第十四話:憧れと絶望
数年前、両親に連れられて来たパーティー会場で杏は同級生達に虐められた過去がある。それは今でも彼女の心に闇を落としているが、同時に眩しい光を与えられた日も確かに存在した。
「誰……、ですか?」
ボロボロにされた髪とドレス、一歩も動けなくなる程両足の骨は折られて腫れ上がり、体中はアザと火傷だらけ。おまけに雪の舞う極寒の冬に外で倒れている始末だ。
そんな下手をすれば死んでしまう状況下で奇跡とも言える出会いがあった。
「夏音と申します。すぐに治療しますから!」
光沢のある青のドレス、透き通るような声、雪のように白く滑らかな肌は傷一つ見当たらず、ふんわりとした優しい香を纏う。きっとそれは一流ブランドの香水でも敵わず、彼女が傍にいるだけで心が落ち着く。
そんな素敵な人が自分の手を握ると上級魔法だと一瞬で分かる魔力を送ってくれる。
しかし、夏音はそれだけを送ってくれた訳ではなかった。ポタリ、と自分の頬や肩に涙が落とされその気持ちが伝わってきた気がしたのだ。
「こんなに酷いことを……! 人の命を愚弄してる……!」
泣かないでほしいと思った。真の光の中で生きる人なのに勿体ないと、自分のために涙を流すなんて勿体ないと思った。
ただ、そこで杏は意識を失った。とても安らかな眠りに誘われたから……
冴島邸の浴場は広くシャワーや桶の数も多い。そして女風呂の壁は柔らかな薄桃色で浴槽も白とホテルの大浴場を思わせる。
ただし、使われてる湯は入浴剤も入っていない普通の湯だが、何故か入浴剤がない方が好きというのが女子の意見だ。
そんな浴場を今日も華やかな女子五人が使っている訳だが、真央の背中を流す藍は御機嫌ななめの膨れっ面だ。
「う〜〜!」
「どうしたの、藍ちゃん?」
「やっぱり今日のやつ納得いかないかも。だけど涼が撃つなっていうから我慢中」
「にしても、背中洗うの上手いわよね……」
矛盾というのはこういうことなんだろうと思う。間違いなく藍から感じられるのは自分への憎しみ。表情は優れているとはとても言えない。
しかし、背中を流してくれるということは監督としての判断を理解してくれてるからだろう。
涼に対する恋心すら隠さない少女の割には、きちんと道理を理解する大人ということかと思う。
「まぁ、藍ちゃんの気持ちは分かるけどね。風雅君でさえこの考えに抵抗感があったんだし」
ピタリ、と全体が止まった。杏や桜でさえ目が点になったほどだが、その三秒後に真理と藍の声が響き渡った!
「ええっ〜〜〜!? 風雅隊長ってそんなに優しいの!?」
「私も、絶対風雅隊長がノリノリで命令したんだと思ってた!」
どれだけ普段の風雅って厳しいんだろう……、と真央は思う。それこそ藍達にとっては風雅様なのだが……
風雅といえば大抵の女子に笑顔を向けないクールなイメージはあると思うが、優しさが皆無ではない。気を遣うところはきちんと遣う。礼儀も自分が認めているものに対しては重んじている。
ただ、藍達には遠慮が全くない上に飾る必要性がなく、彼に思いを寄せる女子達からは羨ましい環境に彼女達は身を置いているだけなのだと思うが。
しかし、そうなると早くも杏は一つの結論に至った。
「ということは、真央監督が?」
「まぁ、厳しい課題を提案したのは私よ。風雅君も冴島涼君はメンタル面で追い詰めていいと言ってはくれたけどね」
「やっぱり原因は風雅隊長じゃない! 真央監督はいい人にしか見えないもん!」
「いや、風雅君も戦力外通告は……」
「それを思いつかせたのは風雅隊長だと思う。どうせ地獄のメニューだけじゃ面白くないって言ったんだ」
確かに言ってたけど……、とそれ以上は言えず、自分はどれだけ優しい人間にされているのかと思う。
もちろん、監督としてはまだ半人前なので崇め奉られても困るのだけど……
「えっとね……、とりあえず冴島涼君には個人で戦う精神力は不可欠なのよ。それに淳士さんに対抗出来る素質は風雅君並にあると踏んでるからね」
「それって涼に期待してるから?」
「というより皆よ。ジュニア選抜の団体戦登録人数は十二人。勿論、一試合の人数は限られてるけど誰が欠けても勝ち上がれないわ」
