原始の箱庭 石造廃都 秘匿区画 Ⅳ
目の前の悪魔が塵になって消えていく。苦しむ間もなく、びくともせず固まり、急速に塵となって、立ったまま、消えていく。
そして、その背後にはどこまでも深い闇を纏った何者かが立っている。黒く、正体不明の長物をその手に握って。
全身は纏った闇のせいでよく見えない。それが人型なのは辛うじて分かるが……。
携えている長物。その形状は正確には把握できない。ただ、長い。長い。棒のような、鈍器のような? いや、違う。槍か刀? 大剣? 柄は無い。揺らぐ闇が、その正体を覆い隠しているらしい。
その武器の持つ効果は分からない。あいつが塵にされたかのように見えたからといって、本当にその効果が、貫いた者を塵にする、というものとは限らない。
効果の度合いを、見定める材料が圧倒的に足りない。
だから、とにかく、触れないように。肉刀で受けることすらしたくない。だが、あまりに離れては、私が反撃する目も無くなる。
私は瞬時に右手に肉刀を出して、振りながら後ろ跳びに、後ろへと数歩下がった。前を向いたまま。
5メートル程度の距離。全長3メートル程度の人型の闇の塊と、私は対峙する。顔すら見えないそれと、向かい合う。目を逸らすことなく。
間違いなく、あの悪魔よりも強い。轟音はしておらず、威圧するような視覚効果は無い。にも関わらず、感じる圧は絶大。庭園で遭った悪魔よりも。そして、つい今さっきまで存在していた悪魔よりも当然。その圧は、明確に向きがあり、私に降り下されている。
よく体が動いたものだ。汗も出ない。手や足の震えは無い。覚悟していたから。
あの悪魔があんな対応を私に取った地点で、何かあるのではないかと、薄くだが意識していたから。
時間が無い、あいつ自身には。私には未だ時間はある。数度あいつが自身の言葉に織り交ぜてきた、それ。
このことを言っていたのだ。
このタイミングで現れ、敵対行為をとった。そのことから、こいつも、悪魔だ。悪魔のシンボルである羽も角も尻尾も持っていない人型の闇の塊であろうが。
これまれの2人の悪魔よりもずっとずっと強力な、まかりなりにも、悪魔を殺せるだけの力を持つ、悪魔だ。私に敵対する悪魔だ。
だが、まだ目はある。ここで終わりとならない目が。不幸中の幸いか、この悪魔が奇襲により葬ったのは、私ではなく、あいつ。
無言を貫いているとはいえ、その武器を私に対して未だ振るわない。つまり、まだ、対処できる可能性が僅かながら残された敵だということだ。
とはいえ、 戦うのは不味い。私はそこまで戦闘能力は高くないだろう。せいぜい、この肉刀を振り回す程度しかできない。そして、獲物の長さが、あまりに違う。
入ってきたトンネルから逃げるのは無理だろう。逃げきれる筈がない。では、他の出口を探すしかない。
結局今は逃げるしかない。不意を打つ機を、掴まなければならない。それが現れるまで、私は立っていなければならない。そうしなければ、僅かな可能性を手にすることはできはしない。
尤も、この白い肉刀があの黒い肉刀と同じ効果を持つとは限らない。それに、同じ効果を持っていても、あれに効くかは不明。
悪魔らしい固有の能力を何か持っている筈だ。あいつの言うことが全て事実だと考えると。
この肉刀は、私が失ったものと似ているが、違う。違うようで似ている。それは決して同一という意味では無いのだから。
私は、その敵から目を離さないようにしながら、時計回りに円を描くように移動し始めた。
悪魔は当然のように私を追ってきた。早いとも遅いともいえない速度で。私と同等の速度で。
そして、それは悪魔の全力では決して無い。顔を視認できなくとも、分かる。こいつは私を玩んでいる。私などいつでも終わらせられるとでも言うかのように。
ここにきて、恐怖が、忌避感が、少しずつ私の心に顔を出してきた。
私は人でしかない。精神的な疲労は溜まり、張り詰めた神経は消耗していく。
いつの間にか、汗が……。
目に入る。擦る。
汗拭う、擦る手が目から離れたときには、依然私との距離を保ったまま、降り下される長物。そう。届く距離なのだ、あの長さからして。
ズサァァァァ!
私の左下から、地面を抉りながら、それは、私の胴を斜め下から上へ薙ぎ払い上げるかのように振るわれる。
地面を抉る音はしたが、風切る音も無く。それでいて、私が辛うじて反応できる速度で……。
舐めている、私を。肉刀を空間に仕舞いながら唇を噛み締める。歯を軋らせる。眉間に皺を寄せる。
沈み込むように足を曲げながら、後ろに倒れ込むように地面を蹴り出し、その一撃を辛うじて、倒れ込みながら避ける。
すぐさま、寝返りを打つかのように俯けになり、地面を蹴り出すように低く低く立ち上がりながら、肉刀を右手に握り、詰める。距離を詰める。右に弧を描くように蛇行し、
ガコォォォォォォォォォォォォォンンンンンン!
