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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第二章第四節 原始の箱庭 ~悪魔の誘い~
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原始の箱庭 石造廃都 秘匿区画 Ⅱ

 そして再び、祭壇さいだんから降り切って引き返そうとしたところで、ある異変に気づいた。


 いつの間にか、不自然な影が私の影に重なっている……。


 私の体に何か生えたわけでもない。そして、周囲には誰もいない。


 その影は、置物の類のものではない。わずかに揺れ動いているのだから。だが、物音一つないのだ。


 となると、もはや答えは一つしか、無い……。上、だ。


 正直、気づきたくはなかった。何か分からない得体の知れない、飛行生物の類。それが私の頭上で、不気味に浮いているようなのだから。今のところ、庭園の門で遭遇そうぐうしたあの悪魔の発したような威圧感は感じていないが、油断はできない。


 どうすべきか。取るべき手段は思いつく限り3つ。


 1つ目は、今すぐ逃げる。そうしたい。迷わずそうしたいところ。


 いや、駄目だ……。それが私を追いかけてこない保障はない。そうなると、逃げ場は無いに等しい。この空間の出口は、匍匐ほふく前進で進むしかない、あそこしか無いのだから……。


 2つ目は、頭上を見上げる。これはできれば選びたくはない。


 3つ目は、ただ待つ。ひょっとして、待てばこの頭上の何かは消え去るかもしれない。


 ……。無い、これは。


 額にめた汗を腕で拭った私は、覚悟を決めて頭上を見上げた。






 私の目に映ったのは、漆黒しっこくだった。漆黒しっこくうごめくように荒れ揺らぐ翼。襤褸襤褸ぼろぼろで、ところどころに穴が空いて、ささくれた翼。リリスなどの一部悪魔の持つ羽と同じ型の、蝙蝠こうもり型の、その身に見合った大きさの羽に近い。それが幾重にも背から生えているように見える。


 間違いなく羽ばたいている。だが、羽音がなく、風が起こっていない。飛んでいるのではなく、浮遊しているのだろうか?

 

 そして、体全体は、黒いもやのようなもので覆われており、輪郭すら正確につかませてはくれなかった。


 悪魔……か? 私に威圧感を向けておらず、巨大な存在感も無いのにか?


 そう私が疑問を浮かべた途端、それに応えるように、威圧感が私に向かって降り注げられ、ひざをつきそうになる。


 体中、鳥肌が騒めき立つ。強烈な寒気がし、降り下される威圧感という名の重力によって、立っていられなくなり、顔を上げていられなくなった。


 これだ……。この感覚。間違い無く、これは、悪魔だ。だが、それでも、庭園で遭遇そうぐうしたあの悪魔のものと比べ、数段弱い。







 ……。


 止んだ?


 急に寒気は引き、圧は消え、私は立ち上がって頭上を見上げた。


 もやがかったその悪魔は、そんな私を見て、わずかに微笑んだように見えた。


 私は肉刀ナイフを出して、構える。そして、心の中で念じた。


【恐ろしげな悪魔よ。何を司る者だ、お前は?】

【Hey,dread man! Reveal your identity!】


 笑ったということは、意思疎通できる存在である可能性は高い。とはいえ、言葉が通じるか分からないが。通じるとしても、どの言語で通じるか分からない。


 だから、取り敢えずこの2言語で私はその悪魔に向かって、心の声で問いかけたのだ。


 そして、


「ふっ、はは。ふはあはははは。貴様、知らぬのか? 心の声に言語選択何ぞ関係無い。どの言語であろうが、浮かべれば伝わる。心を読む力を持つ者にはな。それは、あまり、人らしい手段では無いではないか」


 返ってきた答えは私を貶していた。情報の提供は有り難いが、笑われるいわれは無い。私は後ろ手に拳を強く握りつつ、こらえる。


「心に浮かべるだけか、はぁん?」


 何なのだ、こいつは……。


「貴様は人だろう? この世界ではもう存在しないはずの人間だろう? どうして人外の作法を取った? 言葉をその口からどうして発しない?」


 ……。どうしろというのだ……。こいつは心が読めるのだろう? では分かるだろうが。私が言葉を発する手段を、その要領を忘却ぼうきゃくしたかのように、失っていることを。


「ああ、成程。その術を忘却してしまったのか。そして、自身を失い、外から来たから、か。成程成程。のぞけばのぞくほど、奇怪な者よの。」


 低くにごった声で悪魔はそう笑った。


 この悪魔は私を観察している。泳がせたのだ。私を読み取るために、計るために、人らしい言葉で私をすったのだ。


「我が意図に気づくか、さとき者よ。貴様は、我の前に現れし久方の客人。無下にするつもりは無い」



 ゴォォォォォオオオオオオオオ!