だから少しでも強くなってほしい、そう笑う真央に藍は後ろからギュッと抱きしめた。
「きゃっ! 藍ちゃん!?」
「うんっ! 真央監督大好き! やっぱり監督は優しい人じゃないとダメだよね!」
「まぁ、メニューは鬼だって言われるけどね」
「良いの! だって信じてるんだから!」
だから頑張れると藍は笑う。そんな親友の懐きっぷりに真理は珍しいこともあるものだと感心した。
基本、藍はなかなか人に懐くようなタイプではない。それが例え同級生の女子でも嫌いなタイプは嫌いだとはっきりしている。
しかし、この数日に知り合ったメンバーは気に入ったらしく杏や真央には抱き着いてる始末だ。おそらく修平と駿のこともちゃんとチームメイトと認めているのだろう。
「コラ、藍ちゃん。くすぐったいわよ」
「あっ、ゴメンなさい。でも真央監督のお肌ツヤツヤで羨ましいなぁ。やっぱり回復魔法も得意とか?」
「そうね、指導する立場としては一通り出来るけど杏ちゃんほどでもないかな。あっ、ママ直伝のお肌ツヤツヤの回復魔法はあるわよ?」
「それやるっ!」
パアッと表情を輝かせる藍には小狐の耳と尻尾が見える。犬、兎、狐と本当に賑やかなメンバーなんだなぁ……、と来年中学生になる桜は早く皆と楽しく過ごしたいと思うのだった。
とりあえず湯舟に浸かろうと二人が広い浴槽に入れば、ザブッと湯が浴槽から溢れ出る。今日の疲れもこの時が一番とれると思うのは若者でも一緒だ。
湯舟に入って来た二人が緩んだ表情を浮かべているのに杏は穏やかな笑みを浮かべていると、真理が先程の話を続けた。
「そういえば杏ってやけにマッサージとか回復魔法に詳しいよね? しかも回復魔法は桜ちゃん以上じゃない?」
「そんなことは……」
「本当に教えて欲しいぐらい早いんですよ! だけど風雅隊長が試行錯誤しろって杏さんを独り占めするんです〜〜!!」
うぇ〜ん、と泣きながら桜は真理に抱き着いた。しかし、それを慰めてはやれるものの、風雅から杏を奪うなんて自殺行為は出来ないが……
そんな妹分を慰めながら、真理はもっともな質問を杏に投げ掛けた。
「杏の家はお医者さんとか?」
「いえ、違いますよ。それに回復魔法は数年前、とても綺麗な方に治療して頂いて憧れたといいますか……」
「なるほど、それでそのスピードなんだ」
確かに杏みたいなタイプなら憧れで努力してスキルを磨いていくのかもしれない。事実、彼女がはにかんでいる分だけその実力は高い。
しかし、真央の観点は違っていた。とても綺麗な方、そして回復魔法の早さと質、正確にいえば独特の回復魔法でそれを使えるのは世界広しともあの一族しか真央は思いつかなかった。
もし、本当にそうだとするのなら……
「……杏ちゃん、名前とか分かる?」
「はい、確か夏音様とおっしゃっていたかと」
その名前を聞いた瞬間、真央は目を見開いて驚いた! そう、真央の脳裏に浮かんだ顔はまさに絶世の美女と言っても過言ではなく、さらに魔法界の中でも回復魔法に長けた一族出身の……!
「まさか、竜泉寺夏音……!」
「えっ?」
驚きというより焦りの表情を浮かべる真央に杏達はどうしたのだろうと思う。ただ、魔法界名門の冴島家長女である桜は竜泉寺という一族も名門だと聞いてはいたが……
しかし、真央はまだ全てを話すべきではないと思い、比較的安全な情報だけを提供するにとどめた。
「杏ちゃん、おそらく杏ちゃんの治療をしたのは竜泉寺夏音、魔法学院高等部の三年生で現CROWN医療部隊の部隊長よ」
「えっ……!」
そんなに凄い人だったのかと杏は目を見開くが、藍達もCROWNの名を聞き驚きを隠せなかった。
とりあえず何とかその情報だけで彼女達はいっぱいになってくれたかと、真央はフゥと息を吐き出して話を続けた。
「何となく質が似てると思ってたけど、まさか竜泉寺の回復魔法を憧れだけで使えるって普通は……」
その時、浮かんだのは父親の言葉の数々。杏を潰さないようにと言った理由はこのことを見抜いていたからだろう。
しかし、そうなると話はいろいろ複雑なことになり、今後のことも考えれば真央だけの手に負えない事態も想定出来るわけで……!
