冒険者登録
「エミューレ王国?」
「はい!」
馬車に揺られて辿り着いたのはエミューレ王国の王都。
四層からなる城壁を潜り抜ければ、すぐさま活気な街並みが目に入った。
人間は勿論。エルフやドワーフといった亜人の姿もある。
「よくもまあ、こんなに再現できたわね。中世ヨーロッパだったかしら? 典型的なあーるぴーじー? のげーむ? そのものじゃない」
「どうしたんですか?」
「いいえ。なんでもないわ」
流れる街並みを眺めながら自画自賛。
ここは神々が地球にあるゲームを元に創造した世界だ。
それゆえに世界観も異世界らしく忠実に再現されていた。
最も、様々な物が混ざり合っているため、独自の文明が発展されてはいるが。
「それにしても、中々に面白いわね」
住人の衣服を観察しながら呟く。
この世界と地球とでは、着用している衣服の違いが大きい。
どちらも全裸という格好こそしないが、こちらでは近い服装の者達もいる。
それは男も女も関係なしに、だ。
「あ、そろそろ着きますよ」
比較を楽しんでいたイビルシャインに声がかかった。
アイリスが指さす方角へ視線を移せば、そこにあるのは一軒の酒場にも思える建物。
外観は綺麗でいて、見方によっては宿屋にも思える。
「あそこが冒険者ギルドなのね。意外と綺麗じゃない」
「あはは。まあ、ここが特別ってこともあるかもですけどね」
やがて、馬車はギルドの前で止まり。
二人は馬車から降りた。
「さてと、それでこの馬鹿共はどうするのかしら?」
「えーっと、そうですね。中にいれましょうか」
イビルシャインが手綱を引いて。アイリスがギルドの扉を開いた。
同時に快哉を上げて――。
「ようこそ! 明けの花へ!!」
この世界で初めて入った室内を支配していたのはざわめきとアルコール臭。
無頼漢達が騒ぎ、酒を浴びている姿。今はまだ昼時だというのに。
お祭り騒ぎの室内を見て、イビルシャインは一言。
「賑やかね」
「そ、そうですね……」
涼しげな表情で感想を漏らした。
そして何故か、案内を務めるアイリスが顔を引き攣らせている。
しかし、イビルシャインは特にそれ以上語ることはない。
彼女はズカズカと中へと進んでいった。慌てて、アイリスも付いて行く。
イビルシャインは、ぐるりと中を見回して「へえ」と声を漏らした。
やはりとでも言うべきか。この室内にも、エルフやドワーフの亜人の姿。
各々が仲よく酒を交わしていた。
「ん? おお! アイリスちゃん!!」
「あ! タツヤさん!!」
突然、アイリスを呼ぶ声。
視線を移せば、はたして、一人の青年が駆け寄ってきた。
黒い髪に整った顔立ち。白い衣服の上から黒の外套を羽織る姿はさながら魔法使いだ。
手を振り笑顔を浮べるアイリス。対照的にイビルシャインは訝しい顔で彼を見た。
「いやー。無事に戻ってこれたんだな」
「はい。あ、いや、まあ、無事っていうかなんというか……」
苦笑いを浮べて視線を逸らす。
洞窟での出来事を考えれば無事だが無事ではない。そんなところだろうか。
タツヤは首を傾げる。
だが、アイリスの髪に付着した血を見て、直ぐに険しい表情を浮べた。
「その血、どうしたんだ?」
「え? ああ、これはその……洞窟で野盗に襲われて」
ちらり、とイビルシャインに視線を送り。次に拘束された男二人に目線を移した。
タツヤは静かに頷くと、イビルシャインの瞳を見据えて。
「あの、ありがとうございました!」
