第十一話:冴島邸
冴島邸。一体どこの大金持ちが住んでいるのかという洋風白壁四階建ての大邸宅を前に杏は息を飲んだ。
魔法界の名門、とは聞いていたが家に大庭園とプール、おまけに最新のフィールド付きとまでは聞いていない。
しかも門から玄関までの距離も百メートルぐらいあり、その間にいくらかけられているのかというほどの建造物を目にした。
とにかくデカイ、高い、綺麗、その三拍子が見事に整った家だということは確かだ。
「凄いですね……」
「風雅隊長の実家ほどでもねぇよ。うちは魔法議院との関わりが強いし、親父がCROWNを率いていた時に荒稼ぎしてたから財を成してるだけだ」
「でも凄いです……」
杉原家もそれなりの家柄なのだが、冴島家に比べるとかなり小さなものだ。やはり名門と名の付く家は一味も二味も違うのかと思う。
そういえば先程、通信で話した慎司は正に御曹司の中の御曹司というほど整った容姿と気品を漂わせているところがあったと杏は思い出す。
ただ、その実弟はどちらかと言えば腕白小僧といった感じで、お坊ちゃまという雰囲気もないのだが……
それから二メートルを超える長身の者でも平気だという大きな玄関の扉を開けば、さらに冴島家が名門だと思わせる光景が飛び込んできた。
前、両サイドに並ぶ執事とメイドが百人体制で一行を迎えてくれたのである。
「お帰りなさいませ!」
クラッとした、そうとしか言えなかった。次々にメイドや執事が荷物を受け取りに取り囲み、昴は遠慮がちだったが中一組は当たり前のように荷物を手渡す。
もちろん、大量の荷物を持たされていた雅樹に関しては半分同情されてる部分もあるのだが……
「杏様、お荷物を」
「いえっ、自分で運びますから!」
居候の身でそんなことをさせるのはとんでもないと杏は必死に頭を下げると、逆にメイドが困った表情を浮かべた。
なんせ杏は風雅が一目惚れした大事な婚約者だと、冴島家に仕える者達は丁重な対応をするように命じられていたのだ。
それも風雅だけではなく、慎司からも命じられていては逆らうわけにはいかない。
そんな杏の言動は予想通りだったらしく、風雅は微笑を浮かべるとメイドに気にするなと助け舟を出した。
「明日からで構わないよ、それより食事の準備を頼む。出来るだけ杏には栄養がつくものをな」
「かしこまりました」
主の言葉に安堵したメイドは一礼して下がる。
そして、そろそろ来る頃かと風雅は踊場から二階へと続く階段に目をやると、軽快な足音でこちらに向かって来る少女を見付けた。
「皆、お帰りなさい!」
太陽みたいな明るさをもつ可愛らしい少女が階段から下りて来ると、一行の表情はパアッと明るくなった。
それは初対面の昴も同じらしく、彼は早速犬化してマッハで少女に抱き着く。
「可愛いっス! しかも陸ちゃん並に小さいっスよ!!」
「きゃっ!!」
いきなり抱き着かれた少女が小さな悲鳴を上げた瞬間、怒涛の如く昴に苦無が投げつけられ彼は無機物と化した。
当然、それをやってのけたのは飼育係とシスコンと少女に恋する少年である。
「昴君、死にたいんですか?」
「桜に抱き着くんじゃねぇよ、タコッ!!」
「桜ちゃん、すぐに消毒しよう。誰か消毒液と棺桶持って来てくれ」
蓮の言葉があまりにも容赦なく桜は戸惑う。さすがに棺桶まで用意しろと言われたメイド達もそれはどうするべきなのかと対処に困るほどだ。
この冷静な兄の親友は時々これでもかというほど自分に対して過保護だ。きっと自分のことを本当の妹のように大切にしてくれてるとは思うのだが……
「えっと、とりあえず消毒液は良いので杏さんに挨拶を……」
「ああ、そうだね」
いくら抱き着いてこられたといっても初対面の昴を棺桶に入れる訳にはいかないため、桜はとりあえず蓮だけでも落ち着いてもらおうと思った。
兄達にいたってはもう視界に入れないように心掛けたいと思う。あの仕打ちは本当に目の毒だ。
