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てさぐりあるき  作者: 鯣 肴
第二章第一節 原始の箱庭 ~人形遭遇~
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原始の箱庭 原初大自然 Ⅰ

 私の視界一杯に広がっていたのは、先ほどまでとは打って変わって、どこまでも続く自然溢れる昼の屋外だった。


 私の居た世界になぞらえれば、夏。初夏の昼下がり。そよ風吹く穏やかな晴れの青空。


 周囲を一望し、感じる。肺を満たす濃い酸素。有機物由来の自然の香り。どこまでも見渡せる透き通った空気。非加工の草木の色彩。束縛なき野生の躍動感。


 自然と、深い、ゆっくりとした溜息が出る。


 そこは、原初の大自然の中だった。






 どうやら私は、周囲の景観が一望できるなだらかな丘の頂上にいるようである。斜面は、背の高い草に覆われた緑の草原。


 だが、ここから駆け出す前にやるべきことがある。


 退路があるかどうか。それの確認である。


 この世界は、現実寄りと見せかけて、実に幻想的な要素を内包している。神秘的な現象をもう私は何度も見せ付けられている。目に映るだけではなく、体感もした。だから、この爽やかな光景の中ですら、一切の油断はできないのだから。


 外敵の存在のなさそうなあの庭園は拠点として非常に魅力的だ。安心して眠れる。だから、あそこに戻れるかどうかで、私の今後の旅は方針が大きく変わる。


 戻れるとすれば、この出入り口を中心とし、周囲を探索。徐々にその範囲を広げていく。何か危険が襲ってきたとしても、通路を通って逃げ延びればいい。あの赤い球を取り外してしまえば、容易に庭園の中央に篭城できる。積極的に行動でき、容易に活動範囲を広げていけるだろう。


 だが、戻れないとすれば、話は違う。危険度は跳ね上がる。何よりも先に新たな拠点を探さなくてはならないからだ。私はこの世界のことを余りに知らな過ぎる。飢えや喉の渇きや眠気を含む疲れ。今のところおとなしいそれらが、この世界の普通なのか、いつか私に襲い掛かるのかすら、分かりはしない。


 この場所に降り立って、新たに懸念も増えた。先ほどまではずっと屋内にいたのでここに昼や夜があるかは分からない。ずっと昼のままか。昼のままだとして、温度変化はあるかどうか。昼と夜が移り変わっていくか。季節はあるか。それらの周期は。それに天候の変化は。雨や雪が降るとしたら。私の知らない天候が存在する可能性もある。


 餓えや渇きや天候の問題を除いても問題は山積している。特に、負傷についての問題が。


 体に傷がつくか、怪我はするかどうか。しないとすれば、タメージを受けたとして、動けなくなったりはするのか。するとすれば、体が傷つく条件は何か。傷がつけば、どのくらいで回復するのか。感染症等の病は存在するか。


 回復するとしても、どこまでなら、回復する? 回復のために満たさなくてはならない条件はあるのか。例えば、もしも腕が千切れたとすれば再生するのか? 骨が折れたとしたらそれがくっつくのは一瞬か、相応の時間が掛かるのか。治療薬の類は存在するのか。


 次々浮かんでくる疑問。疑問が疑問を呼び込み、私の頭は混沌で覆われつつあった。


 きりがない。


 そのことを間一髪で自覚した私は、目の前に広がる風景に再び目を向ける。すると、その風景に対する強烈な興味が再び沸き起こり、思考の渦をかき消してくれた。






 落ち着きを取り戻した私は、先ほど潜ってきた通路が使えるかどうかの調査しようと後ろを振り向く。すると、通路はこちら側からは、唯の絵のような平面にしか見えないということが分かった。側面や、裏側から見た場合、そこには何も無いようにしか見えない。


 その、一枚の絵のような通路には、上から下まで一枚の透明な膜が張っているかのように見え、光の反射具合によっては、背景の青い空をその出入り口の面である長方形の形にそこだけ切り取ったように無色透明な領域ができていた。可視可能であったこの唯一の面すら、数メートル離れるだけで見えなくなることは間違いなさそうだった。その透明な量気に触れてみても、感覚は一切なかった。だが、その膜が透過時に水面のように揺らぐため、それが膜であると判断する。






 ここが、かつて私の居た世界とは異なる法則に従っている、異世界であるということを嫌でも実感させられる。


 自身の居た世界との違い。それに対応できずに多くの転移者が骸へと成り果てたのではないかと私は憶測を巡らせる。


 私の記憶の中には自身の存在の記憶はないが、私以外の人についての記憶は一切損なわれていない。だからこそ、頭の中に以前の私が残してくれたのであろう第三者視点での様々な人々の様子を見て、分かるのだ。


