第十二話:監督は女子中学生
本日は快晴の日曜日。場所は魔法議院上層部御用達の高級レストラン……、傍のCROWNとEAGLEのメンバーがよく使うレストラン兼バー。
まだ夕方六時前ということもあり、客はたったの三人で内一人はアメリカ帰りの中学生というのだから驚きだ。
彼女の名前は結城真央、とはいえ戸籍上の苗字は違うが敢えてそう名乗らされている。それも彼女の両親が原因だ。
「全く、半年ぶりに娘が帰ってきたんだから少しくらいその仏頂面何とかならないの、パパ」
いかにも利発でさっぱりとした性格、それでも中学二年生というその歳特有の可愛らしさを持つ少女は相変わらずな父親に軽く抗議する。
しかし、それは父親にとって自分すら受け入れている評価らしくあっさり切り返してくれた。
「元からだ、気にすんな」
そう言って飲むのはウイスキーのロック……、ではなく烏龍茶のロックだ。
けっして飲めない訳でも恰好をつけてる訳でもない。寧ろこれがこの大男の素だが、中身さえ分からなければワイルドで仕事が出来るイメージを持たせてくれるのがこの男の魅力だ。
そんな大男に対して、女性にしては背の高い、三十代前半のダイナマイトボディを持つインテリ系美女は一つ溜息を吐き出した。
「真央、諦めなさい。というより目付きの悪さが遺伝しなかったことに感謝なさい」
「俺もそう思うよ。顔だけ母親寄りで良かった。性格と買物好きが似ればうちは火の車だ」
「あら、美の追求は女として当然じゃなくて? それとも私に養ってもらいたい位稼ぎが悪いのかしら?」
「そうだな、お前がうちに来れば良い働きをしてくれそうだ。俺は指揮だけに専念出来る」
「丁重にお断りするわ、始末書のオンパレード部隊なんて」
表情は至って普通。ただ、毎回この応酬で思うことは女に口喧嘩で勝てる男が存在するということ。
事実、母親の方がいつも青筋を立てているのは娘からでも分かるからだ。
そして、これ以上は言っても仕方ないと昔からの付き合いと夫婦になっているからこそ分かるのか、母親は赤ワインを一気に飲み干したあと娘との会話を楽しむことにした。
「それより風雅君達を鍛えるのでしょう? きちんとプランは出来上がってるの?」
「もちろんよ! 言っておくけど、ジュニア選抜でパパとママのところには絶対負けないからね!」
勝ち気な性格と目は間違いなく自分達の娘だと二人は微笑を浮かべた。
「こっちには淳士がいるんだがな」
「私のところにも精鋭が揃ってるんだけどね」
「だから良いんじゃない。CROWNとEAGLEの主要メンバーに挑めるなんて、今年を逃したらもうないに等しいもの」
「そうだな、EAGLEのガキ共はともかく、淳士は俺でも予測出来ないことがあるからな」
なんせ、昨日の夜は淳士のおかげで始末書のオンパレードだったわけだ。
とはいえ、それを優秀な部下達や他の部隊に押し付けるなどの措置を毎回とっているため、この父親は事務作業にほぼ関わっていないのだけれど。
ただ、やはり親として少し甘くなってしまうのか、二人は真央に監督として助言しておくことにした。
「真央、一言だけアドバイスしておくわ。相手の先を読むだけじゃなく現状にある力も重宝なさい」
「それと風雅にも伝えとけ。杉原杏は絶対潰すなとな」
そう告げて父親はコクリと烏龍茶を飲む。本当に中身だけが残念だというのは娘の表情から分かるが、母親はそれも含めて呆れたと溜息を吐き出した。
口元に微笑を浮かべている時、この男は大抵未来を全て見切っているのだから。
「何、また興味持っちゃったの?」
「ああ、形は違うが淳士と同じかもしれないからな」
淳士と同じ、その言葉に母親は眉を顰め声を落とす。
「……ちょっと、魔法覇者の素質なんて言わないでしょうね」
