page29:春、再会、折れない翼
あれから、少しだけの月日が流れた。
「おっはよー、ナナ!」
「おはよ……って、いきなり飛びついてくるな……ってうわぁっ!」
背後から抱きつかれ……もとい、羽交い絞めにされ、私は朝っぱらから意識が遠のきそうになる。
「ス、ストップ。ヒロ、苦しい苦しい……」
腕を軽く叩き、ロープロープと訴える。
「ふぅ……全く、いつものこととはいえ、少しは限度をわきまえてよ……」
「硬いこと言わない。私とナナの仲じゃないの」
「……聞く人が聞いたら妙な誤解をされそうだから、その言い方もやめてくれない?」
「うぅ、それが親友に言う言葉か。悲しいぞ私は、泣くぞ、この場でワンワン泣くぞ?」
「はいはい。それよりも、少し急がないとこのままじゃ遅刻するよ? クラス替えの発表だって見ないといけないし、新学期早々から遅刻してたんじゃシャレになんないよ」
「うぅ、友情よりもクラス替えが大事って言うんだな。ますます私は悲しいぞ」
「……置いてくよ?」
「待ってくれー」
そんないつもと変わらない朝のやり取りを繰り返しながら、私とヒロは学校へと続く緩やかな坂道を早足で登り始めた。
私が退院してから、早いものでもう三ヶ月以上の時間が流れていた。
その間に季節は冬から春へと移り変わり、私は二年生へと進級した。
長くも短くもない春休みを終え、今日は新学期の初日。
春になったとは言うけど、今の時期はまだ冬の名残の肌寒さが糸を引いて、日によってはしっかりと防寒具を着込んで行かないとヒドイ目に遭ってしまう。
なんだかんだで三月の初めの頃までは雪が降り続いていたし、近年の異常気象にも困ったものだ。
でもまぁ、最近になってようやく天気も落ち着いてきて、ようやく春先らしい暖かな日差しに恵まれるようになった。
同時に、早くも花粉症に対する恐怖が私の中には芽生えていた。
二年前に初めて被害にあってから、すっかり恐怖症である。
世界中のスギの木は、今だけ私のためにも伐採されるべきではないだろうかと、真剣に考えてしまうくらいだ。
「あ、ナナ、こっちこっち。クラス表張り出されてるよ」
ヒロに呼ばれ、私はそちらに向かう。
ホワイトボードの上に大きめの紙が張られ、そこに名前とクラスがずらりと書かれている。
私は……あ、あったあった。
「三組か」
私の名前は二年三組の場所に書かれていた。
そしてその下を目で追っていくと、そこには。
「ぶ」
ヒロの名前も、同じ三組の中にあったのだった。
「こりゃもう運命だね。来年もよろしくっ!」
「新学期初日なのに、すでに来年まで見通してるの?」
けどまぁ、何と言うかこの腐れ縁は本当に行くとこまで行きそうな気がしてならなかった。
それ自体は別に、全然嫌なことではないのだけれど……。
ないのだけれど、まぁ色々と問題がありそうな予感がして、私は深く溜め息を吐くのだった。
「お前らー、もうすぐ始業式が始まる時間だぞ。モタモタしてないで、教室行って荷物置いてこい。そのあとすぐに体育館に集合だぞ」
その場に居合わせていた先生の一人がそう言った。
「やば、もうあんまり時間ないよ。行こう、ナナ」
「あ、うん」
もう少しクラス表で、友達の名前とかを確認しておきたかったのだが……まぁ、どの道始業式が終われば一度は教室で顔を会わせるわけだし、確認はそのときでもいいだろう。
上靴に履き替え、私とヒロは急ぎ足で教室へと向かった。
教室に着いた頃には、すでに移動が始まっていた。
私達は黒板に張り出された座席表を見て、それぞれの席にバッグを置くと、すぐに廊下へと出る。
体育館へ向かう生徒の波に紛れて、私達も移動する。
到着して整列すると、ほどなくして始業式が始まった。
とはいっても、単に前置きが違うだけの朝礼のようなものなので、はっきり言って何のありがたみも感じない。
延々と続く教職員の話を軽く聞き流し、早く終わらないかなと胸の内で思った。
ようやく話が一区切りすると、私達は再び教室へと戻ることになる。
こんなことでわざわざ集合をかけるよりは、校内放送でも使って簡単に済ませたほうが楽なんじゃないかとヒロは言う。
なかなか無茶なことを言ってくれるが、まぁ一理あるかもと私も思った。
教室に戻り、ようやく落ち着いて席に腰を下ろした。
「はぁ、何か意味もなく疲れた」
「毎回思うんだけど、なんで校長とか教頭の話って脈絡ないくせに長いんだろうね」
「同感。難しいこと言ってれば博識に見られると思ってるのかな?」
「理解されてないのにね」
「本当だよ」
などと、私達は好き勝手に言いながら小さく笑った。
そうこうしているうちに教室は生徒で溢れ、改めてその中を見回すと、中にはいくつかの知った顔を見つけることができた。
クラス替え直後の光景として、大体は皆見知った顔同士でグループを作る。
