精神唯存揺篭 灰墟 Ⅰ
私は渦の中へ、今度は自発的に飛び込んだ。勢いよく飛び込み、そこに浮かぶ背景の中へと私は無事侵入した。
灰色の風が視界を奪う、モノクロの世界が視界一杯に広がっていた。
これまで見てきた場所とは随分雰囲気が違う。だが、これがきっと、この世界の本当の姿なのだと私は直感した。
灰混じりの風が吹く。それは冷たく、乾いていた。空は灰色の塵と雲で覆われており、禄に光も差し込まない。
だが、前方向への視界はそう悪くはない。数百メートル先、なだらかな丘の上に見覚えのある屋敷が見える。
二つの塔は見えないが、何度も見たあの屋敷であることは間違いない。屋敷の上空は、周囲と比べて濃い濃度の空舞う灰で覆われている。
誘われて、いるのか……? いいだろう、乗ってやる。そこまで行ってやる。
駆けることなく、ただゆっくりと、しかし立ち止まることなく、振り向くことなく、進んでいく。
ガサッ、ガサッ、ガサッ、ガサッ――――。
そんな無機質な足音を立てながら、私は半ば埋もれる足を前へと進める。
灰色の雲にどこまでも覆われた、薄暗い空。灰色の、火山灰のような、燃え滓のような、灰の大地。幅数メートルの、丘の上の屋敷まで真っ直ぐ続く、灰色の石畳の道。雨は降っておらず、雷は鳴っていない。
ただ、強く冷たい、渇ききった、灰の匂いのする風が吹く。それは、悪魔少女からした灰の匂いと同じものだった。
遠くまで見渡せるが、地面の終わりも、空に浮かぶ島も見えない。
そして、なだらかな丘を昇り、広場へ辿り着く。噴水も、花壇も、灰で埋もれていた。私はそれをスコップで掘り起こし、確認した。
一際強い風が灰を巻き込みながら、私に向かって吹きつける。
目を瞑った。
再度目を開ける。噴水も花壇も、再び灰に埋もれてしまった。
私はそれを放って、先へ進む。
広がる景色の中で、色と時間と熱を唯一持つ私だけが、意志を持ってただ進む。
こんなやるせない風景の中にいれば、詩人にもなりたくなる。こう嘯いていなければ、私もその景色の中に埋もれてしまいそうに感じるから。
そうして、屋敷の入口である扉の前に到着した。
扉は原型を留めていたが、炭化しているようだった。そんなことに目がいくのは、目の前の屋敷が、原型を留めた廃墟となっていたからだ。
この場所も核で滅んだとするなら、損壊がこれだけで済むのはどう見ても可笑しい。
スゥゥゥ、ガコォォンンン!
私は扉をスコップで叩き壊し、中へ入った。
溶けて、固まって、砕けて、風化して、劣化して。襤褸襤褸の穴だらけで灰が侵入していつつも、屋敷は私が踏み入っても床が抜けたり倒壊したりしない、探索可能な程度の損壊度合いで存在していた。
都合が良過ぎる……。
やはり、管理されている。悪魔少女の力が隅々《すみずみ》まで及んでいるのだ。この屋敷がそんなに大切なのか?
私を四度殺した悪魔少女と、そんな彼女を作り出した世界に同情する私は、ある意味狂っているのかもしれない。これなら、ずっと、彼女の方が人間らしい。
そんな皮肉を頭に浮かべながら、扉を思いっきり蹴り飛ばす。
バキバキメキ、ガーン!