「あんな出鱈目な素質は世の中に五人もいれば充分だ。まぁ、強いていえばあいつしか持ち合わせていない方だな」
「そっちの方が性質悪いわよっ!」
机をドンと叩くほどの勢いで母親は突っ込んだ。
まず「魔法覇者」といえば世界にあるすべての属性を操り、尚且つ武にも長けたものという条件が最低ラインだ。
もちろん、認められるには魔法議院のテストに合格しなければならない訳だが、それを弱冠十七歳で得たのが冴島淳士だ。
そして、彼がそのテストに合格出来た理由が魔法覇者の素質があったという理由だけではなく、寧ろもう一つの特殊な力の性なのだが……
『ボス、時間だよ、時間だよ!』
突然、店内に響いたのは簡単ホンのアラーム音。なんと間の抜けたアラームだと思うがこれもこの男の素である。
ただ、もう少しだけ娘との時間は過ごしたかったらしく、小さく舌打ちしたのを見て母親は小さく笑った。
こういうところだけがこの男の可愛らしいところだ。
しかし、時間は時間ということで男はスッと立ち上がる。
「んじゃ、俺はそろそろ仕事に戻るから支払いはEAGLEに付けとけ」
「何ですって!?」
「母親だろ、支払いぐらいしろ。じゃあな、真央。何もなければ夏の合宿でな」
「うん」
そして男は椅子にかけていた白の革ジャケットを羽織り背を向ける。
書かれているロゴは『CROWN』。そう、つまり彼は……
「全く、あのバカは……!!」
「……ママ、まだ別居中なわけ?」
「離婚されないだけ有り難いと思って欲しいわね」
今まで何度離婚届けを突き付けてやったか分からないぐらい突き付けたのだが、その度にたった一言で交わされるのである。
「お前以外、誰が俺に釣り合うと思っている」と……
「でも聞いたわよ。パパ、というか淳士さんが問題起こしたって」
「そうよ。だけど問題はそこじゃなくて、あの男が先を読めていないはずがないことよ。寧ろ分かってて淳士を暴れさせたんだわ」
そうじゃなければ自分の部下達も動くようなことにはならない、と母親は怒りと諦めが混ざったような溜息を吐き出した。
昨夜の事件の結果を簡単に言えば、冴島淳士の人徳がCROWNとEAGLEの合同任務という、敵から見たら恐ろしい結果を招いてしまったということ。
そして、そうなるだろうと前々から感づいていたCROWNのボスはあっさりそれを利用して邪魔だったものを片付けてしまったというわけだ。
もちろん、自分の部下のためということも大部分を占めていたのでその作戦に容赦というものはなく、建造物半壊、重傷者多数、敵組織壊滅も同盟を組んでいたものにまで及び、魔法議院で関わっていた複数名も処分されたのだった。
だからこそ、娘がこのまま魔法学院に居続けることに若干不安がある。
「真央、あなたも魔法学院じゃなくて海宝に来てくれたら良かったのに……」
そうしてくれたらEAGLEの管轄だったから……、と母親は心底そう思っているのは表情から分かる。
ただ、その申し出は有り難いのだが真央はどうしてもやりたいことが風雅達の監督だったのである。
「ゴメンね、ママ。だけど育てるのって楽しいでしょ?」
「……そうね、私達の娘ですものね」
やると決めたらやるのも自分の娘たる由縁。諦めたと母親は眉尻を下げた。
「とりあえず、しばらくは冴島家でお世話になるのよね、淳士にもだけどご両親にも連絡しておくわ」
「良いけど……、つかまるの?」
冴島家の両親はとにかく忙しいらしくあちこちを飛び回っている。特に母親は出産間際まで仕事に明け暮れていたという過去を四回も持つ強者だ。
ただし、世の中にはそれに幼い頃から付き合わされて慣れている者がいるのも事実だ。
「忘れてもらったら困るわよ。あの人も私も二人の弟子なんだから」
「そうでした」
そう、真央の両親は冴島家両親の弟子という関係にある。だからこそまだ捕まえることが出来るのだが……
