精神唯存揺篭 浮遊島群 籠の頂点 懐古色の番兵 Ⅱ
気付けば私は、見覚えのある、逆円錐状の半径10メートルほどの島の中央に立っていた。私から少し離れて正面には、顔が無いセピア色の石の巨人が立っていたことからその既視感が間違いでは無いと判断する。
戻ってきた……、違う。戻されたのだ。ここに。追い出されたのだ、あの島から。強制的に……。あの島の事情、何が起こったのか。私が知ることができたのは、あの島の終わりの原因だけだった。
見ているだけで何もできなかったのだ。そう。出された課題の通り、唯、見ていただけだ……。
ぱっと本を出し、この籠の世界のホログラムを出す。
……。消えておらず、あの島は残っていた。いや、違う。何事もなかったかのように、元通りになっている……。あの規模の爆発だ。何もかも吹き飛んだ筈だろう……。あれは間違い無く、核爆発だった。にも関わらず、あの島は損傷無く、形を留めているのだ……。あの爆発から想定される破壊の痕跡は一切、無い……。
【最後の儚い聖域の島】
島の少し上に表示されている表記からも、それが見間違いでないことは確かだった……。
つまり、誰かが侵入すると、あの島はあれを繰り返すのだ……。既に確定している悲惨な終わりを、繰り返すのだ……。
島が残っているということは、再び足を踏み入れることも可能だろう。だが、私には、再びあの島を訪れて、調べるなんて気はさらさら起きなかった。私は、あそこで、何もできはしない、のだから……。
石象が突如動き出す。私を襲おうとしていたのか勘違いしそうな程には迫力があった。轟音を鳴り響かせて石像は駆動し、その右腕を私へと振り下ろすように近づけてきたのだから。
気付いて、私は後ろずさった。そして、転んだ。後ろ向きに、体を捻るように転んだ。で、なんとかここから脱出しようと、島から飛び降りようと後ろずさろうとした。
石像の右手は私で遊んでいるかのように、私の移動速度より僅かに早い程度の速度で距離を詰めてくる……。
そのときだろうか。
ぱらり
人形の握られ振りかざされた右手が開き、何かが舞って、私の目の前の地面に落ちた。そして、石像の動きは止まる。
拾え、ということか。どうやら、石像の今の動きは、敵意あるものではなかったらしい。私は溜め息を吐き、それを拾い上げる。
すると、石像は元の位置へと戻っていき、再び動かなくなった。
紙片に目を通しながら、私は自身の肝が冷たく冷たく冷えていくのを感じずにはいられなかった……。
【貴方は私の切り取った世界で傍若無人に振舞い過ぎたの。ねえ、これらを維持するために私はそれなりに対価を払って、力を振るっているのよ。貴方はあくまで、招かれた客人なの客人が庭を荒らすなんて、あまりになってないのではなくて?】
【私の思い通りに振舞わない、そんな貴方に価値は無いのよ。】
【貴方なんて、もう、消してあげる!】
それを読み終わり、ぞっとして立ちあがったが、目の前の像が拳を振りかざす様子はなかった。それどころか、動き出そうともしな……。
ん……。視界が、歪む……のとは違う……。な。視界が、散……る? 落ち……る? 地面へ……堕ちる?
そして、降ってくる。
それは、粉だ。雪ではない。血のように赤い何か、だ……。散りばめられるように降ってくる。そして。
ぼぉぉぉぉぉぉとぉぉぉぉぉぉぉ、ぐちょぉぉぉぉぉぉぉぉ、
ぼぉぉぉぉとぉぉおぉぉ、ぼとぉぉ、ぼとぉ、
どぼどぼどどぼどぼどぼぉぉ、
ぼとぉぉぉ、どぼどぼぐちょどぼぉぉどぼぐちょぉぉぉぉ――――!
間延びする音。べちゃりとぐちゃりと間延びする、生柔らかい音。私の体が、溶けてゆき、肉の塊に成り果てていく……。痛みも苦しみもなく、そうなっていく……。
だが、だが、これは、幻覚だ。事実では無い。臭いが無い。降り注ぐそれらにも、溶け出す私にも。だから嘘だ。幻覚だ。頭にも目にもそれを浴びている筈なのに、私の目も思考も、霞んでも濁ってもおらず、鮮明なのだから。
「早く出て来い。こんな脅しは無駄だ」
やはり、声が出せるようになっていた。
流石に、えぐい光景を何度も何度も経験してくれば、苦手であろうとも、多少は耐性が付く。
幻覚はぴたりと止んだが、悪魔少女は姿を現さなかった。先ほどの目を通していた紙片は消え、代わりに、先ほどよりも少し大きい一枚の新たな紙片が私の手には握られていた。
早速開いて目を通す。
【ふふ。冗談よ。そう思ったのだけれど、止しておくことにしたわ。今はまだ、ね。】
何だと……。
そんなことを言われて苛立たずにいられる筈は無い。私は歯をきりきり鳴らしながら、手にした紙片を今すぐ破り捨てたいという衝動に耐える。
【にしても、それで倒れないって、貴方本当に人間なのかしら? まあ、ここに来れた地点で、凡夫という訳ではないのでしょうけれど】
【あらぁ、あらあらぁ。貴方のこれまでの心の動き、凄いそそるわね、貴方。私が思っていたよりもずっと。】
【だって、貴方、"physilogical demon" 、倒したんでしょう? そうしなければ、ここには来れないことになっている筈。】
怒りを、困惑と焦りが上書きする。
覗かれていたのだ、いつの間にか、私の頭の中層を……。言っている内容も気になるが、それ以上に、どこまで見られた……?