さすがに面識もないのに輪の中に飛び込むには勇気がいるし、逆に相手に引かれることもあるだろう。
そんなわけで、私も決してその例外ではなかった。
去年から同じクラスだった友達も数人いて、その集団の中で色々とお喋りをしていた。
こうして見ると、男女を問わなければクラスの三割くらいは見知った顔だった。
これなら新しい環境になじむのも、そう時間はかからないだろう。
「すまん、遅れたな。とりあえずお前ら席に着け。早く帰りたいだろ? 俺もこの後忙しいから、早く帰ってほしいんだ。だから席に着け。早くしろ」
「あれ、私達の担任って遠野先生?」
「って、黒板の紙に書いてあったじゃん。ナナ、見てなかったの?」
遠野先生は私達の入学と同じじきに赴任してきた新しい先生で、歳もまだ若く生徒達にも人気がある。
生徒達とも比較的歳が近いせいか、親近感を覚えられる態度で話しかけてくれる。
時々ぶっきらぼうなこともあるが、それもまた好かれる要素の一つなのだろう。
確か、担当教科は数学だったはずだ。
「あー、諸連絡らしいものはこれといって特にないんだがな。午後からは新入生の入学式もあるから、俺達は忙しい。というわけで、簡単に連絡だけ口頭で伝えるから、しっかり叩き込んで置けよ」
それから遠野先生が言ったことは、要するに明日から平常通りの授業が始まるから、とりあえず古い教科書を間違って持ってくるとか、入るクラスを間違えたりとか、そういうくだらないミスで恥をかくなということ。
他にもっと言うべきことがある気がするのだが、そこはあえて突っ込まないでおこう。
「おし、連絡は以上。それじゃ解散だ。気をつけて帰れよ。それと、春休みの宿題やってないやつは今から帰って死に物狂いでやっておけ。どうせ答え丸写しするにしても、ところどころわざと間違えるとかして工夫しろよ。それじゃな」
と、言いたいことだけ言って遠野先生は去っていった。
きっと遠野先生も、そういう学生時代を過ごしてきたんだろう、うん。
「ナナー、帰ろう」
「そだね。帰ろうか」
私はバッグを手にし、立ち上がる。
と、そこでふと教室の一角の異変に気づいた。
「あれ?」
「ん? どしたの?」
「あそこ、誰の席?」
私は教室の隅を指差して言った。
そこにも普通に席が用意されているのだが、そこには誰の姿もなかったのだ。
「さぁ? 休んでる人でもいるんじゃないの?」
まぁ、普通に考えればそういう結論になる、か……。
「それより、午後からどうする?」
「え、どうするって?」
「何言ってんの。せっかく午前で学校おしまいなんだし、どっか遊びにでも行こうよ」
「休み中、あんだけ遊び歩いたのにまだ飽き足りないわけ?」
「ふはは、私の遊びたい心は底なし無限大だ」
「……頼むから、そろそろ穴をあけさせてちょうだい」
とは言ったものの、結局私もこの日は得にすることもなく暇を持て余すばかりだったので、何だかんだで付き合うことになった。
こうして春休みの延長最後の休日は過ぎ去り、明日からまた変わり映えのない毎日が始まる。
そう、本当に何も変わらない、平凡で、退屈で、たまにドタバタと忙しくなるような、そんな毎日が。
それもまぁ、悪くはないんじゃないかなと。
そんなことを思って、私はベッドに入り、目を閉じる。
ヒロにあちこち引っ張りまわされたせいだろうか、思いのほか体は疲れていて、すぐに睡魔はやってきてくれた。
今夜はぐっすり眠れそうだ。
明けて、翌日。
「ふぁ……」
「ナナ、さっきから欠伸ばっかだね。寝不足?」
「んー、そんなことないと思うんだけどなぁ……」
ぐっすり眠れたはずなのに、なぜか眠気はまだなくなっていなかった。
たっぷり十時間近くは寝たはずなんだけど……。
「あー、あれだよあれ。春眠暁を覚えずってやつだねきっと」
「あー、確かにその言葉はあてはまるかも」
「この時期って、とにかくやたらめったらに眠くなるよね。特に、午後の授業の一発目が体育の日なんて、目も当てられないよ」
「それはさすがに、最後の六限目は寝ちゃいそうかも」
私は小さく笑いながらそう返した。
「…………」
「…………」
「……今日、か」
「……今日、だね」
まさしく今日が、その午後の授業の一発目に体育がある日だったのだ。
「まぁ、最初の授業だしさ。いきなりグラウンド走れとかはないと思うけど」
「……だといいんだけどなぁ。この時期だと、体力測定しか頭の中に浮かんでこないよ」
考えただけでまた眠気が出てきそうである。
「お前らー、席に戻れ。ホームルーム始めるぞ」
ガラガラと扉を開け、遠野先生がやってくる。
皆それぞれ自分の席に座り、それでも近所同士で小声で話したりしていた。
「……あ」
そして私は、またその席だけが空白であることに気づいた。
それは、昨日も誰の姿もなかったあの席だ。
やはり病気か何かで欠席しているのだろうか?