「でも思うんだけど、冴島家に居候してる他のメンバーの両親も何の仕事をしてるの? いくら何でも数年会ってないって珍しくない?」
「まぁね。だけど世の中にはそうせざるを得ないほど重要な仕事もあるものよ」
それだけしか答えないのはそれ以上言えないということ。ならば追求すべきではないと真央は察し、有意義な母娘の談笑に時間を使うことにした。
翌日、魔法学院の男子寮を出た修平と駿はたわいもない会話をしながら学校へと歩みを進める。
ただ、今日の修平はいつもより眠いのかあくびを連発していた。けっしてテスト勉強で徹夜をしていた訳ではないが。
「修平、どうしたの? 眠たそうだね」
「まぁな。いつもより早く目が覚めたから走ってたんだが、ちょっとやり過ぎたかもな」
「そっか、俺はグッスリだったよ」
「相変わらずテスト前なのに余裕だよな」
それは朝から走れる余裕がある修平もなんじゃ……、と駿は思うが敢えて突っ込まない。
基本、どれだけ部活で遅くなろうとも真面目な性格である修平は宿題と予習はきっちりやっているため、テスト前だからとあまり勉強する必要がないのだ。
「う〜ん、だけど今回は順位も下がるかな。真央が帰ってくるし」
その瞬間、修平の表情は一気に青ざめた。けっして彼女が嫌いな訳でもなく、寧ろ友人として好きな部類なのだが恐るべきトラウマがあるのだ。
「……修平?」
「またあの女に裸足ダッシュとマット運動させられる日々が続くのかよ……」
「だけど修平、身体柔らかくなったじゃない」
「んじゃ、駿は合宿平気なんだな」
合宿、と言った瞬間に駿の穏やかな顔が一気に青くなった。そう、人には思い出しなくない過去というものが存在するのだ。それが恐怖なら尚更……
「いや……、まぁね……」
「無理するな、今のは俺が悪かった」
修平は本気で謝った。因みに駿も昨年の合宿はプール練、海練、滝行とひたすら水の中で過ごした上に通常メニューまで鬼だったのだ。
死にかけたのは事実で、本当に天国のお花畑があるのだと体感して来たのである。
とにかくこれ以上昨年のことを思い出すとテストにも支障がでそうなので、二人は次の犠牲者達について話すことにした。
「だが実質、中一組はどう思う?」
「そうだね、真央にかかればフィジカルは間違いなく夏のジュニア選抜予選前までにはかなり上がると思う。ただ、監督として教えるのに困るのが一名」
「小原か……」
修平は一つ溜息を吐き出した。
おそらく、留学していた真央の知識でも攻撃補助のスペシャリストというタイプは見たことないだろう。それだけ陸のタイプは魔法格闘技において珍しいのだ。
「確かにあいつだけは技能面では試行錯誤してもらうしかないな。もちろん、俺達に合わせられるレベルにもなってもらわなければ困るが……」
「うん、だけどその逆も意識しておかないとね」
「制限か。確かにブチ破ろうと思えばやれるもんな」
魔力を温存するために陸が掛ける制限。風雅いわく、陸の制限は魔力の一定値を超えようとすると何かしら身体に反応が起こって諌めてくれるものらしい。
だが、あくまでも反応であって抑制という訳ではないため、それを破ることは容易いのだ。
つまり、普段から陸との信頼関係を築いておかなければ全く意味のないものとなってしまうのである。
もちろん、あの苦無さばきを見せられて信用ならないことはないのだけれど。
それから学校に到着して教室に入ると、席についてサラっとテスト勉強をしている風雅を見付けた。
「オウ、風雅」
「おはよう」
その声に風雅は振り返ると、二人は何があったのかといわんばかりに一歩後退した。そう、風雅が風雅じゃないからだ。
「ああ、おはよう」
何かキラキラしてる、こんなに良い笑顔を見たのは中学以来初めてかもしれない。風雅が笑うといえば、大抵微笑か嘲笑か勝ち気な笑みといったところだ。
