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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第二章第五節 原始の箱庭 ~禁忌を犯した者~

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原始の箱庭 人肉臓骨血殿 肉壁大廊下 Ⅰ

 薄暗くて、周囲の様子は全く把握できない。なんとか手元が辛うじて見える程度。あの球によって、私は何処かへ飛ばされたのだろうということは分かる。周囲の断絶を一瞬感じたのだから。


 何だか、臭い。生物、それも動物の臭い。しかし、随分ずいぶんぎ覚えのある臭いだ。それに心なしか、地面が生暖かい気がする……。


 少しばかり嫌な予感がした。


 そして、目が慣れてくる頃。私は予想の斜め下を行くおぞましい光景に腰を抜かすこととなった。


 私はそれを現実の光景であると受け入れたくなくて、視界がごにょりと、歪み始めた。


 視程10メートル程度だというのに、これだけおぞましく思えるとは……。周囲が薄暗いことを私は感謝する。もっとよく見えれば、こんなものでは済まなかっただろうから……。


 それでも、十分に致命的……。


 強烈な寒気、鳥肌。生理的嫌悪感を想起させられる……。腹の底から、込み上げる、突き上げられ、蹴り上げられるかのような吐き気を何とか抱え込む。


 この衝撃に抗わずくということは、ひざまづくということだ。そういう姿勢になるということだ。この悍ましさの起源たる地面に手をつき、ひざをつき、顔を近づけることと同義だ。


 足元までふらついてきた。


 辛うじてのところで耐えるが、その動作の結果、足元を直視してしまう。しかも、ピントが……、合った。


 自身を俯瞰ふかんするような気分で意識をらそうとしても無駄だった。忌避きひ感・嫌悪感は収まるどころか、強まっていき、もう、……。


 体が、意に従わず、倒れ込む感覚。そうする訳にはいかないのに、それはどうしても避けたいのに……。


 私はそれにどうやらかなり弱いらしい。


 抗うことはできず、その忌避きひの発生源に向かって、のめり倒れ……。


 くそぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお……。


 腹が収縮し、のどに圧を感じ、口と鼻から、一度は堪えたものが、勢いよくき出す感覚と共に、私は意識を失った。






 だが、すぐに目を覚ました。いや、覚ますことが()()()


 気絶の直前、一刻も早く立ち上がらないとくじけ折れてしまう。おぼろげな意識にそう焼き付いていたから。


 その意識から、私は悪夢を作り出した。


 気絶直前に見た床に、私が溶けて、着して、生暖かい熱と、生臭い臭いにまみれ、吸収されていく。


 そんな苦行を自身に強いたのは、現状の上を行くおぞましさを想像することによって現状に耐えるためであり、そのおぞましさが現実になるかも知れないと恐怖することで起き上がるかてとするためである。


 だから、目を覚ましてすぐ、私は起き上がり、周囲の様子を覚悟かくごして見た。


 だが、余裕が無く、思考がまとまらない……。


 血管の走った人肉。


 骨と臓腑ぞうふを持ちながら、人の形はしてはいない。


 それはさながら、人の素材で構成されたブロック。人臭さを持ち、人肌ひとはだの触感と温かさを持つ。


 ブロックによっては毛がうじゃうじゃ、目玉がぼこぼこ、垂れ落ちる腸……、っ、ぅああああああああああああああ!


「げほっ、ごほっ、はぁ、はぁ……」


 それらはさながら、原型を留めた人体の各部パーツを埋め込まれた不定形の、血を主とする体液と脂と骨と筋と臓物の皮膚の埋め込まれた、肉の塊……。一辺2メートル程度の無数に、組まれた煉瓦のようにどこまでも高く積み重ねられた、生ものブロックの壁、だ……。


 そして、足元………。


 私が立っている部分、そして、倒れ込んでいた部分の床面の肉ブロックは、うっ血し、青黒くなっていた。


 これは幻想の類だ。現実であってたまるか。見えている光景も、漂う生臭さも。鳴る足音も。


 これは、逃避だ。そうは分かっている。意味の無い先延ばしでしか無い。だがそれでも私はそのさん状から逃避せずにはいられなかった。






 ぐしょ、ぐしょ、ぐしょ。


 私は壁面の前へ立ち、肉刀ナイフを振り下ろした。


 出たい。一刻も早く、ここから。この幻の空間、引き裂いて、即、脱出してやる……。


 ザシュゥ、ブシャァァァァァ!


