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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第四節 精神唯存揺篭 ~断裂浮遊島群~

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精神唯存揺篭 浮遊島群 未だ尾を引く後悔の島 (秋) Ⅲ

「お礼も言えないの、貴方ぁ? ……。チッ、はぁ……」


 悪魔少女は冷酷な口調でそう言い、舌打ちし、め息をつく。


 彼女に手を引かれ、彼女が押し開けた扉を、私は共にくぐり、とびらが閉まり、彼女が丁度、私の手を放したところである。


 暗くて、辺りの様子はうかがえない。せいぜい目の前の彼女が視認できるかどうかという程度。


 そんな、私の目の前の彼女は、一見(あき)れているだけのような態度であったが、その実、私に怒りを向けている。目が座っているのがその証拠。


「まあいいわ。あの子は()()狂ってしまった。もうああなったらリセットしないと元には戻らない。だから、あの子は別の空間に封じ込めた。何も届かない、せまくて冷たい闇の空間に」


 私をあおるためにそう言ったのか、ただ真実を述べただけなのか、区別はつかない。


「だって、仕方ないのだから……。どう足()いても、私は()()()をそういう風にしか作れなかった。もう数えることすら忘れてしまったわ」


 そうして私は、彼女の発する、あのわざとらしい、『妹』という呼び方の意味を知った。


 異様な価値観であるが、そこには彼女なりの想いがあるらしい。そしてそれは、一方的に否定すべきものにも思えない。


 悲し気に、少しばかりうつむきながら、そう言う彼女を見て、あらぬ疑いを抱いたことを私は心の中でじる。


「だから、ここから先は私が案内してあげる。あの子は狂う直前までは、貴方を案内しようと思っていたみたいだから」


「……」


 私は何も言わなかった。言えなかった。そのような言い方をされてしまうと断れない。だが、自分から了承することもできない。


「じゃあ、よろしくねぇ」


 少女は小悪魔のような、甘い声で、めるようにそう言った。しゅるりとピンク色の舌から音を立てながら。


 そして、彼女は微笑みながら手をこちらへ差し出してくる。


「……」


 私は何も言わない。言えないのではなく、言わない。その手をあっさり握れるほど、私は彼女を信頼していない。私は彼女をほんの少し理解しただけであって、気を許した訳ではないのだから。


 すると彼女は、その顔から浮かべた微笑を消し、冷たい目をしたかと思うと、


 スパッ、ツゥゥ、ポタッ、ポタッ――――。


 私の首から血が流れ出す。彼女の手から伸びた黒い爪が、私の首の表面を、薄皮一枚分くらいの深さだけ、傷つけたのだ。彼女の爪を伝って、滴り落ちる私の血。


 私はそれでも彼女から目をらさない。足を後ろに退かない。首に当てられたままの彼女の爪を退けようともしない。


「下らないわねぇ、貴方。どうする? そのまま意地を張って、死ぬ?」


 彼女は怒りをあらわにしていた。そして、爪を後ろへ引いた。


 意地を張っているのはどっちなのだろうな。私はそう、心の中でつぶやいた。


 ガシィィ、ギリギリギリギリ――――!


 次の瞬間、黒く血走り、虹彩こうさいを黄変させた目が、私から1センチ程の距離で、私の目をのぞいていた。


 彼女に首からつかまれて、宙に浮いている。私の首はメキメキギリギリと音を上げる。


 意識が……飛ぶ……ぞ、これ……は……。


「貴方、自分が何を言っても許されると思っているのぉ?」


『そんなこと思っていないが、嘘はついていない。ここで君をだまそうと偽らないのが、私の誠意』


「あら、ふふ。なら、仕方ない。仕方無いわね。ゆるしましょう、ふふ」


 バサッ、ドッ!


 どうやら許されたらしい。


 だが、彼女が私に付いてくることは免れそうにない……。彼女は姿を消さず、私の息が整うのをそばで、どういう訳か笑顔を浮かべ、鼻唄うたうたいながら待っているのだから。






 急に、周囲が明るくなる。思わず目をつぶった私は、ゆっくりと目を開ける。そして広がっていた場所を見て、戸惑う。


 ここは……?


 部屋全体を見渡す。やはり出入り口が沸いて出るなんてことはない。出入り口がなく、窓一つない、一つの巨大なテーブルと、一つの巨大な暖炉のある部屋。暖炉に火が灯っていない。外の稲穂のことも含めて、この場所の季節は秋で間違いなさそうだ。


 一辺20メートル程度の、広大な部屋。紅い絨毯じゅうたん生地で床から壁、天井、それにテーブルまでもが覆われた部屋。巨大な暖炉だんろだけが、その覆いに包まれることを免れている。


 天井も高い。私の手がどう足掻いても届かない程度には。それだけは、外観から予想できた通りだった。


「食堂よ」


 心を読んで、彼女が答える。


 私は、彼女に首をつかまれて解放されてから一歩たりとも動いてはいない。つまり、屋敷に入って、扉を潜ると、そこはロビーでもエントランスでもなく、食堂だった、ということである。


 そして、後ろを見てみると、潜ってきたはずべっ甲色の革で覆われた二枚扉は存在していない。それどころか、出入り口が見当たらない……。隠し扉にでもなっているというのか……?


