昇格依頼(1)
夢を見た。
数十。数百。数千。数万。天まで届く屍の丘。紅蓮は踊り街を食らっていた。
木霊する悲鳴は美しい調べを奏でていた。妙なる地獄が降ってきた。
逃げる人々は神に祈りを。聖餐の放棄していた。醜悪を晒す人間が死んでいった。
邪悪な輝きが目に焼き付いた。悪魔のような輝きだった。神のような輝きだった。
真紅の瞳が愉快に嗤っていた。美しかった。愛しかった。魅入られた。飲み込まれた。
*********
「おーきーてー! 朝ですよー!! 太陽が見えますよ!! おーきーてー!」
カンカンカン、とリズムを刻み、甲高い金属音が部屋に響き渡る。
耳を塞ぎたくなる音に眉を顰め、イビルシャインは枕に顔を沈めた。
「ほらほら! 起きて下さい!! いい加減、起きてー!!!」
クリーム色の髪を激しく揺らして、アイリスは更に力強く喧しく音を奏でた。
――うるさい。
イビルシャインは真紅の瞳を細めて、枕から顔を覗かせる。
「……うるさいのだけれど?」
「うるさいのだけれど……じゃないですよ。もう朝ですよ。なんなんですか? 子供なんですか? 朝に弱い寝坊助さんで子供なんですか?」
「馬鹿にしているの?」
眩い朝日に照らされ、イビルシャインは気怠そうに身体を起こした。その表情はむすっとしている。
彼女は朝に弱い。寝るという概念がなかったせいで、睡眠からの覚醒は苦手だった。そのことが判明したのは、アイリスと同居をした初日のことだった。
本日をもって、イビルシャインがアイリスと共に暮らし始めて二週間が経つ。
宿に泊まる額は既に用意が出来るほどには、冒険者として活躍をしているイビルシャイン。
しかし、彼女が家を出ようとするたびに、アイリスが懸命に引き止めるので、同居は今現在も続いている。
いまでは、宿を取ろうとしないイビルシャインの様子にアイリスも安堵していた。
「それじゃあ、朝ご飯食べる前に、歯を磨いてきてくださいね」
「そんなこと言われなくてもやるわよ。なんなの? 母なの? あなたは私の母なの?」
「こんな立派な娘を持てるお母さん。素敵ですね!」
「はぁ」
短く息を吐き、イビルシャインは立ち上がる。
すらりと伸びた脚はひざ上まで肌が露わになっていた。
扇情的な寝巻はアイリスが着る物とは違い、大人びている。
時折、姿を現す下着が何度かアイリスの目に映った。
「今日は白ですか。ごちそう様です」
「いい加減怒るわよ」
こうべを垂れるアイリスにイビルシャインはただ呆れるだけだった。力なくため息を吐いて、イビルシャインは洗面台へと向かう。
二週間の時を共に過ごした二人は、自然と打ち解けていた。
ただ、アイリスの言動の変わりようには、イビルシャインも驚いた。
口調こそ敬語だが、初めの頃とは違い今は何かと遠慮がない。
もっとも、この関係性に不満はない。イビルシャインも満更ではないらしい。
「~♪」
アイリスは、パタパタと楽しげに朝食を並べる。焼けたトーストの薫香が、イビルシャインの鼻を刺激した。
身体を手に入れてからというもの、イビルシャインは食事を取るのがお気に入りだった。
特に、アイリスの手料理が好物だ。食べるたびに、喉を鳴らしている。
「今日は、試験なのだし、ゆっくり食事はしていられないわね」
「イビルシャインさんがもう少し早起きしてくれたらできたんですけど」
「ふふ、それは無理」
「無理て」
待っていたと言わんばかりに、イビルシャインは椅子に素早く座る。
余裕のある口調とは裏腹に、瞳は輝いている。時折、ない筈の尻尾をブンブンと動かして。
「じゃあ、食べましょうか!」
「ええ。それじゃあ、いただきます」
「いただきます!!」
地球では、食事をとる前にそんなことを言っていた。
イビルシャインが食事の挨拶をアイリスに教えてからは、両者共に言うようになった。
勿論、アイリスは、どこかの村での習慣だと勘違いしているが。
こうして、二週間と一日目の朝食をイビルシャインの胃袋が迎え入れた。
*********
ガタガタと激しく揺れる度に、馬車に積まれた大量の荷物が大きく揺れ動く。
馬を使役する男は、気にせず一定の速さで馬車を走らせる。イビルシャインとアイリスも彼に続いた。
馬に乗ることに慣れていない二人は幾分か居心地の悪そうな表情を見せる。時折、二人の肌を暖かな風が擽った。
現在、二人はルーナからメルクリウス階級に昇格するための試験依頼の最中だ。
