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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第一節 精神唯存揺篭 ~招きの渦沼~

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精神唯存揺篭 黒渦溺落 石の鳥籠 Ⅰ

 何だ、これは……。


 "safety"の台座の先の対岸へと伸びた道。


 台座から10メートル程度進んだところで、私は困惑して立ち尽くしていた。その原因となるものは、私の足元その一歩前と一歩後ろ、いや、私の足元の地面を覆うように周りに広がっている。


 グゥォォォッォォォォォ――――。


 それは、風巻き起こし、光と空気を吸い込む、黒い大きなうず


橋の上に突如現れたそれは、半径30メートル程度で、高さは数センチ程度しかない、黒いうず


 うずが発生してからは、向こう岸どころか、うずの先の道すら見えなくなっており、うずの径からして、飛び越えることも無理そうだ。


 幸い、このはかない橋の上にいる私の体勢を崩したり、じりじり吸い寄せられたりする程にその吸引力は強くは無い。だからこうやって、私は今、進退を保留して、どうしようか考えを巡らせられているのだ。


 一体、どうすればいい……。


 冷や汗が鼻筋を伝って流れ、落ちる。するとそれは、うずに引っ張られるような軌道を描き、渦に吸い込まれ、消えた。







 しばらく考え込んで数十分程度経過した。だが、目前のうずは消えてくれる気配は微塵みじんも無い。勢力を拡大することも縮小することもなく、安定して存在している。


 じっとしているか、進むか、退くか。その三択から、じっとしているという選択肢が消える。


 私は引き返そうとかかとひるがえし、一歩進んだところで――――ザッ!


 風渦巻く音が消えた。


 そして急いで再び踵をひるがえし、渦があった方を見ると――――グゥィ、グゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 私は黒い竜巻の中心にいた……。


 やられた……。囲まれたのだ。


 こんなことならもっと早く退いておくべきだった……。そう後悔してももう遅い。


 黒い竜巻は、私を中心をどこまでも高く、厚く、吹き荒れる黒い無数の線のような風で覆っていた。私の足元から凡そ、半径30センチ圏内は無風圏であるようで、私は今のところは大丈夫だが、これはもう……。


 決めた。


 だから私は一か八かで、渦を突き抜けて向こう側へ到達しようと、思いっきり前へ向かって飛び出した。






「ブクブクブクブク、ぶぼぉぉおおお」


 私はおぼれていた。


 だが、苦しい訳では無い。だから私はおぼれつつも、さく乱はしていなかった。


 ただ、それでも。空気を失ったら流石にこの世界であろうが不味いだろうとは予想はつく。私の意志に反して、空気が肺から吹き出して、水が少しずつだが入ってきたりしているから、おぼれている、と判断している。


 実際の状況は、時計回りに大きく円運動するように流れる多量の水の中で、流されるように漂流している。そんな感じである。


 私は黒い竜巻を突き抜けられなかったのだ。しかも、その黒い竜巻は見掛けとは全然違うものだったらしく、唯の風では無かった。


 黒いぼく汁のような大量の線が縦横無尽に、まるで生きているかのように走り回る、透明な大量の水の層だったのだ……。向こう側が見えないくらいの。そして、後ろの無風圏、いや、無水圏も、すっかり見えなくなってしまっていた。


 何か、思考がぼやけてきたような……そんな気がしてくる。そう大量に空気を確保していなかった私がそうなるのは当然のことだった。時計回りに回転するような激流の中であり、私はその流れに抗えない。わずかに浮上することすらかなわない。


 流されていきながら、下に下に、沈んでいっているような感覚がする……。自身が回転させられる径が少しずつ小さくなっていき、回転速度が上がっていっているような……。


「ぐぼぼぼぼぼ」


 今()き出されたそれは、最後の空気。もう、駄目だ……。水が、口の中に流れ込んで……。


 一瞬、イメージが頭に浮かぶ。蟻地獄。最初見た、あの黒い渦。あれに私が足を踏み入れ、成す術無く、沈んでいくイメージ。


 ここは水中だろう、が……。


 そう突っ込んだところで、私の意識は消えた。






 ……。


 …………。


 ……、ん? 生きているのか、私は?


