神秘庭園 中央広場 Ⅲ
扉。それは、内と外を隔てるもの。境界の象徴であり、この場合、旅の始まりを暗示するもの。
その筈だ。そうである筈だ。
だが、私の目の前に聳えるそれは唯の嫌悪の対象でしか無い。同時に、それは私が先へ進むための扉であるらしい。
私が最初にしたことは、後ずさりするように精神衛生上形容し難い扉から距離を取ること。
見たくないが、目を放さないようにしながら半円状の地面と橋の境界まで下がり、そこから一気に、背を向けて台座まで駆け抜ける。
そうして、台座から"赤の水晶球"を取り外し、一旦庭園の淵まで退いた。
思いっきり、喉から溢れそうになっていた嫌悪感を闇の底へと全て吐き流して、大きく息をして、先ほどまで自身のいた、向こう岸の方向を向いて座り込む。
向こう岸を見つめて体感で数十分、何事も無く経過した。どうやら、それは私を追いかけてはこないようだ。
だが、一安心とはいかなかった。それに対する警戒を解くことなどできる筈も無い。
一度、心を落ち着かせるために退いたというのに……。見てしまったその光景は目に焼き付いてしまっているらしい……。額からも、掌からも、汗は止まらない。手も足も、ぶるぶると震えてしまって、暫く立ち上がることすらできそうに無い。
あれを突っ切って進むなぞ、御免だ……。
私が心の中で泣き言を言ったそのとき、あの本がひとりでに私の手から離れて浮き上がり、私の目下で新しく情報を提示する。
【汝の旅は、苦難の旅。】
【精神摩耗す、苦難の旅。】
【あらゆる苦難、逃避は叶わぬ。】
【汝、人の欲の扉を潜れ。】
【先ずは、抉じ開けよ。人肉の織り成すその扉を。】
嫌悪感の原因たるその扉を無視するという選択肢を私は即座に奪われた……。
あれを目にした瞬間浮かんだ結末が現実となってしまう。
あれだけは、嫌……だ……。手を、策を、用意しなくては。何としても……。
庭園中央部の噴水の淵に座り、私は"revelation"を開く。
これは、念のための確認。
【Ⅰ.我、汝による無生物の無数の収集とそれらの帯同を赦す。】
神を名乗る者に与えられた三つの特権。これらの解析を行うことにしたのだ。取ることができる手段を増やすために。
特権Ⅱは、ついさっき味わわされた。特権Ⅲは、少なくとも今考えるべきことではない。だからこそ、この特権Ⅰを検証する。
物理法則を無視した、物品の無制限のストックと自由な出し入れと運搬と解釈したのが。実際のところはどう作用するのか?
そう気負わずに、軽い気持ちでやってみることにした。そうすることで少しは先ほど受けた精神的負荷も和らぐだろうから。
泉に近づいた私は、手を伸ばし、その水を掬う。水は掌から徐々に零れていくだけ。液体は収集対象に入らない、もしくは、ただ拾うだけでは収集対象にならないらしい。
では、固体ならどうか?
泉の縁にあったスコップを拾い上げる。すると、スコップは突然、消えた。消えたということは、ストックされたということだろう。
こういう風になるわけ、か。私はにやりと笑う。検証はそれなりに楽しめそうである。
では、消えてしまったスコップはどうやって出す?