そして桜は来年先輩マネージャーとなる杏のもとに歩み寄った。失礼になってはいけないと、早く会いたいとかなり楽しみにしていたのは若干抑え気味だ。
「杏さん、初めまして! 冴島桜です!」
笑顔全開で桜は挨拶するとペコリと頭を下げた。声が弾んでしまうのは杏の第一印象だけで優しい人だと分かるから。
しかし、当の杏はといえばすっかり冴島家の凄さに飲まれていたらしく、ハッとして勢いよく桜に頭を下げた。
「はっ、初めまして! 桜様っ!」
それに苦笑するのは涼。妹に様付けをするのはメイド達ぐらいなものだ。
「……えっと、桜で良いですよ? 私は来年後輩になりますし」
「だよな、こんなお転婆に様付けなんて勿体ねぇよ!」
「涼お兄ちゃんは黙ってて!」
ポコポコと軽く涼の肩を桜は叩いて抗議するが、頭を抑えて笑う涼にはあまり効果は無いようだ。
そんな仲の良い兄妹を微笑ましく思いながら、杏は少しだけ落ち着きを取り戻して再度彼女の名前を言い直した。
「で、では……、桜ちゃん」
そう呼ばれた瞬間、桜の周りにキラキラとしたオーラが現れる。ツボにはまった、一つ年上だというのにとても可愛らしいと思う。
そんな妹のオーラに気付いたのか、涼はコツンと桜の頭を叩くと彼女はハッとして現実に戻って来た。
「うん、風雅隊長でも杏さんは勿体ない気がするな」
「そうだな。だが、いくら桜でも杏を占拠するんじゃないぞ?」
「う〜ん、約束出来ないかもなぁ」
悪戯っ子のように桜は笑うと風雅は頭を撫でる。これが真理や藍なら問答無用でげんこつなのだが、どうもさすがの風雅でも桜には甘くなってしまうのだ。
その原因があるとすれば、間違いなく妹をこれでもかというほど溺愛してる淳士を見てきた性で、桜に対して強く出れなくなってしまったからだろう。
いや、そうでなくとも昔から何かとお世話になっているからという理由もある。
かといって、風雅が下に付くことはまずなく、桜も風雅を隊長と慕っているという良好な関係は成り立っているわけだ。
当然、桜の恋愛事情についても風雅はきちんと把握しているし応援もしている。
「ほら、そろそろ蓮のところに行ってやれ。あまり待たせると拗ねるから」
「風雅隊長じゃないから拗ねませんっ!」
桜は真っ赤になって否定した。もちろん、風雅のように独占欲全開というのも恋する乙女の夢の一つではあるが、蓮にそれを望むのはタイプ的に無理だと思う。
しかし、妹のような存在兼未来のマネージャーとしてのポジションを続けることは互いにとって心地いいことだけは感じていた。
だからこそ、彼女は真っ赤になった顔を何とか蓮を慕う妹となって彼の元に向かうと、少しだけ遅くなった彼が帰宅したときの一言を告げた。
「蓮さん、荷物お持ちします」
「大丈夫だよ、今日は教科書もあって少し重たいからね。だけどケアはお願いするね」
「はいっ!」
嬉しそうに表情を輝かせるのは自分をケアの練習に使えるからだと蓮は思っている。
それは昔からで、自分の荷物を部屋まで運ぶから治療魔法の練習をさせて下さい、と言ってきたのがそもそもの始まりだ。
兄達だと何かしらもめてしまうので自分にした、という選択は幼かった桜にしては良い人選だったと思う。
ただし、風雅はその頃から蓮の恋情に気付いていたらしく、すっかり逆らえない存在になってしまったのは言うまでもない……
そんな二人を見送ったあと、風雅はスッと杏の手を取ると穏やかな笑みを彼女に向けた。ただし、その後に続く言葉は相変わらずだが……
「さて、俺は杏に着替えの手伝いを頼むか」
「えっ!? そ、そのっ……!!」
「冗談だ、今だけはな」
今だけ、その言葉に反応した中一組と使用人達は改めて風雅は風雅様なのだと思う。
ただし、さすがは使用人というべきか、内心ギョッとしていても表情が変わらないのは淳士がいた性で鍛えられているからなのだが……
「さっ、まずは杏の部屋に案内するよ。おそらく使い勝手は悪くないと思うが、気に入ってもらわなければ意味がないしな」
「はい、お願いします……」