 どうでもいいことを意識の表層に浮かべ、その裏で私は考える。今から考えることの過程は、彼女にあまり知られたくはない。


 空間の繋がりが、出鱈目でたらめになっている? いや……、流石にそんなはずは。こいつが私をこの場所に飛ばしたのか? ロビーもエントランスも、その他もろもろを飛ばして、ここへと。


 見られては困るものでもあったのだろうか? そう考えると、彼女が白羽根を退場させたことにも一応の説明はつく。つく、が……。先ほどの彼女の表情からして、わざとあんなことをしたとも思えない……。


 そして、このように、明らかに歪んだ順路に、彼女は驚いている様子も無かった。さもそれが当然のように、扉へと引っ張られていったときから今まで、驚きも作為も、その表情には見られない。


 ということは、これは当然のこと?


 そして、結論を疑問として意識の表層に浮かべた。


 入口から入って、どこか分からないが、飛んで食堂へ繋がり、戻る道が無いのが、順路だというのか?


「そういう場所なのよ、ここは。住む為でなく、()()()()()()()()、そう作ったの。必要な分だけ貴方に見せる。あの子との契約の条項にそう書かれているのだから」


 どうやら()()のようだ。






 常識の違いでもなく、本当におかしく、それが当然の場所であるということか。ここは、過去の時間と場所を島として保存した空間。そうした目的は、鑑賞。その為の保全。そしてそれはとても大切なもの。人に見せたくはない、自分だけの思い出。だから、謎解きに必要な分しか見せないということか。


「いちいち翻訳するようなこと、それ?」


 彼女はそう、冷めた目で私に言った。そして、彼女は付け加える。


「それに、てい正しておくわ。これは、大部分は私だけの思い出。だけど、一部は、私とあの子の思い出なのよ」


 そう言ったときの彼女はとてもとても、人間らしく見えた。


「面倒だから言っておくわね。そうしないと貴方、気になって集中して見れないみたいだから。この部屋の位置は、扉を潜った先にある玄関とロビーの二つ真上の階層に位置するわ。入口を南と見た場合、地上第三層最南端にあたるわね。これで憂いは一応晴れたでしょ」


 そう言って、彼女は私から少し距離を取り、白羽根が持っていたのと同じ懐中時計をどこからともなく出して、その針の運行を眺め始めた。


 話の外からみた縮尺と、この部屋の寸法は一致しない。入口を南として最南端ということは、窓は? この部屋の幅からして、窓が最低でも複数含まれていないと外観と一致しないのだが、窓一つ、この部屋には無い。


 そもそも間取りがおかしいのだから当然ではあるが。まあだが、それも彼女がついさっき述べた言葉が答え。そういう場所、ということだ。目に映る通りの場所ではないのだろう。


 心が読まれるというのは、ある意味便利なものでもあるらしい。意思疎通の観点では。こちらの見られたくないことが隠せなかった場合や、相手の地雷を踏むようなことが思考に含まれていた場合でなければ、だが。


 必要なことは説明したから、ここで起こることをじっくり自身の目で見ろ、ということだろう。






「そろそろかしらぁ?」


 ぼそりと、彼女が呟く。


 すると、机の上に、湯気とにおいと共に、様々な食べ物が現れた。どれもこれも、以前の私の知識の中の食べ物に類似している。古今東西のものが混ざっているようだ。


 そこには私と悪魔少女以外、誰もいなかった。にも関わらず、巨大なテーブルの上に様々な料理が乗っているのだ。


 ちょっと私の持つ感覚では表現できないものから、見知っているものまで、様々。所(せま)しと、様々な料理が並んでいる。湯気を放っているものもあり、それらはできたてであることが分かる。


「近くで見て構わないか?」


 私は彼女にそう尋ねると、


「好きにしなさいな」


 そのような返事が返ってきたので、近くで料理を見てみることにした。


 料理を盛り付ける皿と料理は置いてあっても、ナイフやフォークやはしに類するものは何一つ置かれていない。それどころか、子すら。


 机の高さは、私の腰の辺り。机の広さからしても、立食用とは考え難い。


 そして料理自体に目を向けていく。


 色彩は乏しい。暗色が多く、地味。最も明るい色で、黄金色である。それ以外に明るい色は見当たらない。


 蒸したじゃがいもにおいに近いものが色濃く漂う。実は調理法が違うだけで、ほぼ同じ食材を使いまわして料理を並べている可能性が高い。


 皿は普通に白かったし、乗っているものが、ゲテモノの類や、人間の骨や血肉の類では無さそうだったので、私は胸をで下ろす。


 だらりと、つばが流れる。この世界に来て、一度たりとも食事なぞ取ってはいないのだから。これだけ良いにおいがしてきたら当然こうなる。


 私はハンカチを取り出し、それをぬぐう。


「我(まん)できなかったら食べても構わないけれど、取り分けられていない大皿に乗ったものにしておきなさいね。あと、食器も使わないようにしなさいよ。そうしないと面倒なのよ。話が中断してしまうから」


 彼女はそっけなくそう言った。


 止めておくことにした。そもそも食べなくとも、私の体は支障をきたさない。それにも関わらず頂くとなると、それは好品と同義。後が怖い。ああ、成程、そういうことか。


「違うわよ……。見ていれば分かるから……」


 彼女はあきれながらそう言った。私の心中を読んで、拍子抜けした、といった感じだろうか? 心外だ。この世界のことについてはほとどのことが私にとって未知なのだから。


「スゥゥ、はぁ……。何なのよ、貴方……」


 彼女は私を見て、大きく息を吸ってめ息を吐いた。

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