第八話:月眼
杏が試合の終わった中一組とゆっくり話せるようになったのは部員達の応急処置が終わった後。とはいえ、フィールドの外に出てしまえば傷痕は疎か痛みさえも消えてしまうので特に問題はない。
寧ろ中一組は極力ダメージを抑えて戦っていたらしく、三年生達は十分もすれば意識を取り戻しバツの悪そうな顔をしていたほどだ。当然、陸の苦無で負傷した者達も疲労はあるがピンピンしている。
そして杏はフィールドの傍に座り、タオルで汗を拭いてる涼にドリンクを差し出した。
「涼君、お疲れ様でした」
「サンキュー、杏」
礼を述べてドリンクを受け取り涼はそれを飲み下す。うん、これは美味いと笑みが零れるのを見て杏はホッとした。ドリンクとはいえ、味に気を遣ってしまうのは料理好きだからこそといったところか。
そして、同じように杏からドリンクを受け取った藍と真理の視線はある意味、試合よりも人目を引くメンバーのテスト対策に向けられる。これは副主将である修平からの命令だ。
「まさかスバるんも赤点候補なんてね……」
「全く、部活中にテスト勉強させられるなんてよっぽどまずいのね。というより雅樹並かしら?」
真理も数学がまずいといえばまずいが、昨日の蓮の教えで何とかなりそうなレベルまではこぎつけた。
同じように涼も数教科まずいらしいが、藍がこれは出るとヤマを張ってくれたところは全て覚えたため赤点からは逃れられるといったところ。
ただし、問題児達は只今蓮と陸にマンツーマンの個別指導を施されているわけである。
「昴君、とにかく漢字ぐらい全て覚えて下さい。これだけで三十点稼げるテストとまで言われてるんですから、出来なければ馬鹿以下ですよ!」
「雅樹もだ。出る問題をわざわざ教えてくれてるテストなんて滅多にないんだからな!」
どちらかと言えば冷静な二人がかなり熱のこもった指導をしている。あの無表情が板についてる陸でさえ眉が吊り上がっているほど。どうやら昴も雅樹に負けじ劣らずということなんだろう。
そんな二人を見て、涼はスポーツドリンクを堪能しながらもボソッと杏に尋ねた。
「あれ、他の先輩達に迷惑かけてないのか……」
「ええ、先輩方なんですが皆様口々に頑張れとおっしゃってるみたいで……」
「哀れになってきたんだな……」
あまりにも勉強が出来な過ぎて……、とは悲しくなるので涼は続けなかった。
基本、魔法格闘技部は特進クラスに振り分けられているためそれなりに学力が高いものが多い。それにテストが気になるものは早目に切り上げて勉強をしていい、と風雅が言うレベルなので文武両道はかなり重んじられている。
もちろん、全ては魔法格闘技に集中するために自分で組み立てるようにといった理念に基づいてだが。
そんな問題児達はとりあえず蓮達に任せておこうと結論付け、涼の視線はフィールドに向けられた。いや、一番気になる風雅にと言った方が正確か。
「さて、風雅隊長は月眼を発動して来るか……」
「月眼、ですか?」
聞いたことのない単語に杏は首を傾げる。何か幻術でも使うのだろうかと思うが、風雅が幻術タイプだとはとても思えない。寧ろ去年の戦いぶりを見るなり、彼も烈拳を使うスピードアタッカーというところか。
そんな杏の疑問顔に、普通は月眼なんて知らないだろうなと思い、涼は簡潔に説明することにした。
「ああ、風雅隊長の魔力眼って言えば良いかな。ほら、ファンタジーの世界とかで何か力を発揮すると目の色が変わるっていうやつ?」
「ああ、なるほど……」
ファンタジーの世界の中でよく描かれているものと言われれば想像がつく。しかも月眼という名前が付く程なのだからとても綺麗なイメージさえ持たされた。
ただ、マネージャーとしては力のことまで把握しておきたいため杏はさらに詳しく話して欲しいと尋ねた。もし身体に負荷が掛かるというなら癒さなければならないからだ。
