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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第二章第一節 原始の箱庭 ~人形遭遇~
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原始の箱庭 原初大自然 Ⅳ

 幸いなことに、人形からの二撃目はしばらく来そうにない。


 完全に切り離されたスラックスの切れ端と完全に切り離された左足断片の皮膚ひふを巻き込んで、スコップは刃部分全体だけでなく、柄の半分程度まで、地面に深くめり込ませていた。


 なぜか肉人形は、私への追撃よりスコップを抜くということに固執しているようで、私のことが視界に入っている様子はない。足元に突き刺さったスコップから一切視線を上げないのだから。






 今のうちに、そろりと。しかし、慎重に。


 私は物音を立てず、まずは数十メートル後ずさる。そして、時計周りに弧を描くように移動し、人形の背後へと回り込んだ。残っているのが右足である関係上、その方が動きやすかったから。


 私の進んできた軌道の土はしっとりと湿っていた。よくここまで、上手くいったものだ……。


 周囲を見渡す。


 他にも人形が迫ってきていないか。もしくは、他の生物が接近していないか。今のところ、その様子はない。数十メートル先の肉人形は、私の動きに気付いている様子は無く、未だスコップを抜くことに固執している。


 遅れてやってくるかも知れないと覚悟していた痛みも、今のところそれは私に襲い掛かってはきていない。頭の回転速度も低下してはいない。


 とはいえ、与えられた時間はそう長くは無いだろう。肉人形は次の瞬間にはスコップを抜いているかも知れない。固執することを止めて、その怪力を素手で私に振るうかも知れない。損傷部に痛みがやってきて、のたうちまわることしかできなくなるかも知れない。







 こちらから、攻める。仕留める! それしか、私が助かる道は無いのだから。


 そう決意して、やっとのことで、私は人形の真後ろへ到達することに成功した。ばれるわけにはいかなかったので、これまで以上に慎重に、物音を立てないように私は動いた。


 人形との距離は50センチ程度。息で気づかれる可能性を考えると、これが近づける限界だった。


 人形はまるで私がそこにいることに気づいていない。ただ振り向かないだけで気づいている、待ち構えられている可能性もあるが、迷っている時間はない。


 この肉人形には、頭脳がある。少なくとも、そう思わせるだけの行動を取っている。だから、狙うは、一か所。首。


 スコップによる内出血から、基本的にその肉体の構造は人のものと同等。効く、はず……だ。そうであってくれ……。


 だが、この高さから首には届きはしない。今の私はまともに立つことはできはしない。だからこそ、まずはこいつを、地にわせる。


 そこから、首を狙う。


 私が参考にしたのは、ラグビーというスポーツの記憶。ある選手がタックルされるときの映像記憶。


 その動きを再現しようと、私は片足で立ち上がる。おそらく、タックルにおける一番の問題は自身の体を気遣うための躊躇ちゅうちょ。痛みを回避しようとする心。だからこそ、この手は今の私にとって、最善手。


 人形が続けている、スコップを引き抜こうとする動き。スコップを持つ手の力が弱まるタイミングが必ず存在する。それを見定める。タイミングがずれれば、スコップを支えにねばられ、きっと私は為す術無くやられるだけ。


 チャンスは一度きり。






 人形の肩が少し下がった。


 今だ!


 ガッ!


 一思いに、肉人形に向かって低空タックルした。ひざの辺りを狙って。右肩から当たりにいき、両手で環を作る要領で肉人形の腰の下辺りを抱えるようにして全力で引く。


 グォッ!


 スッ、ギリリリ、ボキィィ!


 仕留め、た……。成功した……のだ……。


 やった、やった、やったのだ、私は!


 肉人形は私ごと左斜め前方向へと倒れこんでいきながらスコップから手を放したので、倒れ切る前に私は両手で人形をよじ登り、首に手を掛け、躊躇ちゅうちょを捨てて、必死でその首に手を回し、締め上げつつ着地の衝撃を利用して、へし折った。


 両腕からきしむ音がしたが、折れてもひび割れてもいない感じだった。肉人形はその機能を停止させたらしく、ぴくりとも動かず、力なく両腕を両足を垂らしている。


 私はそれでも恐ろしくて。自身の両手と、無事な右足と残った左足膝から上を上手く使って、その亡骸の両手両足をしっかりとへし折った。その上で、その両手両足をひものようにくくる。


 そして、スコップの元へ近づく。スコップの周りを、素手で時間を掛けて掘り起こし、スコップの地面から露出している部分にしがみ付き、前後左右に動かすことで、倒れるようにどうにか引き抜くことができた。


