精神唯存揺篭 精神唯存揺篭 最後の儚い聖域の島 Ⅱ
そして私は目を覚ます、が、それは未だ夢の中。周囲の光景が変わっていないことから明らか。どうやら、夢の中での気絶という奇妙な現象に陥ったということらしい。
血は止まっているようで、先ほどまでのように、頭が靄掛かるかのようにふらふらはしない。
だが、これは……。
気付いてしまったのだ。もう今更手遅れではあるが。私の左手、右足、左足は曲がる筈のないおかしな方向に曲がっていた。
そして、手先すら、僅かすら動かすことはできない……。
私の手足には、無数の透明な細い細い糸が張り巡らされていた。これにより、私はこの夢の中で操られていたらしい。血すら付着しないのだ。
そんな極細透明糸に、私は今まで気付けなかったのも無理はないのだ……。
気付かず、自分の右手を傷つけ、自身の死因を自分で作らされた。そして、それが終わった後、もてあそばれたのだ。操り人形のように。
首から上は糸に絡め取られてはいないようで、光の角度によっては視認可能なその糸が私の体から何処に伸びているか、追う。
するとそれは、私の後方遥か頭上、天に向かって伸びていた……。そこから出ている右手と黒い服の袖。ああ、彼女だ……。悪魔少女のものだ……。
そう認識すると、黒く血走った黄色い目をした、狂った笑顔を浮かべる彼女の顔。口元を歪め、ああ……、見ている。捉えている、捕られている、私を……。
もう片方の手も具現化し、両指が動き出す……。無邪気な子供がするかのように、人形の手足を乱暴に曲げるかのごとく、操り糸によって、
バキバキビキビキ、ブチィィィ、メリメリ、ゴキィィィィィ、ミシミシ、ブチャァァァ、ブシャァァァアアアアアアア、ベチョン……!
砕かれ、捻られ、千切られ、潰され、体中から血を噴き出した私は、辛うじて残った意識を、手放…………。
最後のその時、見たのは張りつめていた糸が急に緩むのと、急速接近する何か。そして、暖かな緑の光、だったような……。
はっ……。
私は呼吸を乱しながら起き上がった。夢だったのだ、今のは。額の汗を拭いながら周囲の状況が疲労で眠りに落ちる前と何一つ変わっていないことを確かめ、呼吸を整えた後、安堵の溜め息を吐く。そして、立ち上がった。
体に異常が残っていないことからして、あれは唯の夢だ。彼女の干渉していない、唯、私が見ただけの夢だ。
そして、夢の中で遭遇した出来事。今の私の状況を自嘲したかのような内容だった。全て後手に回り、自身の意図通りに事を為せておらず、まるで操り人形かのごとく、誰かの掌で踊らされているのだ。
操り手はあの少女か、その皮を被った別の何かか……。
この世界、安全の世界に来てから、私は唯の操り人形だったのだ。結局のところ、他人の意志の通りに動いていた。
だからこそ、これからは、何事も確固たる自分の意思で決め進むのだ。今更ながら、そのような覚悟を決めたのだった。
そして、"安全"の台座の先へ進んでから今までのことを自身の流されっ振りを、記憶を辿りながら思い返してみると、思ってもみなかったことについて、気付く。
記憶の前後の繋がりの矛盾がある箇所を見つけた。この籠の世界に来てから、少なくとも一回、認識を、いや、記憶を弄られている。干渉されている。何か大事なこと、忘れてはならないことがどこかに……。
悪魔少女と白羽根の生家の豪邸のある島。そこに、何か抜け落ちた記憶、思い出さないといけない記憶がある。
その箇所は、悪魔少女に引っ張られてあの屋敷に踏み入れた時。私と彼女はいきなり三階食堂にいた。だが、転移の際に発生する何種類かの特定のエフェクトは発生していない。これまではそんなことは無かったのに。つまり、そこだ。
屋敷の入口である扉を潜った瞬間から、三階食堂に入れられ、扉を視認できない状態にされ、そして、闇に包まれた状態にして、その間の記憶を悪魔少女は私から消して、扉を潜ったら、暗闇の中にいて、それが晴れると三階食堂だった、と錯覚させたのだ。
そして、そこで彼女が私に見せなくてはならない場面を終われせ、廊下に出るとその終わりが突然見え、次の島へ移動。