顔を真っ赤にして手を引かれる杏に、その場にいたものが心の中で合掌していたのは言うまでもない……
玄関から踊場の階段を上がり、左右に分かれる二階の廊下を右に曲がる。
どうやら右の方は中学生達の個室らしく、左に曲がった部屋は淳士や慎司の部屋があるらしい。
使用人達は家に入ってきた門からは見えなかったが、この邸宅の裏にどうも別の棟があるらしくそこに個室を与えられて生活しているものと通ってくるものがいるとのこと。
そんな話を風雅から部屋に向かう道中に聞かされ、杏は改めて冴島家が名門中の名門なのだと思い知らされたのだった。
「ほら、ここだ。因みにそこの階段を上がって三階には藍と真理、四階まで行けば残りのメンバーの個室だ。まぁ、修平と俊は三階にする予定だけどな」
「あの……、私は二階で良かったのでしょうか?」
「ああ、俺の隣の部屋にしたかったし、あいつらは朝からのトレーニングで敢えて四階に集めただけだから」
「えっ……?」
どこから突っ込むべきなのだろう。いや、中一組が上の階に個室を与えられたという点はトレーニングなのだからいいはずだ。たとえ、風雅がこの家の主でなくともそれだけの権限はあるはず。
しかし、部屋が隣というのはいくら婚約者宣言されたとはいえ、そこは大いに問題ありなのではないだろうか……
「それと続き部屋にしたからな。工事が早く終わって良かったよ」
「ええっ〜〜!?」
隣部屋というだけでも問題なのではと思うのに風雅は続き部屋だと言った。おまけに工事までやってのけてだ。
ただ、本人は思い通りの結果にホクホクしているらしく、寧ろこれからの生活に多くの夢を見ている模様。
いや、全て現実にしかする気がないのだろうが……
「ほら、とりあえず驚くのは中も見てからにしろ」
もう充分過ぎるほど驚いてます……、と内心涙目になりながらも風雅に部屋の扉を開けてもらうと、今度は見たこともないほどきらびやかな世界が飛び込んできて、杏は表情を輝かせた。
「うわぁ……」
夢のような女の子の部屋だと思った。
花柄の淡いピンク色のカーテンとベッドカバー、センスのいい木製の机や家具、タンスの上におかれたジュエリーボックスや可愛らしいぬいぐるみ、化粧台には中学生が使うには少しだけ背伸びした化粧品が置かれている。
「悪くなかったみたいだな。カーテンやベッドカバーは桜に任せたから大丈夫だと思っていたが、他の家具は俺の手配だから少し心配だったんだ」
男女の違いと元々の好みの問題があるから、と風雅は眉尻を下げたが、自分のためにここまで準備してもらえたというのに文句など言おうものなら罰があたると杏は思う。
それから部屋に入って全体をくるりと見渡すと改めて広い部屋だと思った。
ただ、明らかに洗面所に続く扉じゃない不自然な扉を見なかったことにはしたいのだが……
「あと服も必要最低限取り揃えた。足りないようなら今週末に買い出しに行こう」
「ありがとうございます」
もうこれだけのことをしてもらえたら充分だと、涙目になりながら杏は服が取り揃えられているクローゼットを開いたのだが、ドレスはともかく何かがおかしいと思う服が目にとまる。
「……あの、この服は」
「気に入らなかったか?」
さもあって当然だと風雅は笑うが、杏はどうも抗議することが出来ず事実を述べるだけだった。メイド、ナース、婦人警官、スチュワーデスとくれば……
「……一割がコスプレ用ですよね?」
「ああ、杏に似合うと思って取り揃えるだけ揃えた。まぁ、使うのはあと数年後だと思うが」
その頃には若干小さめだが丁度良いはずだとは付け加えなかった。ただ、今の趣味と数年後の自分の趣味が変わっている可能性はあるのだが……
しかし、ここからの行動に風雅は驚かされた。杏はクローゼットからメイド服を取り出したのだから。
「杏!?」
「きちんとお仕事はさせていただきます。ただでお世話になるわけには参りませんから」
「いや、別に……」
メイド服は失敗だったかと風雅は眉を顰めたが、すぐにメイドになった杏の利点が思い浮かび風雅は黒い微笑を浮かべた。