「まぁ、変化といえば魔力や身体能力は当然上がるんだけどさ、それ以上に厄介なのが月の満ち欠けによって力が変化するってことだな」
「えっ?」
「つまりその日の月の満ち欠けによって力の質は変わるって感じだな。満月の日なら光の力、新月の日なら闇の力ってとこ。あと時間帯も夜の方に近付くほど力の増幅が見られる」
戦い方は目で見た方が早いということで説明は省くとのこと。ただ、もしかして月ということは自分があのインターハイで見たのは……、と杏の鼓動は早まり始めた。
先程、指令室で含みを持たせるような風雅の言動はまるであの月を見せたのが自分だと言っているように思えて……
「だけど特にまずいのが半月の日。満月や新月と違って力の質が両方均等にあるから厄介だな。まぁ、日食とか月食の日はまだ戦ったことがないから分からねぇけど」
感じからして日食は最悪な力を発揮しそうだけど……、と涼は笑った。敵に回ればこの上なく厄介だが、味方ならこの上なく頼もしい存在だ。
ただし、味方だからこそ容赦なくシバかれることも多々あるわけだが……
「あの……」
「ん?」
他にも何かあるか、と涼は答えられる範囲で答えるといった顔を向けてくれるが、杏はインターハイで見た月について尋ねるのをやめた。何となく恥ずかしくなったのと、やはり風雅に直接聞くべきだと思ったからだ。
ただ、見せてくれたのが風雅だと言われた瞬間にどうなるのかは考えない方が良いのかもしれないが……
「あ、えっと……、涼君のお兄様達は一体どれだけお強いんですか?」
「兄貴達?」
「は、はい。今後の参考のために聞いておきたいので!」
「そっか、風雅隊長より強いもんな」
杏は無理矢理質問の内容を変えたが、とっさの質問としてはけっして無駄ではない内容だった。寧ろ、これからの風雅の予定としてはよく勉強してくれてると褒めてもらえる程だ。
そして涼は少し考えると、彼が表現出来る出鱈目な強さの詳細を簡潔に説明した。
「戦い方の基本としては二人とも烈拳以上で攻撃を叩き込んで来る」
「うわぁ、とても速いんですね……!」
「ああ、てか魔法議院の中でも最速なんじゃないか?」
「お二人ともCROWNに?」
「ああ、ボスの命令で高一になったら無理矢理入れられたらしい……」
淳士はともかく、慎司が深い溜息を吐き出したのはまだ記憶に新しい。おまけに去年のインターハイで優勝した直後、進路を勝手に決められたという事実もあるわけだ。
運が良かったといえば、魔法学院の高等部にそのまま進むつもりだったことだろう。
「でも凄い人なんですね」
「まぁな、二人ともその点だけは自慢の兄貴だし」
淳士に至ってはその点ぐらいしか尊敬出来るところがほぼない、と心の中で付け足した。本当に昔からかなり出鱈目なのだ、あの長男坊は!
「あとさ、もし参考にしたいっていうならここ数年のインターハイのビデオは持ってるから今度見るか?」
「えっ?」
「うちは毎年兄貴達が出てるから撮ってあるんだよ。淳士兄貴は速過ぎるから勉強になるかは分かんねぇけど、慎司兄貴は医療の心得もあるからマネージャーなら学べるんじゃねぇか?」
胸が高鳴る。あの試合をもう一度見られる、つまりあの月を見せてくれた人を確認することが出来る! そう思うと杏は弾けんばかりの笑顔を涼に向けた。
「はい、お願いします……!」
「っつ……!!」
またこの笑顔だ。一体どんな魔法を使ってるんだと言いたくなるくらいその笑顔に動揺させられる。しかも無自覚なのだから余計に性質が悪い。
しかし、またここで浮かぶのは風雅の黒い笑み。だらし無い顔でもしようものなら明後日からの練習は倍どころではない。そう思うと涼は急いで切り返した!
