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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第五節 精神唯存揺篭 ~砕け散りし伽藍洞~

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精神唯存揺篭 浮遊島群 未だ尾を引く後悔の島 (冬) Ⅶ

 うぅ、ゴォホォォォ……。


 血の混じった吐瀉としゃ物が、のどの奥からあふれてきた。それに先ほど吸った黒いもやが一(つま)み混ざっている。


 私は口元をぬぐい、窓の方へと向かう。


 ……、ん?


 窓の中央辺り少し手前。妙な輝きを見た。 月明りに照らされ、何かが光る。悪魔少女の母の影。それがいた場所辺り。近づき、手に取る。それは、灰色の棒きれだった。太さは半径1センチ程度、長さは30センチ程度。先ほど見たときはこんなものは無かった。


 不気味ではあったが、禍々しさや敵意、空間の歪み、変な文字の類などは見受けられなかったからだ。


 私はそれを拾い上げた。


《[ "灰色の棒きれ" を手に入れた]》


 それはとても軽かった。そして、その表面はざらりとしていたが、指に引っ掛かったりはしない。それにかなりしっかりした作りをしているようで、強めに握ってみてもびくともしない。だが、私の握った手を痛める程に固くもない。


 指先で弾いてみると、


 カァン!


 乾いた少し高い音が周囲に短く響き渡った。


 念じてみるとそれはあっさりとストックすることができた。恐らく何か重要なアイテムの類なのだろう。


 視線を上げ、窓の外の月を見る。月は至って普通の光を放っているだけ。そして、視線を下げ、庭園を見渡す。庭園も赤く染まる前の状態に戻っていた。白い雪で覆われている。雪は今は降っていない。


 あの赤い月も、庭園にまった血の海も、唯のエフェクトだったのか……。確かに、何事も無かったかのように一見元通りになっている。だが、左のカーテンは無くなったまま。私があの海に沈んだときの感覚抜きにしても、起こったことが幻でないのは確かだ。


 そして、後ろを振り向く。


 黒いもやは、全く薄れておらず、こちらの部屋に拡散していっている様子は無い。あれを見ていると気分が沈む。


 私は扉を閉じようと窓から離れ、部屋の中央辺りまで足を進めた地点で、


 うっ、ゲホゲホ、ゴホ、ゲホォォ、はぁ、はぁ……。


 何だ、これは……。


 き出した血は真っ黒だった。あのもやの色そのもののように真っ黒……。そしてそれは数秒の間、うごめき、拡散するように散り、血(こん)が残る。


 まるでのどが乾(そう)しきってれたかのように痛む。


 あのもやを吸い込んでしまったからか……。あれは、一体、何……だ……。


 ガッ、


「うぅ、あぁぁぁ……っぅぅ」


 ドサァァ……。


 私はその場で両(ひざ)をついて、前へ倒れ込む。そして、苦しさでのどを抑え、もだえる。物理的な痛みが生じたという訳では無い。


 頭の中に、心の中に、響き渡るのだ。絶望の声が。言葉ですらない、けものの叫びのような怨嗟えんさの音。それは、私がこの島に来て、見た者たち、かつて生きた人たちの終わりの怨嗟えんさ。絶望のかたまり。それはとうとう私の視界を奪い、そして、映し出された数々の、一人一人……、の終わ……りの、光……景……。






 ……。


 …………。


 ……、思考……が、できるように……なって……いるということは、……抜けきったのだろう……か、あれらは……。


 血の混ざったつばめ込み、飲み込む。そして立ち上がろうと、


 ビキ、ブゥァァッ、ごほっ、ビチャビチャビチャ……。


 のどから出たのは、血……だろうか……。


 そうであって欲しい、いや、無理があるか、それは……。私の口からき出たそれは、高密度にうごめくあのもやを含んで、いや、私の血成分などほぼ無い。これはあの黒いもやが、私の体の中で増殖したものだ……。


 揺らぐ暗黒がうごめくように動く。石の床の上を、意思を持つ生物のように移動している。逃げなくては、と思ったが、足が動かない……。


 無駄だ。


 その底の見えない暗黒が、私を見ながらそう言ったように見えた。まるで、耳元でささやかれたかのように、図太い、低い太い声がそう言ったように聞こえたから。


 これの残りが、きっとまだ私の内側に残ってうごめいているのだ。まだ体に色濃く残っているもやの気配が私の足を依然その場にしばり付け、放さない……。






 ……。捕まった……、か。


 私はあの後も何度か、べちょり、と高密度の黒いもやをその場で倒れ込むことも、

一歩踏み出すこともできずにき出していた。


 それは消えてしまうことなく、その場に留まり、うごめいている……。もうそれは私を中心とした半径3メートル程度の水溜まりみたいになっていて……。


 ただ私は、うごめく暗黒を見下ろしていた。目を閉じることもらすこともできずに……。


 足だけでなく、視線までもが吸い込まれて、囚われたかのよう……。このままでは、この暗黒にそのうち呑まれてしまうかも知れない。悪魔少女が仕込んだわなは何重にも及んでおり、私が今(はま)っているのは遅延式のわな


 だが、それでも足も視線も動かせない……。私はあてられていたのだ。この暗黒の発するしょう気に。


 抵抗のためにじたばたする気力が、沸いてきたかと思えば、片っ端から抜けていくような、そんな感覚。虚ろに空っぽになりそうになる。そうすると、体の中の黒いもやが、増殖して広がっていく……。そんな感覚がしてくるのだ。


 私は無理やりにでも私は頭を動かし、思考を止めないように努める。それが私にできるせめてもの抵抗。


 悪魔少女の力が切れるか、風が吹くか。そのどちらかを待つしかない。何とかして、それまで保たさなくては……。


 思考がまとまらなくなってきたので、どうでもいいことでも短絡的なことでもなりふり構わず、頭の中に浮かべ続け、意識が呑まれることだけは避けた。


 そうして時間を稼ぎ、とうとう、後方、窓側から強い風が吹き抜ける。


 足元で液体のようになっている黒いもやきり化して、吹き飛ばしながら吹き抜けていく。


 やった、やったぞ!