冒険者は、自身の階級を上げるためには提示された回数の依頼を達成。
更に試験として冒険者組合が用意した依頼をクリアしなくてはならない。
アイリスとイビルシャインは冒険者としては、ほぼほぼ同期だ。そのため、自然と――というよりは、アイリスからのお願いで――なし崩し的にパーティーとなった。
二人の冒険者としての関係は、仲間というより師弟子に近い。イビルシャインが指導し、アイリスが学ぶ。
返礼として、イビルシャインはアイリスの家に身を置かせてもらう。
それが二人の関係性だ。勿論、アイリスは友情も感じているが。
絹色のマントを靡かせ、イビルシャインは今朝のアグリスの言葉を思い返す。
『達成率は七十五パーセント。メルクリウス階級になるには、この依頼の達成です』
アイリスの経験を積むため、四度を超える回数依頼は達成してきた。
しかし、それらは全て所詮ルーナ階級。今の依頼とは難度が違う。緊張感の張りつめた表情をイビルシャインは浮かべた。
絶対ではない者は油断したら駄目だ。彼女に驕りはない。そしてアイリスもそれは承知だった。
普段なら、柔らかな顔つきも今は鋭い。常に、精神を研ぎ澄ませている。
この壮大な高原で、唯一欠伸を見せるのは二人に守られている男だけだった。
――商人ルルファ・シェロンの護衛。
それが、ルーナ階級の二人に課せられた試験であり依頼だ。
王都を抜けた西北の高原の先に『トリスメ聖国』と呼ばれる国がある。エミューレ王国と交友国である国だ。
ルルファは頻繁に聖国へ仕入れた商品を売りに行く。
その度に、冒険者ギルドへ護衛を依頼しては、今回の様に試験として使われている。
王国から聖国への道はいくつかある。彼はその分岐の中で最も近い道を毎回選んでいた。
ルルファは短気な男だが、同時に律儀でもある。人を待つことを嫌うが、待たせるのも嫌いだった。
彼の取り扱う商品は、主にモンスターの肉や皮。それも王国周辺にしか生息しないモンスターのだ。
モンスターの肉は食糧。皮は衣服や防護、武器の素材となる。そして、入手が困難な物ほど値は高く設定される。
彼の取り扱うそれらは、聖国ではそれなりの値で買い取られていた。
中でも、彼の用意したモンスターの皮は、聖国の武具屋に人気だ。
限られた地域に生息するモンスターの素材を使用した武器や防具は、冒険者が良く好む。
そのため、王国周辺に生息するモンスターの素材を使う武具屋は、聖国の冒険者相手にそれなりに繁盛しているのだ。
ルルファを聖国の武具屋は待っている。此度も良い素材を持ってきてくると信じて。
そして、それに応えるべく彼は最短の道を選ぶ。そこがモンスターの生息地だとしても。
顧客を待たせない彼の心得はまさに商人の鏡だろう。
あらかじめ、ルルファがどんな人物か聞いていたアイリスとイビルシャインは、あえて何も言わなかった。
「ここいらで、休憩にするか。馬も休ませなきゃだしな」
「分かりました!」
「そうね。さすがに、この子たちも疲れるだろうし」
ルルファが馬車を止めて口を開いた。王都を出てからゆうに数時間ぶりに言葉を発した。
三人は同時に大地に立った。アイリスは凝った体を伸ばす。
少し離れた位置に生い茂る森林があるのを除けば、周囲の景色は王都を後にしてから何ら変わりはない。果ての見えない草原が広がっている。
広々とした見渡しは、モンスターに見つかりやすい。そして逆も然り。
イビルシャインは、辺りを警戒しながら観察する。
身を隠す場所などないここなら、瞬時に接近してきたモンスターを発見できるだろう。
「それにしても良い天気ですね」
「まあ、少し風は強いが気持ちが良い」
青空を見上げてアイリスは目を細めた。自己主張の激しい太陽が輝いている。
「それじゃあ、お昼ご飯にしましょうか! 今日は、ルルファさんもいるので、たくさん作りましたよ!」
「お、悪いな。それじゃあ、腹も減ったし食うか!!」
アイリスは元気よくそう言って、馬車に積ませてもらっていたバケットを持ち出す。
ルルファも同意し、いそいそとシートを緑の大地に広げた。傍から見ればピクニックに思えるだろう。
イビルシャインは、呆れ具合にため息を吐くと――。
「そんな場所じゃ、見晴が悪いでしょう! 折角の食事なのだから、もっと気持ちの良い場所で食べなきゃ!!」
ない筈の尻尾を揺らして、真紅の瞳を誰よりも輝かせて指示を取った。