「ど、どうしたんだよ……」
「凄く良いことがあったんだよね……」
原因は聞かなくても分かるけど……、と二人は思う。間違いなく杏が生贄になってくれてるおかげだ。
「ああ、従順な婚約者がいるという生活は悪くないな。今日からは専属のメイドもしてくれるしな」
「何させてんだお前はっ!!」
従順なんて中学生が使っていい単語かと修平は思いっきり突っ込んだが、ふと、風雅は何やら思い付いたらしく真剣な表情で考え出した。
ただ、当然出てくるのはロクでもない提案である。
「修平」
「何だよ……」
「部活の時に杏にナース服姿でいてもらうのはダメだろうか」
「真面目な顔してふざけんなっ!!」
ついには顔面にむけて蹴りまで繰り出されたが、さすがは魔法格闘技部の主将、横にズレてあっさりそれをかわしてしまった。
因みに今までそれが一度も決まったことはなく、返り討ちにあったことすらある。それも先代部長だった慎司でさえ何故か手も足も出なかったという武勇伝付きだ。
すると今度は教室内がざわつき始めた。久しぶり、といった声が飛び交っている時点で風雅は口角を吊り上げる。
そしてその人物は監督の威厳を漂わせてこちらに近付いてきた。
「皆、久し振りね」
その声に修平と駿は一瞬ゾッとした。だが、声を掛けてきた人物は三人の顔を見るなり、パアッとした笑顔を浮かべ飛び付いて来たのである。
「会いたかったわ!」
「だあああっ!!」
教室に悲鳴が響くがクラスメートは慣れているため驚きはしない。そう、アメリカ帰りの真央が修平と駿の頬に口付けたからだ。
しかし、そういうことに入学した時から慣れてない修平は久し振りだということもあり、顔を真っ赤にして抗議した。
「毎回何するんだよっ!」
「良いじゃない、キスぐらい」
「そうだね、挨拶だから」
「小さいのは背だけにしとけ」
「背は関係ねぇだろうが!!」
全く関係のない風雅の意見に修平は怒鳴るが、いつものことだと彼は気にした様子はない。
それとこれは余談になるが、真央は風雅の頬にキスしたこともない。理由は簡単で彼のファンクラブを一々相手にして監督業を疎かにしたくないからである。
「それより真央、相談したいことが増えたんだが」
「何?」
一昨日の夜、これからの予定や個別メニューについては二時間ほどかけてきっちり話し合った。
無論、中一組については様々な角度から見ていかなければならないため、まだ話したりなかった点があってもおかしくはないが。
ただ、風雅は魔法格闘技部主将であると同時に健全かどうかは怪しいが一男子中学生ではあることも忘れてはならない。
「杏にナース服を着せてマネージャーの仕事をしてもらっても良いか?」
「う〜ん、困ったわね」
「いや、困るとこじゃねぇだろ!」
またもや修平は突っ込むハメになった。風雅も風雅だが、マネージャーにナース服を着せるという点に悩む真央も真央である。通常なら即却下だ。
だが、監督としての性なのか真央の元々の性格が原因なのか彼女はキリッとした声で真面目に答えてくれた。
「残念だけど風雅君、人としては良いけど監督として許可出来ないわ」
「人として許可するなよ!」
修平は間髪入れず突っ込むが、風雅はピクリと眉を動かして魔法格闘技部主将としての貫禄を全快にして切り返す。
「異論を聞こうか」
「〜〜〜〜!!!」
何で部活のミーティング以上に真剣になるんだと言いたいのだが、修平はもう声にすらならなかった。
しかし、その真剣さにこの監督は的確な異論を説くのである。
「ええ、風雅君が着せたいナース服、絶対スカート丈短いでしょ? 修平に杏ちゃんの美味しいところ見せても良いわけ!」
雷が落ちた。何てベタな反応なんだと思ったのも束の間、風雅は立ち上がると、いきなり殺気を含んだストレートを修平に繰り出してきた!