「だっ、だけど風雅隊長以外の男にあまり興味持つんじゃないぞ!? いくら兄貴達と風雅隊長の仲とはいっても揉めたらマズイからな!?」
「え、えっと……!」
「大丈夫だ、風雅隊長は確かに魔王すら霞んで見えるほどドSで容赦ないけど、顔も頭も運動神経も人の百倍は良いから婚約者になっても損することはない! 将来もCROWNに入るなら殉職しても絶対安心!」
殉職は洒落にならないのでは……、とは思うが敢えて突っ込まなかった。というよりどこまで自分は風雅のものと認識されているのだろうか。確かに婚約者と言われキスもされたわけで……!
それを思い出すと杏は真っ赤になり、しどろもどろに何かを伝えようと必死になった。
「え、えっとその……!」
「何だ、不満はあるだろうが何かあったのか!?」
不満があると言い切るのもどうかと思うが、風雅がかなり強引に迫っているのだけは確かだ。助けてやることは自分の命を捨てることに繋がるので出来ないが、話を聞くことぐらいは出来る。
「は、はい……、その……」
やはり何かあるのかと涼はこの際全て吐き出してくれと身を乗り出して杏に詰め寄るが、彼女の答えはあまりにも純粋でいて、そして的を得ていたものだった。
「何故、私なんでしょうか……」
「……へっ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。あまりにも唐突、しかし誰もが一度は思うことだ。
事実、涼も杏のデータを見せてもらった時、確かに可愛いし頭も良い、風雅の好みといえば分かるが彼女じゃなくても良いのではと思ったのだから。
当然、それは本人が一番思っていたことらしく彼女は俯きながら心中を吐露した。
「いえ、他にも風雅様に相応しい方もいらっしゃいますし……、でも私は何も答えてなくて……、正直、風雅様をお慕いしてるのかもまだよく……」
そう、答えていないのだ。それでも自分を思ってくれる、それが何となく申し訳ない。もちろん、風雅の命令と言われてしまえば逆らう勇気はないのだけれど……
それには涼も同感らしく、コクコクと頷いた。風雅だからという理由で杏が風雅の婚約者にされたと納得していたのだから。
「言われてみたらそうだな」
出会ったのは数時間前、それで一気に風雅の婚約者とまで言われても混乱するだけだ。もちろん、風雅とて初日なのだから一気に杏のを自分のものにするつもりはないのだろうが、こうも急過ぎるのは確かに問題なのだろう。
しかし、それでも一つだけ言えることはある。今まで杏を取り巻いていた環境から救い出してくれるのは間違いなく風雅だ。友人となった自分が一番になれないのは少しだけ悔しいが。
「だけどこれからずっと付き合ってくんだ。風雅隊長は無茶苦茶だけど信じて良いからな!」
トクン、と胸の鼓動が一つ鳴る。信じていいものなど今までの杏には昴と姉ぐらいしかいなかったが、こうやって真っ直ぐな笑顔を向けてくれる涼も、今日出会った中一組や先輩達も信じていいのだと言われてる気がした。
そう思うと杏は戸惑いすらあるものの、今まで見せたことがないほどの柔らかな笑顔を涼に向けた。
「はい……!」
完全にやられた、風雅がいなければ間違いなく惚れてる自信さえあるとまで思わされた。ただ、涼の理性と彼女に対する友人として付き合っていきたいと思う気持ちが勝れば、言える感想は一つだけ。
「……反則だろ、その顔」
「えっ?」
「風雅隊長が惚れた理由が分かる気がする……」
「はい?」
一体何のことだろう、と杏はただ疑問符を飛ばすのだった。
そして、風雅達の試合が始まる前、真理と藍はフィールド外に出た修平と駿に目を丸くした。てっきり二人の性格上、試合に出せと風雅に意見すると思っていたからだ。
「あれ? 修平先輩と駿先輩は控えなんですか?」
控え、といえば控えだがおそらくフィールドに出ることなく試合が終わると分かっているのか、修平は残念ながらと肩を竦めて答えた。