すると、傍に置いてある本が光り始め、今度は浮かびはしなかったが、ひとりでに白紙の頁を開き、文字列を浮かべた。
【所持品一覧】
【 "revelation" 1冊】
【 "赤の水晶球" 1つ】
【 "蛍色の液体" 1枚】
【 "錆びた金属製のスコップ" 1本】
所持品としてストックされた品物の一覧のようである。所持品の並びの法則をたった4つの物品だけで判断するのは止めておいたほうがよさそうだ。
色々気になる点はあるが、まずは、これ。"蛍色の液体" 1枚? これだけ、単位が可笑しい。
明らかに液体の数え方ではない。"蛍色の液体"というのは、あの蛍色の雫をたっぷり沁み込ませたハンカチのことだろう。
そう思い、私はジャケットの胸ポケットの中を探るが、あのハンカチは消えていた。
所持品と認識されたものは自動でストックされ、目の前から消えるようになっているのだろうか。だがそれなら、この場に残っている本と水晶球の説明が付かない。
所持品として認識される条件が今一つ分からない。私がストックしたい、と思うだけでは駄目らしいのは確かではあるが。
続いて、私はジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外し、脱いだ。それを泉の水に浸す。だが、シャツは消えない。水で湿ったシャツがただ無残に残るだけだった。
花壇まで歩いていき、樹木から蛍色の雫をシャツにたっぷり沁み込ませた。すると、今度はシャツは消える。
庭園中央に戻り、本を確認した。
【 "蛍色の液体" 2枚】
カウントは増えた。同種のものはスタックされるということらしい。だが、それぞれの布地に沁み込んだ蛍色の雫の量が明らかに違うにも関わらず、同一のものとして、差異無く纏めてしまう。
つまり、残量の判定は無しか有りの二元法でなされているということになる。となると、所持品の実質的な量は自分自身で常に把握していなくてはならない。
やはりあるか、こういう穴は。できること以上に、こういったできないことを正確に掴んでおくことが大切なのだ。
掌の上に蛍色の雫を集めてみてストックされるか確かめようとしたが、ただ掌から吸収されるだけという結果に終わる。
先ほどまでの強烈な嫌悪感から心が救われたのだから悪くは無い。とはいえ、やはり、これの効果は凄まじ過ぎる。知らないうちに頼りきってしまうことがないようい気をつけなくては。
私は再びそう、留意し直した。
気を取り直して、検証に戻る。
液体はそのままでは収納できないことが分かった。何かに沁みこませることによって、収納できる。だが、液体の種類によっては、沁み込ませた状態であっても収納自体できない。
沁み込ませた状態で収納可能な液体は、何か容器に入れても収納可能だろう。だが今は、それは確かめられない。容器になりそうなものが無いからだ。
蛍色の雫のことは、もうこの際、蛍色の液体と呼ぶこととする。
蛍色の液体が収納可能で、あの清涼な水はストック不可能であることを分ける基準を見つけなくてはならない。
それに加え、収納されて消えたものを出す、そしてそれをまた仕舞う方法を掴まなくてはならない。
シャツが消えたままだと、少々不都合なので、ストックされて姿を消した物品を再び出す方法を優先的に探ることにする。
念じてみる。シャツよ、出て来い!
何も起こらない。
では、シャツでなく、あのスコップならどうだ?
念じてみる。スコップよ、出て来い!
すると、私の左手に取っ手がくるように、"錆びた金属製のスコップ"が、何もない空間から突如姿を現す。
ということは、逆も然り?
念じてみる。スコップよ、収納されよ。
すると、私の左手に握られていたスコップは忽然と姿を消した。
出し入れは唯、念じるだけで可能なようだ。
続いて、一旦脇に置いていた、本に載せられた収納物一覧について検証する。
あの本は場に出た状態のままであるが、収納物一覧に載っていた。スコップは出した状態でも仕舞われた状態でも収納物一覧に載っていた。
あの本は収納物扱いされている物品の一覧とそれぞれの数を表記してくれるが、それぞれの物品が消耗品か、耐久消費財の類か、重要な物品であるかといった情報は記載されていない。
また、収納物が現在場に出ている状態か、仕舞われている状態かも記載されていない。それは常に自身で把握しておかなくてはならないということだ。
念じてみる。蛍色の液体の沁みこんだシャツよ、出て来い。今度はちゃんと出てきた。次に、私はそれを泉の水に泳がせ、蛍色の液体を落とす。
そして本を確認してみると、
【 "蛍色の液体" 1枚】
と、スタック数が減った。
消耗品の場合、こうなるわけか。至って当然の結果だった。
そして私は突如、閃いた。ストックされるされないを分けるものは、直接的な効用の有無か。
この特権は、そもそも、神を名乗る者との契約による旅のためのもの。だから、それに直接的に役に立つか立たないかでストックできるかできないかが分かれている
蛍色の液体がストックできて、水はできなかったことを例に挙げると以下のようになるだろう。
この世界では、別に飲まず食わずでも問題無い。私はこの一度も尿意や便意を催していない。脱水症状も空腹も起こしていない。
つまり、水は必要ないと判断されている。だからストックされない。蛍色の液体には、瞬時の精神回復の効果がある。だから、この旅で必要と判断されている。
そう考えると辻褄は合うのだ。
旅で直接的に役に立つか、立たないか。それこそがストックされるされないの基準なのだ。
そして、その基準を決めているのは私の意識下もしくは無意識下での判断ではなく、あの本、つまり、神を名乗る者の判断ということだ。
基準が旅の途中で変化するといったことも予想されるが、それは今検証することはできない。
こうやって考えを整理してみると、疑問が次々に浮かんでくる。だが、決して辛い作業ではない。かなり長い時間検証を続けているが、私はそれを依然、楽しんでいた。