「とりあえず上がるわ。ちょっとパパに聞かなくちゃいけないことが出来たから」
ザバッと勢いよく浴室から出た後、彼女は急いで体を拭いてジャージ姿に着替えるとダッシュで自室へと向かう。
まさか杏が使っていた回復魔法が竜泉寺一族のそれに限りなく近いか、また同じものだとしたらいつか杏が狙われる日が来るのかもしれない。
おそらく、風雅は杏の回復魔法の質に気付いていたのだろうが、先日の事件については深くは知らないはずだ。
というよりも、風雅でも情報を掴めないようにCROWNが隠したと言った方が正解である。
その事件とは冴島淳士が仲間である竜泉寺夏音を助けるため、魔法議院に所属する組織の一つと上層部の役人達を一人で始末したこと。
そしてその残党達は未だに竜泉寺一族を狙っているということだ……
風呂から上がり、Tシャツとジャージ姿の杏が風雅の部屋を訪れると、彼は丁度勉強が終わったらしくきちんと整頓された机の上に課題が積み重なっていた。
さすがは学年トップということできちんと宿題と予習はしているらしい。とはいえ、センター試験まで解ける頭脳の持ち主なのでノート提出のために予習をしているといった感じだが。
「風雅様、失礼します」
「ああ。だが、折角続き部屋の扉を作ったんだから使って欲しいものだな」
それはさすがに……、と杏は俯いた。風雅がいつ使うかとワクワクしているのは分かるのだが、いかにも恋人ですといった顔をしてそれを使うのは勇気がいる、というより恐れ多い。
なので未だに外からノックして、冴島家のメイドよりも腰が低い状態で杏は命令通り風雅の元を訪れている訳だ。
それから風雅は傍に来て座るように命じ、杏はそれに従ってちょこんと座ると、彼は穏やかな表情になった。
「それにしても風呂上がりの杏は可愛いな。メイド服も悪くないが自然な感じもいい」
「あ、ありがとうございます……」
サラサラと頭を撫でられ杏は頬を朱く染める。出会って数日、本当に風雅にはドキドキさせられてばかりだが、こうして優しくされることが心地好く感じられる。
ただ、自制心が働いてしまうのか甘えてはいけない人なのだと言い聞かせている。あくまでも風雅は手の届かない人でこうして隣にいるのも許される人ではないのだから……
「どうした、考え事か?」
「えっ?」
「杏が少し憂いを帯びた顔をする時は決まって何か悩んでいる時だ。無理矢理吐かせることも可能だが、出来るなら俺には遠慮せず何でも言ってもらいたいな」
そうしてまた優しく笑う。他の中一組にも修平達にも見せたことがないだろう表情を見る度に心は痛くなる。
自分にはそんな価値などないというのに……
「……あまり優しくされると困ります」
「そうか、だったらもっと慣れてもらおう」
「風雅っ……!!」
その瞬間に唇は奪われた。もう何度目だろうというほどされているのに相変わらず慣れずにビクンと反応してしまう。それでも風雅は逃がさないと拘束する。
だが、今回のキスは違った。いきなり風雅の舌が杏の咥内に入り込んできて彼女のそれと数秒絡み合ったのだ!
