精神唯存揺篭 隔離庭園 無数架橋連結塔群 紅炎纏う導きの白羽根 Ⅱ
ドゥン!
そこは、空の上だった。そう。落下再び……。
二度したそれは、転移を示す音。
今度は奇声を上げることは無かったが、代わりに涙と鼻水が止まらなくなっていた。彼女によると、塔群のうち、直下にあるこれに入っていけばいいらしい。
塔の頂点部は輪状の空洞であり、その中に向かって落ちていけばいいとのことだ。
私の落下速度はどんどん勢いは増していく。そんな中で、あれに向かって進路修正していけと? 巫山戯るのも大概にしろ……。
駄目だ。心の中で虚勢を張ることすら満足にはできていない……。
そうなるのも、当然か……。入らなくてはならないその空洞が私の体が、直立して立った姿勢のままであったとしても入るのがギリギリなように見えるのだから……。
何だこれは……。どうして出入り口をこんな小さくしかとっていない……。塔の半径は30メートル程度と、大きい。そして、中央部の入口の穴の周辺から、塔の淵まで、見るからにつるつる滑りそうな、外側へ下る斜面になっていているように見える……。
失敗して淵に当たりでもしたら、やり直しだろうな……。こんなものに何度も挑戦させられるのは御免だ……。
一刻も早くこの状況を逃れるには、一度で成功させる以外、無い。
……。
「御免なさい……。そして、お疲れさまでした」
彼女は元気そうにそう話しかけてきた。
【……。できれば、飛ばす前に何か言って欲しかったな。心の準備ができているのとできていないのでは、結果に差が生じることが多い。】
私は溜め息を吐きながらそう提示する。
「すみま……せん……」
声にすこぶる元気が無い。ちょっと強く言っただけで消沈されてしまっても困るのだが……。
【まあ、大丈夫だったのだから、構わない。そんなに気持ちを落とすものでもない。ここからが本番だろう? 苦難はここから。だろう?】
少々腹立たしくはあるが、やってみれば意外と何とかなった。それに一切の怪我無く、ここまで来れている。だから、許そう。
「そうですね」
達成感の方が遥かに大きかったことも彼女を許せた大きな一因だろう。今度は粗相しなかったというのも勿論。
私は腕を使ってバランスを取りながら、塔の真上に上手く位置取り、その地点で直立姿勢になった。そして、両手を上へ伸ばして掌を合わせ、
ストン、ドォォォォオオオオオオオオオオンンンンンンンン!
と、綺麗に着地した。
そして、目前に広がる通路へと入っていく。周囲は視程1メートルにも満たなかっただろう。彼女の纏う紅炎が無ければ。
それ位、周囲は暗い。暗くてじめじめと、冷んやりしている。その上、狭い。立ったまま進めてはいるが、通路の幅は50センチ程度、高さは2メートルに満たない。
そんな圧迫感のある道を、彼女が先行し、私がその後を付いていく。
彼女が先導する通り、右へ左へ何度も何度も曲がったり、上へ下へ階段を下りたり。そんな感じで、恐らく数時間は歩き続けた。
どうせ尋ねても無駄だろうと思って、あとどれくらいで着くかは結局聞かず終い。
「着きました。この扉の先に、悪魔がいます」
【では、行こうか。】
さて、どうかな? 止めるか止めないか。
「いえ、その前に言わせてください。」
成程、止めるか。
私はこくんと頷く。
「色々、試して済みませんでした。臆病というのは、年月で治るものではないのですね。あ、えっとですね、私、人に会うのは久しぶりなんです。本当に、本当に……」
まあ、彼女がいた場所があの様子だったのだから当然といえば、当然か。だが、今言うことか、それは?
それは、言うとしたら、最初私の前に姿を現したときに言っていないと可笑しいだろう……。
よくよく考えてみると、名前すら聞かれていない。そして彼女はこれまで会ってきたどの者とも違い、名乗りを上げない。
「しかもそれが、こんな私の話に耳を傾けてくれて信じてくれて、全てを託せるかも知れないと思えるくらいの凄い人だなんて、そんな奇蹟がまさか、あるなんて」
断定しないのか、そこを。
裏切りの伏線か、これは? 私はすぐさま剣を出して貫けるように、心構えた。
「そんな私の願いを聞き入れてくれて、信じてくれて、ここまで来てくれて、有難うございました」
彼女はそう言って、頭を下げる。
何だ、これは……。
はやり、何か、可笑しい……。私は一体、何を見落としている? ある筈だ、何か……。
いや、そんなことは、どうでもいい。
ん、今何か、……ん?