 そして、轟音ごうおんが大きくなっていって――――その悪魔は私の正面に、3メートル程度の距離を空けて降り立った。


 私はあっけに取られていた。


 その悪魔は、口元を大きく歪めてまるで人間のような笑みを浮かべて私を見ているのだから。


 そう。こいつは、あまりに、悪魔らしくない……。


 そして、悪魔がまとっていたもやが晴れて、明瞭にその姿をさらした。






 それは、全長4メートル程度であろう、少し丸まるようにれ、襤褸襤褸ぼろぼろ蝙蝠こうもり羽を数対背に持ち、漆黒のつやのある肌を持つ、黒一色の無毛の人型の悪魔だった。


 靄が晴れる前は3メートル程度の巨体であるように見えていたが、その実態は、2メートル程度だった。中肉中背であるが、やや筋肉質に見えたため、男であろうと思ったが、全裸であるその悪魔には、男の特徴を示す部位が存在していない。胸部にも局部にも。


 そうだった。悪魔には性別は本来、無いのだ。両性具有であり、その時々に合わせ、自身の外見的性別をどちらかに寄せる。


 卵を反対側にしたような頭で、虹彩こうさい無き黒の眼球で、私を真っ直ぐ見()えている。


「我は、力奪われし悪魔。契約者に力を奪われし悪魔だ。よって、今は名すら無い。かつて、"physiological"という名を冠した悪魔だった」


 力を奪われた悪魔? ということは、ターゲットはこいつであって、こいつではない。そして、


「そう。我が元・契約者が今はその位に居座っておる」


『戻りたいのか、お前は?』


「いいや。人の滅びた世界にもはや執着は無い。悪戯はもう出来ぬのだから……。奴は実に面白かったな……。こうなろうが、後悔は不思議と無いのだ。貴様の常識からすれば、悪魔らしからぬ感性だろう。だが、我は人の原始的部分を司っていた悪魔。人に寄っているのは至極当然なのだ。魔性の大半を失ってしまった今となれば尚更なおさらな」


『もう、お前、悪魔止めて人やればいいんじゃないか? まだ少しは悪魔の力を保持しているのだろう? 人形たちを改造し、新たな人類とし、お前も人としてそこに混ざればいいと思うぞ?』


 私らしくない考えだ。だが、素直にそう思った。論理的でなく、唯の感情論。こいつに寄り添った意見だ、これは。仮にも悪魔のこいつに。打ち倒す対象である悪魔であるこいつに。


 この悪魔に、力を殆ど失ったというこの悪魔に私は手を掛けないといけないのだろうか? できることなら、そうしたくはない。


 こいつは、そう悪い者ではない。そう思えてならないから。


「そんな行為、唯の外道だ。人と悪魔の有り方では無い。私は人ではない。悪魔なのだ。そのことを私は今でも誇りに思っておる。貴様の言うようなことを考えたことが無いと言えば嘘になる。だが、我は、そうはしなかった。今までずっと。そして、これからも。滅多に後悔などしない我ではあるが、我が契約者が、外道に堕ちるのを止めなかったことは悔いておる……」


 ほら……。黒いもやのようなめ息。こいつは悪魔であるが、どこまでも人らしいのだ。人以上に人らしいのだ……。






「貴様の主言語に合わせるとすると、我は嘗て、"本質誘起"の悪魔、であった、とでも言うべきだろうか? そして、元・契約者たる奴は、"本能"の悪魔、である、となる」


『何が言いたい?』


「そうくな。時間は()()あるのだから」


 確かに。そう焦っている訳でも無い。私はもう、ほとんどこの悪魔に対する警戒を解いていた。こいつは無害なのだから。手を強く握る必要は無く、肉刀ナイフをいつでも構えられるように心構えしておく必要も無い。


 手からも額からも汗は出ず、頭が厚くなることも、背筋に寒気が走ることも、きっと無いのだ。


「我は、人に強要しない。全ては人の意志次第。強要、それは悪魔の領分ではないのだから。それは、神と人のみが使役し、対象に振りかざすことができるものだ。我は悪魔の本能に最も忠実な悪魔なのだから。今でも。"本能誘起"の悪魔であった頃でも」


 自負、か。そして、それを誇りに思っている。根底ある、揺るがぬ自己を持っている。うらやましい限りだ。


「人間に対して、欲に任せて願いを叶えるようささやき、努力を促す。叶えるためにどう足掻こうが足りないものは、その人間の魂で補い、形にする。それが如何なる届き得ぬ奇蹟であろうとも、その頂へ届くための力を、魂を代価に我は与えたのだ。」


 後悔の色が声に色濃く出ていた。


「唯、それだけの存在。それが我だった。人が抱く願いを、人の本質から湧き出る願いを、その形を変えるのは、我が範疇はんちゅうから逸脱いつだつする」


『それでもやるべきだろう? お前はその、確固たる自我で、意志で、そう判断した。なら、やるべきだっただろう』


 言うつもりはなかった。だが、私は、言わずにはいられなかった。いや、言ってやらなくてはならない。これは、そう思ってしまったからこその私の心の言葉かも知れない。


「だが、それでも、止めるべきだったのだろう……。いや、無理だ。自身の範疇はんちゅう から、領域から逸脱いつだつした悪魔は、存在意義が揺らぐ。そして、逸脱いつだつしてまでも成し遂げたい事を成すことなく、消えるのだから。何も残さず、何も無かったかのように、消えるのだから。だが、それでも、後悔はしなくて済んだのかも知れぬなぁ……」


 そう言い終え、悪魔は一度言葉を止めた。苦しそうに血をいて……。


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