「そうだな、折角やる気になってるというのに無駄には出来ないな」
思い浮かぶのは従順過ぎる可愛らしいメイド。風雅とて健全な中二男子……、にしては高校生も驚くような思考の持ち主ではあるが、折角着てくれるのに楽しまないわけにはいかない。
「杏、お前を俺の専属メイドにする。当然、俺の命令は絶対だ」
「えっ、えっと……!」
しまった、と思ってももう遅い。風雅が自分を働かせるためにメイド服を用意するはずはないと思っていたが、まさかそう切り返して来るとは思わなかったのだ。
「だが、ここのメイドに学生はいないからな、テスト勉強は優先させない訳にもいかないだろうから仕事はテスト終了後からだ。必ずメイド服で俺の部屋に来ること、いいな?」
「えっ、えっと……」
「杏、俺の命令は?」
「絶対です……」
部活だけではなくプライベートもそうなるのかと杏は三年間、いや、下手をすれば大学までこの関係は続くのかと思う。
しかし、それでも今までと比べれば何倍も良くなるのは確かなのだと杏は言い聞かせた。
「よし、とりあえず今日は適当に着替えろ。あいつらも待たせてるだろうし、食堂で飯にしよう」
「は、はい……」
杏はポツンと返事するが、風雅は早速出来立ての続き部屋の扉を利用して自分の部屋に戻ると満足そうな笑みを浮かべた。
そして、相変わらず彼は彼らしい命令を下すわけである。
「杏、この扉の鍵は基本掛けないように。俺も男だが覗きや夜ばいをするようなことはしないからな」
「はい……」
というよりしないで欲しいと思う。しかし、その点に関してだけは風雅はしないと信じられる。
「だけど俺の部屋にはいつでも入っておいで。本の数も結構揃ってるから借りていって良いし、泣きたくなったらベッドの中に潜り込んで来ても良いから」
「潜り込みませんっ!!」
杏は真っ赤になって否定すると残念だというように風雅は笑った。
だが、否定してもそのうち雷でもなればこちらから手を差し延べてやろうと風雅は思っているわけだが。
「じゃっ、着替え終わったら廊下に出てくること。いいね?」
「……かしこまりました」
パタンと扉が閉まると杏はペタリと座り込んだ。本当にとんでもない言動の数々に振り回された一日だと思うが、これほど自分の感情を表に出せたのは久し振りだと思う。
しかし、浸っている時間はなく風雅を待たせるわけにはいかないと、杏はクローゼットからシンプルなクリーム色のワンピースを取り出してそれに着替えるのだった。
食堂は和と洋に分かれているらしいが、基本、中学生達は和室で食事をとることが多かった。理由もテーブルマナーより楽だからとのこと。
そして風雅に手を引かれて食堂に入れば、こちらに気付いて藍と真理が手を振ってくれた。彼女達の私服は可愛いとラフと分かれて対称的だがとても似合っている。
「杏、こっちこっち!」
「急がないと雅樹達が全部平らげちゃうわよ!」
「お預け喰らわせてるじゃねぇかよ……」
陸の隣で見張られている雅樹は既に限界とテーブルに突っ伏している様だ。さすがは成長期、お腹はすくということなのだろう。
それにしても一人一人食べる量もバランスもかなり良いと思う。これを作った人は栄養学を習得しているのかというほど称賛されるものだった。
「桜が腕によりをかけて作った飯は無茶苦茶旨いからしっかり食えよ!」
「えっ!? これ全部桜ちゃんが作ったんスか!?」
昴は声を上げて驚いた。これが小学生の作る料理かというほど見た目麗しいものも少なくない。おまけにこの人数分は作るのも大変だろう。
「違いますよ。メニューの考案は料理長さんとしますし、お兄ちゃん達が食べる量を全部作ってたら一時間あっても足りないので他のコックさんにも手伝ってもらってます」
「だけど刺身の船盛りは桜ちゃんが全てやったんだろう?」
「あっ、蓮さん分かりますか?」
「うん、とても綺麗だからね」