そんな悪魔少女のそこでの目的は、きっと、屋敷の内部を必要以上に見せたくなかった。きっとそこには重要な何かがあったのだ。私はそれを見てしまったかも知れないし、見ていないのかも知れない。何がともあれ、彼女はそこでの私の記憶を、削り取り、ばれないように辻褄を合わせる演出を行っていたのだ。
彼女があの食堂で見せた、自滅という名の失態は事実であったとしても、その裏で、仕込みや策が弄されていたということだ。
彼女は想定外の苦しみを負ったが、目的そのものは果たした。となると、白羽根を退場させたのも、わざとではないか。そう考えた方が筋が通る。罪悪感は感じただろうが、それでも彼女はそうした。何かを隠す為に。
何処を通って、何を見た……? そんなことを考えていると、とうとう事態が動き出す。
人の話し声が聞こえてきたのだ。真下から。つまり、この建物の中から、蓋の下から。ひそひそ声、荒げた声など、色々な声が混ざっていた。何か相談でもしているのだろう。少なくとも、喚き合いで無さそうである。
私は蓋に耳を当て、中の音を拾い始めた。その声色から、話が穏やかなものではないことがすぐに分かった。
それに、何を言っているか聞き取れたことから、悪魔少女が正気に戻り、私への言語翻訳を再発動させ始めた可能性が出てくる。そして、これまでのこの世界の者たちの言語が私の知っている言語と一致している可能性も。
だが、今それを考えることに意味は無い。今大事なのは彼らの話す内容だ。
A:「なあ、違うだろう、おい!! 俺たちは人間だ。食べ物なんかじゃない」
図太い声が聞こえてくる。きっと屈強な誰か。Aとでもしよう。いきなり不穏な感じがする。だが、これだけではまだ何もわからない。判断するには早すぎる。
Aにすぐさま同意するように、高くキンキンと周囲に響く声。Bとでもしよう。
B:「そうよ」
C:「イヤダイヤダ嫌だ。なんで、こんなことに……」
それは少し間が空き、聞こえてきた。幼い子供だろうか。少年のような、ソプラノ声。Cとしよう。
D:「どうしようもないんじゃないかな。食べ物なんて、もう無いんだし。あの人たちはやり方が酷いんだよね。せめてさ、安らかに肉に変えてくれるんなら良かったのに」
優男な、穏やかな声。Dとしよう。言っていることは、全く穏やかではない。『安らかに肉に変えてくれるんなら良かったのに』という、色々とおかしい言葉が私の耳にやたら強く残った。
彼のその言葉が、この建物の中の状況を物語っている。
食料の不足。そして、肉に変えるという言葉。つまり、そこから導き出されるのは……食人……。そして、それを肯定するかのような言葉が聞こえてくる。
A:「何言ってんだよ。お前死にたいのかよっ!!」
B:「そうよ」
恐らく、激昂しているAと、すぐさまそれに同調するBの声。
D:「そんな訳、ない、じゃないか…。でもさ、もう、どうしようも、ないじゃないか。食べ物は天から降ってくる訳ではないんだから。そもそも、天から本当に降ってきても、汚染のせいで口には入れられない……」
Dは声を荒げることはしなかったが、弱弱しい口調でそう言った。きっと、悲壮な顔をしているに違いない……。それに、また新しい言葉が。汚染というのは一体。口ぶりからして、水や食料が、何だかの汚染、ウイルスや、毒物や、放射能。その中の何かによって汚染されているのでもいうのだろう。
いや、もう答えは決まっている。放射能だ。そうだと決めたくなかっただけ。そうだと認めてしまえば、ここで見る光景の末路はきっと、救いようの無いものだ。
滅んだと確定した世界。人が死に絶えた世界。そんな世界で人が存在する過去、しかも、残った僅かな人々が滅ぶ過去。そんなものをどうして彼女が残したのか。
それは愉悦ではない。あの、彼女の生家と家族の残滓が存在するあの島があることからして、彼女は自身にも厳しい人間であることは違いない。
そう考えると、これを保存している理由にも凡そのところまでは行き着く。贖罪か、後悔。そういったところであろうが……、私にはそんな彼女の気持ちが、分からない……。理解できない……。想像すら、できない……。
"安全"をテーマにしたこの籠の世界。そんな世界で、どうして彼女は心の錘にしかならないものを残しているのか……。




