原始の箱庭 黒洞窟 小広間 今に至る後悔の過去 Ⅲ
「【だから、それに気づいたときの昂ぶりを私は今でも憶えています。この退屈な世界で、知らないうちに退屈な役割に縛られていた私にとって、彼は救いになる。そう思ったからです。】」
「【退屈は死に至る病。私はそれを無意識に辿っていたことに気付いたのですから。自分が徐々に枯れていくのを。自分の中の熱が消えていくのを。それはとてもとても恐ろしくて……。】」
「【私は、暇で、退屈で、寂しくて……。自分がこの世界でこのままでは満たされることは最後まで無いと、直感してしまったのですから。】」
「【それが決め手だったのでしょう。今考えるとそれが、私が自らの意思で退くことができた最後の機会だったのだと思います。後は、坂を転げ落ちる石のように、なるようになってしまうだけ……。】」
「【やっとのことで私は洞窟の最深部に辿り着き、彼を見つけました。餓死寸前だった彼を。】」
【看病の甲斐あり、彼は一命を取り留めました。およそ一週間程度掛かりましたが。予め影武者を置いておき、一か月程度村を開けても問題ない状態にしておいたことが功を奏しました。】
「【そして、私は彼に尋ねました。『死ぬつもりだったの?』って。】」
「【彼が既に、私の能力無しに独力で私の広めた言葉を習得していることを確認していたからこそ、言葉を投げ掛けるという選択を取りました。】」
「【私の能力は、コミュニケーションを成立させますが、相手の印象まで操ることができる訳ではありません。交渉において、相手を強制的にテーブルに付けることはできますが、そこからの話し合いの成否は自身の腕次第。】」
「【彼は私の問いに対して俯いたまま、何も答えませんでしたが、彼が心に抱く答えが分かっていました。私と同じ。退屈。それが、彼を死へと誘った。】」
「【私は彼に言いました。『当てましょうか?貴方は退屈に耐えられなくなった。だから、自ら命を絶とうとした』と。】」
「【自殺なんて概念が広まるなんてことはどう足掻いても避けなくてはなりませんでした。今の段階では。ですから私は彼と会うところを話すところを誰にも見られないようにしたのです。】」
【彼の目の色が、私のその一言で変わりました。これで、私の慰み程度の話相手であり、技術関連のことを全て任せられる人材を手に入れられると単純に考えていたのですが……。私は見誤っていました、彼を。所詮、原始人の中の天才と侮っていました。ですが、違ったのです。】
「【彼は、無言のまま、私の両肩を掴んできました。とても幸福そうな表情を浮かべて。彼に流れた知識を、彼が消化し切ったところだったのでしょう。】
【それが彼の枯れた生に火を灯した、いや、灯してしまったのでしょう。】
「【それが目に見えるかのように、彼に変化が現れました。彼は先ほどまでの生気のない、枯れた顔つきが、水を得たように生気を取り戻しています。目に光が宿り、その力強い瞳で私を見据えて、放してくれそうにありませんでした。】」
「【『私は、君の言うとおり、死ぬつもりだったよ』と、彼は言葉を発しながら、今私がしているように字幕を表示させたのですから……。彼の才能は奇跡の域に達していたのです。】」
コトッ。
「ふっ、はぁぁぁぁ」
彼女は立ち上がって背伸びしながら
「【少々疲れましたね】」
と、私に微笑みかけながら、体を斜めに向けつつ、顔を私の方に向けながら体を反らせてそう言った。
ほんのりと褐色をしていて、薄橙色の肌をした、オリエンタルだが、どこかにあどけなさが残った、憂いが浮かぶ整った顔立ち。
日本人形のような、長くて、腰まで届く、切り揃えられた髪。だが、その髪は黒ではなく、活力を全て失ったかのように艶は見えず、まるで死んでいるように白かった。
その白目を剥いた瞳が見つめる先は分からない。近くを見ているようには感じられない。私を見ていないのは確かだ。
そして、そこから綺麗に、しかしとめどなく流れる涙。2本の涙。細めで引き締まった、しなやかで華奢にも思える彼女の体を伝って下へ。
頬、顎、首、肩、胸、腹、太腿、そして、地面へと。
「【何見蕩れているんですか?」
彼女は首を傾けながら、自身の口元に手を添えながら少し困った顔をしていたが、
「【はぁ……。そういえば、彼はそんな風には私を見てくれたことは一度もありませんでしたね……。】」
溜め息と共に、その表情を哀愁に満ちたものに変えた。
『私は別にそう疲れている訳でもない。貴方さえ良ければ再開して貰えるかな?』
コトッ。
彼女は再び席に着いて語り始める。
【彼は自らの身の上を語り始めました。それが今後の方針を決めることとなりました。】」
「【私は知ったのです。原始人としては劣っていたことが、彼を天才たらしめたのだということを。】
