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第三部 終末思想の理性観について

もし、この世界に『終わりの時』が迎えられるとするのならば、其れはどんな時であろうか。

そして、何故我々は『終わりの時』を懼れるのであろうか。


世界終末時計と言う、あくまで仮定的ながらも此の世界の終焉までのカウントを数えた時計は、2015年現在で残り3分を示している。

しかし宗教観によっては終わりの時と言う概念には差異があり、其れは神々の黄昏―――即ちラグナロクであったり、または神の審判であったりもする。

だが、我々人間が本質的に捉えられる終末は我々の破滅、自滅が挙げられるだろう。

仮に核戦争が勃発し、我々が死んでしまったら、喩え人間以外の生物が息を存えていたとしても、人間が死ねば、其れは我々の中の『終末』に等しい。

若しくは天変地異で、我々の知らぬ"何か"が襲い掛かり、不意たる破滅を蒙る可能性も考えられない事は無い。


だが、一概にして我々が言える事は―――『終末論』は人間と言う種族の崩壊、謂わばして滅亡だろう。

其れは我々が『認識』を持っているからであり、我々が唯一不二の認識論を備え持つ生き物だからであろう。

我々人間以外の生物が『終末』を知っているのならば、其れはその生物に対しての『終末』になるだろうし、はたまた誰も『終末』を知らないのであれば、この世界に終末は訪れないであろう。

その『終末』を知る術こそ、我々の持つ『認識』に他ならないのである。


我々は考えることが出来る存在だ。我々は思考し、そして演繹、帰納出来る存在だ。そして我々は本能だけでなく、第三の目―――理性の眼を持つ存在だ。

よって我々は『認識』を持っている。理性の眼を持つ存在こそ、我々の知る『認識能力を持つ生き物』なのだ。

其の理性の眼によって捉えられた、『我々の破滅』―――其れを仮定的に終末として定めたからこそ、我々は自らの終焉を懼れるのでは無いであろうか。

我々は貧弱な存在だ。よって我々は常に抽象的認識、正しくして理性の眼を持っている。だからこそ、我々は余計に貧弱になるのだ。


―――我々は自身らが捉えた『終末』に怯え、ただ懼れを感じる、愚か者なのだ。

其れは自分で作りだした原因によって自ら怖がる、自分で蹴った雀蜂の巣から出てきた雀蜂に襲われ恐怖を感じるのと同じ事だ。

我々は我々が愚かである事を知らない。知らないからこそ我々は理性の眼を以てしても終末論に恐怖を抱くのだ。


だが、我々が終末に逼迫されるのは、我々が認識を捨てる時―――理性の眼を捨てる時なのだ。

我々が考える葦から普遍的な葦に変遷を遂げた時、退化した時こそが本当のラグナロクでもあり、また神の裁きでもあるのだ。

懼れを抱くと言う事は、我々が愚かであるのを知らない。だが、我々が懼れるのを止めた時、其れこそが我々の終焉なのだ。

我々が『愚か者』から脱却しようとした時、即ち其れこそが我々の言う『終末』なのだ。


我々は決して悧巧では無いのだ。我々は愚かである。

だが、我々は己らが愚鈍である事を誇ればいいのだ。何故ならば、其の愚鈍は他の如何なる生物に到底真似の及ばぬ、膾炙に値するものなのだ。

だから我々は愚か者らしく行動せねばなるまい。我々が少しでも悧巧になろうとした時が終焉なのであれば、我々は愚鈍のまま生きねばなるまい。

その為に、我々は今まで忌憚していた愚か者の視点から、改めてもう一度世界を見直す必要があるのだ。

狂気に駆られる事は、我々にとって決して厭うものでは無い。寧ろ我々は狂悖主観を見つめ直し、そして知る事が大事なのだ。


我々の終末は我々が理性の眼を放棄する時以外に他ならぬ。よって我々はどう足掻いても愚か者なのだ。

だから、我々は今一度、『愚鈍である』と言う事を考え直すべきなのだ。

我々を束縛し、そして締め付ける、我々の偏向した思考から解放されなければならないのだ。


終焉とは、我々にとって最も遠く、そして最も近い場所にあるのだ。

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