身構えていても反応できないであろう速度で地面を縦に抉る、長物。
ニ撃目、か。
だが、ざまあない。油断するからそうなるのだ。あのような回避をしながら、私がこうすると読めなかった。
つまり、こいつは心を読む能力は無い。
相手を武力的に、舐め腐って、嬲る。そんな悪魔なのだろう、こいつは。
そう私は決めつける。強く、強く。きっと効く。変質させられる。私の手の届く形にくらいは、引き摺り下せる。
あいつは、私にあれだけ沢山の情報をばら撒いた。舞台を、状況を、場を、整えた。私がこうする流れを作った。つまり――――これは誘導だ。そして折角そのことに気付いたのだ。乗らせて貰う。
地面は塵に変えられないだろう? そしてお前は埋もれて自身を縛る枷でしか無いその長物を手放せない。あの人形と同じように。
今のお前に、それを手放すという臨機応変な思考は無い。そのように引き摺り下ろしたのだから。
さて、ここからは賭けだ。通ればいいが。
ドッ、グゥゥゥゥゥ、ザスゥゥゥゥ、ギィキィィィィィィッ!
蹴り出し、飛び上がり跳ねるように交差しながら、奴の右脇腹であろう辺りを、逆手に握り直した肉刀で心なしか深めに引き裂いた。
悪魔は倒れない。だが、どうやら決着は着いたらしい。
「【主よ……。それを……、渡すわ……けには……いか……。】」
淀んだ低い、金属に反響するような声で発せられたのは、今一つ意味が通らないような言葉。表示された文字が、それが聞き間違いでないことを証明している。
そして、膝をついた悪魔は、私に手を伸ばしながら、それは届くことなく――――私が切り裂いた部分から白く輝く石へと変わり、変わり切り、そして、
サァァァァァァァァ!
白く輝く粉とへと変わり、白い光の柱となって、消えていった。
コロンッ……。
そう。成功したのだ。決死の攻撃は。私の右手に、肉を刺す衝撃が、感覚が、感触が、未だ残っている。
やり遂げたのだと、教えてくれる。
発動すると、相手をゆっくりと、当たった部分から白く輝く石に変える。そして、一定時間経過したら、白く輝く粉へと変え、全てがそうなったところで光の柱へと変え、消える。跡形も残らない。
それが発する光はとても神聖に見えた。
きっとそれは、浄化の光。
勝った。
そう強く認識したところで、疲れがどっと遅れてやってきた。その場の地面に大の字に寝転がった。張り詰めた神経を一気に緩め、脱力した。
だが、達成感に浸って、そこで終わりにはならない。今倒したこの悪魔は"本能"の悪魔では無いのだから。
この悪魔は恐らく、本能の悪魔の眷属。それか、庭園で遭ったあの悪魔の分体よりも大きく力を与えられた分体か。
本体があのようなことを言う筈は無いのだから。
にしても、よく倒せたものだ。お膳立てされていたとはいえ、そう勝率は高くは無かっただろう。
あの二撃目は、避けたのではなく、偶々当たらなかっただけ。振るわれ終わるまで感知すらできなかったのを避けられたのは、やはり、偶然でしかない。どれだけ考えても。
そこは、誘導云々関係無く、唯、逃げないという意思決定をした私の行動の手繰り寄せた結果なのだ。
如何なる思惑があろうとも、その誘導に、私は、乗ると決め、その通り動いた。それは決して悪いことではない。自分で決めたという自分自身での決定がありさえすれば、それはもう、誰にも依らない、自身の選択、他の誰でもない、私の意思なのだから。
……。ここまで、誘導のレールが敷かれていたのか、あいつによって。だが――――悪くは無い。
私は息を吐きながら、そっと目を閉じた。
さて、そろそろ行こう。
私は起き上がったが、足を進めはしない。
そもそも私は、現・"本能"の悪魔の姿を知らない。聞けなかったのだから。そのい場所も中途半端にしか聞けていない。
北を示しているとすれば? 北、北西、北東。そのどれか。だが、方角ではなく、何か地形や地名などの可能性もある。
どこへ行けばいい?
兎に角、一旦、ここから出よう。そう結論を出したが、その前に。
戦利品を収集しなくては。
正体不明の長物。依然、闇色の靄を禍々《まがまが》しく、大きさを変えながら纏って、地面に突き刺さったままだ。
どうしようか迷ったが、触れずにおくことにした。抜けるとは到底思えない。それに、抜けたとして、あんなにも長いもの、どうやって扱う? それに、触れるのは何か不味そうに感じて、私はそれを放置することに決めたのだ。
それと、あれ、だ。
悪魔が今一つ意味を成さない言葉とともに、何かが奴の体から抜け落ちたのが見えた。地面に落ちる音もした。光の柱のせいで、はっきりとは見えなかったが。
直径2センチ程度の真っ黒な玉だった。嫌な感じがしたが、好奇心が勝り、私はそれを拾い上げる。
すると、まるで吸い込まれそうな、どこまでも深く吸い込まれていくような、そんな錯覚を感じる。それはとてもとても、気味が悪くて。ぞっとして。私はその球をびくりと落とす。
だがそれは、間違いだった。
地面に落ちた球は割れ、その部分から、周りを吸い込んでいく。球から半歩分程度の距離しか無かった私は為す術無く、それに吸い込まれていった。
迂闊だった自分を悔やむ十分な時間すら無く……。




