精神唯存揺篭 精神唯存揺篭 最後の儚い聖域の島 Ⅳ
それでも彼らは停滞しない。一塊の集団となって、建物の入口正面から向かい側、果て無く続く灰の大地を進み続けた。
彼らの進行に合わせ、地面がスクロールする。だから今度は彼らが見切れることは無かった。どれだけ彼らが進もうとも、灰の大地には何も存在していない。同じ光景がひたすら続く。時折吹く強い風と灰を纏った、砂嵐じみた突風といい、まるで砂漠だ……。
A:「おい、そこの奴。俺たちが外に出で、何時間経った?」
「今で、7時間です」
A:「……、分単位で教えてくれ」
Aは苛立ちを露わにしていた。
「すみません……。7時間23分です」
Aはそれを聞き、全員に言い聞かすように周囲に響き渡る大きな声でこう言った。
「皆に順番に薬を配る。これは、屋外で活動する際に大人たちが使っているらしい薬だ。8時間周期で服用することで、体の状態を固定するらしい。俺たちの夜の食事に必ずこいつは含まれていたらしい。だから、今回の脱走は晩餐直後に決行したんだ」
それが本当か嘘かは、私には判断できそうにない。必要な情報が足りない。
今私の持っている情報からは、どっちでも取れる。Aは見事に不屈のリーダーを演じている。あの建物の中の内情を知らない私には、そんな薬が実在しているかどうかは分からないのだ。あの建物の中の放射能の濃度を私は知らないのだから。
Aの周囲の者たちを見渡してみると、それを聞いた全員が少しばかりの安心を得たようだった。
「薬は行き渡ったな。少々早めであるが、気にすることはない。薬の効果が切れる方がずっと怖い。さあ、飲み込むんだ、みんな。水はない。つまらせないように気をつけて飲むんだ。間違っても嚙み砕いたりするなよ。食事とセットじゃない場合、噛んでしまえば効果がなくなるそうだからな」
彼らは皆、一粒の錠剤を手に持って掲げていた。
何の薬なんだ、あれは? それに、どうしてAはこんなに事情に詳しい……? 幾らなんでも、一人だけ情報密度がおかしい。何か隠している? どうして共有していない? それだと、Aが死ねば全て終わってしまうだろう……。
私はそう思いながら、Aを見つめていた。だが、Aが何か嘘をついていたり、何か不都合や企みや悪意を隠しているようには見えなかった。
かなり長い時間が経っていたが、周囲の明るさは全く変わっていない。私の目にそう映っているだけではなく、彼らにとってもきっとそうなのだろう。
なぜなら、彼らの虹彩の大きさは、最初見たときから変わっていない。つまり、目に入る光の量がずっとほぼ一定であることを示している。私はわざわざ降り立って、それを確認した。丁度彼らは足を止めて休息を取っているところだった。
全員沈んだ雰囲気のまま、座り込んでいた。誰一人眠っていない。眠れる筈が無い、か。この状況で……。
その中で、Aだけ何か様子が違う。しきりに口を動かしていた。口を開いて何か言おうとして、辞めて。それを何度も繰り返しているような。
だが、とうとう覚悟が決まったようである。Aは一度唇を強く噛みしめ、そして立ち上がった。
Aに周囲の視線が集まる。
「行くぞ、みんな。実は、一ヶ所。俺たちには行く宛がある。ここよりずっと東。きっと俺たちの体力が保つか保たないか、ぎりぎりの距離だ。恐ろしいから、どれくらいの距離かは言わない。心折れられても困るからな。足手まといになるなら、置いていくことになる……」
Aはそう言って、周囲の者たちの態度を伺っている。迷いや戸惑いを顔に抱いている者たちと、ひとかけらの希望を見た者たち。そう半々に分かれていることを確認したようだ。
Aは頬に一筋の汗を流しつつ、広角を上げ、熱い目をして、再び口を開く。
「そこは時折大人たちが訪れる、重要な場所らしい。食料と水が豊富にある、な。でもって、ここよりも、滞在する大人の人数はずっと少ない。まともな食べ物を食べる、まともな生活がそこでなら送れるかもしれない。外に出ても何事もなく大丈夫だったんだから、あとはそこへ向かうだけだ」
全体の8割程度が立ち上がってAに同調しているようだが、残り2割程度は未だ不安であるようで、座ったまま。
Aは更に言葉を続ける。
「本当は、どこか近くでゆっくり休んでから出発したかったんだが、何もないんなら、どうしようもない。それに、お前たちなりの希望を何か、実際に外を見て掴んでもらいたった。何もなかったが……。済まないな。だが、もう大丈夫だ。俺がお前たちを希望の元へと連れていく」
それはある種の抱擁だった。そして、全員が立ち上がる。
