精神唯存揺篭 ある終幕の風景 白灰雪 Ⅲ
さて、どこからどうやって、あそこへ降り立とうか。
この場所から町へは、人が滑り下りられる傾斜では無い。それでもやるとすれば、それはもう、唯の落下だ。
そして、他の場所も、同様に崖になっている。つまり、今私の目に映っている風景の中には、町への出入り口は映っていないということだ。
入り口を探さなくてはならないか。だが、これだけ広い場所。ただ闇雲に探し回るのは得策ではない。何か、手掛かりは無いだろうか?
そんなことを考えながら町を見下ろしていると
「【週末の鐘が鳴る。】」
声が聞こえてきた。女性の声。柔らかく、少々ハスキーがかった声。しかし、どこか物憂いを感じさせるような声。声とともに、白文字が浮かんでは、消える。
「【押し寄せる光と熱の波。】」
「【全てを包み込み、膨張し続け、やがて、消えた。】」
「【後に残ったのは、一面に降り積もった白い灰。】」
周囲が薄暗くなってきて、夜に近づいたようだ。
「【季節は冬。】」
「【やがて、冷え切った灰の大地は熱を失う。】」
「【その上に雪が降り積もり、灰は雪に塗れた。】」
そして、声が止み、周囲は暗くなる。町の灯りのおかげで、町の様子は辛うじて見えるが、私の周囲は暗く、身動きできる状態では無くなった。
ゴォォン、ガコォォォン、ガコォォォン、ガコォォォン!
鳴り響く鐘の音。
だが、それは、町にある鐘から発せられているものでは無いことは間違いない。町の鐘は揺れていない。照明のおかげでそうであると確認できた。それに、その鐘の音は、正面下方からではなく、どこから聞こえてきているか分からない。指向性が無い。
これはつまり……、私の頭の中から聞こえてきている。これらの文字も網膜に直接移されていて、先ほどまでのあの女性の声も、私の内側からだったとすれば、辻褄が合う、合ってしまう……。
私は、自身の目論見がどうやら、達成することが不可能であるということを悟り、頭を抱え、歯をきりきり鳴らし、怒りをどうにか抑える。
完敗だ……。
「【ふふ、察しがいいですね。では、そんな聡い貴方の気持ちを汲み取って、手順を少し飛ばしましょう。】」
鐘の音がどんどん小さくなっていって、視界がどんどん白くなっていって、音が消え、視界が白で覆われたかと思うと――――私は丘の上では無く。少し薄暗くなった平らな雪原に立っていた。
「【ほら。先ほどと違いますよ、状況が。貴方は真っ直ぐ進めば、あの町へ足を踏み入れることが可能です。】」
表示される字幕と文字。それに従って前を向くと、城壁に囲まれた町があった。だが、あれは先程のものと同じ町か? あの町には城壁は無かった。そして、この町には城壁がある。
「【ええ。同じ町ですよ。あれらの丘は、あの町に貴方が誘導から外れた状態で勝手に入れないようにするための保険でしたから。】」
結局、誘導に乗るしか、無いのか……。
「【ああ、それで躊躇している訳ですか。こんなことしていて何ですが、私は貴方の敵ではありません。信じてくれとは言いにくいのですが、それでも敢えて言います。信じてください。】」
そうやって、その声の主は私の思考を読み切った、いや、読み取った上でそう告げた。私に寄り添ってきたかのようで、全くそうでは無い。
これは私にとって、脅しでしか無い。
どこに信じられる要素がある……。私は自身の手をぎゅううっと握り締める。今の私に、その湧き上がる怒りのぶつけ先は無いのだから。
「【心配ありませんよ。門前で通せんぼなんてされませんよ。だって、今の貴方は、精神体ですから。】」
気付けば、私の体は半透明になっていた。
「【ちゃんと今度は入れる状態に】」
「【それで自身の死なんて恐れることなく、終末を見届けることができるでしょう。では、私は一旦これで。後は貴方の目で直接見てみてください。体で感じてください。その何にも触れられない体でも、漂う空気はきっと、感じ取れますから。】」
