精神唯存揺篭 浮遊島群 未だ尾を引く後悔の島 (冬) Ⅷ
……ザァァァ……、……、
闇の中で、何か聞こえた。体の感覚は……、無いような……気が、する。ああ、また私は意識を失っていたのか。さて、ここは幻の中か、それとも現実か。
ザァァァ、……ァァ、グゥオオオンンッ、
時折音が途切れるのは、まだ、意識の覚醒が中途半端だから、か。思考ははっきりしている。だからこそ、これが現実であると一応の判断を下すことにした。
ザァァァァ、ザァァァァァ、ザァァァァ、
冷たさが感じられてきた。この音から感じるイメージ、雨のイメージ。雨に打たれるイメージ。この冷たさはそれに一致する。まだ体に感覚は戻り切っていない。まだ目を開けられそうにない。体を起こせそうにない。
ザァァァァ、ザァァァァァ、ザァァァァ、グゥオオオンンッ、……ザァァァア、ザァァァァァ、
一定のリズムで鳴る、絶え間ない音と、その間に不定期に挟まれる轟音。
ゴロォォォッォォォォンンンンン!!!
この、音、は、頭に……響……く。反射的に瞼が開きそうになったものの、僅かにしか……開かない。開き切らない。だが、その僅かな隙間から強い強い白い光が差す。眩しくて、何が映っているかは認識できない。これ以上無理しても目がやられるだけ。私は再び目を閉じる。
これが現実だとすれば、私はどうやら雷雨の屋外で雨ざらしになっているらしい。
絶え間ない音の連鎖と垣間見た白光が連想させるのは、雨と雷。だが、そうだとは断定し切れない。
熱と、光の揺らぎ、それらが降り注ぐ感覚、温度、質感、轟音。そういったものが存在しているのだろう。だが、今のところ私が感じられているのは一部の光と熱と音だけなのだ。
それが現実と断定するには、感覚が足りない。
ザァァァァ、ザァァァァァ、ザァァァァ、グゥオオオンンッ、……ザァァァア、ザァァァァァ、
これではまるで、記録された効果音だ。これほど臨場感があり、何故、それら要素が、音と熱と光だけで、それらが私に触れる感覚が無い……?
未だ瞼は重く、開き切れない。それどころか、先ほどまでも瞼が重くなっているような気がする。疲労が後追いしてきたのだろう。
こうなる前の状況のせいだ。
やはり、あの黒い靄のダメージは根深いものがある。あんなもの、どうして無防備に吸ってしまったのか……。それによる精神損傷、肉体衰弱、そして、味合わされた、強烈な焼きつくような熱の錯覚。
あの声のようなものは、何だったのだ……? 無個性な音が言葉のように聞こえただけなのだろうか? その声には特徴は、……、思い出せない。
それは私に幾つかの疑問を投げかけてきた、ような気がする。曖昧だ……。それに答えたかどうかすら、思い出せない。
そして、最後。
『うえへこい』
私が吐き出した黒い靄が描いた文字を繋げて読むとそういう風に読み取れた。
これくらいか……。
いつまでもこうして地面でのびている訳にはいかない。
体力が削られはしないという楽観が当たっているとしても、精神力は無事ではいられない。私は、雨ざらしになっている、地面に横たわる自分の姿を鮮明に想像してしまっている。
なら当然、冷えていき、熱を失い、体力を消耗していき、衰弱していく自分というものも想像できてしまう。それに、この場所で私以外誰も居なさそうな、少なくとも、手出しされず放置されている状況がいつまでも続くとは考え難い。
私はきっと、あの部屋から出され、何処かは分からないが屋外で雨ざらしになっているのだ。
ともかく、立ちあがらなくては。ここが何処なのか、確かめなくては……。無理しても立ち上がらなくては。
ゆっくりと指先、足先に力を入れてみる。ぴくり、と指先が反応したような気がした。そして、指先が地面に触れる。どうやら私は土の上に寝そべっている訳では無いようだ。柔らかさなぞ微塵もない、固さ。無機質な感触。つるっとしている。
この触感、石、か。冷んやり湿った石。石畳に使われるような類の石だろうか? 湿っているというのもあるだろうが、ざらりとはしていない。
これだけのことを感じ取れるということは指先には感覚が戻っているようだ。たぶん掌も地面に触れているだろうが、感覚は無い。
バキバキバキバキ、バァァァァン!!!
