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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第五節 精神唯存揺篭 ~砕け散りし伽藍洞~

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精神唯存揺篭 浮遊島群 未だ尾を引く後悔の島 (冬) Ⅳ

 彼女の身なりは変化していない。少々着ている衣服がきつくなった程度だろう。まだ胸元にも腰回りにも余裕はあるようだ。そのエプロンスカートもどきのすそは長かったため、立った彼女にとって、スカート丈はひざが見えるか見えないか程度のものでしかない。


 頭身が伸び、更にその美は高まっている。


 私は立ち上がり、彼女は安楽()子に座った。


 ギィィ、ギィィ、ギィィ、ギィィ――――。


「じゃあ、このまま、貴方のことは、"貴方"と呼び続けましょう。名前は、自身の存在を示すとっても大切なもの。失くしたから新たに付けてしまえばいいというものでも無いでしょう。」


 彼女は私に先ほどよりも流(ちょう)にそう尋ねた。


 また、頭身が伸び、胸部が膨らみ、胸元が少々きつそうになっている。スカート丈は、膝の少し上程度にきている。この状態なら、年の頃は12~15歳程度だろうか?


 ブゥオオオオオオオオオゥゥゥゥゥゥゥ!


 窓の外から吹き寄せる風。月は相変わらず赤黒く染まっており、紅色の光を放っている。そして、彼女から甘い香りが濃く漂ってくる。


 それを目をつぶって、大きく吸う。


 ドッ!


 何かが腰の辺りに……。そして私は目を開くと、彼女が私の腰に体当たりをかましていた。足音なぞ、しなかったというのに……。


 彼女の胸部が私の大腿たいに強く押し当てられていた。先ほどよりも増量した柔らかさ、膨らみを感じる。彼女が上目遣いで私を見てくる。


 どきり!


 心臓が騒いだような気がした。そして、ふやけるように力を失くす私の体。そのまま私は押し倒されていく。


 甘い匂い。薔薇の香りを含んだ甘い匂い。そして、少女の、とげやえぐみや灰汁あくの無い、甘酸っぱい汗のにおい。


 それが彼女のタックルにより体を丸めるような姿勢になった私の鼻腔びこうにすうっと入り込んできて、とろけるように私は脱力しながら、彼女に押し倒された。






 そうなってからしばらく時間が経過した。下は固いはずだが、痛みは無い。受け身を取れなかったというのに。頭を打たなかったからかも知れない。


 冷たい床は私の頭を冷やす。夢心地も冷めるというもの。上に乗っている彼女から意識を逸らしている間は、だが。


 知らぬうちにすっかり呑まれていて、流されていたことに私は何とか気付けるくらいには冷静になっていた。気を抜くか、再び彼女が行動を起こすと同じことになりそうだが。


 最初から今までの流れの記憶をを俯瞰ふかん的に見直す。今のうちにやっておかなくては。彼女が再び動き出す前に。


 そんな彼女はというと、私の胸に耳を当てるように私の上に斜めに乗っかっているのだ。私は顔を上げず、彼女の顔を見ないようにしている。幸い彼女はその位置から動いてはいない。何かを待っているかのようだが、それが何かは分からない。


 彼女が何をしたいのか今一つ分からない。少なくとも、敵意は無いような……気がする。そして、本当に最初の登場の場面での彼女の振る舞いが演技では無いように思えてきた。彼女には、演技や計算は無い。そういった裏を感じられない。理論的にも感情的にもそういった彼女から発信される違和感は結局のところ、無い。


 気に入られて、彼女は私に敵意を持ち合わせておらず、興味を未だ失っていない。結局、彼女が幼女形態のときから何一つ状況は動いていないのだ。


 なら、最初の直感を、最初の思考を信じるべきだ。どっぷり漬かっているうちに考えたこと、感じたことなど、役には立たない。


 頭は、完全に冷えた。


 ほら。彼女が私の胸元から耳を頭を放し、うっとりと愛おしそうに私を見ている。それは艶やかでありながら、包容力のある、甘えたくなるような暖かなものだった。そんな巨大な母性で私を覆い包もうとしているようだが、もう無駄だ。


 この印象は、造り物。偽の母性。私は彼女の幼馴染でも、彼女に愛を向けられる相手でも、彼女の子供でも無い。


 最初から最後まで、嘘(まみ)れ。


 紅の月の光という嘘の光景。初対面の私に体をすり寄せてくる嘘の距離感。敵対しても一切敵意を向けられないという嘘としか思えない彼女の嘘の暖かみ。彼女から香る、いつの間にか血のえぐみが消えたただ、甘いだけの匂いと言葉の、嘘の心地良さ。


 だって、そうだろう?