いや、それより今は、中にいる悪魔を倒す為に私がやろうとしていることの段取りの説明を彼女にしなくてはならない。巻き添えにする訳にもいかないのだから。
だが、その前に……。
ん?
気のせいか。
私は感じた違和感を振り払う。この先に悪魔がいて、扉を潜れば、即対峙。そんな状況で揺らいでいる訳にはいかないのだ。
【気が早いだろう。それは、全てが終えてから言うべき言葉だ。で、これ、どう開ければいい?】
目の前の、象牙色の基質に蜘蛛の巣状の道が幾多に張り巡らされた塔の絵が中央に凹凸によって表現されている扉には取っ手が無い。扉の一部には摩耗の跡がある。えらく年季が入っているように見える。これが扉であるのは、彼女の言葉からして間違いない。
「済みません、ごめんなさい。最後に一度だけ、貴方を試させてください。私の安心のために。すみません……、赦してください……」
断定しなかったのは、そういうことか。これが最後。最後に一度試すつもりだった。だからこそ、断定ではなく、高い可能性に留めたのか。
要するに、自分で開けて見せろ、それができないようだと、不安で、この先に案内するなんて到底できない。自分も命を賭けることなど、私に託すことなど、できない。
だが、その気持ち分からないでもない。
【ああ、構わない、別に。一応どう開ければいいか目星は付いているが、壊してしまっては不味いかも知れないと思い聞いただけだ。ああ、それと、部屋内部の配置をできれば教えて貰えるかな? 入口から入って、悪魔がどこに居るか。それが知れれば、奇襲が可能だ。】
私は紙片にそう書いたのを見せた。
「入って真っ直ぐ正面奥で、椅子に座っていると思います。ですが、いつもそうという訳でもありません。この場所は、悪魔の研究室でもあります。ですので、席に座っていないことも多いのです。中は明るいですので、どこにいるかは目視で確認可能ですし、貴方自身の目で確認した方がいいでしょう」
【ああ、分かった。では、この扉をあっさり開けて見せよう。それと、扉が空いたら、手筈通り、頼むぞ、白羽根。】
「え……、あ、はいっ」
そんなで大丈夫か、と不安に思ったが、彼女もそれなりに覚悟は決めているだろう。だから野暮なことは言うまい。
そして私は、摩耗が一番酷い中央右寄りの数立方センチメートルの地点を、手で強めに圧した。
ガコン、ゴォォォォォォ、ゴン!
扉は開いた。
簡単なことだ。
この扉には取っ手が無い。周囲と比べて出っ張っている訳でもなく、引っ込んでいる訳でもない。上にも下にも右にも左にも隙間は1ミリも無い。
扉前面の下の床に、扉が前方向に開く場合にできる摩耗跡は無い。扉を引くことができる部分は無い。
そして、扉の中央右寄りの摩耗。だとすれば、押し扉であり、どこを押せばいいかも一目瞭然。
扉の内側から、オレンジ色の光がかなり強く光が漏れてきて、そこから通路の十数メートル先までを照らしている。その部屋には篝火が沢山あるのだろうか?
[[[頭を垂れて跪け。その剣は、好きにして構わない]]]
頭の中に幾重にも反響するように聞こえてきた、無機質な機械のような声が発した命令に、私の意志に反して体が従ってしまう。
首から上しか動かせない金縛り状態でいるように掛けられた命令が、そう上書きされ、それの隙を突こうと、前へ踏み出す動きをしようとしたせいで、私は体が伸びきった状態で、灰色の煉瓦の床へと胸から思いっきり叩きつけられ、咽せた。
「げほ、げほっ、っ……」
そうして、彼女の言う通り、片膝を立て、右手を着き、頭を下げて跪かされるが、左手に握った剣は放さない。
命令が再び入る前ならば、この左手の剣で突ける筈……。この武器であれば、悪魔であろうが効くだろう。
まだ、目は、あるのだ……。いや、だが、頭は動かせず、こいつの方を向くことすらできない。視界に入れられない。そんな状態で、どうやって確実に当てる?
いや、そもそも、どうしてだ? どうして、私に目を残す? こいつはそんなものあっさり取り上げることもできる筈だ……。
「【無駄よ。最初から貴方は、私の掌の上なのだから。】」
彼女の声とどこか似ているようではあるが、それに比べて幼く、高く、透き通った、そして何より甘々しい声が、頭を垂れて跪いたまま動けなくされた私の上から、聞こえてくる。
表示されている文字の色は彼女とは違う黒くて、とめはねがしっかりと成された文字。
白羽根は私の一射に巻き込まれ、どうやらまだ生きてはいるようだが、助力を求められる状況では無い。
そう。奇襲は失敗したのだ……。