「んんっ……!?」
あまりの衝撃に杏は無理矢理風雅の拘束から抜け出し、しどろもどろに抗議した。ただ本人はしてやったりと非常に楽しそうだが……
「ふ、ふっ……!! し、しっ!!」
「ディープキスだ。もっと長い時間しても良いんだが、あまりやり過ぎると俺の理性がもたないからな」
「なっ……!」
そんな杏の反応に風雅は苦しそうに笑った。本当に一つ一つの反応が可愛らしくてついからかってしまう。いつかその全てを自分のものにしたいというほどにだ。
しかし、これ以上からかえば気絶でもして杏の言葉を引き出すことは出来ないため、風雅はポーカーフェースを保ちながら話しを元に戻した。
「それで、少しは話してくれるか?」
少しでも話してほしい、と本当に自分を心配してくれてるのだと思う。しかし、それでも杏は自分の気持ちを話すことが出来ず、変わりに彼女が少し気になっていることを話し出した。
「あの……、風雅様は竜泉寺夏音様を御存じですか?」
「夏音姉さん?」
きっと本当に言いたいことは隠したと思うが、久々に聞いたその名前に風雅は反応する。
風雅も名門出身ということもあり、さらに夏音が自分のことを弟のように可愛がってくれているためかなり親交は深い方だ。
ただ、彼女を思い出すときにチラつく顔は引っ込んでおいてもらいたいところだが……
「風雅様?」
「ああ、すまない。夏音姉さんとは家同士の付き合いがあってね」
ちらつくと不快な顔を無理矢理引っ込めて風雅は話を再開した。杏に余計な心配をさせたくないのと同時に、出来ることなら夏音に関しては妹分として関わる以外、深く突っ込んでほしくないと思う。
そう、既にその理不尽な被害に同じ医療部隊に所属する慎司があったと報告が来て、本当に彼が昨年のインターハイで優勝したのかという疲労感に満ちていたのだから……
ただし三年後、もし杏がCROWNに所属することになれば、毎日夏音と理不尽な元凶と顔を合わせる部署にCROWNのボスなら杏を置くに違いないのだけれど……
「まぁ、昔から綺麗だっていう評価だけど、俺は凄い医療技術を持った医療戦闘官だと思う。なんせ既に医師免許持ってるからな」
「ええっ!?」
「それでも魔法学院にいるのはCROWNのボスの命令らしいけど」
とはいえ、小学生の頃から医学の勉強漬けだった夏音は普通の、とは言い難いがある意味高校生らしい学生生活を満喫出来て嬉しいと、数ヶ月前にパーティー会場で華が綻ぶような笑顔を見せてくれたのだけど。
そして杏はそんな凄い人に、体も心もボロボロになったあの日に助けてもらったのかと思う。
まるで女神に出会ったような気がして……
「会ってみたいか?」
「はい、私を治療してくれた方ですから……、でも、覚えてないとは思いますけど……」
「……逆だと思う」
「えっ?」
杏は目を丸くして答えた。そう、夏音が治療を施した場合、明らかにやっていないことがある。
それは彼女がCROWNに所属しているからという理由もあるが、一番の理由は竜泉寺一族だというのにといったものだ。
「夏音姉さんは確かに優しいよ。誰彼構わず治療するし、将来は紛争地域で医者として生きたいとすら言ってたぐらいだから」
それがあそこまで強くなった原因と一つには違いないと風雅は思う。ただ医療戦闘官と言っても、高校生でCROWNの部隊長になるのはやり過ぎな気もするのだが……
「でも治療したものの記憶は竜泉寺一族の回復魔法の手法が知れ渡らないために必ず消すし、ましてや夏音姉さんが杏の潜在能力に気付かない訳もないから通常消すはずだ。
もちろん、記憶を消すことが出来なかった可能性も否定出来ないけどな」
とはいえ、本気で消そうと思えばCROWNのボスや淳士だっているのだからそれは容易いことだ。だとすれば考えられることは一つ……
「だからきっと覚えてると思うし、杏の回復魔法を見る限り夏音姉さんはよっぽど助けたかったのか最速クラスの回復魔法を使ってるから予感があったのかもしれないな」
「予感、ですか?」
風雅はフッと笑みを浮かべて杏の頭を撫でる。きっと夏音が杏を見て感じたことは自分と同じだから……
「いつか杏とまた会える、いや、夏音姉さんが会いたいと思ったんだろうな。姉さんはそういうところあるから」
「風雅様……」
もしそれが本当なら会ってみたいと思う。そして会えたらお礼が言いたい。あの時、自分を救ってくれてありがとう、と……
