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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第六節 神秘庭園 ~ひとときの逡巡~

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神秘庭園 中央広場 Ⅷ

 ほたる色のしずくを集めて疲れが抜けきるまで口に入れ、周囲を見渡し、そうであることを確認し終わった私は、噴水の淵に力無く座り込んだ。溜息を吐きつつ、天を仰ぐ。


 戻って来れたのはいい。肉体も精神も、疲労は"ほたる色の液体"によって取り除かれた。だが、それが何だというのだ。それでどうなるというのだ。私には、悪魔少女への対抗策が無い。


結局のところ、ここで出来得る限りの準備、"ほたる色の液体"をハンカチにみ込ませ、小石を幾つか拾っておき、心を落ち着かせて、そして、あの場所へ戻る。


 そして、対()する。当然の如く、負ける。


 足りないのだ。手段も、策も、武器も。これでは抵抗にすらなりはしない……。せめて、策だけでも何か用意しなくてはならない。私は島々を巡っても結局何も有効な手段も武器も見つけられなかったのだ。それで、こうやって時間まで与えて貰ったにも関わらず、策の一つも思いつかないようではどうしようもない。


 白羽根、いるのか?


 ……。やはり、声は出なくなっている。私は今、完全に悪魔少女の影響の外にいるということだ。


 頭を起こし、周囲を見渡す。白羽根は少なくとも近くにはいないようだ。気配がしない。反応も無い。視界にも映らない。


 念じて本を出す。手掛かりを求め、それを開いた。






 ……やはり。記述が増えていた。それも、予想をはるかに超える密度の重要な記述がちらほらと。


 本の中ほどのページに浮かんだ文章。それはこの庭園についての記述だった。だが、どうして今更そんなものが提示される? 何故、今なのだ?


 私はそんな疑問を頭に浮かべつつも読み進めていく。


 この庭園は、別の世界の何処かとその一部を共有する形で繋がっている。"physiological"の台座の先の世界では、あのなだらかな丘。"safety"の台座の先の世界では、屋敷のある浮島の噴水のある広場。


 "physiological"の世界は、肉体を失ったあの二人の、そう失の世界。"safety"の世界は、歪んだ愛情と、危険のにおいに覆われた一つの家族が因子となった、滅びの世界。


 私は見た文章をそのように頭の中で要約し、納得した。


 "physiological"の世界の破(じょう)の引き金は"本能"、つまり逃れられない欲求によって世界が滅んだ。"safety"の世界の世界の破(じょう)の引き金も"安全"という言葉、ある少女が望んだ安全によって世界が滅んだ。


 どちらも、台座に刻まれた文字に沿った滅びが展開された後の世界なのだ。台座に刻まれた文字の負の側面が発揮された結果の滅び。それが未だ踏み入れていない台座の先の世界でも展開されるのだと推測される。


 今回本を開いた最も大きな収穫はそれだったはずだった。そこで本を読むのを止めていれば。


 だが、私は止めなかった。そして、後悔する。それを知ってしまえば、もう、唯愚直に真っ直ぐに、無策に、勢いだけでは前へ進めないのだから。


 打ち倒すべき悪魔少女の背景はやはり、血()られていて、どうしようもなかった。そこに救いは無かった。


 それは、あの二人の、いや、()()()()()()辿たどった人生の要約。彼女が終わらせた世界の基本的な情報。


 歴史書のような客観的な記述と、感情を露するが如く一方的な記述が混じっていた。いくつもの部分が途切れ途切れにはなっていたが、私がこれまであの浮島群で見てきた光景を照らし合わせていくと、それらは何とか全体像をつむぐことができる程度には繋がった。繋がってしまった……。


 私は見せられた彼女たちの人生の幾つかの場面のことを含め、これで、彼女たちの人生の、感情の動きや境遇を含めた、ある意味共感してしまえる部分すら見つかる位に鮮明に、彼女たちの人生の全体像が見えてしまった。


