神秘庭園 中央広場 Ⅱ
ガンッ!
金属音が響く。何か固いものを突いたような音。思わず我に返った私は、その音の先を見る。そこにあったのは白大理石擬きの石畳。それも明らかに強く湿っていた。
予想が確信に変わった。しかも、得られる恩恵は思っていた以上に大きくなりそうだった。
ここは、泉。間違いなく、泉だ。それもまだ生きている泉。つまり、土さえ全部除いてしまえば水が溜まり出すに違いない。
全身浸かれる程の水量も夢ではない!
込み上げてくる幸福感に背を押されて数時間後。私の手の動きは緩慢なものとなっていた。砂を退けるだけでは水が溢れんばかりに溜まることはなさそうだと途中で気付いたから。
まだ砂の量は最初の四分の一程度残っていたが、それでも私は動きを止めることはしなかった。
泉の構造の大半が露わになっており、丸っこい突起のような構造物を幾つか見つけていたからだ。
もしかして、噴水の稼働に関わっているかも知れない。
未だ、水は吹きあげてくる様子は無いが、それでも私は噴水の水を飲み、漬かることを未だ、諦めてはいなかった。
辛うじて、だが……。
そしてとうとう、最後の土を掘り退ける。
湖の中心には半径50センチほどの穴。先に進むにつれて徐々に細くなっていくそこを、スコップで限界まで掘り進めた結果、水が湧き出てきた。
少しだが、濁っていたが、肌に触れたそれはとても気持ちよかった。それはきっと、湧き出てきた水の温度が予想を上回って快適だったからだけではない。
そのうち止まるか、勢いを失うと思っていた、中央から吹き上げる水流は私の予想に反して威力を増して――――靴がすっかり浸かって、上着の前半分もぐちょぐちょになっていたが不快に感じるなんてことは当然なく、私は思わず高笑いを上げた。
「はははははははははっ、ふはははははははははは」
声を出すのはここに来てから初めてだったと思い至る。
噴水の深さは結局、1メートル50センチ程度だった。深い深い巨大な噴水。よくこれだけの土を、折れることなく掘り続けられたものだ。
一旦噴水から上がって、水が十分に溜まるのを待つことにした。
そして噴水から出て、溜まっていく水を見ていたところ、すっかり忘れていたものが目についた。
当然のように頭に浮かぶ疑問。
では、あれらの突起は一体何だったのだ?
頭がなだらかな丘状になっているポールのような突起。それは、半径5センチ程度、高さ30センチ程度だった。
突起が最初に見つかったのは、噴水中心部から2メートル程度離れた場所だった。その付近を堀り進めてみると、幅10センチ程度の溝が走っていることが分かり、
これは何かある!
と思った私は、わくわくしながらそれを全て掘り起こした。
泉の噴出点であった中央の半径50センチ程度の穴。それを外側から囲うように存在していた、幅10センチ程の半径2メートル程度の溝。その円周上に沿うように等間隔で、花壇の数と同じ、12個の丸い突起が配置されていたのだ。
そんな、意味深な突起のことは、噴き出した水によって私の心からすっかり押し出されてしまっていたのだ。
花壇と噴水で、土の色が似ていて、突起の数と花壇の数が同じ。もしかして、花壇へ水を引くスイッチなのではないのか?
ふと思い至った私は急いで噴水の中へ飛び込む。
体が浮かぶほど水が満ちれば、スイッチかもしれないこれらの突起を体重を掛けて押すことはできなくなるかも知れない……。
水位は20センチ程度。
突起が本当にスイッチだとして、数は12もあるのだ。一個押すだけで終わりではないのだから、実はそう時間は無い。
片足でスイッチらしきそれを踏んだ。何度やってもびくともしない……。重さが足りない。
ならば!
私はスイッチの上に立って飛び上がり、両足で踏みつけるようにその上に着地した。
ガチリ……!
その音が耳に入り、スイッチから飛び退く。するとスイッチは少しへこんだ状態から先ほどの高さまで戻った。
そして、スイッチ側面についていた土がぽろり、と取れる。その色は周囲に元あった土よりもずっと濃い、黒茶色。
どうやら、このスイッチは溝の無い螺子状が真の姿だったらしい。泉から急いで飛び出て手に取ったスコップでこびりついた残りの土を取り払い、再びスイッチを片足で軽く押した。
カチッ!
今度は無事押せたようで、すっかり底まで沈み込んだ。そして、高さが戻る様子はない。
ゴォォォォォォォォォォ――――!
轟音が響き始める。それはかなり長い間続いた。五分や十分どころではなかっただろう。一時間も響きっぱなしというわけではなかったが。
私は結果を確信していたため、その最中に手早く残るスイッチ全てを押した。一つ目のスイッチを押した地点で、水位が上昇する速度が僅かに落ちたことと、一つ目のスイッチの辺りから何か、土ではない黄色く光る靄のものが発生し続けていたから。
轟音がスイッチを押した数だけ重なり、激しいことこの上なかった。
やがて音は止まる。
泉の水位は5センチ程度になっていた。一度無くなり、ここまで溜まったのだ。その水の色は清涼で澄んでいた。
さて、どうなる?
