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「女王様!? こんな所になぜ ―――― 」
「こんな奴ら、我々だけで十分ですっ。どうか里へお戻り下さい」
「ふふ、面白いじゃないの。私達の隠伏呪術をあっさり見破る人間だなんて ―― だから興味が湧いてね、少し話してみてもいいかと出てきたのよ。皆、道を開けなさい」
まさか、上層部どころかいきなりトップのお出ましとは。まぁ話が早いっちゃ早いが、さて一体どんな女王である事か……どこか怖いもの見たさ気分で待っていると、兎達がささっと退いて作った細い通路を歩いてきた影が、群れの先頭に立った。
立ったはいいが……その姿に知らず、俺も兄貴も口が開いてしまう事になる。
「……ラーンちゃん?」
「あんた ―― 一体こんな所で何やってるの、ラーンさん」
そう。それは、エーテルタワーで管理人をしている筈の“天災な幼馴染”そのままの姿だった。
もっとも、髪色は確かに、染めてるのか? という位見事に違ってるが。夜兎族の特徴である黒髪に、これも黒い毛で覆われたウサ耳をにょきっと生やしたその顔は、しかし造作も目の色もまるで同じだ。良く考えたら、声だってそっくりじゃないか。
「おい、お前! 女王様に“あんた”とは何て無礼なっ! やっぱり即刻倒してやるっ」
「お待ちなさい。 ―― お前の知人と言う事は人間でしょうが、それに似ているなんて不愉快ね。でも、とにかく私はお前なんて知らない。それに、我が名はラーテスよ」
「……本気で他人の空似か……それにしても、こりゃ酷い悪夢だな」
思わず、口に出してぼやいてしまう。ラーンさんなら下手すると、何かの悪戯心でも出して兎姿に変装して来ても不思議じゃない、とか真剣に疑ってたりもしたが……赤の他人だとしても、これはこれでうんざりだ。要は、俺はこの顔の持ち主に、いつでもどこでも悩まされるって事じゃないか ―― 何だかもう、依頼も何も全部放り投げてどこかに高跳びしたくなってきた。
「えーと……ラーテス女王? 話はある程度聞いてたかも知れないけど、おれ達は、貴重な薬である山人参への呪いをどうにかしてくれないかと話し合いに来たんだが。これについては、実際どういう見解なのか聞かせてくれないかな」
すっかり『遠い目状態』な俺の隣で、そんな話を持ちかけている兄貴は大した精神力の持ち主だ。我が兄ながら素直に尊敬する……俺にはとても、この先ずっとこの真似は出来ないだろう……。
「あれは、雪兎族の重要な資金源。故に、いわば“兵糧攻め”の一環として呪いを送っている以上、そう簡単に取り止める事はできないわ。人間達も困る事になるのは解るけど、そもそも我々は人間になんて依存してないし、どちらといってお前達の事は嫌いよ。だから、何とかしてくれと泣きつかれた所で、はいそうですかと引き下がる事もない」
「うーん……でもその方針だと、さっきも言った様に何れ夜兎族と人間の間にも争いが起こりかねないと思うんだけど ―― 別に雪兎族への攻撃を全て止めろとか、そういう無理を言いに来たんじゃないさ。君達と雪兎族の確執がそう簡単になくなる筈はないからね……ただ他の種族との紛争まで巻き起こしかねない手段は避けた方が利口じゃないかって、おれは思うな」
「ふむ。お前、そっちの子供よりは余程外交術がありそうね。 ―― 名は何というの?」
「? ……レッドだが」
兄貴が答えると、女王は少し何かを考えている風だったが。やがてその顔に、あまり歓迎は出来ない雰囲気の笑みが浮かんだ ―― これならまだ、ラーンさんの方が笑顔だけは真面だとか思ってしまった俺は少々、いやかなり疲れてるのかもしれない。まぁ、それ「だけ」は、だが。
「良いわ。条件次第では、お前の要求飲まない事も無くてよ」
「て、女王様!? 人間なんかの言う事をなぜ……」
「条件次第、と言っているでしょう。少し黙ってなさい」
「……だいぶ歩み寄ってくれたのは嬉しいが。どんな条件を出すつもりなんだ?」
