精神唯存揺篭 黒渦溺落 石の鳥籠 Ⅱ
どうやら杞憂に終わったらしい。
門の前の扉代わりの石の蔦の前方3メートル辺りに辿り着いたが、何も変化はなかった。
右手に石の蔦の束を握っているその女性像は胸部上部から上までしかこの場からは見えない。
門に隠れている彼女の残りの部分も含め、全身を見てみたかったのだか、それは叶わぬらしい。そもそも、胸部上部より下まで作られて形を残しているかは不明であるが。
……。
どうも、私はここに来てから何かが可笑しい。
心がぶれているという感じとは少し違う。心が軽いのだ。自身の意思で動いているというより、まるで何者かの意図に流されているよ《・》うな。だがそれでいて、束縛されているという感覚はとても希薄。
だからだろうか。それは酷く心地が良くて……。言うならば、自由でいて、自由でない。そんな不自然な感覚。
だが、いつまでも海で漂う海月のように、流されるままでいる訳にはいかない。それは油断、隙、危機に繋がるのだから。それに私は、この場所に観光しに来たのでは無い。
ぐずぐずしていないで、先へ進まなくては。
私は気を引き締め直し、視野を広く、引いて目の前の現実を俯瞰した。
何とかしてここを通りたい。だが、あの石の蔦がそうさせてはくれない。だからといって、触れる訳にはいかない。
結局のところ、もっと近づかないと調査はできない。
念のために開けておいた距離を詰める。蔦に手を伸ばせば届く距離まで、私は蔦へ近づいた。
仄かに風が、門の向こう側に向かって吹き抜けていっているのを近づく前よりも強く感じる。
門の前方3メートル地点ではそうだと断定できなかったが、勇気を持って近づいたおかげで確信できた。
ここには何らかの、石の蔦を退けるような仕掛けがあり、門の向こうへと続く通路は行き止まりでは無いということを。
起き上がった地点で拘束されていた訳でもなく、先への経路が一応存在している状態。そして私は何者かによって、この場所へ連れて来られた。だから、きっと何処かから私を様子見している。
そう私は、考える。
だが、結局、仕掛けの類は見つからなかった。門辺りを見ても見当たらなかったので、この部屋全体を再度細かく見ていった。
壁や床を流れる液体が無害と結論が出ていたので、私は色々な場所に触れながら調べた。それにも関わらず、手掛かり一つ、見当たらない。
だから私は、無理やり突き進むことにした。
私は門と蔦から20メートル程度離れた。さっと念じて弓と矢を出し、蔦の密集部、つまり、女性像の右手下部辺りを狙って、10センチくらい弦を引いて、放った。
これで道が開ければいいが。
私はそんなことを思いながら、矢が対象へと迫っていく様子を見届けつつ、すぐに動けるように身構える。
あの女性像や蔦が実は無生物ではなく、意志を持ち体を動かすことができる生き物であった場合、矢を放つという敵対行動に対して何らかの反撃があるかも知れないのだから。
どう見ても、私を見下ろす女性像とそれに握られた蔦は、彫刻だ。しかし今までに、この世界がそんな私の甘い予想の通りに一つでも事が運んでくれたかと自問してみると、全くそんなことは無かった……。
もっと酷い展開もあると心に留めつつ、矢が蔦の結束部分に吸い込まれるように向かって行っているのを確認しつつ、事態が悪い方向に動かないことを唯、祈る。
私を待ち受けていたのはそのどれでもなかった。予想通りでもなく、かといえば予想の遥か外という訳でもない。
矢は蔦に当たるか当たらないかというところで、纏った風とご、突如塵となって、消えた。
まるで、一定領域以内への侵入を許されないような効果を持った、見えない壁にでも当たったかのように。
自身の目を疑った私は二の矢を放つが結果は同じだった。そして思う。蔦に直接触れようとしなくて良かった、と。
触れたものを消滅する効果があるらしい。小石を取り出して投げつけても同じ結果が見られたことから、それは確かだ。
それなら、女神像を直接狙ってみたらどうなる?
私は自身の本を取り出し、白紙の1ページを千切り、肉刀に刻んであった紋様を書き込んだ紙片を仕上げ、矢の先端に自身の血で張り付ける。
そして、女神像目掛けて、30センチ程度、弦を引いて、放った。
ブッ、バァ、ザァァァ!
そうして、先ほどと同じように矢が塵になったところで、私は見切りをつけた。
だが、変化が起こる。状況が動き出す。
ガコォ、ズゥゥ、ズッ!
女性像の左手が音を立てて動き、指さしたのだ。私の頭上を越えて、後ろ側。後方頭上を、天を。
振り向こうと首を後ろへ回そうとしたら、
グゥッ、ズズズズズズ――――!
ズズズズズズズ――――――――!
鳴り響き始めた地響き。立っていられない程でないが、横揺れが発生した。壁面や床の液体も波打っている。
バランスを取りつつ、私は首だけでなく、体ごと方向転換し、女性像の指先が指し示す天井中央部を見上げる。頭上から時折砂の粉が降って来るが、そんなものに構っている余裕も無い。
っ! 天井が……、突き破られた。何か、落ちて――――
グゥオーーーーーーーーーンンンンンンン、ガラララララララ!