 そうすれば、どうなるか。


 同情してしまうのだ。


 そうなれば、無慈悲に、躊躇ちゅうちょなく刃を降り下ろすことはもうできない……。


 だが、それで終わりでは無い。真に私の歩みを鈍らせる情報が、読み進めた先に唐突に記されていた。


 それは、かごの世界の年代記的な要約でもなく、幻の像と現実として存在する島が区別して表記された立体地図でもない。


 それは、彼女についての記述の先に金の文字で突如刻まれた。






なんじは四度、死んだ。それでもなんじは、そのことを忘却しつつとはいえ、折れずに立っている。だが、今後はそうではいられなくなっていく。】


【旅が進むにつれ、なんじは多くを経験し、自身の中身を満たしてゆくだろう。そして、汝はもろくなる。だが、それはなんじにとって必要なことであり、逃れることはできない。それから逃れようとすれば、なんじは死者であることと同義。】


なんじが未だ壊れずいられるのは、なんじが最初は伽藍洞がらんどうであったから。なんじは、自分自身で得た、あらゆる種類の経験を貯め込み、なんじは最早、伽藍洞がらんどうでは無い。】


【だが、形を持つが故に、なんじもろくなっていく。人の位階を一つ登り終えたなんじは最早、死を忘(きゃく)することはかなうまい。なんじは人となった。人の範疇はんちゅうに収まった。汝は本能持つ人と成り上がったのだから。】


なんじそれを理解し、心せよ。死を理解することは、その影響を無視することはできなくなるということ。なんじは最早、形ある人なのだ。だから、これ以上の死はなんじにはゆるされない。それは汝と汝に全てを託した者の終わりを意味するのだから。】


 それを見て、心の奥底から、かれるような熱が、どんどん広がっていき、忘れ去られた、失った、落とした、欠けた、無意識だが意図的にそうしたはずのそれらが、全身に反(すう)する。


 思い出したそれは、記憶と記憶の切れ目。その間に私が肉体的に死んだ、封じたはずの、捨てたはずの、死の記憶。


 その時抱いた苦痛と怨嗟えんさの波が、打ち寄せて、く、……る。


 わ、わた、し、は、……って、って、って、……、ぅぅ、引き、千切、ごほぉぉ、り、それ、を、み、ごほっ、げほ、げほ……。


 つかん、で、って、って、って、って、って、


 ザバーン。


 ふん水に、飛び、込んで、


 ガシッ、ギリリ、


 歯をきしらせて、息をすることを妨げるそれを、


 ガッ。


 手を突っ込んで、口の奥へと押し込んで、


 ゴクッ。


 だが、それは気管に入り込んでしまう。


 っ、ゴホッ、ゲホッ、ゲホッ……、はぁ、はぁ……。


 それをかずに押し留めたのは、それと共に先ほどの死の記憶を、像を、忘れてしまいそうだったから。これは、忘れてはならない類のものだ。逃避してはならないものだ。だから私はそれを無理やり腹の奥へ戻したのだ。


 だが、無茶をし過ぎた。酸素が足りない……。だが、せめてふちに……顔を上げておかなくては。


 最後の力を振り絞って、何とか、泉のふちに上半身を引っ掛け、そのまま私は意識を失った。






 闇の中に私はいた。熱くも寒くも無く、無風で、無音で、光の無い闇の中だ。自身の体の感覚すら無い。


 私は目を瞑って丸まっていた。目を開けていても何も映りはしない。闇が広がっているだけだ。


 私は浮遊していた。床に触れている感覚は無かった。身体は自由に動かせる。それをさえぎる壁も重力もきっと、ここには無いのだろう。


 まるで夢心地だ。私はそう。静かに落ち着きたいのだ。心をしずめたいのだ。先ほどの感覚。思い出すとそれは、体の中を走り、まわる。


 感覚が無いのではない。唯、無視していたのだ。


 つまりここは、私の夢の中だ。


 ずい分、空っぽなものだ……。


 これが、私、か……。

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