 更に、そのスコップを使って穴を直径3メートル程度の半球にした。手の力だけを使い、汗だくになりながらも、動きを止めることなく、私は掘り続けた。


 そこに、肉塊となり果てた、動かぬ人形に戻ったそれを引きってきて、転げ入る。


 私は今更沸き上がってきた強烈な嫌悪感をその上から垂れ流して、その穴を埋めた。


 どうしても、そうする必要があった。肉食の動物の類や、肉人形の仲間に発見されないようにするために。


 肉人形は見たところ、体液を流さなかった。異臭も発していない。だからこそ、埋めるというこの行為には非常に大きな隠蔽いんぺい効果が期待できた。


 終わった、のか……。


 私はスコップから手を放し、その場に大の字に倒れ込んで、め息をいた。死の危機を乗り越えたのだから。


 今更ながらに、疲労で体が弛緩しかんした。






 緊迫きんぱくしていた集中の糸がゆるみ、頭の回転も落ち着いてくる。私はぽけーっと、まぶしさの無い、青々しく明るい昼の空を見上げていた。


 何となく、先ほどまでの状況を考察する。


 私の左足。失った。内部の構造がき出しになっているにも関わらず、血は流れ出しておらず、痛みも無いまま。骨、筋肉、脂、皮、血管、神経。それらは、裂けて、砕けて、千切れているというのに。


 もうまともに立つことは叶うまい……。まだ序の序であるこの旅。到底、成し遂げられそうに無い……。取り返しのつかない肉体の喪失をこんな序盤で経験することになるとは……。


 転移人が絶望する可能性の1つとして予め想定していた、肉体の欠損。旅を続けていくにあたり致命的な、最悪の場合は生存に致命的な欠損。


 危険を犯してでも突き進まなければならないような状況に旅の終盤にでも陥りでもしない限り、それは避けたかった。そのための過剰な警戒。だが、私の警戒に穴があった。


 このような事態になる前に気付くことができる機会は三度もあった。


 一度目は、あの扉を最初に潜ったとき。あの扉から生えた無数の肉人形。あれら一つ一つには脈動があることを把握していたにも関わらず、生きており意志を持つ可能性を私は意図的に排除していた。


 二度目は、退路の確認のために通路に戻ったとき。扉まで戻って確認していれば、肉人形に襲われる事態を事前に防げたかも知れなかった。あっちでは、この開けきった荒野よりも打てる手もずっと多かった。


 三度目は、接近に気付けなかったこと。


 どれだけ機会がありどうして、気付けなかった……。分かっている。どこか、甘かったのだ。甘い想定。そのツケが私を襲っただけ……。






 上体を起こして、患部を見る。


 この世界は、どうやら、肉体よりも精神の作用が大きい世界らしい。痛みを感じないのも、疲れもそう感じずにいられたのも、それで説明がつく。


 脳内麻薬が発生していて痛みを感じていないという可能性は先ほどまでよりも更に薄くなった。足が切り離されるほどの大怪我でこれだけ動き回って今まで一切の血が出ておらず、興奮の冷めてきた今ですら、痛みが発生していないのだから。


 不幸ではあったが、まだ、運がよかった。私は今すぐ死にそうでもなく、生きている。


 思考が加速したことに助けられた。この状況を何とか脱したいという心の焦りからだろう。だが、そうだとしたら、私の頭は常人とは異なる精神構造をしていることになる。


 あのような状況。本来は、濃厚に感じる死の恐怖にひれ伏すところである。泣き叫ぶところであろう。だが私は、その様子をまるで他人事のように客観的に淡々と目に入れていたような気がする。


 恐怖というものの実感が薄かったのだと思う。理解できた振りで最低限の恐怖だけ理解していたのだ。だから、怯えつつも、頭も体も動かせたのかも知れない。だが、恐怖というものを体験してしまった、理解してしまったのだから、今後は違うだろう。恐怖はきっと、私をしばり付ける。


 眼前の惨状さんじょうが自身の現実であることは間違いないと理詰めでは分かっているのだ。だが、どこか、一歩引いているように感じられずにはいられない。この奇妙な記憶喪失(そうしつ)も悪いことだけでは無かったということか。


 助かった理由はそれだけでもない。


 あの肉人形は知性が低い、もしくは無かったのではないか、と今になって思う。本能的に動いていた、それか、プログラムされた敵対の動きでもあってその通りに動いていただけか。


 まだ、相手が良かったのだ。自身の腕を見る。この両腕に残る、あの感覚を思い出す。






 遅れてやってきた、嫌悪感からの吐き気。また、あのときの感触を思い出してしまい、むせる。殺人を人々が忌む理由の一つを私は体感したのだ。その気持ちは穴の中に絞り出し切ったつもりだったが、まだ不十分であるようだった。


 意識すると、罪悪感を感じる。意識すると、吐き気を感じる。意識すると、疲れる? ということは、意識すると、痛み出す? 出血する?


 そう思ったところで、


 ブシュゥゥゥゥゥゥ――――!


 患部から吹き出し始めた、真っ赤な、血。まるで、想像そのもののような、流血の再現。

相変わらず痛みは無いが、頭にもやが掛かるかのように意識が……。


 かすむ意識の中、切断された左足の断片を、元のように患部に当て、駄目元でくっついていく想像をするが、掴んだ左足の断片は、ちりに変わって、消え……。

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