 手に感じた、臓物を切り裂いた触感。噴き出す血と体液の混合物。むせるような、生ものの臭い。かすった固い骨の感覚。


 駄目だ……。これは現実だ……。


 そして、不幸なことに。肉ブロックは白い塊になることも、光の柱へ変わることも、その場から消滅することも無く、私をさいなむ。


 傷口からのぞく臓物は人のそれ、そのものだった……。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"、ぅ、ゴアボゴボヴォゴ――――」


 発狂しながら、もう空っぽと思っていた胃から込み上げてきた内容物を吐瀉としゃしつつ、手を付くこともできずの前のめりの、再びの気絶。また目を覚まして、奇声を上げて、気絶、そして目を覚まして……。






 何度繰り返したか分からない頃、ようやく私はぎりぎり正気の水準で、辛うじて意識を落とさずに保てた。だが、それは薄氷一枚に隔てられた、偽りの安寧。


 こんなところで、朽ちるのだけは、御免だ……。


 一刻も早くここから立ち去りたいが、わずかでも負荷が加われば、再びおぼれる。


 できるだけ俯瞰ふかん的にならなくては。今の目の前の光景は画面越しに見る他人事。そう自分に言い聞かせ、辛うじて私はろくに動きそうになかった足を再起させた。


 そしてようやく、周囲の様子を把握できた。


 見た感じでは、ここは、巨大なろう下のようだ。天井が見えないほど高い。いや、天井などないかもしれないが。


 そして、左右の肉ブロックの壁。足元から私の前にも後ろにも続く肉ブロックの床。前後にひたすら道が続いている。左の壁から右の壁までの幅はおよそ10m程度だろうか。


 どちらかが行き止まりかも知れない。下手すれば両方ともそうかも知れない。どちらもこの通路とは違う光景の場所に繋がっているかも知れない。


 どちらに進むか、考えるだけの材料を集める……、いや、それは無い……。に角、一瞬でも早くとうとう、こらえきれなくなって、涙が出てきた。


 ぐちょ、ぐちょ、べちょ、びちょ、ぐちょ、

 ぐちょ、ぐちょ、ぶちょ、べちょ、びちょ……。


 私はぽろぽろ涙を流しながら、とりあえず前へ向かって駆け出した。


 ぐちょぐちょべちょぐちょ、ボキィィ、ビキィィイ、ぐちょぐちょべちょごちょ――――。


 進めばここを抜けられると、根拠ない盲信で自身を無理やり支えつつ、足元から聞こえてくる冒涜ぼうとく音を耐えつつ……走り続ける。






 数百メートルだろうか……。数千メートルだろうか……。


 に角、私は走り続けた。


 肉体的疲れなど有りはしないはずのこの世界で、私は激しく息を上げていた。息をするのすら苦しかった。足が、鉛のように重く感じた。


 精神が、疲弊ひへいしているのだ。肉体に影響が大きく出る程に。


 だが、それは無駄では――――、どっちだ……。


 見えてきたのは行き止まりだった。が、奇妙なことに、正面のその壁の前の空間が歪んでいるように見えた。


 それでも私は足を止めない。


 それが私の視界が狂ったのか、本当に歪んでいるのかすら判断できなくなっていた私は、


「ぐすっ、ぐすっ、んあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ」


 泣き叫び、雄たけびを上げながら、躊躇ちゅうちょを捨て、突っ込んだ。


 だって、選択()、なんて、無い……だろうが……。


 その嘘か真か不明の壁に触れるか触れないかというこころで突然目の前が真っ暗になり、


 グゥアン!


 奇妙な音がした。


 そして、次の瞬間。別の場所に、私はいた。

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