やけに有機的な音を立てながら、扉は私の予想通り、吹き飛んだ。私を遮るつもりは彼女には無いのだ。
扉が壊れ、ロビーが見えた。だが……。
部屋に入って、目を細め、咳込む。
ゴホッ、ゲホッ、ゴホッ……。
息苦しい。暗い。
天井や壁の照明は付いている。だが、薄暗い。前の部屋よりも本来明るい筈だ……。入口からロビーへ続く廊下には灯り一つ無かったのだから。
存在する天井の灯りは、この部屋を照らすに出力が足りない訳でもない。
埃が被っている。黒色の黴が生えている。ところどころ腐食している。蜘蛛の巣が張っている。そんな様子がちゃんと見えているのだから。
なら、これは、具現化した威圧感、か……。
この屋敷の何処かで、悪魔少女は私を待ち構えているのだ。
酷く朽ち果てていたロビーを抜けようと、以前は無かった、通路へ続くやたら重い扉を開ける。
ズゥゥゥゥゥ、ギィィィィィィ! ドサァン!
私が手を放すとすぐさま扉は大きな音を立てて閉まった。先ほどの部屋より暗い。物理的に暗いだけでなく、雰囲気も重々しい。
進路はこれで合っているということだろう。視程は20~30センチ程度しか無い。私はゆっくりと先へ向かって進んでいった。
それは一本道であるようで、ただ真っ直ぐ、何処までも続いているかに思えた。だが、実際には未だ、数十メートル程度しか進んでいない。
バラバラバラ……。
私はぴたり、と足を止めた。
崩れる音が物凄く近くから聞こえた……。それは、私の爪先辺りから。恐る恐る視線を足元へ向けると、私の前へ出ている方の足の爪先より先に床は無くなっており、
メキメキメキ、
その足元の床に罅が入っていくのが見えたため、私はそっと後ろへ数歩退いた。
突然、何なのだ、これは……。
汗が、止まらない……。
目の前に、床は、地面は、無くなっていた。地面のない通路が、ただ、ひたすら向こうまで続いていた。左右の壁は消えていない。床だけが消えているのだ……。
それが視認できるのは、消えた床の先、下から光が差していたから。だが、光そのものが差しているのではない。
そこから現れたものが、光を発していたのだ。青白い光を……。
何だ、あれは……。
それは、灰色の、蛸の足のような……巨大な半透明の触手……。灰の匂いを纏った触手。
その触手は、明らかに私に向けて敵意を放っていた。先ほどから足が震えてしまっているのだ。威圧をまともに浴びてしまって……。
だが、そこまでだ。その蛸のような触手は、それ以上何もしてこない。不気味に下で光っているだけだ。
私は踵を翻し、ひっそりと逃げるようにエントランスへと戻ることにした。気付かれないように、気付かれないように。
そして、それは上手くいきそうだった。あと10メートル程度で扉に着く。
依然触手は動きを見せていない。
あと8メートル。あの扉がすんなり開いてくれればいいが……。
あと6メートル。だが、いつまでもこの状態が――――、ゴォォォォォォォォォォォ!
な、何だ……!
突然、轟きとともに、平行方向の強い揺れが発生した。
あと6メートルで変わらず。数十秒経過したにも関わらず、止む気配はない。
私は何とか大丈夫だが、屋敷はそうではないようで……。揺れに耐えられなくなり、ぴきぴきと、天井や壁や床に罅を走らせていく。
メキメキメキ、ピキピキビキ!!
まだ、止まらないのか……。
更に数十秒経過した。揺れに振り回されないように踏ん張るのがせいぜい、なんてもう言ってはいられない……。
不幸中の幸いか、これでも未だ、あの触手は動いていない。
私はわざとその場で倒れ込み、四つん這いで進む。エントランスへ向かって、あと6メートル、5メートル、4メートル、
キィィィィ、ガシャーン!!
上から迫ってきた、落下してくる付かない灯りを辛うじてのところで、転がって避ける。そんなもの、明らかに存在していなかったのに……。
……。どうやら、上の階から落ちてきたらしい。
何がしたいのだ、悪魔少女は……。私にこの中を探索させたくないのか……? なら、どうして招き寄せるような真似をした……?
だが、そんなことは後だ。あと、3メートル、2メートル、
あと1メートル、……、届いた。
ドアにもたれかかるように立ちあがり、扉の取っ手を、思いっきり踏ん張って、引く、が……、
開かない……。