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竜の鱗  作者: 伊藤若鶏
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第四話 「牛」

 過ぎた跳躍は飛行になる、なんてことを考えた。


 右足に込めた力は俺の体を上空まで飛ばし、風に遊ばれるようにふわりと体を浮かせてくれる。初めての経験に恐怖と興奮をかき混ぜながら、俺は眼下へ注意を向けた。


 牛の群れは30頭ほどだろうか。茶褐色の肌をぬめりと光らせながら、怒涛の勢いで妖精に追いすがってゆく。

 妖精みたいな小さな相手をこらしめても、捕食してもどうしようもないと思うのだが、そこは牛だ。話が出来なければどうにもこうにも理由なんてわからないだろう。


 俺は再度気合を入れなおすと、重力に身を任せ徐々に降下する。仰角60度くらいで飛んだつもりだったが、思ったより飛びすぎたようだ。

 ただ、森の中での散々竜とじゃれあっていたせいか、自分の身体能力の発達具合は承知していた。目算に誤りはなく、俺はゆっくりと牛の群れへと降下する。

 俺は先頭を走る一頭に渾身の蹴りを食らわせ、着地する。数秒ぶりの大地はしっかりと人間の重さを受け止めて、批判じみた大きな音を上げた。


 突然の乱入者に動揺が広がり、信じられないというように妖精がこちらを振り返った。


 妖精は酷い顔だった。顔の頬には泥がつき、汗に混ざってぐしゃぐしゃになっている。涙や疲労が表情になって現れていた。


「久しぶり」


「人間! 何で!?」


「お前も人に質問するのが大好きな妖精だな。まぁ疑問はご尤もだけど」


「律儀に三叉牛に倒されに来なくても、良かったのにっ」


 すぐ俺の顔の前に来ると、妖精が必死に叫んだ。息も絶え絶えにも関わらず妖精が俺を止めてくる。

 妖精としては何で人間が空から降ってくるのか、やどうしてわざわざこんな場面に登場したのか、という疑問が脳内にひしめいていることだろう。

 もしかしたら本当に殺されにきたのかと思っているのかもしれないが。

 だが、その疑問に答える時間はないようだった。


「よけてろっ!」 


 叫び、眼前の妖精を押し出す形で避けさせた。

 そのすぐ後に、禍々しくも白い三叉の角が俺を襲う。

 それがきっかけだったのだろう。視界の端では牛たちが後ろ足を蹴り上げ、息を荒くし、こちらに向かって突っ込もうとしているのが確認できた。

 俺は襲ってきた角をかろうじて両手で受け止め、握り締めた。腕にかかる圧を体ごと押し返す。自分の体ではないように、力を込めれば限界なく力があふれ出た。

 足が幾歩分後ろに下がり、地面にあとを残す。だが、一頭分の牛の突進の威力はそれで相殺された。


 だが、たとえばだ。

 猛突進する牛の群れのうち、先頭の一頭を止めれば後続は果たして自動で止まるだろうか。そんなわけはない。間違いなく、牛は牛を仲間とも障害とも思わず蹴散らしに来るだろう。

 状況はまさに多勢に無勢というところだった。

 俺が牛の追撃に備え脚に力を込めると同時に、幾分か遅れてやってきた角の壁の突進を確認した。茶褐色の皮の中に、白い凶器がつきたてられる。


 一瞬頭が真っ白になる。

 両手は使えない。俺が避ければ、まだ逃げ切れていない妖精が巻き添えになる。どうすればいい?

 俺は自分で暴力を振るった経験がほとんどない。完璧なインドア派だったことが仇になった。街中の喧嘩もやったことないせいか、力があってもどうすれば生かされるのか、まるでわからないのだ。勝手に格好良く登場した割に、自分に状況に適応できる経験がないことにいまさら気づいた。


 まずい。

 俺は口に中で焦りを漏らす。

 じわりと汗が体中から噴出す。まさに白い壁のような一撃は、連撃となって俺に襲いかかってくる。

 格好付けて出てきたはいいが、なんと無力なことか。


 「なぎ払え! 雄太!」


 角の一つが俺の指の皮をえぐろうとする瞬間、後方からの聞きなれた声が届く。

 俺は考える間も置かずに牛の体を角ごと胸の高さまで持ち上げた。

 持ち上げた牛の角の後部と俺に刺さらんとしていた牛の頭部がすれ違い、掠めいてゆく。掌に牛の突進の重さが加わり、俺は体ごと後ずさった。牛の身をえぐるように何かが刺さる音が聞こえるが、気にしている場合ではなかった。