「いや、どっちかといえば副審だな。風雅一人で十人相手するってさ」
「そうなんですね」
真理があまりにもあっさり答えたことに修平は目を丸くした。もちろん、彼女が一人で戦ったとしてもそれなりに良い線はいくだろうが。
「何だ、驚かねぇのか?」
「まぁ、風雅隊長ですしまず負けないですよ。それより気になるのはジュニア選抜のメンバーです」
「もう聞いたのか」
「はい、蓮から」
結果発表はテスト終了後なんだけどなぁ、とは思うが中一組にいたっては今後、一軍選手とも別メニューを熟してもらうため特に知られたからといって問題はない。
敢えて挙げるとすれば、問題児達の補習対策と何かしらのトラブルに巻き込まれることか。
修平は腕を組み、フィールドに視線を向けたまま今後の予定を簡潔に説明した。
「そうだな、とりあえず今から風雅と戦う奴らはインターハイのメンバー選出だ。だからまだ俺達以外、ジュニア選抜のメンバーは決まっていない」
「えっ!?」
鍛えればそれなりに伸びるメンバーなだけに真理と藍は驚いた。其の上、中には自分達と戦って互角ではないかというメンバーもいる。
そんな驚いた表情を浮かべている二人に、やはり予測どおりの反応だと思いながら駿は答えてくれた。
「彼等の内数人は去年のベンチメンバーで、あとのメンバーは現在二、三軍の戦闘者なんだ。だけど風雅が素質があると判断して一軍テストを受けさせてるから、彼等もある意味贔屓してる方かな」
君達ほど反感は買わないけどね、と駿はニコッと微笑んだ。しかし、それを事実とするなら自分達は本当にとんでもない日程でジュニア選抜に臨むことになる。
「じゃあ、私達は本気でインターハイを回避して別の予選リーグを勝ち抜かなければならない訳ですか?」
「そうなるね、ついでにその時期はCROWNと合宿になるかもしれないし」
「えっ……?」
CROWNと合宿、つまり高等部の一軍と合宿ということになる。おまけに監督はCROWNのボスになる可能性も捨てきれない。
いや、あの淳士の上司をやっているぐらいなのだから、魔法議院の仕事をそっちのけで自分達を扱きに来るに違いないと考えておいた方がいい。
それに真理と藍は顔色を青くしたが、言った駿も冷汗を掻くぐらいの動揺はしているようだ。楽しみと答えるのも間違いなく淳士だけなんだろう。つまり風雅ですら動揺を隠せなくなるレベルで……
「と、とりあえず、まずは風雅の試合だ」
「そっ、そうですよね! 風雅隊長強くなってるんだろうなぁ!」
あまりにも想像したくない内容だったため、修平は無理矢理その話題を打ち切り風雅の試合に集中することにした。
それから約数分後、試合開始の挨拶が終わり風雅の周りを十人が固めた。しかし、顔色が変わっているのは風雅ではなく相手になる十人だ。
風雅を相手にする、たったそれだけのことが一軍の昇格テストを受けるレベルであっても息を飲んでしまう。
しかし、その中でも風雅にこのテストの意味を聞かされていた大村という三年生は全力で彼を倒すと決めていた。「インターハイを回避しジュニア選抜に向かう、だからお前がこれから一軍のリーダーをやれ」と言われていたのだから……
「全員臆するなっ! 相手は一人、防げない手は必ずある! 全員何が出来るのか考えろ!!」
「……!! はいっ!!」
大村の鼓舞に部員達は闘気を取り戻す。上に立つ者で大切なことの一つに統率力がある。風雅が彼を今後一軍のリーダーにと推した理由はその点が優れていると判断したからだ。
寧ろ、信頼という点においては彼の方が高いのではないかと評価している。主将という立場上、それを口には出来ないのだけれど。
「全員本気で掛かって来い。それこそ殺す気でだ」
自分の方が毎回殺気だらけじゃない、そう藍は心の中で突っ込んだ。しかも去年に比べて威圧感まで増しているため余計に性質が悪い。
しかし、相手も自分達と同じだった。風雅が掛かってこいと言えば意を決して突っ込んで行く。しかもかなりのスピードでだ!