その一言にキュンとときめいた。桜はほんのり頬を染めて謙遜するが、その姿が可愛らしいと蓮は頭を撫でる。
当然、シスコンは若干イラッとしているようだが口には出さない。
そんな微笑ましい光景を見ながらも、風雅はこのあとも仕事と課題が山積みなため、バッサリとその雰囲気を断ち切った。
「蓮、桜、イチャつくのは飯を食いながらにしろ。いただきます」
「いただきますっ!!!」
体育会系の声はさすが魔法格闘技部ということか、そこからは賑やか過ぎる食事が始まった。
「美味しいです……!」
「桜ちゃんホントに料理上手なんスね、無茶苦茶うまいっスよ!」
「そんなことないですよ、恥ずかしいな……」
頬を朱に染める桜がとても可愛らしいと杏は穏やかに笑う。するとその笑顔にやられるのは桜と昴で二人してほのぼのしたオーラを発した。
ただし桜はともかく昴は邪魔だと言わんばかりに、独占欲の塊は杏の前に綺麗に切られた豆腐を箸で口の前に持っていくと、これまたとんでもない発言をした。
「杏、口を開けろ。食べさせてやる」
「えっ……?」
「遠慮するな、ここの豆腐は美味いぞ」
だから口を開けろ、と笑顔の裏の企みを隠すつもりもなく風雅は豆腐をついには杏の口に付けると、彼女はパクリとそれを食べた。
「なっ、美味いだろう?」
「はい……」
ついに彼女は完全に蒸発した。風雅に食べさせてもらう、しかも間接キスという選択肢しかない状況では味すら感じられない。
ただ、どこからどうみても魔王の捕らえた子羊にしか見えない杏に桜は言葉が見付からなかった。いや、見付けない方がいいのだろう……
「昴さん……、何なんですかアレ……」
「杏ちゃ〜〜〜ん!!!」
もはや絶対は入れない世界に昴は大型犬化して泣き崩れる。それをさすがに不敏に思ったのか桜は頭を撫でて慰めた。
言って悪いだろうが、年上というより大きな弟みたいだと思う。
しかし、それは一分も続かず、桜はいつものように涼が蓮の皿からおかずを盗み食いするのを見付けた。
「涼お兄ちゃんっ! また蓮さんのおかず取らないの!!」
「別におかわりはたっぷりあるんだろ?」
「そういう問題じゃないの! 行儀悪いじゃない!」
「淳士兄貴ほどじゃないだろ?」
それは桜も同意見らしく反論出来なかった。淳士の場合、カレーの日には大鍋一つをそのまま出して平らげる胃袋の持ち主なで食べ方もかなり豪快だ。
しかし、料理によっては完璧なマナーを見せるというこれも彼が出鱈目たる由縁である。
ただし、それが人の料理に手を付けていい理由にはならないため、桜は涼の変わりに謝罪した。
「蓮さん、本当に毎日ごめんなさい」
「いや、もう慣れてるから気にしなくて良いよ。寧ろ涼ももう少しでかくなった方がいいし」
「あ、それはそうかも」
「オイそこっ!!」
取られた仕返しは涼のコンプレックスを突くこと、しかも蓮と桜の息のあったやり取りは昔からで涼がそれに勝ったことはない。
そしてもう一方の凸凹コンビは丼と茶碗という対称的な量の食事を摂っていた。
隣で正座してお行儀よく食べる陸に、ほっておくとまた少食で終わるだろうなと思い雅樹は忠告する。
「陸、お前は相変わらず食が細いな。もっと食べねぇと食育合宿されちまうぞ」
「これでも増えましたよ。君が異常なんです」
「それでも藍と真理より軽いのも問題だろ」
「雅樹っ!!」
「雅きんひどいっ!!」
女子にとって体重は気になる項目だが、小さく軽いと言われる陸にとってもそれは悩みの一つだった。
元々太りにくい体質ではあるのだが、軽すぎるとこれからの試合で大柄な選手に苦戦する時が来るのは避けられないわけで……
ただ、真理達から言わせれば贅沢過ぎる悩みだといわんばかりに、彼女達と雅樹の口論は白熱していった。
「大体、これからは高校生と戦うんだからちょっとぐらい体重が増えたって問題ないのよ!」
「真理、そういって風呂場で二キロ太ったって騒いでたんだろ?」
「雅きんっ! 聞いてるなんてサイテーだよっ!」
「藍だって体脂肪がどうのこうの言ってたじゃねぇか」