だが、また風雅の表情が歪んだ。長年の付き合いがある中一組なら風雅の表情を見ただけで納得出来るものだが、杏にはまだそれが分からなかった。
「風雅様?」
「ああ、杏の望みならすぐに叶えてやりたいんだけどさ、ちょっと面倒なのが勝手に連絡するとうるさくてな……」
下手をすればここまで来て子供のような抗議を嫌ってほどするのだ。折角杏に癒されてるのに、それすら吹き飛ばしてくれる訳で……
しかし、風雅を困らせるわけにはいかないと思うのか、杏は我慢することにした。なんせ魔法学院高等部にいるのだから、きっとそのうち会えるはずだ。
「では、お会い出来るのを楽しみにしています。ジュニア選抜にはいらっしゃいますか?」
「というより選手だからな。淳士さんには及ばなくても慎司さんより実力は上だし」
「そんなにお強いのですか?」
「ああ、CROWNの医療部隊長だしな。CROWNはどの部隊にいようと戦えなければ基本、所属出来ないんだよ」
というのは事実だが、その方針はかなり他の魔法議院の組織とは掛け離れたところがある。
CROWNといえば足手まといになるくらいなら切り捨てる、という考えでも持っていそうな顔をしたボスのもとに集まる猛者達で、事実彼等はどの部隊にいても何かしら戦う術を持っている。
だが、CROWNの戦闘部隊長は冴島淳士で、彼を育てたのがCROWNのボスだ。つまりそんなガチガチの方針な訳がなく、寧ろその方針はある意味恐ろしい。
「やはり厳しいのですか?」
「まぁ、訓練は俺が数時間で音を上げるらしいが方針はな……」
それには深い溜息を吐き出さずにはいられないが、それを遵守しているものほど強いというのがCROWNだ。
そして、中学を卒業すれば淳士にも慎司にもCROWNに入れと命じられている風雅は淡々とその方針を述べた。
下手をすればそれさえ出来ればCROWNの入隊テストで合格出来るとまで言われているが……
「強くなりたければ飯を食え」
「えっ?」
「ボスに逆らう以上に上層部(一部を除く)をバカにしろ」
「はい?」
「夏音姉さんを泣かせるものはCROWNに消されて死んじまえ」
特に最後の方針は絶対だ、というのは慎司に聞いたこと。
もちろん自分の直属の上司になるので基本、泣かせることも逆らうこともないが、それをやったものはCROWNの幹部級どころかEAGLEまで巻き込むという非常事態に発展するらしい。
その話を聞かされ杏は呆然とした。やはり最強と言われる部隊には一癖ぐらいあるということなのだろうか……
「凄い部隊だろ?」
「は、はい……、夏音様はとても素敵な方なのだと改めて思いました」
そうコメントを切り返してきた杏の頭を風雅は再度撫でてやる。本当に彼女は純粋で穏やかだと再認識した。
これを他の中一組に話したときは「絶対淳士のデタラメが蔓延した部隊」と騒いでたぐらいで、風雅自身も数年後に自分もその方針に従わなければならないのかと脱力感を覚えたほどだ。
そして、スッと視界に入り込んできたデジタル時計の時刻を見て、そろそろ癒しの時間は一旦切り上げかと風雅は残念そうに立ち上がった。
彼が魔法格闘技部の主将である以上、自主練を怠るわけにはいかないのである。
「さて、三十分ぐらいトレーニングルームで走り込んで来るから、杏はその間に藍達と宿題でもやっておいで」
「えっ、また走りに行かれるんですか?」
「ああ、基礎体力はスピードアタッカーには必要だしな。それに涼も多分いるだろうし」
だから扱き上げないとなぁ、と黒い笑みを浮かべる風雅に杏は青くなるのだった。
おそらく、明日の涼は悲愴感に満ち溢れているのだろうと……
真央の部屋は片付いてはいるものの、とにかく物が多かった。動物の縫いぐるみやスポーツ関連の本がみっちり並べられているのは彼女が女子で監督だから。
ただし、どうも度を超えているらしく、育成や格闘に関するゲームやDVDが本棚どころかクローゼットにも納められ、選手の身体にいいと言われているサプリメントの数々も個人単位で管理している。
とはいえ、彼女の懐は全くといって良いほど痛んではいない。理由は両親からの仕送り額が半端ないことと、真央自身も株などでそれなりに稼いでいるからだ。
そんな彼女は今現在パソコン画面に写っているCROWNのボス、つまり父親に向かって抗議しているところだ。
「パパッ! どうして黙っていたのよ!」
