精神唯存揺篭 浮遊島群 崩壊の記録の島 Ⅱ
ザッザッザッザッ。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
周囲に鳴り響く、彼女と私が雪踏みしめる音。
彼女の指示に従い街を出た私は、街の北にあるなだらかな丘の頂上までゆっくりと歩いていった。泣き止んだ後の彼女は、覚悟を決めたようで、先ほどまでのような弱気は見せなくなった。
わりと長い距離、たぶん数キロは雪の中を歩いたような気がするが、脚に疲れは感じなかった。知らないうちに私の体力と精神力は相当なものになっていたらしい。それだけ大変な目に遭ってきたということだ……。
溜め息が出た。
この場所に彼女と共に転移してきたときとは違い、少しばかり周囲の気温も感じるようになったが、それでも、冷たい気がする、程度でしかない。行動には一切支障は出ていない。
今は少し熱い、といった感じだ。
「お疲れでしょうが、もう少しですから、頑張ってください」
彼女が私より先行している。そして、私は彼女に速度を合わせて落としたのではない。彼女が私に合わせて速度を落としている。
雪道は慣れがものを言うというのは聞いたことがあるが、これ程差が出るとは思わなかった。まあ、疲れてはいないのだから、何とでもなるだろう。
疲れが精神状態に連動しているのは、私だけなのだろうか? まあ、そうであろうがなかろうが、何も変わりはない。
「お疲れさまでした」
私が脱いだジャケットで私を扇いでくれる彼女。冷たい風が、温まった体には心地良かった。
彼女が指さしていたのはあの崖ではなく、隣の丘だった。それでも十分高いが。だが、頂上付近はなだらかだった。そんな、白い雪以外何も無い丘の頂上に私と彼女は辿り着いた。
そこからは町全体を俯瞰できるようになっており、雪の夜空の中輝く様子は風情あるものだった。
「綺麗だな」
月並みな言葉であるが、この表現が相応しいと思った。過剰装飾されているのではなく、ただ、自然に、その町が、人並みが、雰囲気が、在り様が、美しく思えたから。
「私も好きでした、この風景。姉に連れられてこの場所を知ってからは、一人でもよく来てたんです。今がちょうど、一年で一番綺麗な時期です。また見れて、よかった、です」
そして、彼女の目から流れ出す、涙。頬を赤く染めて、涙を流しながら彼女は私に微笑んだ。
再び私も彼女も前を向き、町を俯瞰する。
素敵な泣き方だ。
唯悲しいから泣いているのでは決してない。だからといって、唯嬉しいからだけで泣いている訳でもない。色々な感情が見えてくる涙だ、これは。
その光景を教えてもらえたことが未だに嬉しくて、だが、そんな姉はああなってしまって、彼女自身もこうなってしまって、この風景自体も過去の再現でしかない。
私から見たら、どう見ても悲惨にしか思えない。だが、彼女はそうは思っていない。
それでも彼女は、『よかった』と言ったのだ。そこに嘘偽りは無かった。本心なのだ。自然と涙が流れ出すほどの。
だから、それはとても、羨ましかった。眩しかった。素敵だった。
思い出。
私には無いものだ。以前の私にもそれはきっとあったのだろう。きっとそれは素敵なものなのだろう。彼女を見ていれば、そうだと分かる。
私にもそのうち何か、思い出といえるものができるのだろうか? そして、それを後に懐かしんで、彼女のようにそれを大切で愛おしいものと思えるのだろうか? 旅の終わり、使命を果たしたときにかけがえのない何かは掴めているだろうか?
そういえば、私は悲しみか恐怖のどちらかでしか涙を流していない。そんな私にでも、彼女のように素敵に泣けることはあるのだろうか?
そうであればいいと、心から、思う。
「まだ、終わりの時までは時間があります。もし良ければ、私の昔話、聞いてくれませんか? とはいっても、そういい話ではありません。ですが、もし良ければ、聞いて頂けないでしょうか?」
すっかり泣き止んだらしい彼女が話しかけてきた。私はそれに、こくり、と頷く。前を向いて、町を俯瞰したまま。
彼女もきっとそれ位の気持ちで、軽く聞いてもらうことを望んでいるかと思う。その証拠に、彼女も前を向いて、町を俯瞰しながら、話すというより、語るように話を始めた。
殆どの方は、以前聞いたものの繰り返し。こんがらがった記憶、白い場所で何度か聞いた内容だ。そのときよりも大分丁寧に話してくれたが。
そして、
「私ですら、この時代水準で天才といえる水準でした。姉は……昔はそうは評価されませんでしたが、家を出てからは、それが認められたんです。他人からは認められて、最も認められたい人たちからは認められないなんて、もう……」
新たな情報を私に提示し、彼女はまた泣き出してしまった。今度のは、悲しいから流している涙。彼女の顔に影が落ちていた。
どうして、そんなに辛いのに私に話そうとするのか。きっとその理由は幾つもあるのだろう。私に分かるのは精々一つ。
彼女はまるで、自身を罰しようとしているかのようにも見えた。
彼女はまだ何か言おうと口を開こうとしては、閉じる。もじもじと、何か言いたげにしている。だが言えず。涙の勢いは増している。
私は催促することなどせず、町を俯瞰しつつ、彼女の決断を待った。
「えっと、ですね……」
どうやら話してくれるらしい。
「先天性色素欠乏症という病気なんです、私……」
その病名は知っていた。いや、いくらなんでも、これはおかしい。彼女がその病気であるということが、ではない。
一卵性双生児であろうが、片方だけがそういった遺伝病に罹る場合は稀に良くある。彼女たちが母親の中で二人に別れた後に遺伝子配列への変化もしくは、発生段階での異常発生でそうなることは有りうるのだから。
私の頭に引っ掛かったのは、病名まで私の知識の中にあるものと一字一句違わないという点である。ここが、私のいた世界とは別の世界であるはずなのに、あまりに一致点が多過ぎる。
本当に、これは、悪魔少女の魔法のせいだけなのか? 私にはそう思えなくなってきた……。
だから、
「一つ尋ねて構わないか?」
遠回しにであるが、聞いてみることにした。
「はい、何でしょう?」
彼女から了承が出たので、私は彼女と向かい合った。
「私はこの場所に非常に強い既視感を抱いている。君はそれがどうしてか分かるかな? 分かるなら、教えて欲しい」
私は真剣な面持ちでそう言った。
さあ、どう答える? 表情や仕草からでも情報は得られる。これで私の疑念が正しいかどうか分かるだろう。
「ええ、それはですね、貴方が最初に私と会う前にいた雪原、あれ、この辺りの場所での幾つかの時間に於いての私の記憶なんです。姉が私から抽出し、展開していました。だからでしょうね」
彼女は暗い顔をしていた。嘘は言っていない。感じているのは罪悪感、か?