それに従い、灰色の煉瓦の高さ数百メートルにも及ぶ円形の城壁で囲まれた、正面に見える町へと私は歩き出した。
私は前へ進みながら、一枚の紙片に目を通していた。彼女が忘れていたようで、あれからすぐに、私の前に降らせてきたものだ。
【一応、大事なことですので紙面に纏めて渡しておきます。この内容を踏まえて終末を見届けてください。】
【50年前。】
【それは、雪降りしきる、人里離れた平原でのことだった。】
【人の世界は終わる。】
【ここだけではない。】
【全てが灰になる。】
【文字通り……。】
【これは、人の痕跡が世界から消え去る日。】
【終末の発生源での出来事。】
その文面から見て取れる。最後まで見なくては、終わりを見届けなくては、私はこの空想の中からは出られない、と。そして、手心は一切加えない、と。
きっとそれは惨状でしか無いと予想は付く。それも、目を背けたくなる類の。えげつない光景に耐性の無い私にはきっと堪える光景なのだろう。
それなら、
ギリリリ……。
歯を軋らせる。手を音を立てる程、強く握る。暴れ回りたい衝動を飲み込み、前を見据えて、歩き出す。
この茶番、最後まで付き合ってやる……。
真っ直ぐ続く、町の城壁まで伸びた道に私は立っている。雪のかさはそう高くなく、10センチ程度だからだろうか? その道の上の雪は除雪されていた。
町までは1キロ程度だが、あれは? 見覚えたある。
100メートル程度先、道沿い。そこには、かまくらを作っている大人が数人いた。まるで宇宙服のような密閉された、しっかりとした防寒装備を着込んで、スコップを使って作業している。
壁面を叩いて強度を上げている段階らしい。屋根はできていない。スコップを持って、彼らはまるで何かに急かされるように、休むことなく働き続けている。
私は彼らのすぐ傍まで接近した。気付かれないし、触れられないのだから、超至近距離で観察することも当然可能。
おっ、どうやら、壁面を固め終わり、屋根の作成に取り掛かり始めるようだ。中に2人は入って、そして、外側から、雪を被せて、内外から固めていって作り上げるつもりだろうか?
「さあ、いいか、みんな」
「ええ」
「はい」
「うん」
「ええ」
「いいよ……、う、う、くぅ……」
「泣くな、×××。俺たちまで、ぐぅ、うぅ、っ……。どうして、どうしてだ! どうしてこんなことに、うああああああああああ!!!」
「やめてよ、ねえぇ、やめてよぉ、あああああああああああああ……、ぐすん……」
何だ、これは……。どうして彼らは、そんな悲壮な声を上げている? 顔は防寒具によって見えないが、きっと、涙と鼻水でぐしょ濡れ、いや、ガチガチに凍りついているか?
彼らは何に怯えている……?
私には、ただ見ているだけしかできない。まるで、それは――――別れの儀式。そう思えてならなかった……。
そして、とうとう、その時は訪れた。
頭上斜め上に突如浮かんだ、昼であるにも関わらず強烈な閃光を放つ、光の玉。恐らく、距離は遠い。数キロどころでは無い。きっと、数十キロ遠方。
だが……、それは恐るべき速度で拡大していく。最初は直径10センチ程度だったそれは、数秒経たないうちに、私の視界に映る光景の8割程度を覆う、巨大な白い光の玉となった。僅かに見えていた空の青さも、もう見えはしない……。
その玉は、その地点で膨張を止めたかと思うと、全体に蠢くような歪みを生じさせ、そして――――世界は雪色では無く、白に、いや、空白に染め上げられた。
地面が揺れ始め、それはどんどん強くなっていく。私は精神体であるから立っていられるのだろう。かまくらを作っていた人々やかまくらは地面に崩れ落ちて、泣き叫んだり、呻いたり、無為に何かに祈ったりしている。
私はその様子を、目を背けることなく見ている。
そうして、白い光の球が膨れ上がりながら、周囲を飲み込んでいき、全てが白く染まった。見える風景全てが。