「うぇ!?」
頭を下げるタツヤに、アイリスは驚きの声を上げた。
何故、彼がお礼を口にしたのか理解できていない様子だった。
イビルシャインは面白げに彼を見つめて、数秒の沈黙。
何かを考え込んでいるのだろうか。真紅の瞳はタツヤから視線を外さない。
「なにがかしら?」
やがて、口を開けばアイリスの心を代弁したかのような言葉。
それを聞き、やっとタツヤは下げた頭を元の位置に戻した。
「あなたがアイリスちゃんを助けてくれたんだよな?」
「さ、どうかしらね。でも、彼女が言うならそうなのでしょうけど」
「あ、はい。この方……イビルシャインさんに治癒とかしてもらって」
話を振られて、アイリスが軽い説明をした。
彼女の話を聞き終えると、タツヤは笑顔を向けて口を開いた。
「なら、やっぱりありがとう。イビルシャインさんのおかげで、アイリスちゃんは無事だったんだからな」
「貴方がお礼を言うことではないと思うのだけれど?」
「いや、友人が助けられたんだ。お礼は言って当然だろ」
「え、私ってタツヤさんの友達だったんですか?」
「え、それは流石に酷くないか?」
タツヤはアイリスの言葉に思わず苦笑いを浮べた。
イビルシャインは何かを考えているのか。首を傾げて、思案を巡らせていた。
それに気が付いたアイリスが問いかけようと口を開き――。
「貴方の名前……」
「はい?」
「貴方の名前、タツヤというの?」
「あ、はい。俺の名前はカシワギ・タツヤって言います」
一瞬だけ、イビルシャインの口元が緩み。柔らかな笑みで「そう」と頷いた。
何故そんなことを聞いたのか理解できなかったのだろう。
アイリスは不思議そうにイビルシャインを眺めた。
「それより、そこの野盗はどうするんだ?」
「アイリスがここまで運べと言ったのだけれど、ここからどうするかは知らないわ」
「じゃあ、俺が後は処理しとくか?」
「え、いいんですか?」
タツヤはイビルシャインから縄を受け取ると、目配せで了承をした。
流石に新米のアイリスでは、この先の対応に不安があったのだろう。
アイリスはお辞儀をし、僅かに頬を紅潮させた。
「それじゃあ、後は任せてくれ」
そう言って、タツヤは野盗を力任せに、引きずってギルドを出て行った。
彼の行動にイビルシャインは首を傾げて、口を開く。
「ねえ、もしかしてここに連れてくる必要はなかったのではないかしら?」
「……多分」
視線を逸らし苦笑い。アイリスは恥ずかしさが胸に溢れた。
「そ、そういえばイビルシャインさんは冒険者になるんですよね!」
「ええ、そのつもりよ」
露骨な話題転換。知ってか知らずか、イビルシャインは悪戯めいた笑みを浮べる。
必死な形相のアイリスガおかしく見えたのだろうか。
しかしながら、健気にアイリスは言葉を紡ぐ。
「だ、だったら急ぎましょう! あそこのカウンターで登録したいと言えば、手続きしてくれるので!」
指さす方へと目を向ければ、そこには事務的な作りを見せるカウンター。
女性と男性の職員と思わしき者達が、男女の違えこそあれど同一の衣服を着用している。
女性に比べて男性の職員は幾分か勇ましい身体を持っていることが気になるが。
他に目立つ要素はない。なんてことはない、なるほど、確かに事務的な場所だ。
「そう。親切にありがとうね」
「いえ!」
微笑むイビルシャインにアイリスは笑顔を向けて。
やがて、イビルシャインはカウンターへと向かっていった。
