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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第三章第七節 精神唯存揺篭 ~剥き出しの対峙~
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精神唯存揺篭 基底 閉環籠姫心中 Ⅳ

「【ほんとっ? おはなししてくれるの、ふふふふふふふふふ、ふふふふふふ。】」


 彼女は急に、幼児退行したかのように、精神が幼くなったかのような話し方をする。上手くいったのか? どうも判断がつかない。だから探りを入れることにした。


 それはどうしてだい?


 そうわざと正直に強く心に抱く。


「だって、ねぇ、」


 会話はできるらしい。なら、……。問題無い、か……。だが、精神が本当に幼くなったのだとしたら、機嫌による私へと接し方の波が怖い。


「私、乙女だから」


 一瞬私の前から消えた彼女は、私の耳元でめるような声でささやく。はっと振り向くと、舌を出して、糸引く一際甘そうなヘドロ色のつばが見える。


 それはとても美味しそうで、私もつばまってきた。頭が、熱い。動が、高まる……。呑まれると分かっていて、目が放せ……ない……。


 せめて焦点だけでもずらして少しでも落ち着きを取り戻そうと努めていたところで――――スルッ、ネチョッ、グゥゥッ、ビチョッ!


 彼女の顔が、舌が、糸引く甘美な、黒のもやを薄くまとった鮮やかなピンク色の、ヘドロ色の糸引くつばまとう舌が、私のくちびるに触れ、その中へと、入り込んでくる。


 それはその躍動感ある動きとは相反するかのように冷たかった。熱情的な、冷たく深く甘いものの口(くう)内への侵入。浸食。


 ヘドロの味に混じり、キャラメルのような甘い味が。それらは混ざり合い、まるで、甘酸っぱい汗のよう。私は自ら舌を絡ませ、それを味わう。


 墜ちてゆく感覚。俯瞰ふかんする深層思考が、表層の思考と混ざり合っていき、そして、とろけていく。粉砕するように思考が一旦飛び散って、ねっとりと再結合し、ろくまとまらない。


 だがそれが、とてもとても、安らかに感じられた。


 思考は薄れ、本能赴おもむくままに、彼女を抱き寄せ、私は自身のくちびるを彼女のくちびるに当て、じ込み、今度は私が一方的に彼女の口腔くう内に侵入し、浸食した。


 これまでの自分の思考が、全て溶けだしていくような感覚。そして、流れ込んでくる彼女の()()()過去の断片。


 それはこれまで見てきたものとは合わないが、これまで感じていた薄っすらとした違和感が何であるかを、私は知った。


 彼女すら気付いていないそれ。一度見て、何かの間違いだろうと切り捨てていたそれこそが、真実だったのだ。


 あの崖の島が示していたもの。ずっと頭に引っ掛かっていたものの答え。彼女たちの過去についての違和感。どうして、過去の光景の中に、彼女たち二人が同時に出現する場面が一度たりとも無い?


 そして、あの、外から見たら二本の塔の生えた島。踏み入ってみると、実際には一つの崖があっただけの島。あれが、そのなぞの正体を物語っていたのだとしたら?


 全て、虚構。今目の前にいる彼女は、美しい造花に過ぎない。そう気付くことで、私は夢からめた。


 彼女から強引に舌を抜き、未だうっとり余(いん)に浸っている彼女を突き飛ばす。


「あらぁ。お気に召さないようね、()()。もうやめるわ、あざといのは。()()()()()、話し合いましょうか」


 ぐちょ、ぐちょ、ぐちょ、ぴとっ。


 少女はぬめぬめしい足音を立てながら、弧を描くように、私から見て反時計回りに私の後ろ側へ、ゆっくりと回り込み、止まる。


 私はその動きに合わせ、首を、頭を動かす。


 ギチグチグチグチ、ズンッ。


 少女が引きっていた四本の触手は、ほどけ、その形を変えていく。そして、左右一枚ずつの、腰より少し上背中辺りから生えた悪魔の羽の形となり、先ほどまでとは打って変わって、コンパクトに収まった。羽根の大きさは、仮装でつける悪魔の羽根のように小さい、小悪魔のそれだった。






「【で、どぉして、戻ってきたの、貴方? クスクス、クスクス、ふふふふふ。】」


 彼女は首を斜め45度に傾け、髪を乱しながら。顔の下半分だけを私に見せて、笑う。その表情はうかがえない。肝心な目が見えない。彼女を観察していて、目に最もそのときの感情が出ると分かっている。


 だから、これが作為的な笑みであり問いであるかどうかは、私には分からない。


「【どぉして、どぉして、逃げたの。折角捕まえたのに、どうして、逃げたの?】」


 私が答えを浮かべるのも待たず、悪魔少女は言葉をつむぐ。思うがままに、感情のままに、き出すように、私に浴びせる。狂気がれ出しているのを感じた。






 数時間が経過した。


 私の神経はがりがりとけずられている。つな渡りの会話を、がけっぷちの交渉を続けているのだから。


「【ねぇ、聞いてるのかしらぁ?】」


 悪魔少女の声は、にごり始めており、狂気が色濃く乗せられていく。口調は重々しく、威圧的になっており、私の体はこわばってはいるが、これはまだ、入口に過ぎないだろう。聞き取りにくくなるはずなのに、悪魔少女の言葉は私の耳に意味ある音として入って来続けている。


