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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第五節 精神唯存揺篭 ~砕け散りし伽藍洞~

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精神唯存揺篭 浮遊島群 未だ尾を引く後悔の島 記憶渦遠望俯瞰観測 Ⅱ

 あかつきの光差し込む時間、出入り口の無い、広大な中庭。そこに立つしゅく女の視界から、その場面を私はのぞく。


 屋敷の中庭中央部。そびえ立つ二つの塔の前にしゅく女は立っている。存在していたのだ、二つのとうは。そして、それに何の意味が込めらえているかも私は知った。


 白い塔と黒い塔。それは、しゅく女の二人の子供が生まれたとき、造られた。だが、分かったのはそこまで。それが何を目的にして造られたのかは一切言及されていないのだから。


 しゅく女は屋敷の入口のある方角を見上げていた。せわしなく視線を移動させている。ある一点を見て、らして、また見て、らす。そして、め息をき、また、繰り返す。


 淑女が待っているのは、自身の夫。そして、夫に任せた()()()()の成否。


 暁の光は弱まり、夜がせまっていた。しゅく女はその場に座り込み、目線の高さ程度の丈の庭の木を虚ろな目で眺めていた。かっ色の葉がわずかに残っている。そのことから、季節は秋。


 少し雲の残った、終わりそうな夕焼けの空の下、しゅく女は夫の帰りを暗い気持ちで待っている。






 そろそろだ。日が沈み切る寸前、彼女が待ちわびる彼は現れるのだ。


 もう何週も見ている。だが、分かることはそう多くはない。幼少期とは違い、視線の無駄な移動は少ない。記憶の鮮度も落ちている。断片的に切れた記憶を繋げたような光景が増えている。


 だから、彼女が幼い頃に比べ、情報の密度はだいぶ下がっていると言えるだろう。簡単に言うと、要約され、整理されているのだ。加工されている。彼女の感情の波と、記憶の補完によって、それは美化されている。そして、私が欲しい、唯雑然としつつも、大量の情報。それが得られなくなってきている……。


 感情による偏光がある記憶の映像。それは、事実との違いを含むものだ。それが私は怖い。だが、これが彼女の記憶の中で重要であろうと私が判断するもののうちの最新のもの。


 そして、重要そうな因子は粗方含まれている。だから、意味が無いと切り捨てる訳にもいかなかった。情報を得られる機会は制限された。そんな今、明らかに重要そうなのに、その信頼性が多少低い程度で無視する訳にはいかなかった。






 しゅく女以外誰もいない筈の中庭に、人の足音と人影が映る。それは、人数人分はあろうかという大きな大きな人影。


 音はどんどん近づいてくる。短く、高い音が、一定のリズムを刻むように近づいてくる。しゅく女の心に熱が篭る。先ほどまでの悲しみでこごえる心に、わずかな希望という名の熱がこもった。


 少し見える景色が明るくなった気がする。しゅく女は先ほどまで何度も見ていた、空を見た。待っていた希望がやってきたのだ。しゅく女は熱にほだされたかのように勢いよく立ち上がり、空へと駆けていく。


 硝子ガラスの階段。空へと続く、屋敷の出入り口のある方向に存在する、屋上と中庭を繋ぐ、透明で、光らない、硝子ガラスの階段。左右に手()りは無いが、幅が物凄すごく広いため、落ちるということはないらしい。


 それを駆け登り、しゅく女はかすかな希望に対して尋ねた。


「ねえ、貴方。あの子は、何処なのです?」


 しゅく女は悲壮な顔をして、男の両(かた)すがりつく。彼女は分かっていた。男が自身の希望を叶えることができなかったということを。だが、それでも、彼女はそう尋ねない訳にはいかなかった。それを男に頼んだのは彼女だ。男に行かせたのは彼女だ。