 俺は重圧に耐えながら、角を軸に牛の体で右方向へなぎ払った。

 茶褐色の棍棒の如く、武器となった牛は多くの仲間の白い角を体に受け止め、絶命した。

 同時に角を取られた牛たちが、右方向へ投げ出されてゆく。まるで竜巻の断面図のように、左から右へと牛が弧を描きながら流されていくようだ。その牛の幾頭かがさらに後方の牛にたたきつけられていっていた。


「すごい・・・・・・」


「そうでもない。結構必死だし」


 俺は呼吸を整えると、さらに迫る牛の一頭を見据え、その頭部に思い切り拳骨をぶちかました。

 カウンターになった拳は、俺の予想以上の威力を発揮する。

 勢いは皮と筋肉を砕くだけにとどまらない。頭蓋を砕き、脳に到達し、そして再度空気に触れた。俗に言う、貫通である。


「ひえぇ、すごい」


「そうだな。俺も正直引いてる」


 牛の群れに割って入ったときよりも恐怖の色を強くしながら、妖精は悲鳴じみた声を上げる。俺もできるのなら、泣きたいぐらいだ。

 ボタボタと赤く滴る液体を腕から振り払い、そのまま真横に迫っていた牛の裏拳を食らわせる。今度は加減したためか、せいぜい骨を砕く感触と牛が白目になるだけですんだ。

 倒れこむ牛を蹴り上げ、ボールのように後続の敵にぶつける。何頭かが押しつぶされるように倒れこんだ。


「どりゃぁあああ!」


 俺は手近な牛の角を掴み、気合を込め、雄たけびとともに思い切り左旋回で振り回した。

 野球のバットのように振りぬかれた牛は、鈍い音とともに何頭かの牛を吹き飛ばした。牛が牛を飛ばすとは非常にシュールな光景だが、やっているほうは必死である。


「ラスト!」


 左とくれば次は右に。俺は何頭かが芋ずるのように刺さったままの牛の体をそのまま振りかぶり、最後の突進に挑んで来る一群に思い切り放り投げる。

 骨が砕ける音、地面に落ちる重い音が響き、最後に場に立っているのは俺だけになった。


 勝った、のか?


 そう思うと、自然と肩が落ちた。俺は忘れていた呼吸を思い出し、大きく息を吐き出す。

 たくさんの牛たちは今は積み重なるように草原に倒れている。そのいずれもが戦意を、そして命を失っているようだ。

 血の独特の匂いが鼻についた。


「うわぁ、勝っちゃった」


 目の前の光景に唖然とする妖精。

 その気持ちは俺も大変よくわかる。というよりも、自分自身の力の大きさ具合に辟易していた。

 ただ殴るだけで骨を砕ける。ということは、俺はおそらく人間でもそれこそ赤子の手をひねるように殺せるだろう。まさか竜の力が、ここまで身体能力を向上させているとは思わなかった。俺は今後の生活に危うさを覚え、ため息をついた。

 不思議と、生き物を殺したことに対しての罪悪感は薄い。殺されるところだったから、正当防衛とでも思い込んでいるのかはわからないが、今は気持ちがぶれないほうがありがたかった。


「おいグリ。こんなめちゃくちゃな力、俺絶対使いこなせないぞ」


「そうか? 雄太は今回きちんと対処できたではないか。あとはそれを積み重ねていけば良いだけだ」


 グリはなんでもない、という風に笑っている。


「いや今回は怪物相手だったから良いけどさ。竜の力って、もうちょっとファンタジーな範囲で発揮されると思ったんだけど・・・・・・、まさか物理的に強くなるとは」


 そこだ。

 竜の力、というのが具体的にわかっていない状態で契約した俺が悪いのだが―――こんなにも直接的に体に影響するものだと思っていなかった。

 身勝手な想像ではあったが、よりファンタジーのような、魔法みたいな力が付与されるものだとばかり思っていたのだ。

 別に今の状態がすこぶる悪いわけではないけれど、それでも想像からの落差は激しい。

 異世界に来たのだから魔法を使ってみたかった、という下心もあったが。


「森の中で散々駆け回ったではないか。何を今更言うのだ」


「いやあれはただ足が速くなったとか、体力がついたとか、そういうのだろ。それにそういったところも魔法みたいな理由で勝手に強化されていると思ったんだよ」


「一緒のことだろう。過程が違うだけで結果は同じだ。膂力が上がったのが、筋力か魔力かという違いだけではないか」


「グリ、もう同じことにならないようにあらかじめ聞いておくけど俺は他に強化されているポイントがある?」


 グリは俺の問いにかぶりをふった。


「残念だがそれはわからない。以前の雄太の力を我は知らない。となれば、どこが変わったか、ということは我には述べられないのもわかるだろう」


「じゃああれか? 俺はこれからちょっと気を抜くと人間離れしてしまう力を出してしまう体で生活しなきゃならないのかよ」


「それは違うぞ。現にお主はこれまで物を壊すことなく一緒に移動してきただろう。あそこで会話に入りたそうにしている妖精を捕まえたときも、握りつぶさずに生かしておけたではないか」