「【彼は、野生の中で純粋な肉体の能力だけで、筋力だけで生きていくのが向いてないことに物心ついてすぐに気付いたそうです。それを補うために彼は工夫に工夫を重ねた。重ね続けた。頭を使った。ただの工夫が、発明や戦術となった。その一例が先ほど話した罠の類ですね。】」
「【彼が話をしてくれたお礼として、私はこの世界に来て初めて、何一つ包み隠さず、彼に抱え込んだ全てを話しました。転生のことや、この世界について私が気付いて誰にも言っていない、言えない事柄について。】」
「【彼に意見を求めつつ、私はとある検証を彼と共に数日掛けてひっそりと行いました。】」
【この世界が、物理的に物凄く狭いということです。箱庭なんですよ、この世界は。垂直方向はどうかは分かりませんが、平行方向。前、後、左、右。どれかの方向に真っ直ぐ進んでいけば、必ず見えない壁にぶち当たります。】
【以前私たちがいた世界基準での、ちょっとした地方都市程度の広さでしょうか。】
【彼によると、おそらくこの世界は直方体の箱の中に、土と水の地面を形造ったものではないかとのことでした。】
【感覚的に、一日かけずに4辺をなぞれるくらいの広さしかありません。出入り口のない、閉じた箱庭。それがこの世界のようでした。】
「【だからこそ、この閉じた箱庭で半永久的に繁栄していくために、長期的な視点というものを、計画性をいうものを根付かせなければならないと感じました。】」
「【私が死んだ後も、できればこの世界の人々に滅びて欲しくは無いと思う程度には、私は人々に愛着を持っていたみたいなのですから。だからこそ、全てを放り出すことなく、私は人々を率いていた訳です。」
【その上で、彼の凄さを彼らの中の誰一人として理解できないということが何よりの問題だと私は認識しました。】
「【世の中は、一部の天才によって動かされる。管理される。だから、天才が排除される世界は永遠に発展しないのです。】」
「【だから私は、彼のような突き抜けた天才を受け入れる、上に立つ土壌を作ることを試みました。それと同時に私の能力に依存しない形で長期的視点を身に着けさせる教育。彼のアイデアにより、私はその2つを並行して進行することに成功するのです。】」
「【要は、彼を認めさせればいい。大人たちに。そのときの様子を子供たちに見せてやればいいのです。】」
「【そのために、私は彼による超省力的かつ汎用性のある狩りと、彼が創り出す新たな農具の採用を行ったのです。当然それは上手くいき、彼は私に次ぐ地位として、皆から認められるようになりました。】」
「【その最中に人々の教育は想像以上にスムーズに進みました。】」
「【最も大きな壁になると考えていたのは、言葉だと私は考えました。それを積極的に使うことへの忌避感を消すには一体どうすればいいか……。】」
【言葉というより、喉を震えさせて出す、音。いや、声といったほうがいいでしょうか、この場合は。】」
「【この世界で、喉を震えさせて音を出すのは、人を除けば原則恐竜だけなのです。それも、肉食のものに限定されます。恐怖の象徴ともいえるそれらが、獲物を襲うときだけに出す音。それが、この世界での声でした。】」
「【人々の深層心理に、その考え方が自然と根付いてしまっているのは当然のことでした。】」
「【それは、彼のアイデアによって非常にあっさりと解決されることとなります。彼主体で行った狩りにより、恐怖の対象を、恐怖の象徴を私たちが使いこなすことで克服したのです。】」
「【更に、彼は複数人で使用することを想定した農具を中心に創り、言葉の使用が必要な状態を作り、道具と言葉による成功体験を徹底的に反復して人々の心に刻んだのです。農作業は老若男女問わず行う訳ですから、非常に有効的でした。】」
「【そこからはひとっとびに改革は進んでいきます。私と彼だけの力ではなく、人々の手によって回り始めたとでも言うべきでしょうか。】」
「【人々が文字に対する拒絶反応を人々が一切持っていなかったことが幸いでした。人々はぎこちなくですが言葉と文字を使用しつつ、お互いに協力し始めるようになり、これまでは個人単位で行われていた狩り道具の作成などにおいて、知識の共有がされるようになったのです。その保全も、私が言い出す前に行われ始めました。】」
「【言葉の重要さから、知識の重要さ。知識の重要さから天才の重要さ。知識の重要さから長期的視点の重要さを人々が人々自身で体感し、理解したのです。大まかに言うと、ですが。】」
「【私も彼もまだ若いまま、そうですね、この世界には太陽や月は無いため、時間の感覚がはっきりしないのですが、恐らく20代の間にそこまで持っていくことができたのは私にも彼にとってもいい意味で予想外でしたね。】」