開口一言目に怒鳴られたが、彼は冷静にボリームを下げて表情を変えることなく返答した。
『どれのことだ?』
「杏ちゃんの回復魔法、竜泉寺一族の回復魔法と一緒じゃない!」
そこを一番最初について来るのは意外だったらしく、彼は軽く舌打ちした。ただし、それだけ早く杏と仲良くなっているのは喜ばしいことだけれど。
『もう気付いたのか。そういうとこまで母親似だな』
「葉巻チョコレートなんてふざけたもの食べてないでちゃんと説明してっ!」
というより、何でいつもどこか残念な父親なんだろう。
酒を飲みそうで烏龍茶好き、煙草は吸わないが葉巻チョコレート好き、宝くじは当てるがその他のギャンブルはからっきし。
いかにもワイルドそうなイメージなのに何故かピントがズレている気がする。
それでも戦闘指揮官と言えば、魔法議院で彼ほどキレて有能な者はいないとされているのだから世の中は分からないものだ。
『ったく、仕方ねぇだろ。夏音が数年前、杏がボロボロにされてたのを助けたんだからな。その時に杏がコピーしちまったんだろ』
「コピーって、普通の回復魔法ならまだしも竜泉寺一族の回復魔法はいわば禁術みたいなものでしょ!」
『ああ、だから言っといたろ。杏も淳士と形は違うが同じだってな』
それに真央は反論出来なくなった。確かに先日、彼から言われたばかりなのだから。
ただ、杏と淳士の力の差というのは明らかで、寧ろ杏が一生掛かっても淳士に追い付けるレベルではない。それでも淳士と同じというところがいまいち納得出来ないのだ。
こればかりはあらかたの予測はついても全てすぐに納得しろというのは無理と分かっていたのか、彼は簡潔に説明してやることにした。
『まず、淳士の場合は格闘や攻撃魔法においていわば禁術の領域を再現、または同質の魔法を使うスキルを持っているだろう? まぁ、興味が薄いものはあまり学ぼうとはしないけどな』
治療に関しては毒を抜く以外、夏音や慎司に全て任せると言い切ってる人物だ。いくら出鱈目とはいえ、全属性を扱える魔法覇者なのでやろうと思えば全て出来るに違いないのだが……
『だが、杏は完全に魔法のみに関して同質のものを使うスキルを持ってるし、下手をすれば元となる回復魔法をアレンジする可能性も否定出来ない』
「だから危ないんじゃないっ! 杏ちゃんに興味を持つ奴らが出て来たら!!」
『その点は心配するな。何のために冴島家にいてCROWNやEAGLEがいると思ってる。というより、竜泉寺一族を狙ってた根の部分はもう消した』
うちの部隊は夏音に甘いからな、と笑うCROWNのボスも彼女には甘い。だが、CROWNのメンバー達から言えば「娘を溺愛してる」という評価しか下されていない。
なんせ、魔法学院の女子寮で生活しても良いと言っていた真央に危険だからと冴島家で暮らすようにしたのは彼なのだから……
『とにかく、いずれお前もCROWNに来るんだろう? だったら今は余計なことを気にせず学生生活を楽しんでろ。お前等ガキ共の安全ぐらい一般人を守るより楽なもんだからな』
なんせ杏を除く全員がかなりの猛者だ。彼の言うとおり、よっぽどの猛者でも襲って来ない限り何の問題もないのだ。というより、風雅が対処出来る。
そう淡々と答えてくれた父親に真央は一つ溜息を吐き出した。自分が心配することなど、最初からもっと大きな局面を見ている彼にとっては何でもないことだと気付くべきだったと思ったから……
「……分かったわよ。それとさっきのどのことって、まだ何か隠してるわけ?」
そういうところが母親似なんだよなぁ……、と思うが、彼はこれ以上は余計な情報を与えなくても良いと話を誘導していくことにした。
『隠すつもりはねぇよ。それに気付いてることがあるなら全部吐いとけ。まぁ、答えられねぇのがあるけどな』
「えっ? パパでも?」
それは珍しいと真央は目を丸くした。基本、彼は物事の先の先まで読んでいるタイプで、寧ろ分からないことが珍しいぐらいだ。敢えて分からないことを挙げるとすれば女心というだろう。
しかし、今回ばかりは分からないというより任せるしかないと言うべきで、彼は葉巻チョコレートを食べながらも真剣に答えてくれた。
『まぁな、一つはお前もぶち当たってるだろうが小原陸のトレーニング法の確立。基礎体力や回避能力、技術面でも飛び道具の戦闘まではお前も考えてるだろうが、問題は攻撃補助に特化してるということだ』