「握り潰しそうだったのっ!?」


 じーっとこちらを見つめていた妖精が非難の声を上げた。


「おいこらグリ、俺が悪辣な奴みたいにいうなよ。妖精も怯えているだろ」


「事実だろう。お主は普段生活する分には問題ないのだ。ただ相手に敵意や殺意をもったとき、その力が人間の基準外になるだけだ。言い方を変えればそのときだけ我ら竜族に近づくといえるな」


 グリの言葉を額面どおりに受け取れば、俺は今後めったなことでは怒ったりしてはいけない、ということになる。

 思い切り殴った俺の拳は、今のところ牛の頭部を貫通するほどの威力があることがわかっている。わかっている以上、安易に力を使えば殺人を犯しかねないことも自覚するべきだ。

 滅多なことでは暴力で訴えないようにしよう、と俺は強く誓った。


「むっ。おいこら握り潰し。私の話を聞いてよ」


 無視される妖精が頬を膨らませながら、俺の頬をつねる。

 意外と寂しがり屋らしい。


「まて、ごく潰しみたいにいうな。つーか動詞で名詞を表現するな」


「そういうわけでな握り潰し。お主は今後の生活には問題ないのだ」


「グリは俺の名前知っているよな!? なんでわざわざそう呼ぶのさ!?」


「私を殺しそうになった男だしね。そのほうが偽りない名前になるわ」


「だそうだ」


「お前ら急に息合い過ぎだろ。つーかグリは妖精あんまり好きじゃないんじゃなかったの?」


「好きじゃないな」


 言い切ったよ、こいつ。

 グリの返答に妖精は表情も変えずに答える。


「私も竜族は嫌いよ。怖いしでかいし、横柄だし」


「そこは否定せぬ。竜は誇りを司る種族ゆえな。他種族から見たら嫌われることこそあれ、好かれる要素が少ないことは自覚している」


「直そうとか接しやすくしようとか、そういう前向きさはないのね」


「性分だ。何百年も生きているとな、今更直すこともできない」


「まぁ良いけどね。あんたは割と接しやすそうだし」


 突然の方向転換に思わず俺は妖精に声をかけた。


「どうしてそう思ったんだ?」


「だってあんた、うん・・・・・・そう、人間のあんた。あんたを助けようとアドバイスしてあげてたでしょ。そんなこと、竜族はなかなかしないものよ。力がありすぎて、自分のことだけしか考えない種族として有名だしね」


「それだけか?」


「あとはねー。大きさと見た目? 可愛いし」


 あ、グリが落ち込んでいる。

 竜族としては沽券にかかわる評価なのだろう。プライドはかなり高そうだし。

 まぁ、この妖精も昨日までのグリを見たら腰を抜かすかもしれないが。


「うん、だからあんたとあんたは大丈夫・・・・・・。あーもう名前がよくわかんないから会話が面倒くさいなぁ。私はテフィ。妖精族で旅記者をしているの、あんたたちは?」


「俺は雄太、見てのとおりの人間だ」


「我は竜族だが、諸事情でこんな姿をしている。本当はより偉大である」


「グリ、名前言ってやれよ」


 俺が肘でグリをこづくと、


「・・・・・・本名は真名ゆえ名乗れぬ。好きに呼べ」


 しぶしぶといった感じで口を開く。

 それでも、俺に明かしてくれた長ったらしい名前は教えないらしい。

 真名、というのがなんだかわからないが、安易に教えるものではないのだろう。

 妖精も呆れることなく頷いていた。


「悪いな。気を悪くしないでくれ」


「まぁこういう手合いは慣れっこだから大丈夫。そうねー、じゃあ私もグリって呼ぶわ。雄太、グリ改めてさっきはありがとう。本当に助かったわ」


 頭を下げ、妖精が笑う。

 笑った顔は初めて見たが、まさしく花のようだった。


「お礼なんて良いよ。それより俺もグリもこの世界のこと、何にも知らないんだ。いろいろ教えてくれるととても助かる」


 俺も頭を下げる。


「ふぅん、事情があるみたいだけど・・・・・・さっきの感じだと教えてくれなさそうだね」


「ごめんな、深い深い事情があって」


 俺が拝むように顔の前で手を合わせると、妖精はやれやれといった風に腰に手をあてた。


「いいわよ。じゃあとりあえず・・・・・・この状況を片付けてから話しましょうか?」


 妖精の言葉に再度周囲を見渡す。



 忘れてた。

 血だらけの牛だらけだった。


 ゲームのように煙になってはくれないらしく、俺はそれから牛の処分と相応に高く売れるらしい三叉の角を集める作業に移った。





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