「何すんだよっ!」
「修平を気絶させておけば問題ない」
「ふざけんなっ! 中一共は良いのかよ!」
「後から殺る」
「だからだあああっ!!」
もし今年のインターハイの魔法格闘技個人の部に出場していたら、間違いなく優勝か準優勝を掻っ攫うに違いない風雅の拳打を修平は紙一重で避ける。
いや、それ以上にスポーツの域を超えた打撃というのが問題だが、これから杏が絡む度にこの理不尽な攻撃を何とかしなければならないこちらの身にもなってもらいたい。
しかし、人を殺す気で繰り出される拳打は止まることを知らず時だけが過ぎ、やがてチャイムが鳴ると駿は傍観するのを止めて鞄からテスト対策用のプリントを取り出した。
「チャイムも鳴ったし席につこうか」
「そうね」
一応これからテストだし、とマイペースな二人は最後の確認に時間を費やすことにするのだった。
それから一日、無事にテストも終わり時刻は三時前を指していた。雅樹と昴は埋めるだけ埋めたと灰人のようになっていたが、残りのメンバーは成績順に表情が険しくなっていた。
「涼、あいつらほどじゃないが出来はどうだ?」
間違いなく学年トップの蓮からその質問を受けるのは少々グサリと来る。
一応、山を張ってもらっていた場所はバッチリ埋めたので大丈夫だとは思うが……
「何とか赤点より十点上の自信はある。補習なんて馬鹿だけはやってないってとこだな」
「そうか、真理は数学でやってないな?」
「うん、六十は固いから大丈夫」
あとの教科は平均以上取れるので問題ないと真理は笑った。
そして一番の気掛かり達に全員の視線は向けられる……
「雅樹君、昴君、特進クラスで最下位争いをしていることだけは止めませんけど、赤点なんて馬鹿はやってませんよね?」
グサグサと刺さる陸の質疑に、二人の問題児は精根使い果たしましたといわんばかりに答えてくれた。
「ギリ……三点上かもな……」
「同じくっス……」
勘で記号問題が当たれば赤点は回避出来るといった表情。この二人の運が悪くはないと信じたいが、赤点ならば連帯責任と言われているため本気でクリアして貰わなければ困る。
「まぁ、あれだけやったんだから三十が取れてないなんて馬鹿はしてないと信じるさ」
「そうね、杏にまで教えてもらって赤点なんてことになったら、本気で風雅隊長がブチキレるわよ……」
昨夜、もう手に負えないと自分のテスト勉強よりも疲れた蓮があまりにも不憫になったのか、風雅が入浴の間だけ雅樹達の勉強を見てやれと命じられた杏は優しく指導した訳だが……
「あの……、私の教え方に問題が……」
「違うっスよ! 杏ちゃんが教えてくれた社会だけは間違いなく赤点じゃないっス!」
「そうだぞ! 寧ろ一番自信がある!!」
「ほう、俺がお前達馬鹿のために徹夜までしてその感想しか出ないのか」
「蓮ちゃん怖いっす……」
自分の勉強も出来ず、蓮は二人のために「どんな馬鹿でも分かるテスト予想問題集」まで作り上げたのに、それが功をなさなかったとなれば怒るのも無理はない。
しかもそこがテストに出ていた問題なら尚更だ。
そんな怒りで黒いオーラを出す蓮にバカ二人はグゥの音も出ないほど小さくなるが、他の者は我関せずと放置することにした。
「とにかく部活に行こう。結果が分かるのは一週間以内だしな」
「はい……」
涼に促され、杏達は部活へと向かうのだった。
マネージャーの仕事も二日目。魔法格闘技部のジュニア選抜メンバーのために風雅が建てたという給湯室と洗濯室、さらに倉庫が一緒になった「魔法棟」で杏はドリンク作りに追われていた。
何やらスポーツドリンクにもこだわっているらしく、全部で三種類作ることになっている。
