリスは静かに頷いた。
「……ん? あれはなんですかね?」
「あれは――」
打って変ったアイリスの声に、イビルシャインは足を止めた。
振り返り、アイリスが指す方向に目を向ける。
「テント……にしてはデカいし、形も不思議ね」
「それになんだか、すごい輝き方ですね。あれ、そもそもテントって光りましたっけ?」
そこにあったのは巨大なテントだった。
街の中で異様な雰囲気を放つそれは、様々な光彩を輝かせている。
赤や黄色、青や紫。オレンジに白色の光を辺りに照らしていた。
「イビルシャインさん、見て下さい。沢山の人があそこに入っていきますよ」
「中に入れるのかしら?」
「あ! 良く見れば家族や老人の方もいますね!」
「少し、気になるわね。何があるのかしら?」
呆然とそれを見る二人。しかし、良く見れば様々な人達がそこに向かっていることに気が付く。
どうやら、聖国に住む人々からするとあれは珍しい物ではないのだろう。
「折角だし、見てみますか? 多分ですけど、観光的な楽しさありますって!」
「そうね。それに私達以外の冒険者も何人かあそこに向かっているし」
向かう者達の中には、彼女達と同じ冒険者の姿もあった。
であれば、アイリスの言うようにあそこは聖国の観光スポットなのだろうと――イビルシャインは考えた。
「じゃあ、早く行きましょう! どんな場所なんですかね!」
「分かったから落ちつきなさいな」
アイリスはグイグイとイビルシャインの腕を引っ張る。
はしゃぐ子供の様なアイリスに彼女は呆れた表情を浮かばせた。
「あら……?」
ふと、強制連行されるイビルシャインの瞳にある姿が映った。
(あれは……騎士?)
腰に剣を装備し、顔以外をフルプレートで覆った数名の男達の姿だ。
男達は人混みに混ざり巨大なテントへ入っていく。
「あの人達は、聖国の騎士団ですかね? ああいう人達も来るって本当にここには何があるんでしょうかね!?」
彼女の手を引くアイリスが答える。
どうやら、イビルシャインの見ていた男達に心当たりがあったようだ。
「それじゃあ、早く行きましょう! 楽しみですね!」
「ちょ、ちょっと!?」
イビルシャインの手を、再度アイリスは力強く引いた。
楽しそうにアイリスは彼女を先導する。
イビルシャインは流されるように、引っ張られる。
そして二人は、巨大なテントに飲み込まれるように中へと入っていった。
「騎士団……ね」
ぽつりと、イビルシャインは静かに呟いた。