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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第二章第五節 原始の箱庭 ~禁忌を犯した者~

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原始の箱庭 人肉臓骨血殿 人形保管庫 Ⅰ

 臓物臭を主とする血生臭さなど微塵みじんも無い場所に私は立っていた。


 私は呆然ぼうぜんとなって、しばらく、固まっていた。


 放心状態から戻ってきた私は後ろを見る。確かめる。私が通ってきたあのおぞましい通路は跡形も無く、後ろにあるのは、唯の白い、生もの感皆無の、白い真っ直ぐな、無機質な、壁。


 だが、未だ私の体に残る血肉臭と自身の吐瀉としゃ物の臭いと、べとりと汚れた靴とスラックス下部の汚れが、直前までの出来事をなかったことにはさせてくれなかった。


 だから念のため、それ以上後ろへは一歩たりとも下がらない。






 ここは、前へと真っ直ぐ伸びている長い通路。その行き止まりであるらしい。


 周囲は白い壁。天井は先ほどの場所と同様、見えない。はるか頭上には、闇が広がっている。


 薄暗くは無い。とはいえ、明るくも無い。だから視程は20メートル程度。


 道幅2メートル程度のこの通路がどこへつながっているか、先ほどのように行き止まりになっているかは分からない。


 閉じ込められていなければいいが。


 私はそんなことを考えつつ、前へとゆっくりと歩き出した。


 カッ、カッ、カッ、カッ――――。


 低い反響音が静寂せいじゃくな周囲に響き渡る。


 あの狂気の空間から出ることができた私の精神はだいぶ落ち着いていた。だから逃避せず、この場所が何でできているか予想しても気持ち悪くはもうならなかった。


 この壁も床も。人の骨を成形したものからできている。


 どうしてそんな考えが浮かんだのかは分からない。だが、そうだと思ってしまうと、もうその通りだとしか思えなくなってしまう。


 壁に手を触れてみた。すると、ざらっとしていた。表面は適度に凹凸がある。だが、指先でさっとなぞってもその指に傷がつくほどではない。


 爪でこすってみると、


 カリィィッ!


 あっさり跡がつく。


 間違い無く、この壁の原料は人骨だ。ボーンチャイナならぬ、ボーンウォール。


 とはいえ、別に私は何ともない。先ほどみたいに取り乱すことなど、この程度ではあり得ない。


 鼻につく臭いは無い。足元から気持ち悪い体温は感じない。うごめくように脈打っていない。何やら吹き出してはいない。


 だから、右も左も足元も、人骨の粉を成形して造られた面で囲われていようが、気にはならない。この前の場所がひどすぎた。ただそれだけ。






 そうして、比較的穏やかにぼうっと歩き続けた私は、ようやくくその通路の終わりへと辿り着く。そこは行き止まりでは無かった。次の部屋へと続いている。


 その部屋の中の様子は、ここからでは不自然なまでに見えない。出口まで5メートル程度の距離。見えるはずなのだが……。

 何かある。間違い無く。


 私は肉刀ナイフを右手に構え、警戒しながら徐々に前へと進んでいった。部屋の直前地点であっても部屋の様子は出口から1メートル程度までしか見えない。


 だが、じっとしていても仕方ない。威圧感も感じない。物音もしない。変な臭いも無い。風の流れも無い。


 だからその部屋へと足を踏み入れた。






 すると、部屋全体が、光源など無いにも関わらず、明るく均等に照らされる。


 そこは、一辺30メートル程度、天井は見えないほど高い、もしくは無い。そんな部屋だった。壁も床も、通ってきた通路と同じものであるらしい。正面奥には、幅4メートル程度の通路が口を開けている。左右には扉や通路の類は無い。


 だが私は、足を前へと踏み出せなくなってしまっていた。


 もう大概の恐ろしいものには耐え切る自信があった。何があろうとも、先ほどまで居た場所と比べればまし。そう思っていた。つい今さっきまでは……。


 勘弁かんべんしてくれよ、もう……。


 そう心の中で弱音を吐き、鳥肌を立てて、ぶるぶるがくがく震えていた。


 辛うじてひざはつかない。だが、動けはしない。逃げることも、突っ切ることも、できはしない。


 グゥィイイイイ、ベキベキベキ、ゴォォォォンンン!


 その音に反応し、私は一瞬だけぱっと振り返り、すぐさま前を向いた。


 退路が消えた。まあ、あれは、行き止まりかも知れず、退路に成り得ないかも知れないが、時間稼ぎや、何か戦術として使える程度には役立ちそうだった。


 そんなことよりも、今目の前にいる、()()()()……。二度と見たくは無かったのに……。


 ほほを一筋の汗が流れる。


 私が進むべき通路の前。縦に横にずらっと並んだ、大量の人形たちが、静止状態で突っ立っているのだから……。


 横に数百。それが、3列……。あの扉のよりもずっとずっと多い……。そして、あのときと違って、逃げ場は無い……。


 これらに、触れずに触れられずに、無傷で突っ切るには?






 あれしか無い、か。


 周囲が崩れるとか、気にする余裕などない。あの弓矢を使うしか、無い。だが……。この震える手で、辛うじて立っているだけの足腰で、ちゃんと、引ける、のか……?


 肉刀ナイフを仕舞ったのに、そうやって私は躊躇ちゅうちょして弓矢も出さずにいた。


 そうして、一方的な先制攻撃の機会を私は逃すこととなった。


 グゥオオオオオオオオオ!

 ギシャァァァアアアアア!

 ブハブハブハアアアアア!

 ギャキャアア、ギャキャアアア!

 イィィィィィィ!