とはいえ、別のを飲むのは風雅と修平ぐらいなのでそう手間はかからないのだけれど。
それからそれとタオルの詰まったカゴを台車に乗せると、杏はすぐ傍の体育館にそれを運び入れた。そして、また出会うのだ……
「あっ、杏ちゃん」
「は、はい……」
誰だろう、と杏は思う。とてもしっかりしていて気さくな上級生、といったイメージをこの女の先輩から感じられるが、それは確かに当たりでもすぐ他の面を見せられることになる。
「凄く会いたかったわ!」
「飛び付くな! んでそのキス魔も止めろ!」
ロードワークから戻った修平は真央の後ろ襟首を掴んでそれを止めた。風雅だけでもかなり心臓に悪いだろうに、真央にまで毒されるのは不憫過ぎる。
ただ、真央はブーブーとかなり不満そうな顔をしているのだけど。
「えっ……、えっと……」
「ああ、気にすんな。監督としての腕だけは確かだから」
「はい……、えっ? 監督、ですか?」
ドキドキと高鳴る鼓動を何とか杏は落ち着かせた。そして監督という言葉に反応したところで、何故かウォーミングアップで息を切らしてるどころか死にかけている中一組が帰って来た。
陸に至っては死にかけているのだけれど……
「オウ、遅かったな」
「あんなアップさせられて早く戻って来れるかぁ!!」
「全くよ!! 普通落とし穴程度ならまだしも苦無まで出て来る仕掛けなんて聞いたことないわよ!!」
「てか、陸ちゃんなんて危うく死ぬとこだったんスよ!?」
そんな抗議の嵐に修平も一年前は同じことを言っていたので気持ちは分からなくもないが、それを一掃する主将の登場で彼等は大人しくなった。
「文句を言うな。監督考案のウォーミングアップだからな」
「皆、お疲れ様」
「こんにちは風雅様、駿先輩」
ニコッと微笑んで迎えてくれた杏に駿はほのぼのとしたオーラに包まれるが、完全にやられた風雅は今日学校で一日会えなかった分を取り戻すかのように杏をきつく抱きしめた。
「杏、昼休憩は一緒に過ごせなくてすまなかった。新入生歓迎会の話し合いを監督達としてたからな」
「い、いえ……、その……」
恥ずかしいので止めてほしいと言いたくても言えない。それは他のメンバーも分かっているため強く出られない。
しかし、やはり監督というのは偉大な存在だと彼等は知ることになる。そう、たった一言で済むのだ。
「風雅君、そろそろ部活を初めましょ」
「ああ、そうだな」
『マジか!!?』
あの風雅が一言で動くなど奇跡に近い光景だと中一組は思った。少なくとも風雅が命令を聞く人物は限りなく少ないのだから……
それから風雅と真央が全員の前に出て、真央が改めて自己紹介をすることになった。
「今日から監督を務める結城真央です。趣味は人を育てることと扱くこと。特技は才能を見抜くことと一撃で君達を黙らせることよ。よろしくね」
一撃で黙らせるって……、というのがかなり謎だが、風雅の話によると真央は魔法格闘技の腕もかなりのものらしく、魔法覇者ほどでなくとも広い分野の魔法に精通しているらしい。
力に至っては一度喰らえば二度と逆らわなくなるものが昨年、一軍で続出したらしいが……
しかし、そんな自己紹介の中でやはり少々言いづらいことだが、雅樹にしては珍しく遠慮がちに手を上げて尋ねた。
「あの……、一つだけ質問なんだが」
「何、香川君」
「本当に監督なんてやれんのか? どう見ても監督の貫禄がないっていうか……」
貫禄は確かに中二女子が持っていたらかなり珍しい。確かにそれは昨年、風雅も抱いた感想だ。
ただ、貫禄はなくとも育成することに対しての実力は確かだ。
「そうね、確かに香川君の言うとおり貫禄はないと思う。だからこそ、名監督達の度肝を抜いてジュニア選抜優勝なんてやってのけたら気持ち良いと思わない?」
