原始の箱庭 人肉臓骨血殿 人形保管庫 広大地平別景 Ⅰ
私はまず、弓矢を出した。
目標までの距離は凡そ、100メートル程度。この弓矢、その特性故か、飛距離がおかしい。これよりももっと距離があったとしても、軽く放つだけで、届く。失速することなく、ぶれることなく、真っ直ぐ、到達するのだ。
尚、ある程度距離が無いと、風を纏う前に着弾してしまう。
私は決闘条項四を根拠に、自身の正面左寄りに並ぶ数百の人形たちに向けて矢を構える。
これこそ決闘条項四の狙い。人形の数をできる限り減らす。
あの悪魔が死に、人形たちが命令では無く、自由意志で私を襲ってくる可能性は否定できないのだから。悪魔が人形たちに指示を飛ばさなくとも、人形たちが勝手に攻撃に加わるとなれば、結局1対1にはならない。悪魔がそれを止めない可能性も十分にある。
それが主目的の試し切り。そう称して見渡す限りの人形たちを処理する。
弓矢の弦の引き加減による威力の増減実験も兼ねている。まだ禄に検証できていなかったからだ。
あの悪魔は、心は読めないとはいえ、勘は鋭い。唯の嘘だと、ばれる。だからこそ、私はそうやって、試し切り、という表向きの名目を作ったのだ。
キリリリリ!
先ずは、30センチ。私はそれを放った。
放たれた矢の効果に私は歓喜することになった。
その矢は、弓から放れた途端、サッカーボール程度の視認できる薄い緑の色のついた風の層をその周囲に形成し、先頭の人形に当たる。
すると、風が爆発的に増幅し、その地点を中心とし、竜巻のように吹き荒れて即座に円状に広がっていき、距離の離れた私の足元が少々、着弾地点に向かって、数センチだが引き寄せられた。
はやり、危険物だな、これは……。
念のため、足腰をお留守にしかなった自身の用心深さに私は感謝した。
視界が緑の風で遮られる。数秒でそれが止むと、目標とした人形の人垣方陣の周囲の他の数個の方陣も纏めて消滅していたからだ。
人形にもこれは、効く。そして、接触点からかなり離れた対象であろうとも、吸い寄せ効果によってか、纏めて殲滅できる。
これなら、回避されることを前提に敵の近くに着弾させ、巻き込むようにぶち当てることも可能だ。
矢は、最初の人形に当たった地点に落ちていた。どうやらこの矢は遠距離広域攻撃が可能らしい。
取り敢えず、この矢は、私を自爆させはしない。それは分かった。というのも――――私の足元は、球の斜面のように、抉れていたからだ。
つまり、この場所も効果範囲だった……。この弓矢が、発射した者を対象外と認識する仕組みがあったようだから助かった……。
ぞっとする。
流石に、跡形も無く消滅なんてしてしまえば、精神云々関係無しに、ここで私は終わっていただろう。
今更ながら、冷や汗が吹き出してきた。そして、手が、震えていた。
一度震えが落ち着いてから、私は引く強さを様々に変えながら、矢を次々に放った。どうやら効果範囲の拡大は考察通りらしい。
どうも慣れない。心がざわつく。このような武器、人が扱っていい類とは思えない。落ち着くため、周囲を歩き回りながら、私は頭を動かした。
どうやら、弓から放たれた矢の特殊効果の範囲は、引かれた強さに唯比例して伸びていく訳では無いらしい。加速度的な範囲拡大をする、と考えておくことにした。
巻き添えにはならないとはいえ、効果範囲内にいれば、風で視界は奪われる。その間、私はある意味無防備ともいえる。視界が悪く、周囲を中央に向かって吸い寄せる力場の中でも範囲内を自由に動くことができる程の相手であれば、これは隙にしかならない。
威力は申し分ない。だが、これは私がこの後対決する悪魔には効かない可能性は高い。直接狙っても、無効化される。不意打ちで狙っても効くか怪しい。
あの風が発生する前に止められたように見えたのだから、風さえ発生させてしまえば、何とかなるかも知れないが。
そんなことを考えつつ、ふと私は悪魔が置いていった砂時計を見た。そういえばこの砂時計も風の効果範囲にあったにも関わらず、無傷だ。
それに、砂時計の下の地面も抉られておらず、無事。
それを見て、結論付けた。
この矢は、あの悪魔には無効。そして、他の悪魔にもきっと、効かない。
砂時計の砂は、全体の10分の1もまだ落ちていない。
次に私が試したのは、またしても弓矢。
砂時計を目印にし、最初に矢の実験をした辺りを基点として。弦を限界、1.5メートル程度まで引き、構え、見据える。
視界右側遠方、恐らく、500メートル以上先。人形たちの陣の展開右斜め前に並ぶ人形の集合体を狙う。大きさからして、50は下らない人形の陣が複数並ぶ、悪魔が配置していった人形群の塊の終端ラインである外縁部。
それらを消し飛ばすついでに行う実験。
私は限界まで弦を引いて、水平に矢を放った。私が確かめたいことは、以下の3つである。
1つ目。平行射撃での限界射程。矢の失速は本当に無いのか。どこまでも真っ直ぐ本当に、落ちることなく進んでいくのか。
2つ目。纏われた風がどれだけ遠くを目標にしたとしても持続するか。遠くを目掛けて飛んでいく際に散ってしまわないか見るため。
3つ目。あの矢以外で代用しても、矢と同じ効果は見込めるか。
"灰色の小石"。それを引っ掛けるように引いた弦から、私は手を放した。
私は起こった結果に度肝を抜いた。地面につっ伏した状態で、目を見開いて、起こった出来事を分析しようと試みていた。
矢は見えていた範囲では減速する様子なく、風を纏っており、見えなくなって、数十秒。
流石に、延々と飛んでいくということは無かったか。それに、竜巻を起こしての消滅現象も起こらない。
そう思って、踵を翻して砂時計の示す残り時間を確認しようと思ったところで、
ブゥオオオオオオオオオオオオオオゥゥウゥゥウウンンンン!