地面砕ける音と大量の瓦礫と砂塵と水飛沫。それらが密な弾幕のように空気中に舞い上がることによって、視界は塞がれる。少し遅れて、岩のような瓦礫の落下音が聞こえてくる。
そして、私のいる位置までも伝わってくる衝撃波と、外へ弾き飛ばすような風圧。それによって私は立っていられずバランスを崩しながら、吹っ飛ばされる。
不味い。私は強烈な風圧の中、体を無理やり動かした。門の石の蔦に向かって吹っ飛んでいきそうな体の軌道を何とか足での蹴り出しと重心移動で辛うじて逸らし、
バチャァァ、ゴッ! バシャッ。
体を丸め、背中から斜めに、この揺れなど関係なく液体を流し続ける壁面へぶつかり、滑り落ちる。
受けた衝撃によって暫く立ちあがれなかった私が何とか立ち上がれるくらい回復した頃、上から吹き下ろしてきた風によって砂煙の弾幕が押し流され、そして見えてきたのは――――、剣?
砂煙が吹き払われ、現れたのは、半径5メートル程度のクレーターのような半球状の大穴と、その中央に刺さった剣だった。
あれほどの衝撃で、砕けた地面はたったあれだけ? それに、落ちてきたものの質量が、できたクレーターに比べて小さ過ぎる……。
私はクレーターに向かって走り出し、その斜面を滑り下り、汚れが混ざって暗青緑になった水が数センチ程度溜まり始めたその底部に足を踏み入れる。
パシャ、パシャ、パシャ、パシャ。
そして、剣の前に立った。
剣種はレイピアだろう。柄と唾から明らかだ。
刀身は幅2センチ程度と、やけに細い。それに、薄い。透き通っていて、向こう側が見えるのではないかと錯覚してしまう程薄い。刀身そのものの色は、ほんのり薄く、水色。
柄に一切の装飾は無い。その表面に文字などは刻まれておらず、鈍い銀色の何だかの金属の光沢が見えるだけである。太さは少々太めのペン程度。剣としてみると、かなり細い柄である。長さは私の手で握り拳を作って立てた場合と同じ程度。まるで私に、握って抜け、とでも言っているように誂え向きに。
唾は、半球状の、手元への斬撃をいなすための極ありふれた形。
これだと、埋まっている部分は砕けるか折れているかしているかも知れない。だが、露出している刀身部分に罅割れや欠けは一切見られない。
刀身の長さも含め、結局のところ、抜いてみない限りは分からない、か。
それに、この剣があれば、あの石の蔦を切り裂いてここから出られる……かも知れない。
私はそれの柄に両手を掛け、力を入れて水平に引き抜く。
ガッ、クゥィィ、
が、あまりにあっさり抜けてしまい、ありったけの力を込めて一気に引き抜こうとしていた私は体勢を崩し、
ザバァァ……。
尻餅をついてしまった。腰から下が、水浸し……。
抜いた剣を持ったままゆっくりと起き上がった私は、クレーター底部中央の剣の刺し痕穴から、私が剣を抜いてから起き上がるまでの僅か数秒で、溜まった水が抜けていくのを見た。
だが、その穴の大きさはどれだけ大きく見積もっても、せいぜい2平方センチメートル程度。
そんな小さな穴からどうして、干乾びた地面に沁み込むような速度で、溜まり始めていた水が飲み込まれていったのか不思議でならない……。
抜いた剣を、付着した水を払うために、一度素振りする。付着した水を弾きながら、剣は鋭い風切り音をあげた。
刀身に一切の欠けが無いことを確認した。ぱっと見たところ、刀身部分130センチ程度、柄部分20センチ程度。そして、振った感じでは、重さは1キロを切っている。異様に軽い。
上から差す深緑色の光に翳すと、エメラルドグリーンに刀身が輝いた。
美しい。
そんな月並みな感想を頭に浮かべながら、光の当たる角度を変えながら色の鮮やかさを私は楽しんでいた。すると、光を当てる角度によって、刀身に何か文字が浮かぶことに私は気付いた。
なぜそれが文字と直感できたかはわからない。私の知らない文字なのだから、それは。しかも、そうはっきりと見れた訳でも無かったのに。だが、それが見間違いとは全く思えない。
だから、角度を調整し、しっかりと文字が見える角度を見つけた。剣を上に向けて、斜め45度に傾け、剣の腹を上側にして、私の体に対して垂直方向に光を当てれば良いようだ。
今度はよく見える。だが、やはり……、読めない。
刀身の隅から隅まで文字のようなものが浮かんでいる。むなむにゃな線みたいなものの集合体のようなものが、だいたい同じくらいの大きさで、上から下、右から左へ並んでいる。時折同じものが出てくることからも、間違い無く、これらは文字だ。
この世界は私の知らない世界なのだ。常に私が読める文字ばかりが出てくるとは限らない。むしろこれまでが恵まれ過ぎていただけ。
《[ "言の葉の細薄突剣" を手に入れた]》