 体も服も、一切濡れていないようであることは、目を開ける前である今でも十分、分かる。だが、あれは夢では無い。夢だとは到底、思えない。幻の類でも無い。確かに私の身に起こったことだ。


 まあ、死ななかった。無事だった。だからそれでいいではないか。次から気を付ける。それが私がこのことから得られる唯一の教訓。それ以外は、後悔しか生まない。


 そう割り切って、私は立ち上がった。体に一切に気(だる)いような重さは無い。夢だったのだろうか、さっきのは……。


 そうやって、自身の出した結論に早速反旗をひるがえしつつ、私は周囲を見渡した。






 アーチ状の遥か頭上の天井から深緑色の深い光が差す。そこは、荘厳そうごんかつ神秘的で秘(とく)されているかのような場所。


  秋の雨上がりのような、程良い具合のひんやりした風がどこからともなく吹く。庭園とは違い、ここには温度と湿度と空気の流れがちゃんと存在しているようだ。


 地面は半径数十メートルの真円。私が転がっていたこの辺りは、その円の中央。半径1メートル程度の、高さ数センチ程度の円柱のようになっており、周囲よりも少し高くなっている。


 私はそこから降りることなく、周囲を見渡していた。


 壁、床、天井は石でできているようだ。とはいえ、材質は不明。だが、触れて調査しようとは思えない。当然、においをいでみようとも思えない。その表面を、有色の液体が流れているからだ。


 わずかばかり、青が強めの青緑色の光が、モザイク状に、数秒ごとにパターンを変え、点滅しているかのように見える。


 一応、この点滅と放たれる光の揺らぎから有色の液体と判断した。まるでその光は生き物のように空気との接触面を浮遊し、下向きに光が引き伸ばされていたからだ。


 吹いた風が湿気を含み、ひんやりしていたのは、これらの液体によるものではないかと私は推測した。






 ゴォォォォォォオオオオオオ!


 時折不規則に、吹き下ろすような、そよ風ではないが突風でもない程度の風が吹き下ろすのだ。恐らく、天井から。


 もう何度も吹いている。


 壁や天井や床のには、幾何学模様が刻まれている。それらは個で見ると、図形と繰り返しによる、装飾。大きさや向き、太さの違う数々の図形。


 未だそのわずに周囲より高いだけの円形台の上から降りてはいなかった。しゃがみ込んで、真近でその模様を見つめる。相変わらず、手を伸ばして触れる気はどは毛頭もない。


 丸や三角や四角だけではなく、円や星や六角形など、無秩序に重なり合っている。ただの線や点といったものもついている。私の知識の中にある様々なシンボルマークといえるものも刻まれている。


 これらが無秩序に刻まれたものなのか、何か意味があるかは、今の地点では判断できそうにない。


 私の中の知識は、どうやらそっち方面、芸術学、象徴学、形而学、言語学方面ではそう充実していないのだろう。


 これらにどのような意味があるかの推測一つ、立てられないのだから。仮の意味一つ、見出せないのだから。


 立ち上がり、遠くの壁面の模様を見渡す。模様の群れがぼやけ、束なって見え、壁というキャンパスに引かれた線のように見えてくる。


 模様の群れを線に見立てて、全体をぐるりと見渡して、目をこすろうとしたところで私は気付いた。


 この場所が、知識の中にある()()()()()の形と合致した。


 それは、鳥(かご)


 深緑色の水幕で覆われた、石の鳥(かご)


 まるで、自身が何かに囚われたかのように感じられる。この場所で目を覚ます前の出来事もそのイメージに強く起因しているだろう……。






 もうこの場で突っ立っていてできることは無い。


 念のために、自身のくちびるの皮を1平方センチメートル程度噛み取り、パッチ代わりにして、別に足を踏み出しても問題ないと判断した私は、今私が向いている方向の壁にある、この場所の、天井以外の唯一の開口部へと歩いていった。


 ビチャ、ビチャッ、ビチャッ、ビチャッ。


 出入りのための口は、正面に見えるその門のような構造物しかない。


 私の背の3倍程度の大きさの門。壁と同じ素材でできた、植物のつたかたどった構造物がその入り口をふさいでいる。


 その石のつたは、数十本が門の枠の上部で束ねられている。


 人の形をした石像によって。


 それは、ウェイブした腹部まで届く髪をした、エキゾチックな顔つきの女性のモチーフ。その四角い門の枠の上部から上半身を乗り出すようにしている。門の裏側に立って、門の上部に両手を組んで、その中央上部に頭を頭を置いて正面下部を向いているのだ。


 その女性像の目は二重で、じとっとしているにも関わらず大きめであり、門の前方数メートル地点を見下ろしているように見える。


 今にも動き出しそうなやく動感があるが、威圧感や嫌悪感は一切感じない。()は美しいとはいえ、その眼前に立つのがはばられるような神々しさは無いからだろうか。


 これだけ美しいにも関わらず、それでいて実在していそうな、神々しく無いという意味での親しみやすさを感じる。


 自然とめ息がれた。私はこの美しい像の女性に了されているのだ。


 そして、警戒心がすっかり薄れていることに気づき、はっと我に返る。


 私はこの女性像を、彼女、と、人間のように表現していた。それほどまでに、どっぷり了されてしまっていたのだ……。


 気を引きめた私は、たとえそれが動き出しても大丈夫なように、女性像に視線を合わせたまま、ゆっくりと門の前へと近づいていった。

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