「速いっ!!」
「トップスピードなら涼の七割には達するわよ!!」
烈拳にはならないものの充分速さがある。寧ろ無理矢理連撃を繰り出すより有効な手段ともとれる。
ただし、それはあくまでも一般的な相手と戦っている場合だ。いま彼の相手をしているのは中学最強と謳われる選手なのだから。
「確かに良い動きだし伸びるだろうけど、努力を惜しまない天才には通用しない」
「でも、風雅隊長は使うんですね」
相手に礼を尽くすために、だからこそ自分の切り札を風雅は使うことにした。そして、杏にとっては初めて間近で目にすることになる。
風雅の髪がフワリと揺れ、その瞳は紫水晶のような幻想的な色味を帯び始める。感じとしては特に派手さもなく静寂の中をまどろんでるようにも思えた。
しかし、内に秘められた魔力は激しく上昇している。
月眼の光に当たる力だと、今まで何度もその力を見てきた者達は風雅が光と闇のどちらを使っているのかすぐに理解した。
「月眼」
「あっ……!」
トクン、と杏の胸は高鳴った。今日は三日月で光の強さは二、三割。身体が月の光に守られているように発光してると思った刹那、部員三人が一気に弾き飛ばされ意識を失った!
「速いっ……!!」
「えっ!? 杏、あれが見えてんのか!?」
それに涼は驚いた! 風雅は少なくとも月眼を使っている時点で烈拳以上のスピードを出している! それを正確に目で追うなど格闘技を行ってるものでも簡単に出来ることではない!
だが、杏の目にはまるで流れるように相手に一撃を叩き込んで倒していく風雅の姿が見えていた。
この人がきっとあの月を見せてくれた……、そんな確信すら覚えさせられるような姿に杏の胸は締め付けられた。
そして、最後の一人が一瞬のうちにその場に崩れると風雅は目を通常に戻す。余計な疲れを残さないため、月眼は戦闘時以外は一秒でも使わないのに越したことはないのだ。
そんな一方的な試合を見た修平と駿、そして中一組は改めて風雅の強さを体感する。それは試合の残り時間で充分過ぎるほど理解出来た。
「五分も持たないか……」
「仕方ないよ、風雅の月眼は簡単に止められない……」
それを止められるものは……、と浮かぶのは高等部の面々だ。風雅がどれだけ強いとはいっても、その上をいく者達が高等部にはいやというほど存在しているのだから……
しかし、風雅はこれだけの力があるならと笑みを浮かべた。月眼を使って一撃でも彼の攻撃を防いだことは大きい。
昨年は決勝戦でしか開眼しなかった上に彼の攻撃を防げた者は数人だったのだから。
そして風雅は辛うじて気絶しなかった大村に手を差し延べ、その健闘を讃えた。
「充分だ、インターハイは頼んだぞ」
「ああ……」
風雅の手を握り大村も微笑を浮かべたのだった。
それから全ての試合が終わり、全員でクールダウンを終えた後、部員達の前で風雅は坦々と連絡事項を伝えた。
「今日の結果は明後日のテスト終了後に通達する。そして練習は明後日の午後から各軍で行う。テストは赤点を取らないように、以上!」
「ありがとうございましたっ!!」
体育館に部活終了の挨拶が済めば各々散っていく。そして、今日から新入部員となった中一組は当然体育館のモップを掛けて帰らなければならないわけだ。
そんな中一組と修平達だけが体育館に残った状況になると、杏とこれからの部活内容について話していた風雅は一旦話しを切り上げ、パンパンと手を叩いた。
「お前達、モップを掛けながら聞け」
風雅の声に中一組は反応し耳を傾ける。もちろん、作業の手を止めようものなら痛い目に遭わされるので続行中だ。
