精神唯存揺篭 隔離止園 Ⅱ
ブゥオン!
その音と共に、私はあの、時間が止まったかのような広々しい場所へ転送されていた。
そして、少し遅れて、
ポチャン!
白羽根もやってきた。
「本当に、本当に、有難うございます。貴方のお蔭で、姉に対する優位を得られました。これなら、やれるかも知れません。貴方に全て託すのではなく、貴方と共に」
彼女がそう言い終わると、
ボォワァン!
白い煙が彼女を中心に突如吹き出して、その中から
コツコツコツコツ!
「と、いうことで、お願いします」
舌足らずな、可愛らしい、真っ白な衣装を身に纏った幼女が現れて、両手を前に添えて、私に頭を下げるのだった。
あの悪魔少女を幼くしたらきっと、このような容姿になるのだろう。彼女は少女の状態のときよりもずっと、悪魔少女に似ているように見えた。
身長120センチ程度であることから年齢は6歳から7歳程度だろうか? だが、発する声は幼さを色濃く反映しているにも関わらず、非常にはっきりとした、舌の回っている感じである。
衣服も、彼女が人形態を私に見せたときと同じ型のものを着ている。サイズも今の彼女の体にぴったりと合っている。
そんな、悪魔少女と双子である彼女であるが、何もかも同じという訳ではないらしい。
だが、何もかも同じ、という訳ではないらしい。極端に色素が薄い白い肌に、何かに怯えているようなそんな赤い虹彩。そして、真っ白な、睫毛、眉毛、頭髪。
雰囲気も随分と異なる。
悪魔少女は、あざとさが妖艶の域に達しており、視線を吸い寄せられ、見ているだけで緊張を強いられることすらある綺麗な少女、という感じだった。
一方、彼女は、あざとさは全く無く、唯、落ち着く。癒される。だから、自然と彼女を視線に入れてしまう。純真無垢、天使爛漫で裏の無い笑顔を浮かべるかわいらしい少女、という感じなのだから。
色々聞きたいことはある。とはいえ、やはり最初は、
【何がともあれ、君が生きていてよかったよ。いや、生き返って良かったよ、かな?】
私が提示した紙片に対し、
「ええ。私はこういうものとして定義されていますから。ですが、気づいたんです?」
この幼い容姿にそぐわない話し方と理解力に少々戸惑う。まあ、私にとってこの方が都合がいいといえばいいのだが……。
【君と君の姉の声が聞こえてきたときかな? 尤も、ついさっきまで、また認識を弄られていて、忘れていたようだが。】
「さすがですね、ふふふ」
幼げな彼女の笑い声も笑い方も、随分あの悪魔少女と似ていた。あの部屋で会った少女態の彼女だったときのものよりずっと。
「【君と君の姉の間で従属関係はあるのかな? これまで見てきた状況と君から聞いたことから、君は君の姉の支配下に常にあるようにも思えるのだが、正直なところ、よく分からない。】」
「非常に面倒な関係ですよ。命は常に握られています。これは間違いありません。その上で姉は、私の精神を握る権利を持ちながら、それを放棄しています」
【ということは、やはり。】
「ええ。あります。これです」
彼女は一枚の紙片を出し、私に手渡した。
それは、悪魔少女と彼女との間に交わされた契約を示す書類だった。やはり、か。この世界のテーマ、"安全"に沿った悪魔なのだ、悪魔少女は。
自身の肉体的、存在的な安全性ではなく、精神的な均衡という意味での安全性を保つためにそうしたのだろう。
書類には、彼女が悪魔少女から精神的には独立した存在で在り続ける旨が記されている。未来永劫、生まれ変わってもそうで在り続ける。そして、それを変えられるのは、彼女が悪魔少女に許可したときだけ。そして、許可すればこの契約書は消滅する。
わざわざそのような記述があるということは……。
それでも私は彼女に質問を続けた。
彼女の肉体年齢の変動は、悪魔少女によって再生されるとき、今の幼女態の肉体で再生される。そして、彼女が実際に死ぬ年齢。それ以降は成長が止まり、肉体は朽ちていく。それは防げない。悪魔少女であろうが。
悪魔少女は、自身の肉体年齢を変動させることができる。それにより、力の質が変動する。単純に、年齢が高くなるほど、力が強くなる訳では無い。精神年齢は一定。尚、それがいつ止まったのかは、彼女には分からないらしい。
彼女の精神は壊れない。悪魔少女によってそれは保障されている。悪魔少女が死んだらどうなるかは分からないそうだが、たとえ消えても悔いはないと彼女は言っていた。『私は死人なのですから……』と言う彼女はとても痛々しく、哀れだった。
彼女が悪魔少女と先ほど結んだであろう契約。彼女はそれを黙秘した。唯、察してくれと言ったことから、言えないことになっているのだろう。そこに裏が無いと思いたい……。彼女自身に裏が無くとも、そこに何か仕込まれているなんてことは大いにあり得る。
彼女に気付かせない、若しくは騙す、隠す。そういった方法で、私が悪魔少女であったら、色々仕込むだろう。少々短絡的であるが、悪魔少女のこれまでの傾向からすれば、それくらい単純に考えた方が当たるだろう。
そう考えるとここいらで止めておくべきだろう。
「質問はもうありませんか? ここから外に出てからは止してくださいね。姉に漏れます。この世界は、今は姉の世界なのですから」
妙に引っ掛かる言い方。だが、これが、彼女の喋り方によるものか、実際に意味があるのかは判断できそうにない。
意味深な部分が、彼女の言葉には多過ぎる。だから。その答えが分かるのはもう少し後になるだろう。
【ああ、了解した。質問はもう無い。】
「では、本題に入りましょう。貴方が幻想に囚われている間に、私が姉とした契約。先ほどは黙秘しましたが、その一部を私は貴方に告げます」
ああ、成程。私に何かさせたい。そういうことか。
「姉が私たちの前から立ち去ったのは契約の一部でしかありません。未だ一部しか、契約は履行されていません。履行条件が果たされていないのですから。」
どうやら予想通りらしい。
【今からそれを満たしに行く訳か。で、何をする。そして、その結果、何が待っている?】
私はそう書いた紙片を見せ、今一度自分が書いた文章を見て、自分の気持ちがはやっていることを自覚した。そして自省する。こんなことでは、また足元を掬われるぞ、と。
「それはですね……。あ! 見て貰いながら説明するのが一番早いですね。では、空を見上げてください」
ゴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!
