精神唯存揺篭 隔離庭園 無数架橋連結塔群 溶け合う前後と混じる現幻 Ⅳ
っ! ここは?
何をしている、私は……。気をしっかり持て。悪魔と対峙しているんだろうが。
そう。今は、扉を開けて、白羽根の誘導通りに矢を放ったにも関わらず、止められた。そんな状態。
ああ、違うな、これは。幻影だ。ということは私は生きているらしい。そしてあの悪魔も。そして、白羽根はもう、何処にもいない……。
「ね、姉さん、止めて、こんなの……。」
「【何よ、操り人形の癖にぃぃ! 貴方の意志なんて、私の作り出した虚構に過ぎないのに。それも知らずに、そんな健気に、無垢に、愚かに、ふふふふふふふ。まあ、いいわ、愚かな妹よ。貴方はどうでもいいわ。どうせ、聞いても忘れる。そういうようにしているからねぇ、ふふふふふふ。】」
何だこいつは……。何を考えている。私をこんな状態にした意図は? 幾つか予想はつく。だが、そのどれかが当たっているなんてことは無いだろう。この少女の取った手順は、どれもこれも、非効率過ぎる。
と、でも考えるだろうな、私は。この流れだったとしたならば。まあ、こんな幻影見せられているということは、私は気絶しているのだろう。
「【あら、貴方、今怯えたぁ? ふふ、なぁんだぁ、貴方、臆病なのねぇ。そんな貴方に教えてあげるわぁ!】」
ビリビリビリィィ、バキバキビキキビキ、メキメキグィグィ、コキッ、コキッ、ザッ!
突然、私の前で変形を始めたらしい彼女。破れて散った衣服の断片が地面に落ちて見えたことと、その後から絶え間なく聞こえてくる骨や筋が引き千切れるような、組み替わっていくような音がしていることからそう判断した。
ああ、この光景は見たな。
そして、布擦れの音と共に、その組み換え音は止んで、
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ、
私に接近してきた彼女の手が、私の左耳に、触れた。それはとても冷んやりとしつつも脈打っていて、柔らかくて……。そして、最初見たときよりも大きくなっていることを感じ取った。
ああ、このとき本当に大人の姿になっていたようだな。
ああ、今度はご丁寧に、"言の葉の剣"の説明が始まるか。
もう私がこれが幻だと気付いたことに悪魔は気づいているだろうに。しかも"言の葉の剣"についての説明は、私は断片的にしか思い出せていなかった。
にも関わらず、分かってこれを説明する意図は? ああ、成程。何となく分かった。私が正気であるにも関わらず幻を続けている意味が。
まずは、先ほど私が振るった剣について。あれは、言の葉の剣、というものらしい。その効用は、手にした者の心を、自意識を完全に奪い去らない程度に、操る、というもの。
簡単にいうと、剣を持つ者が何かしようとしたとき、気付かせないで、その行動の指標を好きに設定できる、というものらしい。
今回の私の場合、それは、怒り。彼女に怒りの矛先を向けさせる。今回のような、衝動的な感情が浮かびやすい場面では、思うが儘に操られてしまうそうだ。
彼女の世界の終末期において、出回った兵器だそうだ。環境を汚さない無差別破壊兵器として。基本的に、手に取った者が周囲に考えうる限り最大の害を及ぼす、悪意の塊のような品である。
これの怖いところは、手にした者を完全催眠しないところである。気付かない程度に、不幸な選択岐へ後押しする。
そして、そんな不幸な選択岐を実行した本人には、自身が自身の意思でその行動を選んで災いをばら撒いたという悲しい感情が残るのである。
操られていることに気付かない、生きた操り人形にされてしまうということである。当然本人はそのことに気付けないので、対処法はほぼ無いに等しい。
一度それを掴んだら、二度と開放されることはない。それがこの世から失われない限りは。
彼女が用意したそれを私は握らされて、最初から、支配下にあって、ここまで連れて来られた。で、ある程度自由な選択肢を与えられていたのは、私を観察するため。
白羽根が自身の名を語らず、私に名すら聞こうとしなかった。その地点で、可笑しかった。私はそういった違和感を都合よく無視した、いや、させられていたのだ。
剣による催眠下だった。
確かに、剣を握ってから、ところどころ、判断が可笑しい。軽率過ぎると言えばいいのか。本来、決断すべきでないタイミングで決断を下し、行動してしまっている。
原始の庭園であれだけ手酷い手にあって、それは私らしくない。
彼女の妹を付けられていたのは、ここに来るまでに私がうっかり終わってしまわないようにするため。保たせるため。失敗してもやり直させるため。
そして、妹の命は姉である彼女が握っている。その意思すら、姉である彼女が自身の記憶を参照して転写した造り物。
そう。反抗の意志も、彼女の悲壮な覚悟も、姉であるこの悪魔が作った、あそびの部分でしか無かった。
「【貴方、もう気付いてるでしょう? これが幻だと。】」
とうとう痺れを切らして尋ねてきたか。忍耐性は、少女並み、年相応か。
『ああ、種明かし含む細く説明ご苦労だったな』
だから、皮肉ってみせる。
「【チッ、なら、そろそろ起きなさいな!】」
舌打ちし、今すぐ起きるように催促されようが、どう起きればいいか、私は知らないのだが……。その方法を聞くのも尺だ。
なら、こいつ自身にこの幻を解除させればいい。
『もう、か? おままごとは堪能できたか?』
そう。怒らせればいい。
「【くぅぅぅううう、貴方、嫌な人ねぇ……。】」
あと一押しというところだろうか?
