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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第四節 精神唯存揺篭 ~断裂浮遊島群~

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精神唯存揺篭 浮遊島群 未だ尾を引く後悔の島 (秋) Ⅳ

 よくよく考えてみると、汚れてしまうとその除去が困難であろうことは目に見えるこのような絨毯じゅうたん生地で机の上まで覆われていて、その上に平然と料理の皿が載せられていること自体、可笑しい。


 汚れることを想定していないのか?


 すると、


 メリッ、バン、バン、ギュッ、ピッ!


 短い一辺だけを床面にくっついたまま残して長方形の形に床面に垂直にそびえ、短い辺の赤絨毯(じゅうたん)を5の字から上の横線部分を取り除いた形にひとりでに降り曲がって固定されたのだ。


 そうして、大きさの同じ4つの子が、机越しに向かい合うように2×2の4つ、床面の絨毯ががれて、形成された。


 座っても大丈夫なのか不安になるような、厚手の絨毯じゅうたんでできた子。だが、それは実際に使用されているらしく、座する部分には、摩(もう)による毛足のげが見られた。






 遠くから聞こえてくる足音。それは徐々にこちらへ近づいてきているようだ。足音の数は3。そのうちの1つは他の2つに比べ、小さい。


 壁の外からそれは聞こえてくる。ろう下を歩く音だ。


 だが、


 カチッ!


 その足音は突然止まる。彼女が白羽根が持っていたものと同じ懐中時計を出して、発条ぜんまいを押して、場面の時間の流れを止めたのだから。そして彼女は、つい今までいた場所から消えている……。周囲を見渡しても何処にもいない。すると、


「私がこの時計の針を再び動かせば、十数秒後に、壁を抜けて3人、この部屋に入ってくるわ。そして、この席に着き、彼らは食事をする。たったそれだけ」


 彼女の声が聞こえてきた。机のそばいす子から。彼女はいつの間にか子の一つに掛けていたのだ。もうそんなことには慣れてしまった私は、驚きもせずそのまま普通に彼女に尋ねた。


「君もそれに混ざるのか?」


「ええ。だって、そうしないと貴方に見せる必要のある場面に()()しないから」


「ここでの行動は再現される唯の過去では無いのか?」


「この島に限っては違うの。私若しくはあの子の行動によって、特定の時間に進めるの。この場合、私がここに来て座ることが、貴方に見せる必要のある場面の時間へ進む分岐のかぎなのよ」


 それだけ特別な場所ということか? 悪魔少女か白羽根のどちらかが特定の行動を起こした場合に特定の時間への道筋が開ける。どのような行動の末にどの時間に繋がるかは二人にしか分からない。そして、どの場面の時間も二人に関するものだから、他人に価値あるものでは無い。


 つまりここは、二人だけの秘密の場所。そう言っているのと変わりない。


「あらゆる時間への分岐条件は、私とあの子のにそれぞれ別々に設定してあるの。でも逆に言うと、私かあの子がいないとどうにもならない。そして、私とあの子の分岐条件はかち合うことは無い。どちらかの行動によって、片方が望む条件を満たせなくなることは無いの」


 では、あの懐中時計は、何の意味がある? 微調整用か? 特定の場面を一時停止させたり、逆行させたり。だがそれだと、先ほど彼女が言った、『チャンスは一度』に矛盾する。


 ああ、分岐で入るそれぞれの時間の枠があり、その中であれば巻き戻しや先送りや停止が可能ということだろうか?


「あれは、面倒な条件を満たさなくては行けない時間に行きたいときに補助的に使う、条件を満たす為の時間を稼ぐ為だけの道具よ」


 心を読まれ、彼女にそう説明された。


「どうするのかしらぁ? 座るなら、貴方の座る席、用意してあげるけど?」


 私の方へ体を向けて足を組んで椅子に座り、こちらを見上げながら、彼女は私にそう尋ねてきた。


 だが、それには乗らない。座るということは、視線が固定されるということ。視点が下がり、気になる場面の気になる場所を近くで詳しく、言葉通り多角的に見るなんてことはできない。


 私は必要な情報を自身で選択して集めなければならないのだ。だから、そうやって、受動的な動きしか取れなくされるのは不味い。


「あらそう、分かっているみたいね。じゃあ、話はこれで終わりね。停止を解くわ」


 そう言って、彼女は足を組むのを止め、私に向けた体を前へ向け、目を閉じてんだ顔をした。


 カチリ。


 そして、事態は動き始める。






 ガチャ、ギィィィ!