これにて、自分の役目は終わり。洞窟で出会った素敵な女性との関わりはなくなった。
第四流出魔法を扱う彼女ならば、すぐに高い階級へと進むこと違いない。
あの実力ならばあっという間に良き仲間とも出会う筈だ。勿論、そこに自分はいない。
そうなれば、やはり自分なんかと関わる暇も都合もなくなるのだろう。
そう思うと、不思議とアイリスの心に生まれる黒い靄。
離れるイビルシャインの背を止めるように自然と手が伸びて――。
「あ、あのっ!」
と呼び止める声を吐きだしていた。
疑問符を浮べて振り返るイビルシャインに目を泳がせながらも。
アイリスは照れた様子で彼女の元へと駆け寄る。
「わ、私も付いて行っていいですか?」
「別にいいけれど、私が世間知らずだからって笑わないでね」
「は、はいっ!」
アイリスは見えない位置で拳を握る。
どうにか彼女との繫がりを維持できたことに対する歓喜は存外に高いもので。
その顔はだらしなく、されど可愛げに破顔していた。
*********
文字の羅列が長々と記載される羊皮紙を眺め、受付嬢は溜め息。
黒いガラスペンを器用に回しながら、書かれている概要に目を細める。
ギルド職員の彼女にとって、依頼の受注と査定は不変の仕事だ。
内容こそ千差万別であるが、彼女達が行う仕事は変わらない。
あらゆる知識を総動員させ、依頼を適切な難度に制定。
様々な知識と教養を持たなければ、就くことが不可能なエリート職。
それがギルド職員だ。
特に受付嬢ともなれば、ギルドの窓口に座する顔。いわば、ギルドの看板だ。
そうなれば、外見も相応の偏差値を求められる。ある種の花形だ。
「はあ、こういう依頼が一番困るんだよなぁ」
羊皮紙を見つめ、億劫な表情を浮べる受付嬢――アグリス。
蒼い双眸は微かに細まり、眉間には皺が寄っている。
手の持つ羊皮紙に記載されている概要は経験豊富な彼女を困らせるに相応したもの。
一介の冒険者や一般人からすればそうでないかもしれないが。
知識と経験を持つ受付嬢からしれみれば、厄介この上ない内容だ。
とある洞窟の探索依頼。それが依頼だった。
エミューレ王国の端にあるルルイ村。そこの村長が依頼主だ。
なんでも、村の近くにある洞窟から不思議な雄叫びが聞こえる様で。
はたして、魔獣がいるかモンスターがいるか。その調査を願いしたいとのこと。
できれば退治もと付け加えられてはいるが。
「んー、分からないわ。今まで、あそこにモンスターとかいたって報告はないし。別件の依頼で行ったアイリスちゃんも帰ってきているし……」
この手の依頼は多少だが難度を高め設定するのが常套手段だ。
しかし、今回は少し話が違う。
まず、依頼場所の洞窟でモンスターや魔獣の確認は一度もされたことはない。
過去に類似する存在も発見されていなかった。
なにより、昨日冒険者となったアイリスが無事に戻ってきたことを鑑みれば、危険度はあまり高くないと考えられる。
運よく、遭遇しなかったという可能性もあるが――。
「結局、普段通りに考えるのが無難かな」
悩みに悩み、難度をウェヌス以上に制定。
数分の思考であったが、自身を縛っていた悩みが解消され安堵の息を吐く。
金髪の髪を掻き上げ、残りの査定待ちの依頼書に目を向ける。
「多い……」
じとり、と他の職員に視線を移し愚痴を零す。
積み重なった依頼書を見ると。
――自分以外は仕事していないのでは?