矢と反対方向を半ば向いていた私の視界はすっかり、緑色の無数の線のように見える風で視界を包まれ、その音とともに―――――浮かび、吹き飛ばされ、滅茶苦茶にぐるぐる回転しながら宙を舞い、
ガッ、
「うっ、ゲホッ、ゴホッ!」
背中を強く打ち、思わず何か、胃から湧き上がってきて、咽せた。
ガッ、ゴロッ、ゴロゴロ、ピキッ、コロゴロゴロ……。
受け身など取れず、地面に転がったのだから。
そして、突っ伏した状態の私はぐらぐら揺れる視界を持ち上げ、それの発生源らしい方向を見たのだ。
今度は、地面は一切抉れていなかった。それどころか、痂疲一つ無い。無傷。だが―――――――私が石を矢代わりに放った方向から左右90度、つまり、前方全ての人形が、数百ではきかない、数千、いや、下手をすれば万にも及んだかも知れない程の数の、突っ立っていた人形たちが、跡形も無く消えていた。
新たに生まれた疑問を解くため、私は起き上がり、次の検証へ取り掛かる。
残っている後方180度側の人形たちのうち、左奥の陣に向かって石を矢代わりに放った。今度は、普通なら、ぷにゃりと矢が落ちるであろう程度、10センチも弦を引かずに。
びくりと怯えつつ、弦から手を放した。
すると、とろい速度でそれはまったくブレもせず、一切回転することもなく、真っ直ぐ等速に飛んでいく。私の歩く速度より早いが、走る速度ほどではない。私はそれを走って追い掛ける。
それは何ともへにゃへにゃで、しょぼかった。
私は胸を撫で下ろす。流石にこれだとそう不味いことにはならないだろう。
そう思った私はそれが人形に着弾するところまでうっかり、並走してついていってしまっていた。
流石に、少し離れないと不味い、か? ……、いやまあ、大丈夫だろう、流石に。
強力な風で視界を奪われると思いきや、風はとても弱弱しかった。そよ風が周囲にゆるく吹いただけ。人形たちはびくともせず、矢は着弾点である、最前列中央部の中型痩身の女性型の人形の貧相な胸を指で押す程度にだけめり込み、止まっている。
これまでは矢となるものの速度が速くて分からなかったが、着弾直後からの様子が分かった。矢は、何かに当たると、そこで静止し、溜め込んでいた風を放出する。
そして、私の足元と私を突き飛ばす程度の力で吹き飛ばし、その人形の所属している陣を消し飛ばした。
流石に油断し過ぎていた。根拠も無しに、警戒心を捨て、すっかり油断していた。私の頭は、予想を超える事態の繰り返しに少々付いていけなくなっていっていたのだろう。
すっかり逃避気味に腑抜けていたことを自覚し、私は頭を冷やした。
矢として飛ばすものによって、効果が変わる訳では無いらしい。先ほどの極大の一発で地面に全く損傷が無かったのは、足元全てが消え去ることになる程の損傷を地面に与えることになるからカットされたのだろう。
試しに、斜め下に矢を放ってみたが、床に弾かれて転がるだけだった。石を矢代わりに放っても同じだった。
あと、先ほど弓矢の効果で抉った地面全ては、元通りに再生していた。
そうして私は、弓矢の実験を終えた。
あとは、何か試したいことが浮かんだときのために、手近の2個程度の方陣単位で人形群を残しておき、あとは消し去ってしまうことにした。
矢でなく、石ころなら、放った後に回収しなくとも別に問題ない。またその辺で拾えばいいのだから。
だから私は手持ちの石を矢の代わりにして、吹き飛ばされない程々に弦を引き、手近の2つの人形方陣以外を消滅させた。
近くから消滅させていき、石を回収しつつ、最後は強く一発放って一掃した。だから結局、回収しない程遠くにいってしまった石は2つだけ。
"灰色の小石"の残数は11個。
拾いに行かなかったら消費した扱いらしく、ストック数はそれが全部だった。だから急いで先ほど放った矢を回収し、砂時計の近くまで戻ってきた。
砂は半分程度、落ちていた。