 すぐそばで扉の開く音。だが、扉など、相変わらず何処にも無い。


 コトコトコトトコトコト――――、ギィィィ、バタン!


 そうして、不可視の扉が開いて閉じて、私が最初立っていた側の壁面から三つの人影が現れたのだから。


 それは、影の塊。闇のもやとでも言うべきだろうか。シルエットだけの影の塊である。大きさはどうもはっきり認識できず、子供の影一つと大人の影二つとしか認識できない。


 暖炉だんろ側の椅子二つに、大きな影が座っていた。そして、それに対面する椅子の、暖炉だんろから見て左側に小さな影が座った。悪魔少女が座っているのは、暖炉だんろ方向から見て、左の奥側、不可視の扉寄り。


 卓についた彼らは黙々と食事を始めた。悪魔少女以外は。彼女は唯、寂しそうな目をして卓に付いているだけ。手や口どころか、首一つ動かさない。唯、見ている。


 暖炉だんろ側扉寄りの影が言葉を発する。


「お前は、色素を持たぬ、ぜい弱な子供。お前がもし、その欠陥を持った他の生物種であったとしたなら、あらゆる助けがあろうとも唯生きていくことすらできず、死んでいただろう。だからお前は、努めなければならなかった。その欠点を填して余りある程の能力を示さなければならなかった。不幸でありながら得た幸運に報いらなければならなかった。それができなかったお前には、価値など、無かった」


 にごった、よどんだ声が響く。声というより音といったほうがいいだろうか。人の声といえるような暖かさ、柔らかさ、くせは感じられない。平坦で一定の音程の低めの声。


 まるで、もう何もかも決まってしまったかのように、終わってしまったかのように、小さな影に向けてそれは通告する。悪魔少女の隣の小さな影に向かって。


 それに対し、


「はい、お父様」


 小さな影は、平坦な一定の音程の高めの声でそう返した。


 言葉面からしか情報が得られない……。話している者の口調や表情や服装や体つきや姿勢や挙動。そういったものが見えないのだから


 それらの言葉の真偽すら、私には判断できない。


 私は困惑せざるを得なかった。


 カチッ。


 彼女が懐中時計の発条ゼンマイを押し止めたことにより、場の進行が止まる。私は彼女の方を向いた。


「仕方無いでしょう……。私には彼らの表情も感情も口調も、もう思い出せないのよ……。一つヒントをあげる。そこの大人たちが現在のことを過去で表現する場合、それはてい観ではなく、非難。では、再開するわね」


 こちらを向くことなく、私に聞こえるように彼女はそうつぶやいた。無表情で、無抑揚で、つぶやいた。


 カチッ。


 続きが始まる。


「私も言いたいことは同じです。貴方はあの子に劣っているという自覚がありながら、停滞していましたね。成長をあきらめているようにも見えました。本来は同一であるはずの姉と比べてはるかに虚弱。だから貴方はその差を埋めて余りある知能が必要でした。少なくとも、姉を越えていなくてはならなかった。でも、貴方はその差を差し引いて考えてもあの子に劣っていました。追い詰めないと決して努めることのないあの子よりも、貴方の完成度は低かった。比較する価値すら無い程に」


 低音の声の影の隣の影は、小さい影よりも一拍子は高い、きんきんとした、しかし平坦な声で、小さい影に追い打ちをかける。


「ごめん、なさい、お母様」


 小さい影が打ちのめされているのが、この少ない視覚情報だけでも分かる……。


 暖炉だんろ側扉手前が白羽根と悪魔少女の父親の影、暖炉だんろ側扉奥が白羽根と悪魔少女の母親の影、暖炉だんろから離れた側手前が悪魔少女、暖炉から離れた側奥が白羽根の過去の影。






