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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第五節 精神唯存揺篭 ~砕け散りし伽藍洞~

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精神唯存揺篭 浮遊島群 閉環籠姫心中 Ⅰ

「【あらあらぁ、まさかぁ、死んでしまうとは、ねぇ。】」


 ……。


 私は地面に伏せているようだが、どうやらまた、先ほどとは違う場所にいるらしい。床面はふっくら柔らかい。


 どうやら私は、かなりふっくらとした毛並みの絨毯じゅうたんの上にいるようだ。


 やみの中、その声の主の姿が浮かび上がってくる。それは、声と字幕の色の通り、あの悪魔少女だった。


「【あらぁ? 無反応? 貴方の記憶の中からこの場面に相応しい言葉を選んだのだけれど。】」


 大きな白い羽根を片手で抱え、もう片方の手でそのふちむしりながら、少女は私にそう言った。


 ずい分と既視感のある羽根だが、どうも、頭がかすんだかのように思い出せない。先ほどのダメージがまだ尾を引いているようだ。意識を取り戻したばかりというのも影響しているだろう。


 むしられた羽根の断片は、闇にみこまれるように、消えていった。






 目が慣れてきたのか、少女とその周りが少しずつ鮮明に見えてくる。少女は子に座っていた。


 それは、中世の王座のような絢爛けんらんで年季のある、幾何学模様のちょう刻が施されている金の椅子。背もたれ面と座面には赤の布地があしらわれている。そんなまるで王様仕様のようないす子に彼女は少女の体に対して不相応に大きいようで、足は地面に届いておらず、ぶらんと垂れている。


 やはり、子やその付近、そして少女の上には全く先ほどの羽根の断片は見当たらない。再び視線を上げると、いつの間にか少女の手から白い羽根は消えていた。


 私は、敷かれた赤い毛並みの良い絨毯じゅうたんの上に横たわっているらしい。周囲の地形は不明。屋内か屋外ですら。


 私と彼女の周り数メートルは少々弱めのスポットライトを浴びているように明るいが、その周りは闇だ。見えている範囲では、地形の高低は無い。平らな地面に赤い絨毯じゅうたんが何処までも敷かれているかのようで、その端は見当たらない。明かりと闇との境界がその終わりだ。


 少女はほお杖をつきながら首を傾げる。そして、すっと一瞬消えたかと思うと、子の上に靴を履いたまま立ち、今度は私を上からのぞき込むように見下ろしている。その口元は悪どくり上がっている。


 額を流れる汗の質感が、現実逃避の芽を摘む。


 少女は、少し前に見たときよりも、僅かに大人びていた。少し成長したような気がする。着ている服は前と同じ。だが、そのサイズは少々、今の少女には小さくなりつつあるかのように見えた。


 そして、この前よりも、少女はより、悪魔らしく見えた。そう、悪魔の特徴、あでやかさ。その片(りん)が前よりもはっきりと見えたのだ。


 少女のくちびるが、光なき闇のなかで、あでやかに輝いた。少女の顔が、私から数センチのところにある。白磁のようにその肌は透き通って、この世のものとは思えない。ずい分顔色が良いようであるのもそれを助長しているのだろう。


 それに触れてみたい、そんな気持ちが私の中に生まれる。


 きっとシルクのように柔らかいだろう。きっと、なめした鹿皮のようにすべすべだろう、桜の花びらのように僅かに紅潮しているほほに、触れてみたい。そして、その隣の唇に、ぷにっ、と触れてみたい。


 そう、入られているのだ、私は……。


 すると、少女の声で、いつの間にか浸っていた耽美ちんびな空想から、私は目を覚ます。


「【ねえ、何か言ってよ。ふふっ。はぁ……。】」


 少女の妙に冷たいめ息が私の顔にかかった。灰のにおいでは無く、お菓子のような、そう、キャラメルのような甘い香りと、わずかに混じるシナモンのようなスパイシーな香りがした。


 そんな、甘美な香りのせいもあってか、生(つば)が口の中にまる。体が熱を持ち始める。妙に心がざわつく。それをごくりとみ込みつつ、その甘そうなくちびるに目線を吸い寄せられ続けていた。