一際大きい音。何かを打ち付けた、砕いたような、激しい轟音。その後に、空気が揺らぐような音が、徐々に大きくなっていき、ある一定の、そう、あの音。
ブゥオ、ゴォォォォォ――――
暖炉の前のような音を、止むことなく響かせ続けていた。
周囲が暖かくなったような。そんな気がした。そんな錯覚を受けてか、私の体の感覚は急速に戻っていく。 体に上方向からの冷気と、それ以外の方向からの生暖かさを感じる。まるで、周囲に熱源でも突如現れたかのような……。
ブゥオ、ゴォォォォォ――――
ともかく、何か状況が変わったらしい。
そろそろいけるか……?
私両手をぎこちなく動かし、地面を支えにしてゆっくりと上体を起こし始めた。
そして、瞼を開こうと試みる。まだ重いが、徐々に、徐々に、私の意思が、その重みを制していく。闇の幕が上がった。長く閉じられた目が、その刺激に徐々に順応していく。
ブゥオ、ゴォォォォォ――――
周囲は基本的には暗い。夜。冬の夜だ。雪が降っている。私に触れる高さまで降下してきたそれらは雨に変わっている。
それでも周囲はほんわりとだが、照らされている。夜であるにも関わらず、周囲一帯が照らされている。それは照明の光では無い。蝋燭の灯りでも、松明の灯りでもない。
ブゥオ、ゴォォォォォ――――
先ほどからしつこくいつまでも鳴り響いているその音が、周囲を照らすものの正体。
そろそろ、足の感覚もほぼ完全に戻っただろう。周囲で何が起こっているか確かめようと、焦らずゆっくりと立ち上がると――――燃えている……。屋敷の周囲一帯が、オレンジ色の炎をあげて燃えているのだ。
そして、私はどうやら屋敷の屋上の一角にいるのだと漸く気付いた。
屋敷の入り口側、右端の角辺りに私は立っている。手摺りや柵は無いが、強い横風は吹いておらず、足場としてもかなり広い。幅数十メートル、それぞれの辺の長さは言うまでもない。
冷んやりした冬の風の中に暖かい風が混ざっているのだ。雪が溶けているのは、屋敷の周囲で火柱が上がっているから。屋敷の周りを囲うようにいつの間にか現れていた木々が、音を立てて燃えていたのだ。
ブゥオ、ゴォォォォォ――――
庭園部と屋敷を除いた部分全てにそれらは存在しておりそれらは今、一斉に炎上しているのだ。
ブゥオ、ゴォォォォォ――――
音の激しさは私の耳が慣れてきたのか、少しましになったような気がする。それが本当に耳の慣れなのか、炎の勢いが弱まったのかは判断はつかない。
まだ雪は降り続いている。私のところに落ちてくる頃には生暖かい雫に変わっているが。ああ、耳が慣れただけか。炎の勢いは強まっているということだろう。
屋敷にはどういう訳か飛び火していないが、それもいつまで保つかは分からない。庭園はもう既に炎に浸食されてしまっていた。
屋敷の外側に積もっていた雪は雪は既に解け切って消えていたが、屋敷の中庭とそこにある二つの塔に積もった雪は未だ溶けずに残っているように見える……。案外ここは大丈夫なのかも知れない。
それにしても、熱い……。
ずぶ濡れであった筈の私の衣服の湿り気は消えていた。追加される雨の雫も布地を一時的に湿らせるだけですぐさま蒸発してしまうのだ。
ゴロォォォッォォォォンンンンン!!!