つまり普通の戦闘に関しては弱すぎる訳ではないが、攻撃補助が無ければ魔法格闘技部の三軍レベルという力しか陸にはない。
かといって、今日の練習にはギリギリ付いてこれたので根性はかなりあるようだけれど。
ただし、真央の気にしていることはそれだけではなかった。
「……パパ、それでも小原君を使わない訳には」
『ああ、現段階ではな。だが、あいつらの才能が陸の攻撃補助を煩わしく思う時が必ず来る。下手をすればお前達が卒業したあとだ』
そう、一番恐れているのはそこだった。陸の攻撃補助はまだ才能の開いていない中学生だからこそ制限も機能する。もちろん、CROWNのメンバーも魔力を下手に垂れ流さない時には有効と考えている。
ただ、問題は陸の制限が無くとも戦えると中一組の才能が開花したとき、それが真央達が卒業したあとに起こったとしたら誰が彼等を導けるのだろう……
だが、それでもCROWNのボスとして決めていることがある。
『ただし、それでも陸には必ずうちに入ってもらう。おそらくあいつの攻撃補助は進化するからな』
「進化?」
どういうことだと真央は食いついた。出来るだけ早く、陸にはその進化を遂げてもらいたいと願っているからだ。
それでもいま答えられるのは、あくまでも予測といった部分だが……
『方向性だけは伝えといてやる。あいつの魔力コントロールははっきりいってうちでもそういない逸材だ。だが、それをどう活かして来るかまでは俺も答えられないから試行錯誤しろ。
まぁ、有り得ないことも導き出しそうだけどな』
それこそ医療部隊の負担すら減らしてしまう術くらい開発するかもしれないと笑った。それほど若いうちの思考というものは柔軟だと思えるからだ。
その時、彼の部屋の扉は開かれ陽気な声が入って来た。だが、魔力は尋常ではない!
『ボス、ミーティングだぞ〜!』
「えっ……!?」
ゾクッとした。いや、そんな単純なレベルで表現していい問題じゃない。画面に写ったのは見た目は凛々しくも内面と強さが出鱈目の青年。ただ、彼の存在が真央を硬直させるには充分過ぎた!
しかし、久し振りに見た妹分の姿に彼はパッと表情を明るくして、親しみを込めて近付いてきた。
『おっ! 真央と話して』
『切るぞ、真央』
プチン、と通信は強制的に切られた。間違いなく自分と話していたらミーティングが出来なくなると考慮してだろうが、それ以上に監督としての絶望をたった一瞬で味合わされた。
彼が魔法覇者だとは分かっていた、高三にしてCROWNの戦闘部隊長だとも知っていた。だが、それ以上に……!!
「有り得ないわよ……、どこまで強くなってるの、冴島淳士……!」
圧倒的なまでの力の差を埋める希望すら奪われるほど、彼はまた強くなっていたのである……
お待たせしました☆
今回は杏の過去を少々。
何やら数年前、CROWNの医療部隊値長である竜泉寺夏音に助けられたらしく、杏はその時の憧れから回復魔法を習得したと。
そしてついに少しだけですがもう一人の主人公、冴島淳士が出てきたものの……
はい、彼の出番はもう少し先なのであります。
では、今回の小話をどうぞ☆
〜学生の本分って?〜
昴「だあああっ!! 何で予習なんてやんなきゃなんないんスか!!」
雅樹「全くだ!! テスト前にやっときゃ 何とかなんだろうが!!」
蓮「お前達が馬鹿だからやってるんだ! どうせ部活に疲れてノート一つまともに取らないに決まってるんだからな!」
昴「だけど蓮ちゃん、部活と勉強だけじゃ面白くないっスよ!」
雅樹「そうだぞ! 学生らしいことなんて腐るほどあるんだからよ、もっと楽しまねぇと損だろ!」
昴「そうそう! 皆で遊んだりとか、彼女作ったりとか」
雅樹「だよなぁ! ほら、俺の部屋にはエロ本もあるんだし貸してやるぞ! それとも官能小説の方がいいか?」
蓮「……はぁ」
昴「何スか、その溜息」
蓮「お前達な、補習になったら全て消されるんだぞ」
雅樹「へっ?」
蓮「結論から言ってやる。まず補習になったら遊べないだろ。それに彼女なんて作る余裕があるのか? エロ本は赤点になった時点で真央監督なら焼きかねない」
昴「うっ……!」
蓮「というより、風雅隊長にお前達の存在を消されるだけだ。それを覚悟で自分の信念を貫くのか?」
雅樹「ううっ!!」
蓮「つまり学生の本分は?」
昴「べ、勉強だったんスね……」
雅樹「だ、だな……」