とそんなことを考えてしまう。
「ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「はい? どうしましたか?」
不意の呼びかけにも笑顔で対応。
最早、無意識の域でアグリスは聖女が如し微笑を浮べた。
しかし、その表情は情けなくも驚愕へと移り変わる。
瞳に映ったのは一言、美だ。
例えば、真に美味なる物を口にした時、漏れる感想は美味い、の一言となる。
例えや表現、感想は究極を前にした時、陳腐となるものだ。
アグリスが抱いた感想もそれに然り。
目の前に立つ女性の姿には、そんな究極にして陳腐な印象を抱いた。
「冒険者というのになりたいのだけれど」
「冒険者ですか?」
「ええ。そうよ」
彼女の言葉を聞き、アグリスは「分かりました」と頷いた。
ちらり、と視界に映るアイリスの姿。
報告を行いに来たというようには見えない。
アイリスの表情は何処となく自信が浮き出ていた。
「それでは此方の羊皮紙に記載されている項目に記入をお願いします」
「分かったわ」
イビルシャインは受け渡された羊皮紙とガラスペンを受け取った。
記載されている事項に目を通し、数回の頷き。
記載されている概要は年齢や名前。後は希望クラス―といったところか。
一瞬、年齢の項目に手が止まるも直ぐに筆は動き出す。
この世界で十八を意味する文字を書き終えると、イビルシャインは再び手を止めた。
「どうしたんですか、イビルシャインさん?」
「このクラスというものはなにかしら?」
彼女の言葉に一瞬、アグリスは驚きの表情を見せた。
しかし、流石は受付嬢か。瞬時に笑顔を浮べて、イビルシャインの質問に答えた。
「クラスというのはそうですね。魔法使いや戦士、僧侶といったいわば資格ですね。基本、冒険者になるにはこれらのうち、一つの資格が必要になります」
「なるほど」
アグリスの説明を聞いて、イビルシャインは横に立つアイリスに視線を送る。
「? どうしました?」
「私、冒険者になるのに資格が必要って知らないのだけれど」
「あれ、イビルシャインさんって魔法使いじゃないんですか」
「魔法が使えるからって、魔法使いの資格があると思わないでくれる?」
イビルシャインは深くため息を吐いた。
アグリスの言葉から察するに資格がなければ、冒険者にはなれないようだ。
事の重大さ。というよりは、自身の勘違いを理解したアイリスが大声を上げた。
「えっ、じゃあイビルシャインさんは資格を何も持っていないんですか!?」
「持っていないわよ。ただ魔法が使えるだけ」
あわあわ、と慌てふためくアイリス。
自分が提案した手前、冒険者にはなれませんという結果で終わるのは非常に申し訳ない。
どうにかしようとアグリスへと助け舟を求めるように目で縋り――。
「因みに、えっと。イビルシャインさん? は第なん流出魔法まで扱えるのですか?」
彼女は答えるように、希望の糸を垂らしてくれた。
アグリスの言葉を聞いて、イビルシャインが口を開こうと――。
「イビルシャインさんは第四流出まで使えるんですよ!!」
「なんで貴女が答えるのよ」
何故か自慢げに回答するアイリス。
イビルシャインは思わず冷めた目で彼女を見てしまう。
すると、アグリスは神妙な顔つきで問いかけた。
「第四……。それは本当ですか?」
「ええ、一応は使えるわよ」
「……見せてもらっても?」
「いいわよ」
ごくり、とアグリスは唾を呑む。
アイリスは瞳を輝かせて、イビルシャインの動作を見据えた。
二人の好奇な視線に若干の居心地の悪さを感じながら、イビルシャインはカウンターへと手を置く。
「――『物体凍結』」
イビルシャインの魔力が外部に流れたのは一瞬。
淡い青の靄を纏わせたかと思えば、刹那にしてカウンターは凍りついた。
「す、すごい……!」
輝く氷のカウンターに簡単を漏らす。
アイリスは口をあんぐりと開けて、幼子の様に氷を突く。
対してアグリスは信じがたい形相で氷漬けのカウンターに顔を向けた。
氷の映る間抜けな顔を視界に写しながら、震えた声を発した。
「あ。あの……これは確かに第四流出魔法ですね――……」
「それで、これがなにか意味あるの?」
使えて当然。とそんな様子でイビルシャインは口を開く。
驚愕する二人の反応など眼中にもないのだろう。
「あ、いえ。資格がない場合、こちらが指定した条件を満たしましたら、ここで資格をお渡しすることが出来るのですが……」
