出会い
輝く星々が墜ちたらどうなるのか。
煉獄が踊る地獄となるか。将又、煌びやかな炎が舞う地獄となるのか。
そんな下らないことを幼子の時に考えたことがある。
この馬鹿げた想像に大人たちは決まって、つまらない答えを返してきた。
――どっちも地獄だろう。
そうだ。どちらも地獄だ。だが、美しいのは果たしてどちらか。
男は目の前の女性の瞳を見て淡い記憶を思い返した。
まだ、純粋無垢な瞳を持っていた頃の。
「――で、なにかしらこれ? というより洞窟? 村ではないの?」
首を傾げる少女。えらく場違いな声は静かな洞窟に良く響く。
真紅の瞳が計三人の人間を見据えた。
「お前、どこから……いや、どうやってきた!?」
震える声は恐怖からか。得体の知れない恐怖が男達を支配した。
しかし、果たして彼らを笑う者がいるのだろうか。
突然、現れ釈然とした振る舞い。動揺もせずに、普通といった様子。
それは些か気味の悪いものだった。勿論、彼女がモンスターならば話は別だ。
だが、彼らの目に移る彼女はどうみても若い人間だった。
だからこその恐怖か。
怒るでも怯えるでも驚くでもなく、普通。故に気味の悪さと得体の知れない恐怖。
「うーん。どうやってと言われてもね。さて、どうやってでしょうとしか言えないわね」
「……馬鹿にしてんのか?」
「あら、心外ね。でもそう。私の質問には答えるきがないのね」
はあ、と溜め息。やがて真紅の瞳は地に伏せるアイリスへと向けられ。
「その子、随分と血塗れね。死にそうじゃない。大丈夫?」
問いかけに応じてか、アイリスの口がゆっくりと動いた。
それはかすれたか細く、今にも消えそうな声で。
「ぁ、たす……けて……!」
「そう」
それはえらく無機質で。しかし、驚くほどに軽い承諾の言葉だった。
ごぷり、と口から泥のような血を吐き。アイリスは彼女を見た。
輝く純白の髪。対して身を包むは漆黒の衣。武器を持たず、防具を身に着けず。
カツンと藍色の長靴を鳴らして、少女は歩く。
ワザとらしく、恐怖心を刺激するようにゆっくりと。されど確実に。
「こ、これ以上近づいたらこの女を殺すぞ!?」
「なら近づかない。貴方が退きなさい。『空気圧力』」
「ぐおっ!? ――ガァッ!?」
それは一瞬。彼女が手を翳し、言葉を紡ぐ。
たったそれだけで、アイリスを踏んでいた男が後方へと吹き飛ばされた。
何が起きたか。それを把握する前に男が叫んだ。
「何しやがったテメエ!?」
「別に何もしていないわよ? でもそう。この程度の魔法で――」
この世界には魔法がある。
己の魔力を流出させ、世界の理を書き換える御業。
第一から第八までの階級が定められる魔法形態において、彼女の使った魔法がどの位置にあるのか。
見習いとはいえ、魔法使いの端くれであるアイリスには直ぐに分かった。
「第四……流出魔法……?」
虚ろな瞳が僅かに見開く。まるで信じがたい事象でも目にしたかのように。
アイリスの言葉を聞き、野盗の一人が怯えた様子で声を発した。
「ふ、ふざけんな! 第四流出なんて出鱈目言うな!!」
「あら、随分な態度ね。今の魔法じゃあ、流石に怖がらないのね。成程」
クツクツ、と笑みを浮べて少女は蠱惑的な瞳で男を凝視。
先ほど飛ばされた男は最早、身を起こす気配すらない。
となれば、残るは彼のみだ。少女は今度こそ、アイリスへと近づいた。
「……で、貴女は助けられたいのよね?」
「っ!」
こくん、と頷き少女に縋るような目を向ける。
がくがくと震える身体は痛みか恐怖のせいか。未だは分からない。
しかし、その震えも少女の魔法に係ればすぐさま亡きものとなった。
「『部位蘇生』」
紡がれる祈りの言葉。柔らかな暖かい光がアイリスを包み込んだ。
重苦は時を待たずして、消え去り。最早、嘘のように腹部の流血は止んでいた。
「すごい……」
「そうなの? じゃあ、第四までが……」
感嘆を漏らすアイリスを横目に、思案を巡らす少女。
男は何をしたのか理解できていないのか。硬直した体を動かそうとはしない。
「さて、一応貴方も痛い目は味わってもらうわよ?」
「な、なんで関係ないお前に邪魔されんくちゃいけないんだ!!」
「あら、そんなこと決まっているじゃない。誰の許可を持ってして、命を奪う?」
詰めたな眼光が男を射抜く。
愉快な生物を軽蔑するかのような、温もりのない冷酷な目。
全てを見下すが如き、真紅の瞳が男の目と交わる。
「だ、誰の……だと?」
思わず男は聞き返した。勿論、聞こえなかったわけではない。
ただ、彼女の言葉の意味が分からなかったのだ。
他者の命を奪い取る。
その行為に許可がいるのならば、紛れもなく殺される本人の許可が必要なのだろう。
――いや、そうなのか?