だが、その答えは分かりはしない。だから私は続きに目を通す。
【だって、ここは、あそこより上の階層、上位の世界なのだから。その証拠に、貴方は上位世界へ踏み入る資格を世界の入口で示した。】
階層世界、上位世界と下位世界。上層へは証が無くては入れない。証はつまり、あの球か。
だが、これで分からなくなった。悪魔少女が私の頭の中層までを覗いたのか、ただ単に情報を出してきただけなのか。
各世界の頂に位置する悪魔であれば、情報を共有しているという可能性も出てきた。
そうして、選択肢が増えすぎて、どれが真実であるかの順位を付けることすらできなくなる……。
【"demon"を倒せるのは人間のみ。今や存在しない、純粋な人間のみ。狭義での人間に当てはまる者のみ。】
【今伝えたことは、そんな貴方へのご褒美よ。読心の効果範囲は貴方が最初想定していた通りで、貴方の心の深いところまで見たのでは無いのだから、安心しなさいな。】
だが、それが本当か嘘か、今の私には判断できない。彼女の言葉には嘘も含まれる可能性が色濃いだろうと判断している今は。
【貴方は私を退屈させないようだけれど、いつまで保つのかしら? まあ、あの幻覚を見せても壊れないんだから、貴方はまともではないのでしょう。ふふふ、本当、貴方って、滑稽ね】
あの幻覚とは、どれのことだ、一体……。心当たりが多過ぎる。
【さて、ここからが本題よ。貴方のこれからの処遇について一つ変更を、ルールを加えることにしたわ。きっとそれによって貴方はこれまでよりも懸命に踊ってくれるに違いないの。】
【それに、貴方を招いたあの子が言うのだから、少し色を付けて、そうねぇ。】
【島間の移動は後、3回ね。】
【貴方が4回目の島間移動を行おうとして札を使用したとき、もしくは、貴方の札が尽きたとき、貴方をこの場所に戻すとするわ。それ以外は先ほどまでと同じよ。では、私にとって善き旅を。あらあらぁ、これは蛇足だったわね。】
私が読みきったところで、紙片は消えた。黒い灰となって、風に乗って、消えた。そして、私の持つ札の束の一番上の中央に黒い文字が新たに刻まれた。それは数字。
【3】
そのように札の中央に黒いインクで大きく刻まれていたのだった。他の札には変化は無い。
私は籠の世界の全域ホログラムを険しい顔をして見つめていた。次に向かう島の候補を決めるために。
島から島への移動。それを行うことができる回数が僅か3回に制限された。その3回で、私は何かを掴まなくてはならない……。
だが、そもそもなぜ、私にこのような機会をあの少女は与えた? 何故、ここで島を巡るのを終わりにさせなかった? 白羽根と悪魔少女の間の契約が存在していることからも、これは矛盾している。
ということは、必要な場面はもう全て見せ終わっている、ということになるのか? いや、だが……、見てきた光景はどれもこれも、中途半端過ぎる。一つの大きな流れの上にそれらが乗っているのは分かるが、全容が見えてこない。明らかに足りない。そう感じるのだ。
やはり、何かが抜け落ちている……。そして、悪魔少女はそれを私に気付かれていることを……恐れている?
向かう場所の候補。そのうちの二つは既に埋まっていた。庭園の島と、これまた元通りに存在している、二つの塔の幻で覆われた、一つの崖と溶解液の海があるだけの島。この二つには再び足を踏み入れて調査する必要がある。どちらも危険度は高いが、それでもやらねばならない。
まずは、庭園の島だ。そこで何か見つかれば行けばいい。どうして、あのタイミングで、屋敷に入るタイミングであの少女が現れたのか。そこがやはり、引っ掛かる。何を見せたくなかったのか。それを私は知り、目にし、覚えておかねばならない。その前に、屋敷に私単独で踏み入る方法を考えなくてはならないが……。
次に行くべきは、二つの塔の幻で覆われた、一つの崖と溶解液の海があるだけの島。きっと何か隠されているか、私が大きな見落としをしているに違いなかった。
どうして、あのような危険な、罠のような島をわざわざ残しているのか。それには、あの少女の秘密が隠されているに違いないと、何故かそう思えるから。あれが幻覚だと仮定した場合、どうやってそれを解くか。そこからか……。
……、とりあえず、向かおう。庭園の島へ。
【未だ尾を引く後悔の島】
地図上で、その島はそのように表記されていた。
あの二つの塔。あれに到達したい。向かう候補のどちらの島にも共通して外から存在を確認できるそれらが重要であることは間違いないのだ。
そして、ホログラムに生じていた異変に気付く。地図上の島々が、流れる雲のようにその位置を移動し始めていた。ここから周囲を見渡し、それが気のせいではないことを私は知る。
悪魔少女は、私の探索を妨害したいようだ。
いや、でも……。どうして、それなら、探索自体させないという手を取らない? 分からない……。何か歪な意図を感じられずにはいられなかった。
今いるこの島は初期位置から全く動いていないようであり、経路を考えるのはそう大変ではない。
短距離転移を繰り返してそこまで到達すればいいだけだからだ。ただ、途中で地図は開けない。一度進み出せば戻れない。どこかの島に着地した地点でカウントは恐らく一つ減る。
札を使う代償は結局分かっていない。そして、付けられた島々へ踏み入る回数の制限は、札の回数制限ではない。
そして私は、札数十枚を使う連続的な短距離移動による長距離航行は一度も行っていない。最悪、他の島に一旦降りなけばならないかも知れない。
それを踏まえてコースを決めた私は、札の束を手に持ち、島の端から飛び降りた。




