原始の箱庭 人肉臓骨血殿 人形保管庫 Ⅱ
それは、筋肉隆々な悪魔だった。これまで見たどの悪魔とも趣が違う。
身長は3メートル程度。幅と厚みがとにかく、凄い。一糸纏わぬゴリラのような背格好。靄の類すら纏っていない、灰色の光沢のある彫刻のような皮膚に、獣のような密度の黒い体毛。
そんな、全裸の悪魔。局部は無い。悪魔だから性別は無いというところは変わらないらしい。
翼は無く、角もない。顔は基本人間ベースで、スキンヘッドで鼻は広く低く、白目ならぬ赤目を剥き、耳は尖っている。顔は体に比べて小さく、首周りの筋肉の異様な発達具合が際立つ。
最大の特徴は、尻尾があること。槍状の先を持つ、非常に長い尻尾。体に隠れており、しかも湾曲しているため、正確に長さは測れない。とはいえ、こいつの全長よりも遥かに長いことは確か。これがこいつの武器なのだと。
見るからに、脳筋。先ほどこいつが私に言った言葉からしてもそれは確か。だが、それでいて、純然たる力馬鹿という訳でも無さそうである。
すぐさま私の前に姿を現さなかったのは、私の出方を見ていたからのようにも思える。
そして、私の切り札をあのように無力化するだけの力、もしくは手段を持っている。そして、人形相手であれば、数体纏めて瞬殺するだけの戦闘力は最低持っている。
私を心底震え上がらせ、跪かせるような圧は持っていないが、恐ろしい相手であることは間違いない。
ただ、単純に手強い、私より圧倒的に戦闘力がある相手、なのだ。ただそれだけ。私に何もさせない程、どうしようもない相手では無いのだから。
私にとっては、先ほどの臓物の通路の方がずっとずっと、どうしようも無い。そうやって開き直って、私は肉刀を構えた。弓矢はこいつには効かないのは確定しているのだから。
睨み付けるかのように、正面の悪魔を見据える。
「【返答すらできぬのか。まあ、構わぬ。……、ああ、そうか。汝、意味持つ言葉を紡ぐ術を持たぬらしいな。】」
今ので二つ分かった。
一つ目。この悪魔は心が読めない。
二つ目。悪魔間で情報は共有される。リアルタイム共有ではなく、情報を読み取る作業が必要。
「【我は"本能"の眷属、"闘争"の悪魔。我が力見せてやろう。今度は見えるようにゆっく《・》りとやってやろう。】」
名の通りの悪魔……。脳筋だ、やはり。
悪魔は自身の尻尾を片手で後ろ手に掴んだ。そして、私のすぐ傍の地面に向かってそれを振り抜く。
すると、気付けば、私のすぐ横に、槍が貫いたような孔が形成されていたのだ。悪魔の立ち位置が私の一歩の距離だったとはいえ、それはあまりに素早かった。刺さった瞬間も、抜いた瞬間も、手元に戻った瞬間も、一切見えなかったからだから。
不味い。策もクソも無い。こんなの、正面切って対峙した地点でアウトだろうが……。
額から汗が流れ出す。握った拳の中はもう水浸しだ。だが……、
「【この程度も見えなかったか。とはいえ、何をやったかくらいは分かっただろう?】」
分かった。確かに分かった。理解した。正面から対決することを何が何でも避けなければならないということが。
こいつは脳筋思考だが、武人思考でもあるらしい。少なくとも、話は通じる。つまり、手はある。
搦め手か不意打ちがベスト。次点で、ルール付きの決闘、但し一対一。それ以外の形式だと、私に微塵の勝ち目も無い。
これでこいつが読心能力を持っていれば詰んでいた。そういう意味でも目はある。
問題は、ジェスチャーが通じるかどうかと、こいつが文字を読めるかどうか。
通るか?
私は肉刀を仕舞い、右手をパーの形にして、手首から先を真っ直ぐ立てて強く差し出し、静止のジェスチャーをした。
「【よかろう。】」
通じた……のか? こいつは臨戦態勢を解き、腕を組んでいる。
では、次だ。こいつのこの状態がいつまで保つか分からない。だから、とにかく、急ぐ。手汗をさっと、ジャケットで拭い、空間から紙片と筆記具を出し、両膝を地面について、左手で紙片を抑え、素早く文字を書き連ねた。
【以下の文字の内容が読めるか? 私は貴様と決闘がしたい。条件を詰めよう。】
それを悪魔の方向へ差し向けるように地面に置き、念のため私は数歩下がった。そして、肉刀を再度構え、その紙を読めと、ジェスチャーする。
高鳴る心臓。手に汗握り、私は成否を見届ける。
どうだ?
