page8:息抜き、家路、最初の雪
「ごめんごめん、お待たせー」
正門前に立つ私の背中から、そんな威勢のいい声がする。
振り返るとそこには、真っ白な息を吐き出しながら小走りにやってくるヒロの姿があった。
「お疲れ様。結構忙しいみたいだね?」
「いやー、参った参った。学期末に編集する予定の会誌ってのがあるんだけどね、それの原稿に執行部の面々も何か一言書かなくちゃいけないらしくってさー。しかも、期限がもうほとんどないから、今すぐ適当に書き連ねてくれって」
「それは大変だったね」
言いながら、私は苦笑いする。
「ホントだよー。テーマとかあるならまだしも、それすらも任せる、だもんね。会長も含めて、先輩たちもみんな悪戦苦闘してた」
「アハハ」
時刻は間もなく四時半を回る頃。
今日はヒロのバイトも休みなので、帰りは一緒に帰ることになっていた。
が、いざ放課後になると生徒会からの緊急の召集がかかってしまい、一仕事させられてしまったとのこと。
かく言う私は、その時間を利用して先ほどまで屋上へと出向いていたわけなのだが。
「ね、少し寄り道していかない? 少しおなかも減っちゃってさ」
「ん、別にいいよ。あんまり遅くまでは無理だけど」
「そうこなくっちゃ。よし、今日は私が奢ろうじゃありませんか」
「お、太っ腹」
「太ってない! 肥満じゃない!」
「怒るところじゃないってば」
どう見てもヒロは体細いしね。
などと、そんな具合でいつもの会話が絶え間なく続き、喜怒哀楽の変化が人一倍激しいヒロの百面相に笑わされたり驚かされたりしながら、私達の足は商店街方面へと向かうのだった。
周りを往く下校中の生徒の姿も多く、それぞれに喧騒を抱きながら道の上を歩いていく。
相槌を打ちながら、ふと見上げた遠くの空は、屋上で見たときよりもまた少しオレンジ色に染まり始めていた。
さらに背中を一度振り返る。
この位置だと、屋上のある場所にはフェンスの部分しか見えない。
そこに彼の……空と名乗った彼の姿はない。
スノウと戯れているのだろうか、それとももう屋上を降りて帰路についているのだろうか。
どちらでもいいし、どちらでもないのかもしれない。
ただ、何となく気になった。
彼が持つ独特の雰囲気……と言っても、悪い意味のものではなく。
何となく近づき難かったけど、踏み込んでしまうとあっさりと受け入れてくれるような。
けどその反面、どこかに危なっかしい気配を漂わせているような。
要するに、よく分からない。
だから、だろうか。
気が付くと、空のことを気にしていた。
この感情が何という言葉で表現できるものなのか、今の私には分からないままだった。
平日とはいえ、夕方の街並みはいつ見ても賑やかだ。
どこをどうほじくり返せばこれだけの雑踏ができるのかと、私は時々疑わずにはいられない。
もっとも、いまや自分もその雑踏の中の一人になってしまっているわけなのだが。
さしあたる目的もなかったので、いつもどおりに周辺をぶらぶらと歩き回ることから始まる。
「あ、ナナ、久しぶりに寄っていかない?」
「え?」
呼び止められて振り返ると、ヒロが指差す方向にはゲームセンターがあった。
店の外だというのに、これまた賑やかを通り越してうるさいくらいのBGMや効果音が流れ出している。
そういえば、最後にゲームセンターに出入りしたのはいつの頃だっただろうか。
もともとゲームそのものに縁があまりない私なので、自分からやってくることなどないに等しかった。
あ、でもパズルゲームとシューティングくらいなら少しはできるかも。
ヒロの家で遊ばせてもらったこともあるし。
「うん、いいよ」
私がそう言うや否や、ヒロは私の手を掴んで店内へと駆け込んでいく。
相変わらずアグレッシブというか何というか。
いい意味で好奇心旺盛、悪い意味で猪突猛進ってとこだろうか。
開けっ放しになり、もはや自動ドアの役目すらまともに担っていない自動ドアをくぐり、私達は店内に入った。
「うわぁ……」
ずいぶんと久しぶりだが、懐かしいという感覚は不思議とない。
むしろそこらじゅうに密集しているそのゲームの数に圧倒される。
UFOキャッチャーの機械だけで、軽く二十台くらいはあるんじゃないだろうか?