「?」
「えっと、魔法使いなら第二流出を使用可能で資格授与ができるのですが……」
言い淀むアグリスにイビルシャインとアイリスは首を傾げた。
やがて、アグリスはやはり震えた声で説明を再開。
「魔法使いの場合ですと、イビルシャインさんは第四まで扱えるので、クラスは星詠みの魔法使いになります……はい」
「……え? 星詠みの魔法使い?」
「なによそれ?」
今度はアイリスの声が震えた。
どうやら状況が分かっていないのはイビルシャインだけのようで――。
「ほ、星詠みっていったらアンさんと同じじゃないですか!!」
「いや、誰よアンって」
「と、兎に角、イビルシャインさんが冒険者になるとしたら、クラスは魔法使い。クラス階級は星詠みの魔法使いとなります」
「じゃあ、それでいいわ」
とあっさり快諾。
正直な話、冒険者になれるにならば特にこだわりなど彼女にはなかった。
「……では、こちらの登録用紙をお預かりますね」
コホン、と一度咳払いをして、アグリスはスイッチを切り替えた。
イビルシャインから羊皮紙を受け取り、後ろにある液体に浸す。
やがて、濡れた羊皮紙を液体から取り出すと、それを彼女の手の甲に乗せた。
「イビルシャインさんは冒険者階級ルーナ。つまりは、計九つの階級の中で一番下からのスタートになります」
そう言って、アグリスは羊皮紙をイビルシャインの手から離す。
「お疲れ様です。これで登録は完了です」
「ずいぶん簡単に終わったわね」
手の甲には紫色の刻印。形は星――というよりは五芒星だ。
存外に早く終わった登録。
イビルシャインは疑い深く、刻印を見つめた。
「その刻印が冒険者とクラスの証となります」
「へえ。これが印……」
「魔法使いは手の甲に刻印が付くんですよ! 色は冒険者階級ごとに変わりますし、クラス階級が変われば形も変わります!!」
アイリスは勢いよく自身の手の甲を見せつける。
それは、イビルシャインと同じく紫色で、しかし形は薔薇のようなもの。
アイリスのクラス階級は見習い魔法使いだ。つまりは魔法使いクラスの一番下の階級。
イビルシャインと彼女の刻印が違うのはそういうことだろう。
「これで私も冒険者……か」
と誰に言ったでもない言葉をぽつりと零す。
その言葉にアグリスは柔らかな微笑みを浮べて――。
「楽しい冒険者ライフを」
――ああ、どこかで似た台詞を聞いたことがある。
そんなことを思いながら、イビルシャインは無垢な笑顔を浮べた。
「ええ。楽しむわ。この世界を――」
「そういえば、イビルシャインさんはこれからどうするんですか?」
不意にアイリスが思い出した様に口を開いた。
「そうね。普通に当分の間は冒険者としてお金を稼ぐつもりよ。今は無一文なのだし」
「あ。いや……その間は、どこで過ごすのかなーって」
心配そうに。何処となく寂しげに見つめてくるアイリスに、少々驚きながら。
「あら、優しいのね。大丈夫よ。宿に泊まっても問題ないほど稼げるまでは、適当に身体でも売ってやりくりするわ」
妖艶に笑みを浮べるイビルシャイン。
するとアイリスは目を見開かせ、突然と力強く彼女の手を握った。
「それだけはダメです! 絶対にダメ!!」
断固拒否と叫ぶ。
予想以上の反応に流石のイビルシャインも面を食らい、顔を引き攣らせた。
「泊まる宛がないなら私の家に来て下さい! 丁度、一人暮らしで寂しかったんです!! そうしましょう! ね、いいですよね!?」
イビルシャインの体を激しく揺さぶりながら。
これは名案と言わんばかりにアイリスは何度もうんうんと頷く。
そんな彼女に観念したのか、はたまた押し切られたのか。
「分かったから! 分かったから落ち着いて!」
うん、としか言えなかった。
「それじゃあ、早速行きましょう! あ、途中でイビルシャインさんの服も買わなきゃですね! 勿論、支払いは私がしますので!!」
一人騒ぐアイリスにイビルシャインはやれやれと呆れる。
しかし、こういうのは悪くない、そう、悪くはない。
きっとこういった感情を楽しいというのだろう。
「さ、早く行きましょう!!」
笑顔を向けるアイリスを見て、イビルシャインも微笑みを返した。
そして――。
この笑顔が絶望に塗り替わる瞬間はきっと更に楽しいのだろうと。
歪んだ破顔は無垢な邪悪に変わっていた。
「……アイリスちゃん、報告は?」
「はっ!?」
こうして、イビルシャインの楽しい異世界生活は幕を開けた。