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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第二章第一節 原始の箱庭 ~人形遭遇~
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原始の箱庭 黒洞窟 通路 Ⅰ

 ん……。


 暗く、湿め湿めしていて、肌寒く、土臭い。


 目を覚ました私は、目が慣れてきて、ここが洞窟どうくつの中であるということに気付いた。私は黒土の壁にもたれかかっていた。


 疲れは消えている。それなりに長い時間、この状態だったということだろうか?


 左足断面部の血は、何事も無かったかのようにその痕跡こんせきすら消えていた。そのおかげで、断面は隠れることなく露出ろしゅつしているのだが……。


 壁を背にし、立ち上がろうとすると、


 カラン!


 そばにスコップがあったらしい。気を失ったと思ったが、どうやら私は無意識のうちにこの場所に辿たどり着いたのだろう。


 何者かに運ばれたとすれば、近くに何の気配も感じず、スコップが私の傍にあることは説明がつかな。


 おそらく、そう近くには入り口はなさそうだ。強い光は両方向に伸びた先からは感じられない。出入り口が近ければ外の明るい光が届くはずなのだから。


 光が上から差し込むような穴は存在していなさそうだがそれでも真っ暗ではなく、薄暗い程度。10メートル程度の視程がある。太陽のないこの世界では、おそらく、物質そのものが微弱な光を放出しているのだろう。


 私は一旦立ち上がることを止め、ジャケットを脱いでしっかりとくくりつけて左大腿(だいたい)に固定した。


 スコップを持とうとも、今の状態ではそれで身を守ることは難しいだろうから、この仮の足で機動性を取った。






 時折後ろを振り返りながら、前へと進む。どちらが洞窟の入り口かは分からないが、動かずにじっとしているだけでは事態は解決しないのだから。


 スコップの左仮足は、思ったよりも歩きやすく、今のところずれてきたり、結び目が解けてきそうにはなっていない。


 順調に歩を進めていくと、視程の先端に赤色が飛び込んでくる。それは黒土の壁に付着していた。進行方向左側の壁に。警戒けいかいしながらそれを確認する。


 それは、壁に書かれた、血のような赤色の文字。







【Who are you?】


 また、英語……。庭園の台座と同じく。"貴方は誰?"という意味。私もそれは知りたいところである。


 匂いはしないが、これは恐らく人の血で書かれてものだろう。恐る恐る触れてみると、僅かに湿り気を感じる。


 少しばかり、私の指によってかすれた、その文字。


 新しい……。どういうことだ? どうして、新しいにも関わらず、臭いがしない? これを書いたのは、何者だ……?


 額から汗が流れ落ちる。それは冷たく、私の今の心理状況を私に知らしめる。


 私は更に先へと進んでいく。すると、また、血の文字が書いてあった。


【貴方は誰ですか?】


 日本語。同じ意味の文。


 湿り気は……? 先ほどのものよりも新しい……。指にその赤が付着した。やはり臭いは無い。


 来た道を引き返し、反対の方向にも血文字がないかどうか調べたが、全く見当たらなかったため、戻ってくると、英語の血文字のところに変化が生じていた。


【Who are you?】

【Entry your existence!】


 元の文の下に書き加えられた新たな一文。


 私は進行方向をぱっと、見た。だが、何かいる気配はない。足跡も私のものしか存在していない。だが、二行目の血文字からは、かすかな鉄の《にお》臭いがした。


 私は身構えながら進んでいく。左仮足での、柄を当てるような蹴り。一発か二発程度なら、放つことができるだろうから。


 私の前にその文字の主は姿を現わす気配はないことからして、警戒けいかいせずにはいられない。


 何が待ち構えている。神を名乗る者が言うところの、悪魔か、やはり? だとしたら、不味い。だが、そうだとしたら、逃げることはもうできないだろう。私は敵の本拠地に知らずして不用意に入り込んでしまったことになるのだから。


 私は奥へと進み、日本語の血文字があったところまで戻ってきた。


【貴方は誰ですか?】

【貴方も血文字で何か記入してください。】

【そして、記入後十分に離れてくだされば、返事を書きます。】


 意思疎通はどうやらできると考えて間違い無いらしい。そして、向こうも私を警戒している。つまり、悪魔の類とは考え難い。


 では、一体……。

 少し迷ったが、走り書きしたかのように見えるその文字の下に、私は自身の回答を書き入れる。ほほの内側の肉をみ、こぼれ始めた血を指に付けて。


【異世界転移者】


 ただ、そうとだけ書いて、私は来た道からそれなりに距離を取るように20メートル程度、引き返す。






 私は自身の不備に今更ながらに気づいた。


 返事が書き終わったか。それをこちらから調べる方法が無い。だから、物音を立てないようにひっそりとひっそりと、前へ進み始める。


 どうやら、最良の目を引くことができたようだ。相手は人。それも意思疎通が可能な転移人の類?。 目前に足先が見え、膝下が見える。褐色の肌。それは間違いなく、人間の足だった。