 彼女が夫に頼んだのは、突如姿を消した、未だ子供である年齢の黒羽根の行方のそう索だったのだから。






「……」


 しゅく女の妻であるその男は、ただ、悲しそうな顔をしてうつむいている。


「せめて、何処にいったのか、無事なのか、それだけでも、分かりま……、せん、でし、たか……?」


 ビリリリリリリ……。


 強く握られた男の上着が、裂け落ちる。しゅく女がその場で、男の肩の布を握ったまま、崩れ落ちたから。


「……」


 それでも男は何も言わない。その場から動かず、顔を背けもせず、唯、彼女を見下ろしている。そのまま涙を流し始めた彼女のそばに寄り、抱擁ようしたり、弁解するどころか、手すら差し伸べず、唯、見ているだけだ。


 泣いてもいない。顔を真っ赤にしてもいない。そんな男がその時何を考えているかなぞ、分かる筈も無い。この男は、私とは、心の有り様がかなり違う。男の心情を理解できないどころか、わずかばかりも、男の立場に立って考えることはできない。


 違うのだ。異質なのだ。この男の心は、私の理解の外。だから、分からない。


 しゅく女が男に頼んだのは、双子娘の片割れである黒羽根が姿を消して二日が経過したとき。男はその次の日、捜索に出掛け、三日も経たずに戻ってきた。何の手掛かりも掴まず、諦めたかのように戻ってきた。


 淑女は感じていたのだ。長年寄り添った男のこと。だから、何となくだが、揺るぎなく、分かっていた。男が本腰を入れて娘を探さなかったことを。彼女に分かるのはそこまで。男がどうしてそうしたのかまでは見当がつかない。


 そして、私にも予想がつかない。






 しゅく女にとって、そもそも子供は望んで授かったのではなかった。そうしなければならないからそうした、そうされただけ。


 だが、情はあった。夫としてのその男にも、双子の両方にも。


 彼女は、娘たちに愛情を注げるだけ注いだつもり……、だった。教育方針は男が決めており、逆らえないことも多々あった。だが、それでも、すきを見ては、愛を二人に注いだ……、つもりだった。


 彼女はそう考えている。考えている……が、第三者的視点から見て、そんな微妙なもの、こと細かいこと、子供に分かれという方が無理だ。確かに、白羽根も黒羽根も、普通の子供たちよりずっと知的だ。ずっと大人びていた。だがそれでも、子供なのだ。


 受ける印象を客観的に捉えるなんてことは、行動の裏を読むことなどは、行動の裏に隠された理由や思いに気付くなんてことは、彼女が夫から常に立場による無言の強要があったことを配慮するなんてことは、できはしない。


 そうであるからこそ、こんなことになっている。こんなことというのはこの場面だけではない。


 今現在のこの籠の世界が成立してしまっていること。黒羽根が悪魔として存在すること。白羽根がれい属的な人形として姉たる黒羽根の安心の為だけに存在させられていること。


 そんな悲惨な末路を世界も、この一家も、辿たどることは無かっただろう。


 それが分からず被害者ぶる、この記憶の主がとてもとても私には愚かしく歪んだものに見えた。だが、それも当然だ。成るべくして成った。


 黒羽根がそうなったのは、結局のところ、その両親のせいだ。彼らはそれを自覚していないのだ。


 外との関わりがほぼ見られない彼女たちのこと。因果はそう収束するのも当然のこと。全く持って、救いようのない有り様だ。


 きっと、黒羽根にはそれが分かったのだろう。自身の親の背景を見てしまうともう、あの食卓は見るに耐えないどうしようもないものにしか見えなかった。そういうことだ……。黒羽根はきっと、私が今見ている彼女の母親の分だけでなく、父親の分も見ているだろう。この感じだと、父親側の記憶もきっと、今ある絶望を補完するような結果しか生まない。