考えもしなかった問いかけに、男は唾を呑む。
「その様子じゃあ、駄目ね。不愉快ね」
平坦に言い捨て、少女は手を翳す。
男は遂にその場に情けなく崩れ落ちた。
「それじゃあ、さようなら」
「まって、待ってください!!」
「安心して。死にはしないわ。『厄災の――』」
「『流水の衝撃』!!」
「ぐばっ!?」
少女が魔法を放つより早く、男の顔に高速の水弾が撃ち込まれた。
殴打音にも破裂音にも聞こえる音を響かせ。男はそのまま気を失った。
振り返れば、血の塗れた髪を揺らして、ふう、と息を吐く少女の姿。
アイリスは自分の魔法が見事に決まったことに幾分かの達成感を抱き。
同時に溢れだす恐怖のせいで、その場にぺたりと、座り込んだ。
「……貴女、大丈夫?」
「ぇ、あ、はい」
女性が心配そうにアイリスの顔を覗き込んだ。
真紅の瞳に飲み込まれそうになりながらも、アイリスは不器用な笑みを浮べた。
涙が流れないのは奇跡だろうか。それとも偶然か。
どちらにせよ、人前で泣くというのは些か恥ずかしいもので。
そんなわけで、涙を見せずに済んだことは不幸中の幸いとでも言えよう。
――と、落ち着いた精神がすぐさま捕える羞恥。
アイリスは、バッと勢いよく衣服の丈を下に伸ばし。失禁した事実に赤面。
泣く姿を見られる方がよっぽどマシだと思えた。
「それにしても災難ね。何があったかは、知らないけれど」
「あ、ありがとうございます」
少女はアイリスの腕を乱雑に引っ張る。予想以上の力だったのだろう。
アイリスは少女の身体に支えられる形で、その場から立ち上がった。
ちらり、と少女の顔を伺い制止。
魅入られる、とは正にこういったことだろうか。
アイリスは、呼吸することも忘れて、少女を凝視した。
「? なにかしら?」
「あっ! いえ! なんでもありません!!」
凛とした声に意識が覚醒する。アイリスは、素早く少女から離れた。
コホン、と一度咳払い。無意識か、意識してか。
アイリスは乱れた髪を手ぐしで整えた。
べっとり、と手に付着する血に引き攣りながらも、一応は身なりを改める。
――とはいっても、未だに下半身には気持ちの悪い感触が残っているが。
「それはなに?」
「これですか?」
不意に少女が首を傾げた。
指差す先にあるのは、アイリスの腰――に飾られた弓。
先ほど、拾った遺物形成の武具だ。少女は興味深く、それを見つめている。
アイリスは知る由もないが、目の前の少女、否、神は大変その武具に興味があった。
彼女の持ち合わせる知識は、制約の元、必要最低限に抑えられている。
それゆえ、この世界に武具があること。
それが計六階級の序列分けがされていることは知っていた。
しかし、どの武具がどの階位に位置するかまでは知りもしない。
なので、アイリスが持つ武具が、果たしてどの位置にあるのか。それに興味があった。
「これは、さっきと言いますか。ここの洞窟で見つけた武具です」
「階級は?」
「えっと、断言できませんけど多分遺物形成かと。流れる魔力からの予想ですが……」
少女は静かに「そう」とだけ言い捨てる。それ以上の質問はなかった。
アイリスは不思議そうに首を傾げる。むっつり黙り込んだ少女に幾分かの疑問。
――そういえば、まだ名前を聞いていない。
アイリスは誰何の声を投げた。
「お名前を聞いても良いでしょうか?」
少女は考え込み、そして柔らかな微笑みを向けて答えた。
「――イビルシャイン。そう呼んで」
真紅の瞳を輝かせて、無垢なる闇の輝きがこの世界に降り立った。
*******
魔法の光が灯す道を進む人影が四つ。
ズカズカと先に向かう少女。それを雛鳥の様に追いかける少女。
時折、雛鳥の少女が口を開きかけるが、言葉を発することはない。
「どうかしたのかしら?」
「あっ、いえ!!」
びくん、とアイリスの背筋が跳ね上がる。
同時に心臓が激しく鼓動するのは気のせいか。
何かを話したいが、何を話せばよいか分からない。
そんな思考がアイリスの中を巡る。
イビルシャインと名乗った少女は令嬢の様に高貴で気高い。
しかし、それでいて妖艶な雰囲気。
振り返るたびに、蠱惑的な表情を向けてくるから同性だろうと変に意識してしまう。
ギルドで出会ったアンとは別の美を持つ。華やかの化身。
自分の声が上擦っていないか。そんなことを心配してしまう。
「そういえば、貴女はなんでこんな場所にいたの?」
「あ、えっと、あなたじゃなくて、アイリス・リリアといいます……」
少しだけ、速度を落として。イビルシャインは問いかけた。
アイリスは指を弄らせつつ、並走しようと僅かに歩む速さを上げた。
「そう。じゃあ、アイリスはどうしてここに?」
「恥ずかしい話なんですけど。私、冒険者をしていまして」
「冒険者?」