上手い。人の心理というものを分かっている。計算づくであるが、自然に見える誘導と鼓舞。行き届いた配慮。
Aがこの集団のリーダーをやっている理由がよく分かった。そして、そんなAが見切った、建物の中の世界の大人たちは、Aが取り込むのを諦める程にもうどうしようもないのだろうと、私は悟った。
そこでAは一旦話すのを辞めた。そして、自身の荷物の中からあるものを取り出す。私はそれを見て、終わりを予感した。彼らの、いや、この島の終わりを。
「だが、その前に、こいつを設置する。追っ手が差し向けられたら、俺たちではもうどうしようもない。だから、混乱させるためにこいつを使おうと思う。親父の部屋の奥に仕舞いこまれていた、な。これが何か聞いたら、親父はこう言っていたのさ。『そいつは、スタングレネード。この引き金を抜いたら眩しい光で少しの間目が眩むっていうもんだ。俺のとっておき。最後のお守りってヤツだ』と」
そう、にやりとしながら話すAを見て、私はぞくりとした。それは少なくとも、スタングレネードでは無い……。
つまり、Aは、それが滅びを齎すものであり、今の彼らの状況を作り出した原因そのものであるということに気付いていないのだ……。
「この集落のリーダーである俺の親父。いつも厳格で冷酷な俺の親父が、たまたまそんな風に酷く酔っぱらっていたんだ。だからだろうな。普段そういった無駄口は絶対叩かないのに、けろっと吐いたんだ。で、すぐさま取り上げられたんだけど、場所を覚えておいて、こっそり持ってきた、っていう訳だ」
周囲の者たちは驚きを浮かべ、そしてそれは狂喜寄りの歓喜に変わる。
Aは、私が観察を始めてから初めて、子供らしい心からの笑顔を無邪気に浮かべていた……。
熱気立つ彼ら。Aはそれを更に盛り上げに掛かる。
「だから、こいつをこの中に放り込んで発動させる。効果抜群だろう。パニックに陥らせるには。なんせ、建物の中全域に、光をいきわたらせられるように、全体が鏡張りになっているからな。きっと、中の大人たち全員をパニックに陥らせられるに違いない。建物の中は薄暗いから効果抜群なはずだ。その間に俺たちは距離を稼ぐ。慎重な大人たちはおそらく、建物内を全部気が済むまで調査して、それからやっと外へ調査へ出るに違いない。数日かかるに違いない」
そして、とうとう、Aは宣言してしまった。
「こいつを引き抜いて、中に放り込むだけだ。で、3、2、1、キーーーーーーンンンンン!! 強い光で大人たちは目がくらみ、パニックになる、だ。どうだ!! こいつを放りこんで、大人たちの情けない声を聞いて、そいつを景気付けにして出発しようぜ!!!!」
Aがスタングレネードとのたまうそれは確かに、大きさはスタングレネード並みで、形状も似ている。だが、その側面に彫られ色まで付けられていたあるマークがそれが何であるかを物語っている。
そのマークを私は知識として知っていた。三枚羽のプロペラの形の、丸いマーク。黒と黄色で構成されたマーク。それは、核兵器を現すものなのだから……。
辞めるんだ、それだけは。それを引き抜いては、いけない……。ただの手榴弾やスタングレネードならまだいい。しかし、間違いなく、そうではない。
私はこの世界の結末を知っている。知ってしまっている。だから、間違いなく、そのマークが私の知っている通りのものであると断定できる……。
ああ、彼らは、そうして自滅するのか、と……。
それでも、もう……、見ているだけなんて、できない……。
その場の私以外の全員によるカウントダウンが始まってしまった。
「10、9、8、7、」
最初の島であったように、時間経過によって干渉が可能になる可能性に望みを託し、私は信管を引き抜こうとしていたAに飛びつこうとしたが、届かない……。触れられない……。
「6、5、4、」
Aはびくともしない。それどころか、きっと、私が触れたことすら、止めようとしたことすらAは感じていない……。
場の熱狂は私の心中と逆行するように大きくなっていきながら、無慈悲にカウントは進む。そして……、
「3、2、1、っ」
最後の言葉は聞こえなかった。なぜなら、瞬くよりも早く、強い光と熱とそして爆風がその周囲数百キロメートルを覆ったのだから。
遅ばせながら来た拡散する轟音と共に、強い熱を持つ光が周囲一帯を覆い尽くした……。
私は何故かその爆風に吹き飛ばされ、その場所からどんどんどんどん離されていく。強い真っ白な光の中を物凄い速度で吹き飛ばされていく……。
ああ、そうか……。それが今の私の心象だからだ……。私は吹き飛ばされながら、ゆっくりと目を閉じた。
そして、暗黒と静寂の心象に私は沈んでいった。