 足が動く。頭も視線も、動かせる。私は急いで扉を閉めた。


 だが……。


 うっ、ブホォォォォォォォォ――――!


 喉の奥から、肺の奥からき出してきたこれまでにない勢いの黒いもやによって、私は全身を覆われてしまった……。


 体が浮かぶ感覚……。今度こそ、完全に、とらわれた、か……。






 目を開けると、闇の空間に私は浮遊していた。移動できる範囲は狭いようで、凡そ、半径3メートル程度の球程度の範囲しか動き回れない。見えない壁でもあるようだ……。


 のどは苦しくなく、胸の中に、あれらの黒いもやの気配は無くなっているが……。これが現実なのか、また意識を失って幻を見せられているのか判断がつかない……。


 闇の表面が、揺らぐ。そして、映し出す、誰かの姿。顔は見えない。男かも女なのかも、幼いのかも年老いているのかも、喜んでいるのかも、起こっているのかも、悲しんでいるのかも、愉しんでいるのかも、分かりはしない。


 それは、私に向かって、こう問いかけてきたような気がする。


 お前は、誰だ、と。


 そんなものは簡単だ。そう、すぐに答えられると思った。


 それなりに、彼の記憶は読んでいる。そして、命の駆け引きも、誤りの許されない考察も、つまり、彼に劣らない濃厚な経験を積んできたはずだ。


 だが……。


 私は、もう一人の私の、コピー……という訳ではない。彼と私はきっと、別人といえるくらいに違うのだと、彼から授かった記憶をのぞくと、分かる。それらの記憶を彼が選択した基準や理由を私は知らないのだから。


 私は、以前の私と比べ、どこまでも薄っぺらなのだろう。


 まるでガワだけの構造物のように。そう、伽藍洞がらんどうのように、空っぽ……。彼のように、彼ならどうするか、彼の記憶をもとに考えて、動いているはずだ、私は。だが、駄目なのか、違うのか、間違ったのか……?


 なぜなら、私には、彼のような、目的を果たすために、決して曲がらないという決意が足りない。そんな気がしてならないから……。


 彼ならきっと何事にも瞬時に判断を下し、目的を速やかに遂行するだろうに……。


 私にはそうできるようになる為にはどのようにすればいいのか()()、分からない。


 私は心の中でそう答えた。……、何をやっているのだ、私は。別に疑問など投げかけられた訳でも無いというのに……。


 すると、


 プッ、バシャァァアアアアアアアア!


 そのような音と共に、私は意識を失った。






 目を覚ました私はゆっくりと起き上がる。いつの間にか、床に倒れ込んでいた。


 異様な時間、おそらくもう、数十分は、瞬き一つせずに、その闇を私は見て、……見さされていた。そして、見られているような気が、していた……ような、気が……する。


 頭がぼやけて、思考がまとまらない……。ああ……、そうか。黒いもやが形成した球に閉じ込められて、それが弾けて……、放り出された……のか……。


 すぐそばの床の上に私の中で増殖した黒いもやの残りかすうごめいて、意味を含む図柄となる。


 【う】


 再びぶり返したような気持ち悪さがこみあげてくる。次々に切り離され、左から右へ、並んでいく。見たくないのに、左から右へ、徐々に私は視線をずらされていく。


 【え】


 【へ】


 【こ】


 ……。どういう意味だ?


 そこで、暗黒の不定形は全て使い果たされた。左から読んでうえへこ? 右から読んで、こへえう? 一行なのだから、縦読みというのはあり得ない。






 う……、ゴホォッ、ピチャピチャピチャ……、ジュゥゥゥ……。


 そんな……、まだ、残っていたのか……。


 新たにき出された暗黒のもやの擬態した黒い液体は、ヘドロのようなにおいを発しながら煙をあげていた。


 のどの内側が、口腔くう内が、鼻(くう)内が、目が、熱い……。視界がとろける、体が急激に熱くなる。高熱を発する。体中から、高熱を伴った蒸気が……。


 ああ、想像してしまう、痛みを……。きっとこれは耐えきれない痛みだ。痛みが無いとはいえ、きっともう数分も保たない……。


 【い】


 全部合わせて、う、え、へ、こ、……、い……。文字は、大きく、太い。だから、ぼやけつつも視認できた。……視力は失っていない、ようだ、な。今のところは、残って、いる。


 そして、かすむ……視界の中、最後の文字を形作った文字が、他の文字にその熱を分け与え、蒸発していく。


 これまで……か。どうすれ……ば、い……い……。


 黒い、熱……を帯びた煙のよう……なもや、となって、天井へ、まり、すっ……と、消え、る。すり抜け、て……いくか、のように……。


 私……の体、は、それ……に対し、て、熱……失い、冷……って、


 赤……地面……せまっ……。

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