 しゅく女は、自身の娘二人のうち優秀な方である黒羽根が何も言わず、消えてしまわれることなんて信じたくなかったのだ。


 自身の愛は、伝わっている。そう信じていたのだ。だが、そうではなかった。しゅく女は、それでも泣き叫びはしなかったが、涙は流し続けていた。そして、男に尋ねる。


「ねえ……、どうしたら、いいの……」


 しばらく流れる沈黙。男は表情一つ動かさない。そして、とうとう口を開いて言った言葉が、これだ。このざまだ……。


「私にも、分からない……。分からない、どうするのが最適なのかなんて……。だが、えて言うなら、探さないのが正解だと、最適だと、私は思う」


 しゅく女の心が凍る音がしたような、周囲の空気までもが凍り付いたかのような音がした幻覚を、確かに私は聞いた。






 男の心の内は分からない。何か考えがあっての、何かしゅく女が知らないことを知っての意思表示なのかもしれないが、しゅく女は、男の心情を測る余裕など無かった。


 男の言っていることは別に間違えだとは、私からしたら思えない。確かにそれは事実だろう。正解だろう。これ以上の干渉や束縛は、黒羽根に対して逆効果だ。だが、それは、妻にかける言葉ではない。それに、そのようなどうしようも無い方針を実行し、妻にもそうさせたのは、彼自身だ。彼らの親が死んだ地点で、そうすることはいつでも止められた筈だ。だが、そうしなかった。


 つまり、私が何に腹を立てているかというと、男の言葉には責任が見られない。筋違いな方向であるとはいえ、形影相(りん)とセットであるとはいえ、言い訳しているとはいえ、しゅく女はこうなったことへの責任を感じてはいるのだ。悔いているのだ。後悔しているのだ。どうして、それが男には無い……。


 そうなると当然、しゅく女の心から男への信頼関係は消える。これまでの妥協に次ぐ妥協も。ようやく芽生えかけていた男への愛も。彼女がここで生きていく為にしていた全ての忍耐が、双子が生まれて初めて自身以外の為に提示した覚悟が、それを受け入れた夫に対してした歩み寄りが、そう、全てが、無駄になる。


 よみがる、消えかけていた筈の昔のうらみ。


 痛みと苦悩を味あわせられてまで()()()()()にも関わらず、どうして、望んだ筈の()()に対してそのような扱いをするのか。


 しゅく女の胸中には、うらみつらみの言葉がうずを巻く。もう、しゅく女は、母親ではなくなった。もう、しゅく女は、妻ではなくなった。


 深く被った仮面を割り捨てて、傷ついた心で、男に対して、こう言った。


「もう、……、いい」


 そう、小さな声で言い、しゅく女は消えた。その後の足取りは分からない。しゅく女が男の横を通り過ぎ、屋敷しきの中へと、戻っていった。


 そこで記憶は終わっている。こごえるような心の冷え込みとともに。






 その後は、見た通り。彼女は心を殺し、唯の母親という妻という装置として舞台に立ち続ける。そこに意志は無い。敢えて言うなら、下りずに居座り続けたこと。それに意志の全てを注いだのだろう。


 彼女は弱かったのだ。あのような悲(さん)な境遇では、辛うじて心折れず生きていられるくらいの精神強度しか持ち合わせていなかったのだ。それは、彼女が自分自身だけを気にして生き続けるなら、辛うじて耐えられる苦境だった。


 だから、そこから更に二人など、どうしようも無かったのだ。彼女は自身の許容限界を理解していなかった。そして、双子が生まれるその時までに折れてしまえなかった。だからこうなる……。最悪の結果ではないが、それにかなり近い。


 彼女は唯、普通に生きたいだけだった。それが望めない体でありながら、その瞬間までは、生きていけることに、どうにか感謝していた。


 あの場面が終わるそのときまでは。


 だが、それで彼女は空っぽにも自()にもなれない。彼女にはもう一人、娘が残っている。もう一人と比べれば出来が悪い娘ではあるが、それでも凡人では無い。誰が見ても優秀といえるくらいに優れた娘だ。そして、出ていった娘の方同様、自分たちのようには人としてくさっていない。


 しゅく女はそこまで思いめていた。そして、それは間違いでは無い。唯のすれ違いなのだ、この場面で起こっていることは。皆が皆、不器用過ぎた。一度でも話し合っていれば、こうはならなかったのではないかと、私は思う。


 黒羽根も白羽根もそうだったように、彼女も、胸の内を抱え込み過ぎているのだ。言うべきことを言えず、言わなくてもいいことを言ってしまう。それでは上手くいく訳は無いのだ。無論それだけでも駄目だが、全ての人間関係の前提たるそこでつまづいている地点で、やはり救いようは無いのだ。


 相手に、唯、察して欲しいなんて、一方的に望むだけでは永久に思いは伝わらない。


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