「あまり気分がよくないことを聞いてしまったな、済まない。それでも答えてくれて、有難う」
悪いことをしてしまった……。少なくとも彼女は自らの意思で進んで悪魔少女に裏で協力し合ってはいないようだ。
「……。それで、あれらを見て、貴方は何を感じましたか?」
彼女はどういう訳か、一瞬躊躇しつつも、私にそう尋ねてきた。その言葉は、妙に重く感じた。
だから、考えて答えるべきか、思うが儘に答えるか、少し迷った。そして私は、
「寂しい、かな」
そう、ぼそりと呟いた。それは、あの光景を体験を思い返して、自然と出てきた言葉。
「分かって……頂けた……のです、ね」
彼女はそう言って再び泣き出した。だがそれは悲しみによるものではない。嬉しくて泣いているのだろう。彼女の目は光に満ちていたのだから。
「そんな貴方になら、分かるかも知れません。私を生かし続けている姉の意図が」
むしろ、私が知りたい。
「私は現状、姉によって生かされている、ということです。姉に一度尋ねたことがあります、『どうして』って。すると姉は答えました。『私の安心のためよ。貴方こそ、私の安心の根源なのだから。』そう言っていました」
成程、そういうことか。彼女の提示したその情報で、一応だがピースが揃った。大体、話は繋がった。仮説でしかないが、一本の線で。当たらずとも遠からずの域までは迫れているだろう。
「ですが……、私にはさっぱり意味は解りません。双子の姉の言うことなのに……」
相当、思い詰めているらしい。だが、彼女は思い詰めきって、ふり切ってそのまま死んでしまったとしても、再び姉に生き返らせられるだろう。
だからきっと、彼女がその苦悩から解放されるには、彼女の姉が滅せられるか、彼女自体が苦悩を解決するしか無い。
「それはきっと、君の姉のその言葉通りだ。安心のため」
彼女はその意味が分からないらしい。哀しそうな顔をして、私に説明を求めてくる。
「君には、君の姉が言葉にした、安心。その意味を説明できるかい?」
「……」
彼女は俯いて沈黙する。
「それとだが、私に全て説明されて、その結果分かったとして、君は納得できるか? それに、私が出した結論が当たっているとも限らないだろう?」
「…………。ええ……、できないですね。済みません、この質問な無かったことにしてください」
彼女は少し言い澱みながら、そう言った。
「それは流石に気が早いと思うぞ。ヒントくらいはあってもいいと私は思うが。それなら君が自分で答えを見つけるのと大して変わらないだろう?」
彼女は不安げにだが、小さくだが、ゆっくりだが、頷いた。
「では、私が今からする質問に答えて欲しい」
今でも鮮明に思い出せる。ただ雪だけが存在する、寂しい世界。私が悪魔少女に最初に見せられた幻影世界。最初に。だからきっと、それには大きな意味がある。
私が彼女にした質問は、私が見せられたその世界についての幾つかの質問。そして、最後の質問に彼女が答える。
「あそこで降っていたのは、雪だけではないのです。雪に紛れて、あるものが降り注いでいました。死の灰、と呼ばれるものが」
私はそれを聞いて確信した。この世界も、私のいた世界と何やらの繋がりがあるということを。そしてその関連性は、原始の世界の比では無い。
以前の私のいた世界の遥か過去もしくは、そう遠くない未来。もしくは、別の可能性を辿った世界、つまり並行世界。
それがここなのだ、と。
私の知りたいことも知れた。
あとは、彼女が答えに近づけたかどうか。
「姉の安心というのはつまり、究極的には、独りじゃないと思えること、なのですね」
まあ、及第点。そこまで分かれば、そのうち彼女は自力で答えらしいものに辿り着けるだろう。
「その通りだ。君の意志を一切縛っていないことにもそれで説明がつくだろう?」