奥に進むと、そこには写真を撮るやつ……ようするにプリクラの機械が、これまた十数台。
というか、このゲームセンターの一階はUFOキャッチャーとプリクラの機械だけで埋め尽くされている。
当然、客層も女の子が圧倒的に多い。
「ナナ、こっちこっち」
「あ、うん」
店内が騒々しいので、ある程度大きな声で喋らないと声もまともに聞きとれない。
先導するヒロに続き、私はその方向へと進んでいく。
少し歩くと細いエスカレーターがあり、それは二階へと続いているようだった。
それに乗り、二階へと移動する。
二階はいわゆるビデオゲームのコーナーになっていた。
見たことがあるゲームもいくつかある。
一階とは違い、この辺の客層は男の子がほとんどだ。
半分くらいのゲームは対戦用の格闘ゲームになっているらしく、恐らく白熱した戦いが繰り広げられているのだろう。
そこらじゅうで殴ったり殴られたりの効果音が響いたと思えば、悲鳴が聞こえて一瞬何かと思った。
単にゲームの勝敗が付いただけなのだが、何かこう尋常じゃない悲鳴だった気もする。
と、辺りを見回していたせいで私は気が付かなかった。
いつの間にかヒロの姿が見えなくなっている。
「あれ? どこ行ったんだろ?」
周囲を見回してみるが、それらしい人影はない。
あ、そういえば……。
私はふと思い出す。
ああ見えてヒロはものすごいゲーム好きで、それこそジャンルを問わずになんでもこなしてみせるのだ。
ヒロの弟がゲーム好きという影響もあってのことなのだろうけど、いつの間にやら弟さえも歯が立たないほどに上達しちゃったとか。
「……あ、あのゲームは確か……」
遠目から見た私の目に、あるゲームの画面が映りこむ。
私の記憶が正しければ、確かあれはヒロの家にも同じものがあったはず。
そしてそのゲームの機会周辺には、何やらさっきまではなかったはずのギャラリーが集まり出している。
「……まさか、ね」
それはないだろうと思いながらも、進む足取りはなぜかカクカクだ。
嫌な予感がする。
もとい、嫌な予感しかしない。
ていうか、もはや確定的。
この展開は明らかに……ほらね。
「やっぱり……」
「ふははー! あまいあまいまいー!」
などと、周囲のギャラリーそっちのけでゲーム画面に集中するヒロの姿があった。
ヒロが今やっているのはある格闘ゲームで、聞いた話によると数年前の名作を最近になってリメイクしたものらしい。
もっとも、格闘ゲームなんてまともに触ったことさえない私は、画面を覗きこんでも何がなんだかよく分からない。
だが、画面の中で戦うキャラの優劣の具合くらいは分かる。
格闘ゲームは要約してしまえば、相手の体力をゼロにしてしまえば勝ち。
で、だ。
見るからに対戦相手のキャラの体力ゲージは風前の灯もいいところ。
一方、ヒロが操作するキャラにいたっては無傷もいいところ。
数ドットほど減っているかどうかさえ怪しいところだ。
ちなみに対戦相手の人は高校生くらいの男の人。
偏見かもしれないけど、男女で比べれば経験や回数、技術に関しても男の子の方が有利に見える。
いや、実際そうなのだろうとは思う。
ただ、相手が悪い。
これはもうどしようもないことだった。
「そんな動きで私を捕まえられると思ってるのかー! 遅い遅い遅い!」
「ヒ、ヒロ……」
もう回りそっちのけで喋る叫ぶ。
多分、いやきっと、背後にいる私の声もまともに届いてないのだろう。
仕方ないので、私は一通りの勝負が付くまで傍観することにした。
ギャラリーはますます増えている。
見ているこっちが恥ずかしいので、私も画面の中に集中する。
見ているだけじゃなんなので、簡単に実況。
相手キャラが上空から攻撃。
ヒロはこれを回避、すぐさま反撃へ。
攻撃がヒット、地獄が始まった。
相手キャラが浮く、浮く、浮く。
浮いたまま落ちてこない。
画面の中のヒット数を表示するカウンタの数だけが、理不尽なまでにどんどん増えていく。
二十五……三十……三十五……。
「ま、マジかよ……」
対戦相手のそんな声を、私は聞いてしまった。
周りのギャラリーからも信じられないといった具合の小声が聞こえる。
「ふははは! 早く逃げないとこのまま即死しちゃうわよー?」
相手キャラの体力はぐんぐん減っていく。
攻撃の手は休まるどころか、ますます手数を増やしていく。
まるでこれではお手玉だ。
ふと視線を移し、ヒロの手元を見て半歩ほど私は身を引いた。
ヒロの目は画面を見ている。
つまり、レバーやボタンは一切見ていない。
にもかかわらず、ものすごい速度でその両手は稼動していた。
キーボードのタイピングを高速……もとい光速でやっているみたいだった。
一体どういう反射神経をしているのだろうか……。
『K・O!』
と、そんな声が聞こえて画面を見てみると、ヒロは圧勝していた。
『You Win! Perfect!』
完全勝利、だそうだ。
「ふ、またつまらぬものを斬ってしまった……」
勝利の余韻に浸るヒロ。
反面、対戦相手の男の子は魂が抜けたような顔をして画面の前で固まっていた。
ヒロ、アンタ、何者?
「いやー、爽快爽快!」
「……そ、そりゃね……」
あんだけ暴れれば、日頃のストレスなんかもあっさり解消できてしまうことだろう。
あの後大急ぎでゲームセンターを後にし、私達は今、最寄のファーストフード店で軽食を口にしていた。
「ヒロ、いつもあんな調子なの?」
「ん? そうでもないよ。でも今日は、イマイチ調子が上がらなかったかなー」
「……左様でございますか」
この女、底が知れない。
その後しばらく雑談に花を咲かせ、約束どおりこの場はヒロの驕りに甘えさせてもらうことになった。
帰り道に一度近くの雑貨屋に立ち寄り、いくつか買出しを済ませる。
歩き慣れた道を往き、定番の分かれ道で手を振り合って帰路へ。
すると、目の前をゆらゆらと舞う白いもの。
「雪……?」
見上げると、ちらちらと白い雪が降り始めていた。
今年の初雪だろうか。
あれだけオレンジに染まっていた空も、今はほとんど灰色の曇天に包まれていた。
ゆっくりと舞い降る雪は、アスファルトの地面に落ちては溶けて消え、黒い斑点を浮かび上がらせた。
ふいに、頭の中で鳴き声がした。
「そっか、雪、か……」
それは白猫の鳴き声。
今もあの屋上にいるかもしれない、雪の名を与えられた真っ白な猫の鳴き声だった。
真っ白な雪。
スノウにそっくりだった。
けど、もう一つはどうだ?
見上げた空。
そこは灰色。
白でも黒でもない、中途半端。
もう一つの空は……彼は、どうなんだろう?
ふいに気になった。
彼が持つ空気のような、独特の気配が、今の空模様とそっくりな気がして……。
「…………」
私はやっぱり分からなくて、白い溜め息を一つ吐き出して、歩き出した。