 寒い……。


 ここで感じるのが焦燥しょうそうなどによる熱さであるならまだ救いようもあるが、これだと、どうしようもない。この状態の終わりが迫っており、そうなればもう手はない。そう私は否応なく分からせられている。


「【さぁて。貴方、この世界を見て何を感じた?】」


 突如彼女が私に投げかけてきた質問を境に、場の空気が変わった。






 これまでとは違い、彼女からの一方的な話ではなく、質問が投げ掛けられた。話の筋から一(けん)外れているようであるそれこそ、本題。


 私は、彼女の望む答えを出さなくてはならない。だが、質問の意図がつかめない。

彼女の望みに寄せる云々《うんぬん》を除外して考えても、答えが浮かばない。


 彼女のひとみに宿る、鈍く鋭い光が、目(じり)わずかに一瞬浮かんだしわが、物語っていた。


 ここで出す答えこそ、お前がこの場で生き残れるかどうかを分ける。そう言われているかのようだった。


 そして、彼女は、私に考える時間は与えてくれないらしい。そう間も開けずに、


「【さあて。貴方の答え、聞かせてくれる?】」


 そう私に微笑みかけてきながら、彼女は右手人差し指から、


 ポワぁぁぁ。


 直径1センチ程度の瑠璃るり色の光の珠を放つ。それはゆっくりと浮遊しながら私に近づいてくる。


 そんな、玉虫色の光沢を持ち、虹色の光を纏う、宝石のような珠を、私は避ける気になれなかった。視線がそれに吸い寄せられる。その光は、奥ゆかしく、気品のある輝きを持っており、見ていると心が包まれるような、母に抱かれる赤子のような映像が脳裏に浮かんだ。


 それは私ののどに触れて、


 シュッ、プゥアァァァァァン、パァァァァァァ。


 吸い込まれるように、溶けるように、消えた。のど元に、暖かい飲み物が流れず留まっているような、奇妙だが、不快では無い、不思議な感覚が留まっている。


 このような綺麗きれいで暖かくて、素敵なものが、悪いものの類であるとは到底思えない。だから、あせりも恐れも無い。


 だが、そんな時間は長くは続かなかった。


「【ふぅん、あっ、そぉ。分からないんだ。そっか、そうよね。当然よね。そんな奇(せき)、ありはしない、か。】」


 彼女のそんな独り言と共に、のど元の暖かな熱が、消えていく……。冷えて、冷えて、つい今しがた感じていた感覚が、反転、する……!


 苦……しい、悲しい、やるせない……。こ、これは、何、だ……。暗色の波が、押し寄せてくる。


「【悪いのは、私。貴方のせいじゃないわね、これは。】」


 心が、痛い。映像が見える訳でもない。だが、唯、痛い。分からないが、痛い。これは、今の、彼女の、心、か……?


【貴方が幻に包まれて色々見ている間、貴方の心を励起させていたのが、これ。触れた者の魂を、魂だけにするの。だから、どう? 気持ちよかったでしょ。】」


 確かに、心地良かった。先ほどまでは。


 そう心に強く強く思い浮かべながら、私は立ち上がる。彼女もそれに合わせて立ち上がる……。


「【貴方の心って、触れる者を拒絶しないの。一度は必ず受け入れて、その借り物の記憶を通して、感じて消化するの。】」


 彼女は、そのような心のもっていそうな台詞を、平坦で冷たい声で、無表情で、読み上げるかのように言う。


 そして、


「【普通ね、心の中に何か入ってくるととっても気持ち悪く感じるものなのよ。だから、私は貴方に期待したの。貴方なら、私の中を全部、見て、知って、感じて、消化して、共感して、理解して、くれる、わよね。ふふふふふ、ふふふ、ふふふふふふ】


 嵐の前の静けさは終わり、彼女は、人の姿を辞め、私に降りかかるやく災へと成り果てる。


 悪魔少女の、羽根の形をとっていた触手が膨張し始め、少女を呑みこんでいく。そして、巨大な黒くてかった、この洞窟どうくつの幅一杯の大きさの、目のないたこと成り果てる。これが、彼女の真の、悪魔としての姿なのだ。


 そしてやはり、その足の数は四本だけ。


 そして、黒い墨汁ぼくじゅうを透明なゼリーの中に垂らして閉じ込めたかのような皮膚ひふを持ったたこの口の先から、悪魔少女の人間態の顔が、頭が、首が、肩が、両手が、胸が、べとりとした黒い、汚(でい)の臭いを発するねん液まみれになりつつ、胸より上をき出しにして、い出るように生えてきた。


 その皮()しっ黒に染まっており、虹彩は赤く、結膜は黄色く、目の周辺には、一際黒い血管が浮き出ていた。


 そんな彼女が私に視線を向ける。それはどこまでも冷たく、虚ろだった。そんな彼女の目をのぞいていると、その目が一瞬、まばゆく黒い光を発したような気がした。

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