3.さようなら、巫女さん
光の輪が迫ってくる速度からすると、もう当たっていてもおかしくない程の時間が経っているのに、いつまで経っても痛みが無い事に疑問を感じたので瞑っていた眼を開いてみた。
何となく知らない天井だ と言いたくなったが、我慢することが出来た。
なぜなら、天井が見えないくらい高かったからだ。なので左右に視線を振ってみると、漸くここがどこかと理解した。
どうやらここは、病院では無く、地下道や洞窟みたいな場所らしい。そんな洞窟の壁ぎわに倒れている事がわかった。
先程まで、真っ暗で何も見えなかったのに、不思議である。
しかも、さっきまで痛かった全身の痛みも消えた。もしかして、痛みも感じない程の一瞬で死んだのだろうか。
それならば、見えることも、痛みがないことも納得だ。死の苦痛なんて無い方がいいしね。そんな事を考えていたら。
「うきぃー」
「ほお。避けるか。やはり、ただの猿では無いな」
あれ? どうやら俺は死んでいなかったみたいだ。何の偶然だか知らないが、この場所には本物の猿がいるし。あの女性は、その猿に攻撃をしているようだ。だがその猿は普通の猿ではないと言う。俺は、どんな猿なのか思わず見ようと、身を起こしていた。
そこには、日本猿と、巫女さんの衣装を着た長い黒髪の女性が居た。手に持っている物は、竹ホウキか。巫女さんは、柔和な笑顔で日本猿を見ている。
ここが神社だったら、イタズラをしに来た裏山の猿が、巫女さんに見つかってしまい、仕方がなく対峙してしまった様にしか見えない。
それにしても、巫女さんの格好に、あの言葉使いは、まるで合っていないな。巫女さんなら、もっと優しい口調で話してほしいと思うのは、俺の思い込みか。
「うきゃ?」
「はぁ? 今更、猿の振りをしても遅いぞ。観ていたのだろ。魔神の欠片が集う様を」
「うきぃ。うき。うき。うっきー」
「ほぉ。もう天神に報告したと。我なぞ天神の使いが来れば、塵も残さずに消滅できるだと」
「うきゃっきゃっ」
「無駄な抵抗はしない方が身のためだと……笑わせるな猿。だが確かに天神の使いが来れば面倒だ」
「うきー」
「調子に乗るな猿め。天神の使いが居ない今、猿が何を言っても無駄だ。そうだな。良いことを教えてやろう。冥土の土産だ。猿、貴様の記憶を見せてもらった。天神達の情報をありがとよ」
「んきゃー!」
「我が何故、たかが猿との長話に付き合ったと思ったか……゛爆発発破!゛」
巫女さんが掛け声に合わせて手を降り下ろすと。猿は悲鳴も上げられず、塵も残さず消滅していた。
もし見つかっていたのが俺なら、問答無用であのような最後を迎えていたのだろう。あまりの恐ろしさに身体が硬直してしまっていたのだが、よく考えてみると。俺が見つかった訳ではないと言うことは。
これって。もしかしたら助かるパターンかも。そう単純に思ってしまった。
だがそれはフラグだったようだ。
「猿が消えたのに視線があると思ったら。こんな所にも猿人が隠れて居たんだ」
そんな声に意識を前に向けたら、まるで瞬間移動でもしたかの様に、目の前で白い袴が揺れていた。恐る恐る、視線を上げると、柔和な笑顔をした巫女さんと目があった。
「時間も無いし、サクッと死んでね」
終わった。間違いなく終わった。俺は、あの猿とは違い、巻き込まれてこの世界に来ただけの一般人だ。魑魅魍魎を従える様な巫女さんに延命してもらえるほどの情報は持っていない。でもここで諦めたらほんとうに終わってしまう。ほら、ホウキを持った右手が上がっていく。きっとホウキが降り下ろされた瞬間、私は終わる。何か、何かしなければ。俺は巫女さんの眼を見つめながら必死に考える。考えたが出てくるのは。
異世界だと言うのに、なぜ巫女さんの衣装があるんだろう。しかもそれが似合っているなんて。話しさえしなければ、美人さんだし、見た目の雰囲気も巫女さんに合っているし。ほんと。ほんと……
「完璧な巫女さんだ」
その瞬間、ホウキが降り下ろされた。
殺されかけているこの状況でつい声が出てしまった。しかも最後の言葉は、完璧な巫女さんだ、だなんて。なんて恥ずかしいんだ。思わず頭を抱えてしまったのだが。
頭を抱えていられる?