一切の境界なく、コントラストの差なく、均一に、一様に、どこまでも白く、純白に染め上げられた。
全てを蒸発させるかと思わせられるような強大な熱とともに。
そう判断できるのは、私はこの目で見たからだ。この場に集まっていた大人たちの衣服が弾け、中の人々が消し飛ぶ一瞬を。
そして、全ては終わった。
光は消え、周囲は灰色の雲? に覆われる。
誰もいない。何も変わっていない。ただ、人の存在と、その痕跡が消え去った。
目の前にあったかまくらも、すぐ傍にいた人々は服の残骸などの痕跡すら無く消え、そして、都市へと続く道は最初から無かったかのように消えていて、あの城壁に囲まれた都市はその姿を、たった一つの断片としてすら残さず、跡形も無く消滅していた。
周囲の雪すら、残っていない。
そして、私の足元の地面は抉れていた。
私は、巨大なクレーターの斜面に立っている。半径数十キロ、いや、下手すれば、それ以上の桁の大きさだろうか、これは……。
そうして、彼女が私に渡した紙片の通り、空以外の周囲の光景までもが灰色に染まり始める。
降り注ぐ白い、雪では無いな、これは……。
触れられなくとも、見れば分かる。灰だ、純白の灰だ、これは。上空は灰色に曇っていた。雪の色では決して無い。彼女が私の手に取らせた紙片の内容からしても間違い無い。
では、次は、あれか。
遠くの空で、強い光が。色んな方向でそれが観測できた。きっと、この地点に起こったのと同様の現象だろう。
ここまでそれらが発信源の揺れが伝わってくる。それに加え、強烈な風が色んな方向から吹き寄せてきたようで、周囲の灰色が吹き飛んでいく。だから、その様子がとてもよく見えた。
白い閃光、光の柱が周囲360度。ここから遠方で無数に上がる。それらはきっと、ここを消し飛ばしたのと同じ、巨大な爆発。
確定した。これらは、核の光だ。そして、先ほどのは、死の灰……。
世界はそうして、核によって、滅びましたとさ、……か。これのどこが、安全をモチーフにした世界の一つだというのだ……。
台座に刻まれた文字にちなんだ世界だけが、その先には広がっている訳では無いのか……?
ああ……。いや、これも一つの"安全"の形か。全てが滅び、もう一切の危険は無い。だから、永遠に"安全"は保障された。その安全を現在享受できる者は皆無だが、危険を享受する者も皆無。だから、ある意味、安全だ。不変で、静寂で、平穏で、無為だ。だからこそ、永遠に安全。
私は手を合わせ、黙祷した。
ん?
いつの間にか、合わせた手の間に、私は1枚の紙片を挟み込まれていた。
もう見るべきものは無いし、次の案内が来るまでどう過ごそうかと目を開けて、合わせた手を放したところ、私の掌から、その紙片がぴらりと落ちたのだ。
【これはかつてこの場所で起こった惨劇、人の終わりの一幕。】
【貴方には、ここでできることはない。】
【これは過去なのだから。】
【それを貴方は踏まえていたようですね。】
【ですが、同時に思います。】
【貴方は何なんですか?】
【あれの正体も恐ろしさも知っていて、起こった惨劇を理解していて、どうしてそんなに平然としていられるのですか……?】
【さて、一つ尋ねます。】
【どうしたいですか?】
【『 』】
30字分程度の記入欄。
初めて、自由に書ける機会が与えられたか。なら、書くことは決まっている。その問いに彼女の意を汲み取って答えるつもりは無い。
【『君に会って、話をしたい。それ位の権利はあるのではないのかな?』】
これまでの回りくどい行動の数々。そこから導き出されるのは、彼女側にも制約があるのではないかということ。それが何かは分からないが。
少なくとも、こうやって私が彼女の意に沿わないであろう回答をするなんてことは可能なのだから。それに、私の心を完全には読めないことも確かだ。私の心を覗けていたとしたら、この文面は可笑しい。
で、どうだ?
私は反応を待った。
ズゥン!
その音と共に、周囲が暗黒に包まれ、
ズゥン!
別の風景が見えてきた。