「雅きんっ!!」
デリカシーがなさ過ぎると陸でも思う。雅樹の残念なところは間違いなく頭と女子に対する言動だろう。
そして彼が思春期男子という点も加わればもはや歩くエロ魔神だ。
「それよりお前達はもっと胸に付けろ。色気が皆無なのも問題だぞ? 杏と桜よりないのも」
言葉は止められた。当然やったのは三人かと思っていたが、どうやら蓮とシスコンだったらしい。当然その表情は鬼だ。
「手が滑りたくなった」
「刺さって死ね」
蓮と涼が絶対わざとであろう、至近距離で容赦なくナイフとフォークを投げた。それをかわせるのも日頃からの鍛練のおかげか……
しかし、珍しくその言動に対して特に攻撃しなかった風雅だが、何やら思うところがあったらしく口の中が空になるといたって真面目な顔をして杏に話し掛けた。
「杏」
「はい」
「杏の胸は俺が育てるから気にするな」
「はいっ!?」
「もう少しあった方が俺好みだからな」
早く育てたいものだと思いながら、次に食べたいものを杏に命じて食べさせてもらう。
いつの間にか杏にご飯を食べさせられる側になっているのは流石風雅様としか言えないが、杏はただ従うという選択肢しかなかった。
それから約三十分ほど賑やかな食事が続いた後、テーブルの皿は綺麗なまでに平らげられた。その綺麗さはいつも桜を笑顔にするものだ。
「ご馳走様でした!!!」
「お粗末さまでした!」
その声が響くとメイド達がやって来て次々と皿を下げていく。
本来なら皿が空いた時に下げていくものだろうが、テーブルマナーも出来ない奴らに気を遣わなくて良い、という風雅の一言で片付けの時にしか来ないということ。
そして片付けられている間、藍は風雅に独占されていた杏に腕を絡め、女子の権利を使って彼女をいただくことにした。
「杏、お風呂行こう!」
「えっ?」
「そうそう、ゆっくり浸かっておしゃべりしよ! 桜ちゃんも行きましょ!」
「はい、後片付けが終わったら」
「雅樹にでもやらせたら良いから行きましょ!」
「何でだよ!」
つかさず反論の声が上がるが、筋力トレーニングだからと片付けの手伝いで大量の皿を持たされてるのはいつものこと。
ついでに昴も飯の恩と大皿をメイドから受け取り運んでいる。
そんな片付けでも賑やかな間、杏は申し訳なさそうに風雅に切り出した。
「では風雅様、すみませんが……」
「ああ、行ってこい」
お風呂となれば風雅も独占するわけにはいかないのか、行ってくるようにと促す。
もちろん、そのうちそれすらも自分のものにする気ではあるが、それは数年後の楽しみとしておこうと思う。
そして女子達がいなくなると、ポツリと雅樹は呟いた。
「……女ってこういう時良いよな」
「雅樹君は不純ですよね。エロ本の数も増えてましたし」
「別に良いだろ。風雅隊長みたいに持ってないほうが不健康」
「風雅隊長はエロ本よりハーレムに行こうと思えば行けるから必要ないと」
「どんだけ贅沢なんだよ!!」
写真より実物が良い、特に今は杏がいるのだから行く必要もない。
なんせテストが終われば、彼女は自分の専属メイドで好き勝手にやらせてもらえるわけなのだから……
その楽しみを内に秘めながら風雅はスッと立ち上がる。その顔はまた魔法格闘技部の部長だ。
「さて、お前達も早く風呂に入って勉強しろよ。寧ろ雅樹と昴は勉強道具を持ち込んで風呂に入れ」
馬鹿は風呂を入る時間も惜しんで勉強しろ、といわんばかりの視線に雅樹と昴は項垂れる。蓮は既にスパルタモードに入る気満々だ。
「風雅隊長は一緒に入んねぇのか?」
「ああ、部屋のシャワーで済ますよ。来週のメニューと練習試合の予定も監督に話しとかないとな」
「監督? 風雅隊長が兼任じゃねぇの?」
コーチはいるが監督がいると聞いたことはない。しかもこれまで魔法格闘技部の一軍の練習メニューは代々主将が指示してきたものだ。
事実、先代の部長だった慎司がメニューの考案をしていたのを涼はよく見ていたのだから。