 手を伸ばしたら届きそうな、そんな距離。吸い寄せられるように、それに向かって私は手を伸ば……さない。


 そうしそうになったのを辛うじてこらえた。抱え込むように、彼女に向かってすきあらば伸びていきそうな手を、抱え込むように抑え込む。


 雰囲気に流されて、どうする……。それにこんな少女に対して私は一体どのようなれつ情を抱いている……。先ほどまではここまで誘引されることは無かったというのに……。


 どうしてしまったのだ、私は……。胸は激しく鼓動を刻んでいた。視界が、とろける……。


 にやりと口元を歪め、さげすむような目で私を見下す彼女をみて、びくりと、心地良い寒気が背筋に走る……。


 駄目だ……。分かっているのに、抗えなくなってきている。このままでは、理性が、思考が、流される……。


「【あらぁ、クスクスクス、上手くいったようねぇ。】」


 そう言って、口元に手を添えて私をあざ笑う彼女。


 次の瞬間、消え、依然地にしている私の目の前に彼女はしゃがみ込み、現れた。


「【ねえ、貴方ぁ。自身の体がどぉしてそんなになってるか、知りたぁい?】」


 彼女はそう一際(あで)やかにそう言って、くちびるの周りにしゅるりと、湿り、つば糸張る舌をわせる。


 ツゥゥ、ポトッ。


 一筋の液が、私のすぐ目の前、手どころか、私の口が、舌が、届く範囲に、私の顔の直前に落ちた。


「【あらあらぁ、いけないわねぇ。御免なさいねぇ。クスクス、クスクス、うふふふふふ。】」


 しゅるりと彼女は、口側に残った糸をその魅惑的な舌で吸い付けて回収した。


 そして、更に余計に香る豊満な甘いにおい。


 ああ……、くらくら、する……。莫迦ばかになりそうだ、頭が……。


 っ、そっ!


 私は強く舌を、内頬ほほみ、自身の血を気付けにして踏み留まった。それに手を伸ばしてしまえば、もう戻ってこれなくなる。そう思っての必死の抵抗だった。


「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ……」


 思わず声に出た……。余りにも情けなくて、みじめで……。私はこいつを殺しに来たんだろうが……。


 私は彼女を見上げるようににらみ付ける。


 やはり……、くらっとくる。だが、自身の血の味が、私を失わせはしない。


 動け、私の体……。頼む。立ち上がって、こいつから距離を取らないといけないのだ。


 少女は口元を抑えながら、見下すように笑う。そして、私がいよいよ立ち上がりそうになると、私から顔を放し、子の上に両足を靴を履いたまま乗せ、その両足を山折りにして両手で抱えるようにして、ひざあごを乗せて、やっとのことで立ち上がった私をニヤニヤ見ている。


 スカートの下にある、レースのような刺繍ししゅうが幾重にも施された、太(もも)の半分程度までを覆う短めのドロワーが見える。


 そんなはしたない姿勢。


 私がそこに視線を寄せていることに気付いた彼女は、口元をゆがめて笑う。そして、


「【クスクス、クスクス、プッ、あははははは、あははははははははは! そんな状態で私に敵対するつもりなのぉ? 本気でぇ。あははははは、あはははははははは――――】」


 両足を椅子から下ろして、足の届かぬ子の上で、両足をばたばたさせながら、体をよじらせて、余りに愚かで滑稽こっけいたまらない、とでも言わんばかりに、腹を両手で抑えながら私を暫くの間、あざ笑い続けるのだった。


 それは、つい今まで見せていた少女の表情とは違い、年相応に幼かった。







「【プスッ、クスっ、はぁ、はぁ。うふふ。ったく、笑わせてくれるわねぇ、貴方。まあでも、こういうのも悪くは無いわね。】」


 少女は翳した手を降ろし、椅子の上に女の子座りをして、今度は小悪魔のようなあざとい笑顔を浮かべながら、私を見つめている。両手で頬杖をつきながら、顔を突き出している。だが、そのひとみにはさみしさがにじみ出していた。


 少し緩んだ首元から、まだ未熟ながら、実り始めた果実の側面が顔をのぞく。少しばかり体が大きくなろうが、まだ少女の域。まだ彼女はやはり、精神的にも少女なのだ。

 そうやって気を抜いてしまうと、先ほどよりも濃密な甘い誘惑の香りが私の目を、鼻を、酔わせる。


 やり難くて仕方ない……。


 そして、少女は、私のそんな、本能的な視線にまたもや目ざとく気付いたようで、鮮やかなピンク色の、しっとりとした舌をくちびるわせ、湿らせた。


 こうやって見ると、少女でありながら、彼女は、女だ……。未熟でありながら、花の果実なのだ。甘美な、それでありながら未熟な。


 ああ、また、頭が莫迦ばかに成りかけている……。私は内頬ほほみながら、彼女から距離を取る。余り離れると視界に彼女が映らなくなる恐れがある。


 周囲の光が本当に私と彼女の周り数メートルだけを追跡するように選択的に照らしているとしたならば。


 後ろへ一歩、二歩、三歩。後ろを振り向かず、真っ直ぐ下がる。その移動に合わせ、彼女のくちびるへの光の当たり具合が変わる。彼女の惑のくちびるは、宝石のように輝く。


 やはり、光は私と彼女の位置依存か。血を下の上で転がしながら私は正気を保つ。


「【あらあらぁ? 何離れようとしているの、私から。そんなに怖がらず、こっちに来なさいな。うふふふ。】」


 彼女の顔が鮮明に見える。その笑顔と、声と共にこちらに届く彼女の息の香り。


「あ、ああ……」


 私は抗いつつも、結局そううなづいてしまい、彼女の方へ、ぎこちなく、一歩、二歩、三歩。あっという間に元の位置に。そして、四歩、五歩、六歩……。


 気付けば彼女の前でかしづいていた……。


 っ、っっ!


 いつの間にか彼女の片足をつかんで、彼女の足の靴の甲にあと3センチ程度でキスするところだった……。


 辛うじてのところで意識を取り戻した私はざっと、彼女の足を放し、三歩後ずさった。


 意識が途切れていた。完全にちていた、数秒だが……、確実に、ちていた……。心を彼女にしょう握されていた……。

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