頭を抱えながら思わず見上げると。そこには顔を真っ赤にした巫女さんの顔があった。
「それだけか」
それだけかって……えっ、もしかしたら生き延びる為のチャンスを貰えたのか。えっと、今、完璧な巫女さんだ、って事に生きる術を見いだせたのだから、それに相当する事を並べれば良いんだよね。
俺は、藁をもすがる思いで、巫女さんの着ている衣装がどれだけ素晴らしい物か、着こなしている巫女さんが、どれだけ素敵なのか、その衣装を準備してくれた、送り主のセンスの良さを、繰り返し伝えたが。
「もう良い」
どうやら俺の延命時間(命乞い)は、終了したようだが、藁にすがることには成功したようだ。巫女さんは満足そうな笑みを浮かべている。
「この衣装は我が主から賜った物。この衣装を初めて主に見せた時に言われた言葉と同じ言葉を発した猿人よ。一応確認するが、お前は異世界人なのだな」
俺は、首がもげそうになるくらい、必死に縦に振った。
「ほぉ、なるほど、そう言うことか。悪いがお前の記憶を見せてもらったぞ。我が主は、聞いても教えてくれなかったが。漸く理解する事が出来た。この衣装は神を崇める者の衣装なのだな。主神を崇める、我に相応しい衣装だ」
俺は、再び首を縦に振りまくった。
「うむ。お前は天神とは関わりがないことを理解した。更に我に衣装の意味を教えてくれた。その功績を持って、ひ弱なお前に助言をしてやろう」
見逃して貰える上に、助言まで頂けるのか、あまりの嬉しさに。この巫女さんが自分を拉致した張本人だということも思い至らず、神託を受ける時はこうだと思い。俺は正座をしてから、ひれ伏した。
「異世界人よ、お前は魔神様の力を受け入れなかったか、そうでなければ求めなかったようだな。強力なスキルを宿すチャンスが合ったはずなのに、お前に宿っているスキルは、どれも弱い物ばかりだ」
なんと。魑魅魍魎が騒いでいたのは、この事だったのか。でも巫女さんが説明していた時、俺は気を失っていたのだから、何も求めていなかったのも同然だろう。何だか損をした気分になったが、今は助言の続きを聞こう。
「だが弱いスキルの中に一つだけ、魔神様も困り果てて、封印するしかなかった強力な特殊スキルが宿っている」
もしかして、チートキターってやつか、魔神が封印する以外に手がないなんて、どんだけ強力なんだろう。やっぱり巻き込まれ系は、何だかんだ言って最強ルートなのか。そんな期待を胸に、続きを聞こうと更に頭を下げた。
「それはな。【絶対攻撃力1】ってスキルだ。このスキルを持っていると……時間切れだ」
えっ、時間切れ?
「すぐに天神の使いが来るぞ。良いか死にたくなければ、奴等が去るまで絶対に顔を上げるなよ。それと……我の都合に巻き込んですまなかったな……」
謝られて漸く、この巫女さんが、拉致の主犯だと気が付いた。そう考えると、腹ただしく感じたが。怒りは沸いてこなかった。今の状況がまだイマイチ現実味を帯びていないからかもしれないが、どちらかと言うと。今まで女王様風なトーンだったのに、急に気弱な王女様風なトーンで謝られるなんて。出会ったこともないが、きっとこれがツンデレって言うやつだ。彼女居ない歴30歳過ぎのおっさんに、こんな攻撃は反則だ。こんな事をされてしまったら許すしかないじゃないか。
「異世界人よ。さらばだ。゛座標指定゛゛追跡妨害゛゛適当転送!゛」
顔を上げていないからわからないけど、巫女さんも自身を転送したみたいだ。それにしても自分自身を転送するのも適当なんだ。そんな感想を思っていると。急に辺りがざわめき始めた。
ざわめく感じに不安になり、起き上がって確めたくなったが、巫女さんが言い残した「死にたくなければ、奴等が去るまで絶対に顔を上げるなよ」と言う言葉を思い出し顔を上げる事を我慢した。
すると、ざわめく感じが、形を作り出し声となった。
「ちぃっ。感の良い奴目。逃げられたか」
「天神の使いが、舌打ちなんてしたら駄目じゃない天誅よ」
「ハイハイ。天誅はキツいから謝っておく。私が悪うございました」
「ハイは、一回でしょ」
「ハーィ……って言うか。アレなんだ」
「ハイを伸ばすなって、いつも言っ……何でしょうね」
アレって、どうやら俺の事を言っているような気がするが。取り合えず巫女さんの言う通り、ひたすら頭を下げ続けた。