「はい。それで依頼の薬草採取でこの洞窟に来たんです」
「へえ」とイビルシャインは相槌を打つ。僅かに関心があるのか「それで?」と促す。
「薬草は無事にとれたんですけど、途中で悲鳴が聞こえて……」
「行ったらこの男達にだまし討ちされたってわけ」
そう言ってイビルシャインは右手を軽く引っ張る。
それに釣られて、光の縄で拘束された男二人が「ぐえっ」と間抜けな声を上げた。
先ほどアイリスを襲った野盗の二人。意識こそあるが、最早抵抗心は消えていた。
気絶しているうちに、魔法による拘束。目が覚めた頃には既に囚われの身。
普通の縄よりも丈夫であるせいで、抗おうにもそれを解くことはできない。
勿論、彼らが魔法を使えるならば話は別だが。
「それで、こいつらはどこに連れて行けばいいのかしら?」
「一応、冒険者ギルドですかね。とりあえずは、ギルドで身柄の拘束が妥当かなと」
アイリスは酷く冷めた瞳で男達を見下げた。
同情などあるわけがない。出来れば、殺したいとも思わなくもない。
しかし、自分は冒険者。人間の殺しなど真っ平ご御免こうむる。
悪を裁くことと悪を殺すことは、また違う話だ。
「あの、イビルシャインさんはなんでここに来たんですか?」
「え、私? そうね……」
ふむ、とイビルシャインは思案する。
魔力を見付けたから――と言うのは簡単だ。
八つの階級からなる流出魔法において、探知魔法は第六流出に位置する。
しかし、野盗とアイリスの反応から察するに第四が扱えるだけで希少なのだろう。
それを鑑みると、些か言葉に詰まる。
この世界に来て、早々に目立つというのは避けたい。
「あの……イビルシャインさん?」
「ああ、ごめんなさいね。少し、思い出していて」
「?」
結局は正直を話すより、偽りを述べる方が得策か。
頭の中で設定を組みたて、アイリスへと説明した。
「実は私って孤児。いや、売り子なのよ」
「えっ!?」
驚愕を露わにするアイリスを横目に、イビルシャインは話を続けた。
「生まれて間もないころに両親に売られて、家畜の待遇で育てられたのよ」
「そ、そうなんですか……?」
「本当なら今日は貴族に受け渡される予定だったのだけれど。魔法を使って逃げちゃったのよ。この服は、貴族から奪ってね」
と最後に悪戯っぽく笑みを浮べて。しかし、健気にイビルシャインは語った。
はたして、アイリスはどう受け取ったのか。
彼女の話を聞き終えると、そのままぽつり、ぽつりと――。
「た、大変だったんですねぇ……!」
涙を流してイビルシャインを見つめた。
時折混ざる嗚咽を洞窟内に響かせ、アイリスは酷く純粋に信じ込んだ。
「だから、そうね。これからどうしましょうかってところね」
その言葉は嘘ではない。成り行きこそ出鱈目であるが、ここから先の行動は未定だ。
適当に国々を回るのも悪くはない。
しかし、この世界を楽しむと決めた以上は存分に満喫したいというのが本心。
だからこそ、この先どうしようという状況なのだ。
「じゃあ……」
アイリスが足を止めて、じっとイビルシャインを見据えた。
どうしたのか。と問う前にアイリスは再び足を進めながら、口を開いた。
「――冒険者……冒険者になるのはどうですか!?」
「ちかっ」
イビルシャインを抜き去り、そのまま勢いよく振り返り。
ずいっ、と顔を接近させ、これは名案とアイリスは胸を張って答えた。
「イビルシャインさんって第四流出まで使えるんですいね! だったら、冒険者になったほうが良いですよ! 絶対!!」
捲し立てるアイリスに、思わず苦笑い。
しばし、考えて。やがて、イビルシャインは納得したのか。首を縦に振った。
「で、どうすれば冒険者になれるの?」
ぴょこんと、アイリスの頭に生えた耳を幻視。
あれば、ぴこぴこと動いていたことだろう。
アイリスは得意げに鼻を鳴らして答えた。
「それは簡単です! 冒険者ギルドに行けばいいんですよ!!」
「それは何処にあるの?」
「今から、私が行くところです!!」
気が付けば洞窟の出口。アイリスを待っていたのか、外に馬車が止まっていた。
久しぶりにも思える外界。アイリスは息を吐いた。
もしかしたら、二度と光を見ることはなかったかもしれない。
そう考えると、イビルシャインへ感謝の気持ちが溢れる。
「あの……よかったら、一緒に行きませんか?」
とアイリスが手を差し出す。
数秒の沈黙の後、イビルシャインは僅かに微笑んで、彼女の手を取った。
「ええ。よろしくお願いするわ」
「――はいっ!」
探検して、道具を手に入れて、危険な目にあって、それを切り抜けて、仲間と出会う。
アイリスの冒険譚の初陣は出会いを刻み、一幕を閉じた。
「あ、この人たちは馬車に吊るしましょう!!」
野盗二人を馬車に繫げて、二人は冒険者ギルドへと向かった。