 頭で分かってはいても、これまでとは相反する新しい理で自身の常識を上書きし、それに従って動くということは難しいことだということが。


 私の前に広がる環境。それを正確に把握して受け入れ、私は歩を進めなくてはならないのだから。そうしなければ、私も同様に、骸の一つに成り果てるだろう。





 再び通路内に戻ろうとすると、あっさりその膜を超えて、先ほどまでの通路へ戻ることができた。立体的な、長い長い通路が先へと続いている。後ろを振り返ってみると、外の風景は見えず、出入り口からはここに近づいたときと同じように光が見えるのみであった。


 通路について現地点でできるだけの考察を済ませた私は再び外へと足を踏み出した。退路はあるという結論が出せたのだから。またあの生理的に受け付けない扉を潜るのは御免だった。本当は確かめるべきだろうが、今はこれで十分と、背筋に走る寒気に従い、私は通路から再び出た。


 一つの大きな憂いを断ち切ったことにした私は、待ちに待った周囲の探索に取り掛かる。まずは、この丘から周囲を眺めることから始めることにした。


 心が澄んでいく。今からこの大自然に思う存分浸ることができるのだと思うと。


 丘の上から遠くを見渡す。庭園での経験から、私は目視かなり正確に尺度を把握できるようではあるが、この大自然はあまりに規模が大き過ぎた。


 このなだらかな傾斜の円錐状の丘の大きさすら計測できない。


 丘の終わりの部分からは荒野が広がっていた。そのところどころには大きめの水溜りが散在している。かなり遠くにあるのでそれらはきっと、ちょっとした湖程度の大きさがあるに違いない。その周辺部には緑が茂っているようである。荒野のオアシスといったところだろう。


 やはり、私のいた世界に似ている。植物の色が緑で、水が透明で、空が青くて、本当によかった。もしそれらが不快感を催すようなものなら、私はとてもここには居られなかっただろう。






 最も近くにある水溜りに焦点を当ててみる。その周辺には水を飲む動物数匹と、背が高く、足元の草よりも濃い緑色の植物が生えているように見えた。


 近いとはいっても、数キロメートルは離れていることは確かだろう。だからか、それらの姿形はほとんどはっきりしなかった。


 それより更に遠くには、隆起した岩場から口を空ける洞穴、荒野を貫きその周囲に背丈の低い草木とそれに群がる数十の小さな動物がいる川、何者かの気配が合間から漏れ出てくる木々の集った森林など、様々な地形が混在しているようだった。


 ここからは、これ以上のことは分かりそうにない。接近して、じっくり調査する必要がある。本当は、丘の上から双眼鏡などで安全に観察したかったのだが、そのような都合の良いものは持ち合わせていない。接近しなくてはならない。これは背負うべき危険だ。もっと、近くで、見たい!


 私は欲に突き動かされ、手に汗握りながら、そのなだらかな丘からゆっくりと歩を進め始めた。






 その丘は私が目測していたよりも広かったようで、なかなか平坦面へ到達できなかった。思っていた以上に目測の精度が大きく落ちているらしい。早くこの尺度に慣れなくてはならない。


 そうしているうちに、緑が途切れ、私は荒野へ降り立った。少し明るめの白っぽい黄土色の地面。草が生えていないからといって、栄養がないというわけではないようである。


 靴の裏を確認すると、土が靴底に付着していた。さらっと落ちないので、水分を含んでいることは明白である。


 丘と平坦部の境界線がまるではっきりと存在しているかのように、丘の終わりから先はしばらく草が生えていない。これは少々不自然だ。草は周囲に種を撒き散らし、無秩序にその生息場所を広げていくはずである。風の流れもあるのだから。だが、そうなっていない。まるで境界線でも存在しているかのようだ。


 理由はいくつか考えられる。


 最も楽観的に考えるとすれば、これらの草を食べる草食の動物が居る。


 少し暗く考えると、土質のせいで草が生えない。そうだとすると、なぜ丘の部分が荒野部分でどう土質が異なるのかという疑問が湧く。


 そして、最も悲観的に考えるとすれば、作為的に草原は制御されている。その可能性は他の二つと比べてそう低いわけではなく、そうであって欲しくないと私が望んでいるだけである。


 結論を出すには情報が足りない。

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