突如、強い風が吹く。一切風の吹かないこの時間の止まった庭園に。だから対処が遅れる。目にごみが入り、思わず目を閉じる。そして、それが止んだため目を擦り、取った。細く片目を見開き、手についたごみはこの場所の外側で降り注ぐ白い灰では無いことに気付いた私は、驚きながら一気に両目を見開いた。
空の風景、いや、周囲の風景が一変していた。
吹き始めた冷んやりとした程々に湿った風。全体の2割程度を白い雲が占める青い空。大小様々の、上下左右に点在する幾多もの浮遊島群。しかもそれは唯の岩の塊ではなく、どれもが見ている限りでは環境が違っている島。太陽無くムラなく明るい周囲。消えた城壁。現れたこの島の終端。
それに私は目を奪われた。
「如何です? ここも、そんな島の一つです。それらの中で最も大きなものの一つ、と言った方が相応しいかも知れませんね。因みに、この島の表面積はだいたい、一辺5キロの正方形くらいですね」
【ああ、これはいい。眺めているだけでも、心躍る。】
こんなもの見せられて、もう冷めてなんていられない。
これぞ旅だ。どこまでも幻想的でありながら、現実である旅だ。ああ、今すぐにでも駆けだしたい!
そんなはやる気持ちを何とか抑えて、私は後ろ手にそれを彼女に手渡した。
空に浮く島。それは浪漫であり、空想。それが現実として現れたのだ。なら、きっと、その島々を巡ることになるに違いない。
そう考えると尚更、滾る。私の握られた両手は、熱い汗をかいていた。
「突然ですが、一つお願いをしてもいいでしょうか。」
ああ、待っていた、それを!
私は心の中で歓喜した。
【まずは内容を聞かせてくれないか。】
流石に、いきなり首を縦に振るわけにもいかなかった。
「心優しい貴方でも、即答はしていただけませんか。貴方は、心優しくはありますが、用心深いようですからね」
妙に棘がある言い方だ……。
「取り敢えず、これにサインしてください。すると貴方と私はあれらの浮遊島のうちの一つ、どこかに転移します。姉の監視の目は外れますので、私たちの居場所が直ぐにばれることはありません」
彼女は一枚の紙片を出し、私に渡す。
そうやら、彼女と悪魔少女、そして私の三人の印が捺されて初めて効果を発揮するものらしい。
私がサインした瞬間に、あれらの島のうちのどれか一つに転移。そこで用意された課題をクリアしなくてはならない。クリアできれば、更に次の島へ転移。尚、転移先はクリアした島を除いてランダム決定される。
そして、悪魔少女がいる島に辿り着き、悪魔少女が出す、答えのある問いに答えられれば、私が幻想に囚われている間に結ばれた悪魔少女と彼女の契約のとある条項が履行されることになるらしい。
一見、この契約書自体には仕込みは無さそうだが……。
私は自身の唇を噛んで出した血を指先に付け、捺印した。
すると、周囲の風景がひび割れていくガラスのようにバリバリと音を立てていきながら――――混じる悪魔少女の声。
「【まさか、受けるなんてねぇ……。貴方、愚かなのかしらぁぁ? 精々、足掻くがいいわ。そして、失敗したらどうなるか、覚悟しておきなさいよぉおおおお!】」
その声はやたらに反響し、周囲に響く。その声からは明確な怒りと敵意、その裏に隠された焦りを感じられた。
バリィィィィィンンンン!
砕け散った景色。その欠片の一つ一つには、彼女が姉と呼ぶ、悪魔少女の少女が私を睨むように見つめており、
パキピキ、ザァァァァ!
更に細かく砕け散り、白い塵になると共に消えた。その塵も消え、周囲は真っ暗になった。何も見えない。
「新たな光景が見えてくる頃には、私たちは何処かの島にいる。そういう仕組みですので心配しないでください」
意味は無いかも知れないが、一応私は頷いた。