 期待に胸を膨らませ、更に距離を詰めた私は――――崩れ去った。腰が抜け、尻餅をつく。体の震えが止まらない。


 私の視線の先にいたそれは、あの門を構成する肉人形。肌の色は異なるが、白眼を剥いており、肌に一切の傷、シミ、汚れ、できもの、黒子がない、あの肉人形。不自然に綺麗きれいな、凹凸のない、肌。


 私に気付き、こちらを向く肉人形。その顔は先ほどの人形と同じように白目をいてこちらを見ていた。


 駄目だ……。体が、動かない……。恐怖に縛られた私に、術は、無い……。


  以前の私よ、申し訳ないがこの体を返すことはできないようだ。もはや目の前の死から逃れる術はない。だが、思考を止めることはできず、こちらへ接近してくる肉人形の歩みを止められはしない……。


 終わりか、ここで……。


 特権Ⅲ。この為のものだったのか……。どうしようもなくなって、しかし、逃避すらできないときの、最後の救い。


 祈る。


 神よ、我が消滅をゆる――――その手が私の両肩に、触れた……。


「あ"あ"あああああああああ――――」


 頭が真っ白になり、喉の奥から吐き出される私の叫び。特権Ⅲは不発に終わり、叫びが枯れて……。


 ……。


 …………。


 私は終わっていなかった。何も起こらない……。


 褐色の肉人形は、私の両肩を手で掴み、私の正面に両膝を立て、向かい合い、微笑みを浮かべていた。涙を流しながら。


 何が、どう、なって……。だが、私は今度は狼狽ろうばいしなかった。褐色の肉人形のその表情は、先ほど私をおそった肉人形とは異なり、柔らかさがあり、敵意が一切感じられなかったのだから。






「【落ち着きましたか?】」


 褐色の肉人形は、涙をぬぐい、微笑を浮かべながら、少し首を傾げながら、私の眼下にあの神を名乗る者のように文字を表示させつつ、私にそう言った。

 その肉人形の所作は自然であり、人形というより、人間らしかった。


 この褐色の肉人形が女性らしい。少々高めの丸みのある、包容力がありつつも幼さもわずかに感じるような不思議ないやし声からも、ワンピース状の白い厚手の布の服からも、その上から見える控えめな胸部の膨らみからも判断できた。


 彼女が少なくとも、あれらの肉人形とは何か違うようであると受け入れられたことから、先ほどまでの緊迫きんぱく感はすっかり抜け去った。


「【安心してください。私は先ほどの人形ではありません。姿は貴方を襲っていた人形のそれですが、精神は自意識を持つ人間のそれです。】」


 そう言われて再び、私は彼女を観察する。


 胸部の決して平坦ではないが山ともいえないほどの丘陵きゅうりょう。胸部から腰部にかけてのくびれの浅くもなく深くもないライン。大き過ぎないが小さすぎることもない腰部とでん部。長くすらっと伸びた、引き締まった足。


 全体的に無駄な肉はついていない引き締まった体。身長も160センチ近くはあるだろう。洋装の似合う体形。その質素なワンピースがみょうに似合っているわけだ。


「【そんなに凝視するほどのものではありませんよ。私の体は人ではありません。人のようなもの、人形なのですから。】」


 視線の動きが筒抜けだったようである。失礼なことをしてしまったのだから、謝意を示さなければ。


 だが……、


「あーあーーああー(不快な思いをさせてしまい、済まなかった)」


 っ! どうして、言葉が……出ない?


「【成程。貴方はそれを望まなかったのですね。奇特な方のようで。】」

 私は何とか言葉を発しようと、喉の力の入れ具合、口の開き具合、空気の吐き出しの強弱等、色々と試みてみたが、意味のある言葉をつむぐことはできなかった。焦燥しょうそうが大きくなっていく……。


 私は、壊れている、のか……? どうすれば、どうしろと、いうのだ……。先ほどまで感じていた熱が、急速に失われていく。


 どうしようも……ない……。私は、言葉を失ったのだ……。


 そうして私は、ひざから崩れちる。


「【一旦、落ち着いてください。】」


 と、彼女が私の両肩をつかんで、強くする。


「【ここは、貴方が以前いた世界とは違う。だから、言葉の発し方も違う。私には心当たりがあります。貴方の先達たる私には。】」


 私ははっとして、顔を上げて、すぐそばにある彼女の顔を見つめる。


「【貴方に異常がある訳では無いのです。あわてる必要はありません。心の中で強く言葉にするだけで大体のことは伝わるものです。】」


 彼女は子供でもさとすように私の耳元でそう言った。私を優しく包み込むように抱きながら。


 それは、暖かくて、柔らかくて。広がる道が突如失われたような絶望感が消えていくのを感じた。

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