 ここには人はもう私以外存在していない。なら、彼女が一体何であるかといえばもう明らか。彼女は、私を認識すらせずに再生されるだけのこの場所の過去ではない。明らかに私に気付き、反応している。


 そして彼女は、白羽根でも悪魔少女でも無い。ならこれは、何かの意図を持って造られた装置か、そういう在り方を設定された悪魔でしか無い。大切に保存された何かとは到底思えないし、不用意に放置されていたものでもない。


 矢を掻き消す程の力があったことからして、唯の人外では無い、生物風の唯の装置でも無い。悪魔だ、彼女は。それか、唯のまやかしか。


 何れにせよ、打ち倒さなければならない。弓矢以外の方法で、打ち滅ぼさなければならない。


 意思疎通ができ、反応が返ってくる相手。なら、言葉で弱らせ、仕留める。呑まれずにそれをやり遂げるしか道は無い。さもなくばきっと、私はこの世界に呑みこまれる。


 ……それこそが、悪魔少女の目的だったのだ。私をこの籠の世界の保存物の一つに生きたまま、加える。完全に意志を奪わず、幻で捕え、完全には悪魔少女の思い通りにはならない、悪魔少女にとって都合の良い刺激として、"安心"の供給源として、ずっとこの世界に居させる。


 そんなおぞましい悪魔少女の意図に私はようやく気付いたのだった。それが分かれば、もう、二度とほうけたり、とろけたり、ひたったり、まれたり、していられはしない。


 もう、流されない。






 鋭い目つきをして彼女に相対する私。安楽椅子を挟んで、窓側に彼女が。扉側に私が。彼女は先ほどまでと変わらない口調と表情と態度で私に尋ねる。それは新たな質問だった。


「貴方、私をべに来たの?」


 な、何だ、この質問は……。


 戸惑わずにはいられなかった。質問の意味が分からないからというだけではない。話の脈拍無しにどうしてそんな質問が飛び出したのか理解できないからというだけではない。


 彼女のかもし出す空気が変わった。彼女の顔に影が落ちていた。瞳から光は消えており、無表情……。平然とそんなことを私はそんな状態の彼女に尋ねられたのだから……。


 そして、先ほどまで感じていた、親愛や暖かな抱擁力や、興味という感情を彼女から感じなくなった。


 そう私に尋ねた彼女は、とても、人形っぽかったのだ。そう尋ねることを、機械的に、頭で考えずにしたかのように……。だが、自動でそうしたのではなく、彼女がそうすることを選んだ。選ばざるを得ない、一択だった。そんな風に見えた……。


 この表情、私は知っている。以前の私が私の中に残した映像の中にそれはかなりの割合で含まれていた。それは、思考を放棄し、悲嘆の声を上げることすら止め、心を押し殺して、人でありながら人形に成り果てた者の見せる表情……。


 彼女は、悪魔少女のけん属だ。きっと、悪魔少女は私もこうしようとしていたのだろう……。こんな人形遊びの道具に私はされる為に、殺されずに今もこう生きているのか……。


 外の演出。よくよく考えてみれば、それには悪魔少女の()好らしきものがにじみ出ているではないか……。


 演出が変わったということは、事態が動く、ということ。


 窓の外の紅い光は消え、大粒の雪が勢いよく降り注いでいた。月は消えていた。外は夜では無くなったらしく、真っ暗では無い。


 が、少し暗い。雪がどこかから発せられる光を運んできてくれているのだろう。だから、太陽も見当たらず、周囲の壁や天井や床が光っている訳でもないのに真っ暗ではないのだろう。


 血染めの池と化していた庭園は、そのなりを潜め、白い雪で埋め尽くされていた。積もったゆきは、恐らく、建物の一階分程度はもう既に埋めてしまっているだろうと私は感じた。


「【ようやくちょっとだけ、気付いたのね。じゃあ、それの投げかけた問いに答えてしまってくれないかしら? そうしないと、貴方は動けない。ここは舞台の上。脚本に従わないと、お話は進まないわよ。うふふふふふふふふふ。】」


 突如現れた黒文字と頭に響く悪魔少女の声。そして、その通りに、私は指先一つ動かせなくなった。動きそうなのは喉と口と腹と舌だけ。対()する彼女もびくりとも動かない。


「【時間をあげる。貴方がどちらを選ぶか決めるまで、好きなだけ悩んで構わないわ。貴方の答えによって、ある場面が再生されるかされないかが決まる。それが終わると、その先には脚本は無いわ。そうなれば、貴方は自由。そして、そこにいるそれも自由になる。さて、その後の即興の舞台で何が起こるのか。()()()()、未知を私に見せて頂戴ちょうだい。】」


 私はいら立ちを抑えながら考える。悪魔少女は私を殺すつもりは無い。だが、自身の思惑には乗ってもらいたがっている。それに余りに逆らうようなら、玩具おもちゃを捨てるような感覚で私は消されるだろう。


 この選択もそう。予定調和であってはいけない。冷静に考えた私がしない選択を、しかし、私らしい選択をしなければならない。


 今のところ、私は生き永らえさせてもらっているだけだ。運よく、そうなっているだけだ。そして、反撃の目が出るまで、私はそうしなくてはならない。この世界からの脱出ができそうにない以上、そうして、時間をかせぐしかないのだ。


 なら、答えはこうだ。……。やってやるよ。


「私は君をべにきたんだよ」


 私はにたぁぁと笑いながら、そう言い放った。ねっとりとした、しかし穏やかな口調で、優しく優しく、そう言った。

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