悪魔はそれを、端を摘むように持ち上げ、手に取り、目を通す。そして、
「【ふはははははは、我は見誤っていたようだ。謝罪しよう。姑息な愚か者呼ばわりしたことを。】」
取り敢えず、通じたらしい。
「【汝の申し出。認め、受け入れようではないか。汝は、知恵を振るう勇敢なる闘争者なのだから。ふはあはははは、ふはははははははは!】」
そして、お気に召したらしい。
悪魔は実に嬉しそうに、豪快に高笑いしながら私に手を差し伸べてきた。私はその手を握り、握手を交わした。
ここまで上手くいくと、かえって拍子抜けする。だが、ここは、素直に喜ぶべきだろう。
交渉の結果、10の決め事が成立した。双方の確認の意味も込め、悪魔が私の筆記具を握り、悪魔に用意させた紙にそれを書き込ませている。私の紙片は書いた文字が時間経過で消えていくのだから、契約書として意味を成さない、完成させられないからだ。
これらの決まり事が、決闘のルールであり、私と悪魔との契約である。
【一。我と汝、個と個の決闘。邪魔立ては一切入らぬ。】
【二。汝、所持するあらゆる武器防具、道具の使用を許される。我、使用する武器は肉体のみ。】
【三。開始は今から汝の概念でいうところの1時間後。】
【四。開始時間まで、汝の求める試し切りの機会を与える。十全の状態で我と対峙すべし。】
ここまでが決闘を成立させるための条件。これ以上細かいところを詰めなかったのは、ルールの隙を突くため。
そして、残りは決闘の決着の条件とその後について。
【五。汝、我に勝ちし時、この決闘で受けたあらゆる傷が完治する。】
【六。汝、我に勝ちし時、我が主の居る王座への道を開こうぞ。】
【七。汝、我に破れし時、その身と心、我に捧げよ。】
【八。勝利条件は、一方の降参、若しくは、死、つまり消滅。】
【九。汝の降参は、武装解除の上での土下座。勝敗が決するまで勝負は続く。】
【十。汝の勝利条件もしくは敗北条件が満たされることで、五~七のうち条件に合うものが自動実行される。】
五以降の決まり事については、五と六の、私の勝利報酬と、九の私の降参の条件のみにしか私は口を出さなかった。残りは悪魔の要求を呑んだ。どれもこれも、そう酷い要求では無かったというのもあるが。
そこから見えてきたものがある。どうやら、この悪魔は自身が負けるということを全く想定していない。この悪魔自身の敗北条件が入っていないのだから。それに、六のような決め事が成立してしまっているのだから。
そして、私を殺すつもりはあまりないようだ。あっさり死んでしまえばそれまで、とでも考えてはいるだろうが。
つまり、それだけこの悪魔には自信が、慢心があるのだ。
この悪魔が思いついた条件を私に提案する際、私はそれを言葉を少し変換することで、言い回しをいじることで少しずつ意味をずらし、ルールの穴を作り出した。
これらの決め事が契約である以上、悪魔であるこいつはそれを破れない。そして、私が幾重にも仕掛けたルール上の罠にこの悪魔は気付いていない。
私は心の中でほくそ笑みながら、唇を噛んで、血の捺印を親指で紙の右下に捺した。すると、その薄灰色の紙は地色を鮮血の色に変え、黒い炎を全体から出して塵と消え、半々程度の量に分かれて私と悪魔に向かって浸透していった。
「【契約、成立だ。】」
悪魔がそう言うと、
ブゥオン!
そのような音とともに、視界が一瞬真っ暗になって、四方八方に壁の無い、広い広い、薄灰色の空間にいた。
床は先ほどと同じまま。ただ、それがどこまでも広がっている。
先ほどの場所よりはかなり明るいのだろうか? 視程は数キロ先まである。灰色の背景がどこまでも広がっているせいか、あまりそのような気はしないが。
遅れて悪魔がすっと姿を現す。
「【ここが汝と我との決闘の場だ。一時間後の、な。】」
悪魔が天に手を翳し、降り下す。すると、
ブゥォオオオオオンンン、ビキビキビキビキィィ!
空から突然、巨大な砂時計が降ってきた。全長10メートル程度のやたらと巨大な砂時計が。影のような、靄のような物質でできているようだ。砂の役割をしていたのは、白い粉のようなものだった。
「【この砂が全て落ちきったら1時間だ。汝、全力を尽くすため、悉く不可解を潰し、備えるがいい。】」
悪魔は今度は、パチン、と指を鳴らした。すると、大量の人形がもわり、と現れた。ぞっとする。何体いるのだこれは……。
幾つも正方形を作るように、人形たちは大小様々な方陣を組むように、不動で並んでいるのだから。
その数は、先ほどの部屋で見たよりも遥かに多かった。
「【試し切り用だ。好きに使うがいい。そして、安心せよ。我はこの場から、勝負が始まるまでは離れておく。瞳を閉じておく。瞑想するのでな。では、汝も準備に励むと良い。私もそうする。では、1時間後を楽しみにしているぞ。ふはははは、ふはははははははは!】」
そう言って、悪魔は私の前からすっと消えた。