すぐ目の前の木の一つに落ちた雷。距離は十数メートル程度しか無い。真っ二つに割れた木は、その身を半分ほど灰にし、残りは勢いよく炎をあげて燃え尽きていった。
成程。これが発火の原因か。炎の勢いが強く、雪で消火されず周囲に火が広がっていったのだ。
屋敷の周囲遠方は、闇が揺らぎ、オレンジ色に所々照らされている。篝火のような、火による明かりの丸の群れが存在している場所は、木々が密集している場所ということだろう。
……。おかしい。島中これだけ満遍なく燃えているように見えるなんて……。何ヶ所にも雷が落ち、着火されなくてはこうはならない。木々はどこかしこも繋がって生えている訳では無い。それはここから見ても分かる。
ここから見えている全範囲だけでも飛び火だけでどれもこれも燃やすなんてことは無理だ。
なら、放火か? 誰が? 何の為に? 火がその力を全て発揮するのは無理そうなこんなこんな寒い時期に? 雪降る日に?
ん……?
空をオレンジ色の線が走ったような?
私は頭上を見上げた。
何だ、これは……。上空に走る、火の線としかいいようのないこれらは、何だ……。まるで、魔法だ。時折、空をオレンジ色の熱曲線が行き交い、森を満遍無く、燃やしている……。
この動きは明らかに作為的で、だからこれは放火……。
また一本、それも、一際太い熱曲線が発生した。至近距離で発生したからかも知れないが、その線の直径は20センチ程度はあった……。
それは屋敷前方からこちらへ……飛んできた……だと……。あんなもの、当たったら、どうなるか分かったものではない。ただ、無事では済まないのは確か……。
ドザァァ!
私は急いで伏せる。
だが、避ける必要は無かったようだ。
ブゥオオオオオオオゥゥゥゥゥゥ、
私の遥か頭上を熱曲線は進んでいき、そして、
ッ、ブゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!
熱曲線の一本が、中庭にある二つの塔のうちの一つへ着弾した。そして、それは炎をあげて燃え始める。石でできていそうな、あの塔たちが燃える、だと……。
燃えているのは黒い塔。周囲に放たれる熱で、横にある塔を覆う雪も溶ける。白い塔が姿を現した。
これで、この場所も安全では無くなったということだ……。屋敷もこのままでは火に包まれる。脱出経路を見つけなくては。
私はその場から移動し始めた。
今にも燃え尽きそうな黒い塔が、炎の線を、屋敷を高く超えて打ち上げるように放射し始めた。真っ二つに割れて、その割れ目の少し上に、塔自体の燃え上がった火が、収束されていき、数十本、放射状に放たれていく。
周囲の火柱の高さは、屋敷の高さを悠々《ゆうゆう》と越えて……。周囲はそれらで何処までも照らされる。
島中が燃えているのがはっきりと見える……。もう猶予は無い。一刻も早く逃げなくては。息が少しばかり苦しくなった気がする。
これは気のせいでは無いだろう。酸素濃度の低下がここにきて急速に進み始め、とうとう私が意識を保っていられる閾値に達しようとしているのだ……。
もうリスク云々《うんぬん》言ってられはしない。札を何枚使ってでも、ここから離れる。別の島へ飛ばなくては。
まずは上空へ。そして、遠くへ。
さっと数枚、札束から取り、束を空間へ仕舞う。そして、空を見上げながら一枚千切ろうとしたところ、
ブゥオオオォォ!
炎のアーチの一本がそれを貫いて、灰に変えてしまった……。その動きは明らかに、私の体を避け、狙い打ったかのように札だけを打ち抜くもの……。
つまり、これを発生させている源である存在が、今この場に存在しているということだ。恐らくは、過去の再現の場面の一つ。しかし、先ほどの悪魔少女と白羽根の母親のような、この場で私に干渉できる存在がいるのだ。
そして、それは、変幻自在に曲がる熱線を同時に何本も操ることができる存在。もしかすると、私にあのメッセージ、うえへこい、を見せた者と同一の者かも知れない……。
今のこの状態で、もう玉の尽きた弓だけで、戦えというのか……。せめて話が通じる相手であれば手はあるだろう。物理が通じる相手なら、自身の体を武器にして仕留めるという手も使えるだろう。だが……、そうでなかったら……?
「君、」
ぞくり、と背筋に寒気が走った……。