『お前には負けるよ。どこまでも捻くれた寂しがり屋め』
さて、どうかな?
「【あ、貴方、ど、何処まで!】」
ピッ、ビリッ!
こんなものか。あのような手を使う地点で、こういった知恵はそう回らないことは間違い無かった。だからまあ、当然か。
彼女は観念して展開していた幻を破ったようだ。その証拠が、この音と、目が覚めていく感覚。
さて、目を開けたら早速聞かなくては。どうして私を殺さなかったか。
こいつを始末するのはそれからだ。その答え云々によってはやりやすさが大分変わるだろう。
「【あはははははは! 何やってくれるのかしら、貴方って人は!】」
目を開け、光が差し込んできて、目が慣れる前に、そんな悪魔少女の高笑いと、その後のお怒りが聞こえてきた。
お怒りのようだ。だが、それは私がすべきことではないだろうか? だから私はかえって、落ち着いてしまった。この悪魔少女に対する怒りはすっかり下火になった。
どうやら、ベースは大人の姿ではなく、少女の姿らしい。
目が周囲の光に慣れてきて、最初に見えたのは、私の顔の前でしゃがみ込んで、私の顔を恨めしそうに覗き込んでいる悪魔少女だった。
こうして見ると、威圧感は無く、唯の少女にしか見えない。こんな少女がどうして悪魔なんてものでいられるのか? そう思ってしまうくらいに。
精神が強いようには見えない。となれば、かなり特異な精神の形をしているということか。
そうこうしているうちに、目が慣れてきた。
視界に映る光景は、先ほど、私ごと、悪魔少女ごと吹き飛ばした筈のあの立方体の巨大な部屋だった。
そして、ここへ再び飛ばされてくる直前にした声は、悪魔少女と白羽根、二人の声。だが、ここにいるのは悪魔少女だけ。
つまり、ここも未だ、幻想の中。
だとすると、なぜ、これが幻想であり現実でないということを彼女は言葉で示している? 何がしたい……?
そして、白羽根は、どこだ……?
「【無視するなぁぁぁぁぁぁああああああ!】」
その一言で、私の思考は途切れさせられた。その声を発した悪魔少女の方を私は向く。
先ほどまでの声を、澱むくらいに濁らせて、どこまでも重くしたような声が、反芻するように反響する。
目が、逸らせない……。私の心が訴えるのだ。それは、許されない、と。
強大な威圧感と、絶大な存在感。ああ、身に感じるこの震え、恐怖、押し潰されそうな圧迫感。息をすることすら、ただ、真っ直ぐ見据えることすら、きつい。
間違い無く、これは悪魔だ。それも、原始の世界のどの悪魔よりも格上であることは間違い無い。確実に決まったであろう、発動したでろうあの攻撃を防ぐだけの力を持っていたということなのだから。
何を腑抜けているのだ、私は……。
『済まな……かった。だか……ら、圧を……弱めて、くれ……ない、か?』
何とかそう心の中で呟いた。
「【こちらこそ、やり過ぎたわ。御免なさい。】」
威圧が弱められると、やはり、唯の少女だ。
それにしても、随分整った容姿だ。人形のように左右対称。威圧感の無いこの状態では、怒りを浮かべておらず、殊更しおらしくしている今など、むしろ、見ていると心が落ち着く。安らぐ。芸術品でも干渉している気分になる。だが、それがかえって、怖いとも思う。
私は、目の前のこの少女が、その悪魔の力を除いても、怖い。曲りなりにも一柱の悪魔であるだけのことはある、か。
だからこそ、この少女の思惑に関わらず、私はすぐさまこの幻想から抜け出さなくてはならない。
幸い、この悪魔少女は、賢いが、読み合いにはそう長けてはいない。私の行動を読み切れていない。私をこの世界に誘導した時からずっと観察していたにも関わらず、悪魔少女は私の思考どころか、行動すら、予期できていない。
白羽根関係のことは、かなり疑問が残る。そこから、今私に見せている行動、態度。それら全てが演技という可能性も無い訳では無い。
だから、結局のところ、私自身の問題なのだ。自身の読みを信じるか、自身の愚かさを信じるか。
どちらを選んでも失敗は有りうるだろう。どちらとも失敗かも知れない。なら、後悔しない方を選ぶべきだ。
ならば、私は自分を信じる。自身の愚かさを信じるようであれば、私は、以前の私や、これまで私が進むにあたって礎となってくれた者たちに、何と言えばいい……。
熱が、心に満ちていく。もう、私の心は、平伏さない!
『それと、もういいだろう? 無駄だ、こんなことは』
「【貴方、何様ぁ~?】」
その声は、もう原型を留めていなかった。通常であれば金切り声のようなノイズとしてしか聞こえないであろうそれが、辛うじて声として、言葉として聞こえたのは、表示される字幕と、悪魔少女が私にそれを憤怒しつつも聞かせようとしたからだろう。
先ほどよりも重く、冷たい空気。泥沼の中から辛うじて顔だけ出しているかのように、呼吸は絶え絶え。
そして、
メリリリリリ、ギュスッ!
突き立てられる、先端を鋭利に尖らせ、硬化させた触手の一本が、私の左目数センチ前で止まる。
『お前の意図は見え透いている。だから、無駄だ、こんなことは。こんなおままごとは』
メリリリリ、ブチャァァァァァァァアアアア!
貫かれた左目。
触手を引き抜き、見下すように私を嗤う悪魔少女。
吹き出る血。視界の半分が消し飛んだことによる喪失感。
だが、
『こんなことに意味は無い。そのことはお前が最も良く分かっているだろう、なぁ?』
私は退かない。