「とりあえず今日は家に帰って勉強しろ。それと昴、お前は寮に入ってたな?」
「ウッス」
「面倒だから今日から冴島家に住め。生活の面は一切心配いらないし、お前の両親にも連絡は入れておくから気にするな。引っ越しもこちらで手配しておく」
「……はい?」
一体どういうことだ、寧ろ冴島家に住めと何故風雅が言えるのかと疑問符だらけになるが、雅樹と陸に両肩を叩かれて首を横に振られた。口答えはしない方が身のためらしい……
しかし、それは昴だけではなく修平と駿も一緒だった。無理強いはしないが、と昴とは違って選択権を与える。
「修平と駿はどうする? 部屋はいくつでも余ってるから今日引っ越しても構わないが」
「そうだな、だが来週の休みにでもするさ。お前達のところに行くと自分のテスト勉強が全く出来ん」
「そうだね、後輩達の指導は大変だし」
というより手が掛かり過ぎる……、と先程の雅樹と昴を見てそう確信した。学年でも優秀な二人ではあるのだが、雅樹と昴に勉強を教えるとなればそれなりの体力と気力を要するので、出来れば避けたいと思ったからだ。
その気持ちは風雅も小学生の頃から弟分達の勉強を見てきたために分かるのか、彼は来週までに手続きをしておくと伝えた。
「じゃあ、体育館の鍵は任せたぞ。杏、指令室に来い」
「はい、風雅様」
「ちょっ、待った!!」
体育館を出ようとした二人の前に立ちはだかり、昴は両手を広げて行く手を遮った。それに風雅は眉間にシワを寄せて、いかにも邪魔だといわんばかりに不機嫌さを顕わにする。
「何だ」
「何だじゃないっスよ! 部活後に二人きりで指令室なんて杏ちゃんに何するつもりスか!!」
「わざわざ知りたいのか?」
絶対どや顔なんだろうな、と風雅の後ろ姿と昴の悔しそうな顔で一行には想像がつく。そんな応酬に杏は顔を真っ赤にして俯いており、とても自分の意見など言える状態ではなかった。
「まぁ、まだ婚約者と言っても初日だ。それにお互い中学生だしそれなりの我慢はするさ」
「それなりって何だよ! てか、手ェ出すダアッ!!」
胸倉を掴まれたかと思えば、その体は宙を舞って風雅の後に投げられ、昴は陸のモップの前に倒れ込む事になった。そして何するんだと反論する前に昴は息を飲んだ。目の前にいるのは風雅様だ!
「俺に逆らうんじゃない。陸、ちゃんと飼育しとけ」
「はい、分かりました」
これ以上邪魔したら殺す、といわんばかりの視線を刺した後、風雅はふんわりした笑みを浮かべて杏の手を取り、鼻歌でも歌い出しそうなオーラを飛ばしながら指令室へと向かうのだった。
そんな生贄となった杏に陸は無表情ながらも心の中で合掌するが、杏もとい自分が懐いている相手を取られた昴は体育館の片隅に座っていた修平達に犬化して泣き付いた。
「あれで良いんスか! 修平先輩達はあの暴君ぶりに何とも思わないんスかっ!!」
「泣くな、大型犬」
とは言いつつ気持ちは分かるのか、修平は感情は篭ってなくともよしよしと昴の頭を撫でてやる。隣に座っていた駿も眉尻を下げているあたり、多少なりとも同情しているのだろう。
「まぁ、全く思わないといったらふざけんなってことの方が遥かに多いが」
「無茶苦茶ストレスなんスね……」
それでも耐えていられるのは慣れということなんだろうか……、と全員が思う。もちろん、修平のメンタルが中学生にしては強いということもあるのだけれど。
しかし、一番の理由は出会って一年しか経っていないが、それだけ風雅を評価し信頼しているからだ。