まずい、監督じゃなくてもそれは面白いと思わされる。挑戦者である自分達だからこそ分かる心境でもあるのかもしれない。
「面白れぇな……!」
「全くっスね!」
それを聞いた全員が笑った。選手でない杏でさえドキドキさせられてしまう挑戦を掲げてくれた真央は本当に凄いと思う。
ただ、副主将である修平は一つだけ気になることを雅樹に指摘しておいた。とはいえ、修平も日本の縦割り社会があまり好きではないが。
「てか、お前達は少しは敬語ぐらい使え。真央は先輩で監督なんだからな」
「別に良いだろ? 一個しか違わねぇし」
「俺達は良いが普通監督には……」
そこで陸はスッと手を挙げ、もっともな理由を言ってのけた。
「すみません、雅樹君はバ香川君なんで敬語もダメなんです」
「ああ、そうなんだね」
「納得すんなよ、駿!!」
「修平はそう思わない?」
その切り返しに修平は即答出来なかった。なんせ、風雅ですら納得している事実を受け入れないことの方が無理だ。
しかし、真央は敬語を使いたいものは使えば良いと、自分の父親と全く同じことを言ってのけ、さらには母親と同じように尊敬出来るものに対しては礼を払えと言った。
「とりあえず、今日の練習は軽くいくわよ。一時間ぐらいミーティングに当てたいからね。杏ちゃん、ホワイトボード」
「はい」
真央に命じられ、杏はホワイトボードを全員の目の前に持ってくると真央がそこに一時間程度のメニューを張り出してくれたのだが……
「えっ?」
「はっ……?」
「マジか??」
「魔法格闘技部っスよね?」
そう、彼女のメニューは鬼だと聞かされていたが、そこに書いてあったのはパンチ一つ打つ訳でも魔法一つ使うメニューでもなかった。
しかし、それでも十分トラウマのあるメンバーが三人いる。特に修平は真央が留学するまでの半年間、この練習で体育の時間に魘されたレベルなのだから……
「今日のメニューはマット運動よ」
そのメニューこそ中一組が死にかける最初の難関になるのだった……
お待たせしました☆
今回はまたまた新キャラ「結城真央」が登場しました。
彼女が風雅達をこれから指導していく監督となる訳です。
練習メニューはまぁ……
というわけで、今回も小話をお楽しみ下さい。
〜個性的な兄〜
桜「杏さんはお姉ちゃんがいるから羨ましいなぁ」
杏「桜ちゃんはお兄様が三人いるので羨ましいですよ?」
桜「そうでもないよ。皆すごく個性的なんだもん。その中でも淳士お兄ちゃんなんて格別! もうすっごく昔から出鱈目だったんだ」
涼「だよなぁ。てもさ、慎司兄貴もアレでなかなか変わったところあるけどな」
桜「あっ、涼お兄ちゃん」
杏「そうですか? 慎司様はとても良識があるような印象を受けましたが」
桜「うん、確かに涼お兄ちゃんみたいに人の食事をとったりしないし、頭も悪くないし、一般常識もあるけど」
涼「おい……」
桜「だけど年に一つ、新しい趣味を作ってマニアの域まで達してる変わり者」
杏「……はい?」
桜「料理とかピアノとかはかっこいいお兄ちゃんって感じなんだけど……」
涼「そういや、十歳ぐらいからおかしな方向に行き始めたよな……」
杏「おかしな方向ですか?」
涼「ああ、十歳の時に集中力を付けたいから剣玉を始めたのかと思ってたんだけどさ、なんか曲芸師みたいな技ばかり練習してたし、かと思えば翌年はいきなりゲーマーになった」
桜「しかもそのあとはアイドルのおっかけになったし、中学生になったら天体観測、トライアスロン、そして去年はハッキングに嵌まってた」
杏「はい……、今年は何でしょうか……」
涼「さぁな。だけどさ、またマニアになるためにいろいろやってんじゃねぇか?」
杏「はぁ……」