 静寂を切り裂いたのは、人形共が発する声だった。それも複数。少し高く響くような、少しずれて重なりあう叫びの音たちが、私の正面180度からぶつかってくる。


 ペタペタペタ。

 ベタ、ねちょり、ペタ、ねちょり。

 バタバタバタ、バタバタバタ。


 次々と動き出す人形たち。ただ、それには時間差があるようだ。先ほどの叫びの音によって、かえって私は落ち着いた。


 とはいっても、まだ手も足も震えている。大雑把には動けるが、細かい動きは無理。


 私はスコップを出し、両手で握り、構える。大人数の相手。ある程度射程があり、大雑把な動きであっても複数を攻撃できる。そんな条件に当てまるものは、これしか無かった。






 私はスコップで応戦したが、すっかり囲まれていた。庭園の時と同じ展開。だが、あのときと違って、指揮官の類は居ないらしい。


 人形たちは歩調をそろえず、バラバラに私に色んな方位からおそい掛かってくる。


 一度に同時におそってくるのがせいぜい3体程度で、囲いの輪もかなりいい加減で数十メートルの広さ。


 だからこそ、しのげている。今のところは……。この輪は徐々に狭まってきている。


 ペタペタペタ。

 ベタ、ねちょり、ペタ、ねちょり。

 バタバタバタ、バタバタバタ。


 私を襲う出番でないらしい人形たちは、その間距離をのっそり縮めてくるのだから。だからこれは、どんどん狭まってくる、死に至るとげのついた檻だ。


 とはいえ、私はそう悲観的では無かった。体の震えはすっかり収まっている。今なら放てる、矢を。


 問題は、いつ放つか、ということだ。全体をひるませられれば何とかなりそうだが。だから私は賭けに出た。このままではジリ貧。




 それは唯の思いつき。だが私は、この手は効かないとも思えない。それなりに根拠もあった。


「ああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ、がぁああああああああ!」


 と、腹の奥からおもいっきり、私は叫んだ。


 すると、人形たちは、びくびく動揺する。


 この部屋は広いとはいえ、ほぼ、閉じた部屋だ。そして壁も床も、矢鱈やたらに音が響く。そして、人形たちの目は白目であるが、それでも私の様子を明らかに把握している。これまでも、今も、そう。


 だから耳で周囲を知覚しているのではないか、と私は思ったのだ。ともなれば、これは効かないはずが無い。


 そして、すぐさま弓を出し、矢を、弦を、20センチ程度引く。狙いは当然、あの通路の前の人形たち。あれらを粉砕する。多少残っても、矢が通路を多少なりとも破壊し、崩す。その瓦礫がれきで処分できるだろう。処分はできなくとも、足止めくらいにはなりそうだ。


 "原始の弓"の効果。それは放った矢もしくはその代わりとしたものを中心に、目視できるくらいに高密度の、周囲を後方以外吸い込む緑色の風を巻き起こし、球のようになる。それが何かの衝突すると、その着弾地点から半径数十メートルを球状に消し飛ばす。()()()()()()()()()、だが。


 屋外でテストしてみて、持ち得る力の限り引いて放った結果、オアシスの一つを、湖ごと地形を跡形も無く、消し飛ばすという結果をもたらしたことは未だに目に焼き付いている……。


 周囲一面消し飛ばす訳にはいかず、私はそこでテストを終えたのだった。


 とまあ、これは今の私の最大の切り札。


 私は手を放し、矢を放った。






 っ……。


 矢が、静止している。


 地面に落ちることなく、風をまとってごう音を鳴り響かせることも無く、空中で、静止している。


 ガコッ、ザァァァァァ……。


 突如そのような、岩が砕けるような音がして、矢は砕け、ちりとなって消えていった……。


不味い……。これでは、包囲から抜けられない……。


 だが、何だ……? どうして人形共も戸惑いを見せている? これは人形側の何者かの干渉では無いのか?


 だが、ならば。


 これはチャンスでもある!


 私は弓をさっと仕舞って肉刀ナイフに持ち替え、咄嗟とっさに駆け出した。


 そして、通路正面、3列になっている人形たちのうち、最前列の2体に肉刀ナイフぐように振るおうとしたところで、


 グチャァァァアアアア!


 弾け飛んだ。その2体と、その後ろ2列の人形。計6体の人形の頭が弾け飛んだのだ。だが、私は目を背けもせず、その粉砕物を浴びながらも、前を見据えていた。そうせざるを得なかった。


 ひざを付く音がそれと共に連鎖するように少しのずれと共に重なり合い、聞こえた。人形たちがひざまずいたのだ。振り向かなくても分かる。きっとこの場にいる人形全てがそうしている。


 当然だ。


 私が見ているのは、倒れ行く人形共ではない。その先に居る者だ。重く覆い被さるような、それでいて棘々《とげとげ》しい、威圧的な空気をまとった、人型の悪魔だ。


 こいつこそ、こいつらの司令官。こいつらをあっさり気まぐれに切り捨てる、これまで私が見た悪魔の中でも無慈悲な存在。


 メシッ、メシッ、メシッ、メシッ。


 その悪魔は、踏み出す足一歩毎に地面にひびを入れながら、力強くこちらへ真っ直ぐ歩いてきた。


 わざとそうしているようではないことは、その所作を見ていれば分かる。だから余計にこれは恐ろしい悪魔であると私は警戒を強める。


 そして、低音のがなり声で、


「【ふはははははは! 策をろうする愚か者よ。この部屋に入った瞬間、躊躇ちゅうちょせず反射的に先ほどの一撃を放っておけばよかったものを。知恵何ぞに頼るからこそ、なんじは今、此処ここで踏み留まっているのだ】」


 このような言葉を響かせながら私の前に立った。

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