「謝るということは、罪悪感を感じているのか? 劣っているお前がこの家に残ってしまったことに対して」


 父親の影が発した無慈悲な言葉。


「ごめん、な、さい」


 強いノイズの入った声を、絞り出すように力なく謝る過去の白羽根の影。目があるであろう位置から黒い涙を流しながら。


 そこで、影たちは動きを止めた。悪魔少女が席から立ちあがったからだ。私の方へと、うつむいたまま向かってくる。


 そして顔を上げて、血走った、錯乱したかのような目つきで、途切れ途切れな言葉をぼそり、ぼそり、と発しながら、力無く上半身を垂らしながら、ふらりとした歩調で、一歩一歩、進んでくる。


 垂れた両手、私を向くように起こされた首。


 詰め寄ってくる。


 のそり。


「私は」


 のそり。


 それはとてもとても恐ろし気で、


 ずっ。


 私は後ずさるが、


「この」


 のそり。


 その度に言葉と共に距離を詰められる……。どうして突然、ひょう変した……。強靱な精神強度を持つ悪魔では無いのか、こいつは……?


 ずっ。


「真実を」


 のそり。


 止めてくれ……。手が汗ばんできて、額からも背中からも、冷や汗が止まらない……。ここには出口は無いのだから……。


 ずっ。


「知らなかったの」


 のそり。


 平坦な抑揚の無い口調が、余計に恐ろしさを助長している……。きっと、今何を言っても通じないだろう。目から血走りが引く様子は無く、どう孔は開ききったまま。完全に目がっている。


 ずっ。


「今の」

 のそり。


 結膜が真っ赤に染まり、虹彩の色が、黄変する。その中には、黒い血管が走っている……。放たれる空気の質が重く重く、どんよりと、圧として私に降りかかる。


 私のひざが震え始める……。


 ずっ、ガッ!


 壁、だと……。


 そして、動けなくなる……。震えていた膝は崩れ落ちて、私はその場にへたり込む。立て……ない……。


「この姿に」


 のそり。


「なるまで」


 のそり。


「は」


 のそり、のそり!


 すうぅぅ。


 私の前に立った彼女から伸ばされる右手。それは私の首元に向かって、伸びて――――


「うぅ……げほぉぉ、ごほぉぉ……」


 こなかった。彼女は地面に伏し、黒い液体をき出した。


 ボトッ、ボトボトボト……。


 彼女の口元から吐き出されたその黒いどろりとした液体。口元にその一部は残っており、垂れ落ちていく。


 臭いは、しない。


「ぅぅ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 口元の残留物を何やら特殊な力で消し去った。その目は元に戻っていたが、どう孔の震えが未だ少し残っている。


 彼女はそこでかかとひるがえす。


 のそり、のそり、のそり!


「うっ、ごほぁぁぁああ……。ぅぅ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 のそ、のそり、のそり、べしゃ、びしゃっ、のそり、のそり――――。


 再び吐き出した黒い吐瀉としゃ物の上を、彼女は避けることなく進み、懐中時計を取り出して発条ぜんまいを押し、元の子に体を預けた。


 バンッ! バン、バンッ!


 彼女は俯いて、両手を握ってそれを体全体を使って叩きつけ、両手と上半身を机の上にだらりと垂れ延ばす。


「続きを、見なくては、ならないの」


 そうぼそりと言うと、


 のそり。


「独りで見なくて済む機会が、やっと、訪れ、た、と、いうのにぃぃ!」


 起き上がって私の方を、あの悪魔の目で、狂った目で見て、そう、狂ったように叫んだ。


「うっ、ごほぁぁぁああ……。ぅぅ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 そうして、机の上に黒い吐瀉としゃ物を再び吐きこぼす。そして今度は、人の目に戻って、死んだ目をして、顔だけを私の方へ向けて、


「覚悟していたのよ、心がずっしり押し潰されるように重いだろうって……」


 冷めきった、抑揚が無く平坦な声でそう言った。


「知らなくては、はぁ、はぁ、いけない……の。そうしない、と、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、私は、いつまでも……不安、っ、を……、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、抱え、続けなければ、はぁ、はぁ、ならない……の」


 急に顔に疲れを浮かべ、息絶え絶えにそう言って


「後は……、はぁ、はぁ、貴方、はぁ、はぁ、一人で」


 すっ、カチリ。


 止めていた発条ゼンマイを再び押して稼働させ、消えた。

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