噴水から出て花壇の前に立っていると、目を見張るような光景が巻き起こる。
花壇の土は端から端まで全て、みるみる黒茶色に変わっていく。生暖かい湿気と有機物の発酵する匂いを醸し出していた。
土が、こんな一瞬で、甦る……だと……。
私は、自身の目を疑わずにはいられない。
だが、肝心の草木は既にもう全部枯れ果てている……。今更こうなろうが、手遅れだ……。
そう思うと虚しくなった。
手近なところにあったそれらのうちの一つを見ると―――――そこに、奇蹟があった。それは、枯れ果てた残骸たちの、再生と成長の早回し。
褐色の残骸たちは、青く瑞々《みずみず》しく、急速に甦っていく。そして、黄金色の若葉・若芽に変わる。
更に急速に成長し続け、一部は成熟を迎える。
大半は、私の膝程度から腰程度までの高さの草花へと成長し、虹色の花を咲かせた。その茎や葉は、ほんわりとした蛍色の光を放っている。
残りは更なる成長を続け、私よりもずっと大きく、聳えるように立つ、高さ十数メートルにも及ぶ、黄金色の幹と葉、ものによっては虹色の花をつけた樹木へと変化した。
そして、花壇全体から、個々に僅かな色合いの違いがある、虹色もしくは蛍色の、周囲の風景を映し出すシャボン玉のような光の玉で満たされていく。
私の指先くらいのものから、私の全身を覆うような大きさまでの、多種多様なそれらが浮かんでいるさまは、まるで、蛍の光の幕の中に虹色に煌めく花が浮かんでいるようだった。
私は思わず花壇に足を踏み入れる。こうなる前に足がこの花壇に埋もれたことを忘れて。
足をつけた瞬間にそのことを思い出し、後悔したが、それは杞憂に終わった。地面は私の足をしっかりと支えていたのだから。
安心して溜息を漏らした私は花壇に立ち入り、それらの樹木や草花を近くで観察することにした。
花壇に踏み入れて初めに感じたのは、安らぎ。
シャボン玉のように見えた光の玉たちは、私の体に触れても、割れることも消えることもなく、透過していく。まるで実態の無い虚像のように。
あらゆる不安が薄れていくように感じる。光の玉が体が透過するとき特にそのように感じる。同時により多く透過するほど、より強く、大きく、安らぎで心が満たされていく。
光の中を通り、最も近くにあった草花へ到達した。私の膝の高さ程度の背丈である。しゃがみ込んでそれに触れる。手でその茎に触れ、花を手繰り寄せる。
花は妖艶に揺れた。そして、花の匂いが香る……と思いきや、一切の匂いは無かった。
無臭。
花から粉のようなものが私の手の動きに合わせて空に舞ったにも関わらず。
顔を近づけ、じっくりとそれを観察する。茎の色は明るい緑色。
黄金色ではなかった。蛍色の光の玉が茎からも葉からも頻繁に発生しているから、少し離れて見た限りは黄金色に見えるということだろう。
茎の根元から放射状に何枚も生えている葉は、ギザギザで細長く、網目状の葉脈を走らせていた。それは瑞々しく、蒸散によって水滴が表面に付着していた。
それに指先で触れてみる。指先に付着したその水滴は、蛍の光の色をしていた。目を瞑り、鼻に近づける。やはり匂いはなかった。
そして、なんとなく。その指をそのまま口へ。
すると、体全体が布団に包まったときのような心地よさが広がる。まるで、体に溜まっていたあらゆる疲労が抜け切っていくかのような。それこそ、非常に深く眠って、快適に起きることができた日のように。
どうやらこの水滴には、体力と気力の回復効果があるようだ。これらの植物の生命エネルギーが滲み出したものなのだろうか。
……。
これだけ効くのだから、もしかしたら麻薬の類かも知れない。腹八分目程度の満腹感と喉の潤いは魅力的ではあるが。
もう一滴、舐めたいという気持ちを私は理性で抑え、観察を続ける。
続いて花弁。葉や茎とは違い、虹色。縦長の四角い花弁が中央からびっしりと生えている。
これはキク科の植物なのだろうか。具体的に言えば、蒲公英に似ていた。だが、あくまで似ている、の域からは出ない。恐らくこれは、私の知らない種類の草花。
楽しい、本当に。心の奥底からそう感じる。
私のこれまで見たことのないもの、不思議が次々と溢れてくるのだから。もっと、もっと、もっと、見なくては、感じなくては、調査しなくては。
心赴くままに全花壇の全植物の調査を行った結果、私が知っている植物とそれらは似ているということが分かった。一切の香りがないことと、花弁の色と、放出される光以外は。
どれもこれもが、似ているようで違っていた。
桜擬き、銀杏擬き、薔薇擬き、等々、多種多様。
なお、季節の法則性や生息地域の法則性は一切見られない。それらがもし私の知っている種類の植物だとしたら、このように一斉に花を咲かせているのはどう見てもおかしい。
ここが現実かすら、疑わしくなってしまった……。
そんなことを考えながら額に手を添えると、べっとりと泥が付着した。顔だけではなく、私の全身は泥と汗で塗れていた。
……。
一度、頭を冷やす必要がありそうだ。
私は中央部への噴水へと向かうことにした。