訝しげに訊ねる兄貴以上に、こっちが不安になってくる。何しろ、ついさっきは「引き下がるもんか」と言った口が譲歩案だ、どう考えたって俺達にかなりの負担がかかりそうな気配じゃないか。思わず、精神だけでなく動きにも多少現れる形で身構えてしまう。
「見た所、お前それなりに腕に覚えはあるでしょう? 実際、先程は我が里の隠伏呪術を見破ってもみせた事だしね。剣も嗜むのであれば、人間にしては結構使える者と言う事 ―― ならば。山人参を賭けて、私と勝負なさい」
「……え?」
「お前が勝てば、お前の要求通り今回は、大人しく呪いを送るのを止めてあげる。その代り、お前が負けた場合、お前はこのまま我が里で暮らすのよ。―― 私の下僕としてね」
「ふざけるなっ! そんな条件誰が飲むかっ。もう依頼とかどうでもいい、帰るぞ兄貴」
「ま、待て。勝手に話を打ち切ろうとするな」
「ふふ……やはり、そっちの子供は使えなそうね。愚かな事 ―― 仮に今、私の前から消えたとしても無駄だと言うのに。私は既に、お前の兄の“名を得ている”のよ? 高位の呪術師に己が名を聞かせると言うのは即ち、己が命運を預けたも同じ……もし今ここから逃げようと言うのであれば、私は直ちにお前にも、山人参に対する以上の呪いをかけるわよ? レッド」
「……っ! そうか、確かにこれは迂闊だったな……」
その脅しに、漸く俺も思い出した。“名とは一種の呪縛である”という呪術界の理を……この理があるからこそ、例えば精霊なんかも人間に名を告げる事は滅多にないんだった。名を知られれば、その相手に名によって縛られ使役される事さえ受け入れなくちゃならないから。
ステラには呪術師も割といるし、だから他の町よりも呪術に関する知識を持つ者も多いのだが。やはり魔法使いや錬金術師の方が多数を占める環境である以上、常に呪術の知識を念頭に置いて行動する、なんて習慣はない。それが、この場合はとんだ禍になった訳だ。
「―― 解った。その条件で勝負しよう……但し。あくまで戦うのはおれと君だけだ。君も、他の夜兎族も、弟には一切手出ししないとの条件も加えてくれ」
「いいでしょう。無論、その子供も我々に何もしない事……これで“契約”は成立ね。なら、少しの間待ってなさい。周囲に飛び火しない様、一定区域を覆う結界を部下に張らせるわ」
そんな事を言う辺り、少なくとも自然環境については思慮深い女王らしい。が、そんなもの今の俺達には何の救いにもなりゃしない訳で……せめて以前に心配した様な、即死系の呪術を使ってくる奴じゃありません様に、と祈るしかないが、この点は案外大丈夫かもしれない。
もし、そうした術を持っているとしても、今までの会話から察するにこの女王、どうやら兄貴を気に入ったらしいから、殺して下僕化を台無しにするなんて事には多分しないだろう。まぁ俺的には、ラーンさん擬きな兎の下僕にされる位ならいっそ殺してくれと言いたいが。
「兄貴……本当に勝てるのか? 兄貴も俺も、呪術は専門外だしちょっと危険だぞ。それに勝ったとしても、あいつ約束をちゃんと守るかどうかも怪しくないか?」
「その辺は、おれは心配してないけどな。幾ら自分達が不利益を被る条件でも、一度宣言したからには約束は守らないと夜兎族の誇りが損なわれるだろ? それに、この戦闘についても実は結構心配ないと思う。呪術は魔法より手間のかかるものが多いからな、となれば……あの女王も戦いの場では呪術よりは魔法を使ってくるんじゃないか? まぁ、ドレインとか素早い発動が可能な術もあるから勿論、油断はしないでおくさ」
成る程……あんなふざけた脅しや提案をされてる中でも、兄貴は冷静に、女王との戦闘がどういう経緯を辿るか予測を立てていた訳か。そして ―― その予想通りに魔法での勝負がメインになるとすれば確かに、兄貴なら勝ち目は十分ある。単に、熟練の冒険者だから戦い慣れてるってだけじゃなく、兄貴は神聖魔法の次に使い手が少ないとされている大地属性の魔法が得意だからだ。地属性の術は魔力消費も多いがその分、威力も強い。上手く決まればあっさり勝利、も有り得る。
後はせいぜい、あの女王が妙な術だの、戦闘後に難癖付けてきたりだのしません様に……何匹もの黒兎が結界の準備に追われる様子を眺めつつ、そこらを真剣に祈ったりする俺だった。