「ああ、基本的な業務はやるがジュニア選抜は俺も本気で一選手として取り組む時間がいるからな。だからあいつがアメリカ留学から戻って来るなら丁度良いだろうと思ってさ」
「あいつって生徒なんですか?」
どれだけ風雅が権力者でも目上のものをあいつ呼ばわりすることはない。特に監督なら尚更だ。
しかし、あいつということは年齢が近いのではないかと陸は察したのである。
「さすが陸、きちんと話を聞いてるな。その通りだよ。この家を改装させたのもあいつがここに住むと後々危険があると踏んでるからだし」
「何だよ、悪い奴とか?」
「逆だ。ああ、部活をサボろうものなら血祭りかもな」
おまけに優等生でテストでも下手をすれば自分が負かされるという頭脳の持ち主だ。
なんせ彼女の両親が両親なのだから、逆に悪いことをする必要がないと本人は思っているのかもしれない。
そう、彼女の両親といえば……
「とりあえず、現時点で魔法議院でも正体が公になり過ぎたら淳士さんクラスで危険視されるかもしれない、CROWNとEAGLEの勢力次第ではどれだけ危険な目に遭わされるか分からない奴だよ」
「かなり強いとか?」
一瞬、風雅の表情筋がピクリと動いた気がする。珍しいことがあるものだと陸は思うが、その理由を後に知るであろう中一組に、流石の風雅でも同情したのか曖昧に返した。
「ああ、選手としてもお前達より強いが、それより参謀が向いてるよ。
言っておくが、人の育成と戦略に関しては魔法議院の戦闘指揮官でも余程のキレものでない限り負かされるレベルだ。なんせ、去年の夏のインターハイまで俺や修平達を育ててたからな」
それも入学当時を思い返せば、今の中一組より彼等は体も小さく魔力も高くはなかったというのに、たった一年で風雅には及ばないもののレギュラーの座を勝ち取ったのである。
その指導をしたのがまだ中一の名監督だったというわけだ。
「名前を聞いておいても良いですか?」
風雅の脳裏に浮かぶのはあの慎司ですら青くなった殺人メニュー。そしてインターハイ優勝に導いた敏腕監督の顔……
そう、ジュニア選抜優勝は彼女無くしてありえない!
「ああ、結城真央。スパルタの女監督だよ」
風雅はニヤリと笑った。
ただ、中一組はこの時から覚悟しておくべきだった。死ぬようなトレーニングメニューを作れるのが風雅だけじゃないことに……
お待たせいたしました☆
今回は冴島邸でのお話ということですが……
うん、もうお城みたいな家なんですよ、冴島邸。
緒俐も今日、とんでもなく広い敷地の家があるんだなぁと再認識してきました。
羨ましい限りですね。
では、今回も小話をどうぞ。
〜好きなものは?〜
風雅「杏、好きな色は何だ?」
杏「はい、変わってると言われますけど透明です。透き通った水面に陽光が射してキラキラ光る感じがとても素敵だと思いますし、昴君に私に似合うと言われて嬉しかったんです」
風雅「なるほど、俺はいま血の色が好きになったよ。昴は今度シバく。じゃあ、好きな花は何だ?」
杏「え、えっと……。そ、そうですね、桜や紫陽花も好きですけど、一番はたんぽぽの綿毛です。フワフワして可愛いと思うんです」
風雅「そうか。ならば好きな音楽はあるか?」
杏「ええ、というよりオルゴールやビードロの可愛い音色が好きです」
風雅「杏らしいな。じゃあ、次は」
杏「あの、風雅様……」
風雅「何だ?」
杏「はい、先程から好きなものを尋ねられてばかりですが……」
風雅「ああ、杏のことを全て把握しておきたいからだよ。婚約者なんだから当然だし、何より俺は杏が好きだからな」
杏「風雅様……///」
風雅「まぁ、あと聞きたいのは好きな男は誰だ?」
杏「うっ……、その……、い、いませ」
風雅「俺だろ?」
杏「ううっ……!」
風雅「答えないなら」
杏「あ、あの……!」
風雅「ん?」
杏「ふ、風雅様は……、素敵です……」
風雅「……杏」
杏「はい……」
風雅「本当に早く俺を好きだと言え……、隣の部屋だと理性が持たない」
杏「ええっ〜!?」