「だが、風雅は何だかんだ言いつつきっちり見てる。大体、お前達がいくら特進クラスでも、一年初っ端からスタメンテストを受けさせるなんて所業をやってのけたのは初代部長と淳士さんぐらいだ」
「そうだね、慎司さんでも俺達を引き上げてくれたのは五月の新人戦前。だからかなり異例なんだよ?」
「淳士兄貴の場合は面白いからって理由な気がするんだが……」
それには一同納得した。涼の言うとおり、人生は面白い方が良いといった理由で全てを決められるのが冴島淳士という男だ。深い考えが全くないとは思えないが、もう少し考えて欲しいと思うことは多々ある。
しかし、いま問題になってるのは何様俺様風雅様といった魔法格闘技部の独裁者なため、淳士のことまで考えて気を重くするのは止めることにした。
どのみちCROWNに所属すれば、嫌でも淳士と風雅について悩むに違いないのだから……
「とにかく! 練習は明後日の午後からでお前達は第五体育館に集合しろ」
「えっ? 一軍ってここじゃないんスか?」
そう、既にジュニア選抜に出るとなった時点で全員一軍入りを果たしている訳だが、何故か集合場所に選ばれたのは誰も使わない第五体育館である。
もちろんスポーツするのに事欠きはしないのだが、魔法格闘技には少々不向きと言った方がいい場所だ。
「確かに一軍はここだがジュニア選抜メンバーは別メニューを組まれる。てか、お前達はまず基礎から叩き直してやるから試合なんてしてるヒマはない」
「そうだね、特に昴君は初心者だからまずは魔法格闘技に必要な足腰の鍛練は欠かせないかな」
「なるほど……」
「何だ、聞き分けいいな」
「悔しいんスけど受け入れないわけにはいかないっスよ」
昴は眉尻を下げて答える。おそらく今の自分は魔法格闘技をするにはあまりにも体が出来上がっておらず、試合に出ようものなら間違いなく足を引っ張るに違いない。
なんせ、陸の攻撃補助が無ければはっきり言って負けていたのだから。
それを大人しく聞き入れた昴にもう一度モップ掛けをして来いと修平は促すと、彼は置きっぱなしにしていたモップの元に走って行った。
そして、中一組がモップを掛ける姿を見ながら駿は切り出す。
「さて、中一組はどこまで伸びるかな」
「風雅でも予測不可能なことを聞くな。だが、この一ヶ月を耐え切ればあいつらの強さは今の倍だ」
下手をすればそれ以上の奴も出てくるかもしれない、といった笑みを修平は浮かべるのだった。
お待たせしました☆
今回は風雅の力、その名を「月眼」と言いますがまだまだ実力の全てを出しきっていないというお話でしたが……
とりあえず、月の満ち欠けによっていろいろ戦い方、というより力が変わりますのでそれまでお楽しみに☆
では、今回も小話を。
因みに涼の妹は桜ちゃんという一つ年下の美少女がいます。
〜兄弟トーク〜
涼「やっぱ、姉ちゃんがいるって良いよな」
蓮「お前は兄さん二人に妹がいるじゃないか」
杏「そうですね、羨ましいです」
涼「うん、まぁ、多いって意味では良いんだけどさ……」
蓮「何だ? 淳士さん達と比べて出来が悪いと悩んでるならかなり無駄だぞ?」
涼「はっきり言うな、それに違う」
杏「ケンカでもされたんですか?」
涼「いや、そうでもないな。ただ、綺麗な姉ちゃんがいたら結構毎日のテンション上がりそうじゃねぇか?」
杏「そうですね、私も姉には良くしてもらってますから気持ちは分かります」
蓮「桜ちゃんもかなり美少女だと思うが……」
涼「俺はお前と違ってロリコンじゃねぇよ! やっぱり姉ちゃんってさ(以下略)」
蓮「……シスコンには違いないと思うが」