それとも、手違いで席を一個余分に配置してしまったとか。
あるいは、この後にいきなりですが転校生を紹介します、みたいな展開になってしまうのか。
……まぁ、深く考えるようなことではないのだろう。
しかし、気にならないと言えば嘘になる。
何だろう、この感覚は。
予感と言い換えてもいい。
……何か。
何かが、起きるような……。
「とりあえず出席取るぞ。呼ばれたら返事してくれ。あと、名前の読みとか間違ってたら許してくれ。阿部――。安藤――。石田――。井上――。磐田――」
そんな声を聞きながら、私はただぼんやりとその空席を見ていた。
まるでそこに、知っている誰かがいるかのように。
「上杉――、上杉は欠席か?」
「……あ、はい」
「欠席なのに返事とは、器用なヤツだな」
遠野先生がふざけてそう言うと、クラスの中に笑い声が沸いた。
しまった、新学期早々から別の意味で目立ってしまった……。
「んじゃ続けるぞ。江崎――。大久保――。加藤――。河村――……」
そのやりとりを聞き流しながら、私は窓の外に視線を移した。
空は青く、雲は白い。
日差しはまだどこか弱々しいが、肌にしっかりと暖かさを感じ取れる。
典型的な春の一日。
もう、あの白すぎた雪は一つ残らず溶けてなくなってしまった。
視線を移す。
空の途中、屋上の一部が視界に映った。
「……あ」
そしてふいに、目が覚める。
長く忘れてしまっていたことを、ふいに思い出せたような感覚。
甦るのはどれも、白い記憶ばかり。
白く冷たい、雪のようなあの頃。
確かに、そこには……。
「橋本――。日野――。檜山――と、次が……」
と、そのときだった。
教室の後ろの扉が、今頃になってガラガラと音を立てて開いた。
当然、突然のそのことにクラス中の視線がそこに集中する。
私も一拍遅れて、その音の方向を振り返った。
「――すいません、遅れました。クラス分からなかったんで、職員室で聞いてきたんで……」
「……え?」
その声に。
私は確かな聞き覚えがあった。
白い記憶が開く。
「ああ、そうだったな。すまん、俺が予め連絡しておくべきだった。悪かったな。とりあえず、席に座ってくれ。そこがちょうどお前の席だ」
「はい」
「っと、ちょうど出席も今からだったな」
皆もう、突然の訪問者である彼をさほど気にした様子はない。
たまたま前日に欠席し、今日は遅刻してきたというだけ。
特におかしな目で見られることは何もなかった。
だから、きっと。
私はきっと、大げさなくらいに驚いていたのかもしれない。
そこに座る、彼の姿に。
妙な懐かしさを覚える、彼の声に。
そして、彼の名が呼ばれる。
確かめるように、思い出すように。
「藤杜」
「――はい」
……彼は。
藤杜空は、こうして戻ってきた。
「――だから、またうっかり顔を会わせることも、確かにあるかもな」
そう言うのならば。
今はこの、うっかりとやらに少しだけ……少しだけ、感謝をしよう。
偶然でも、必然でも、もうどっちでもそんなことは構わない。
変わらないはずの日常に、ほんの少しの奇跡が起きたことに。
――少しだけ……でも、心から……感謝しよう。
ふいに、空の視線が移り、私の視線とぶつかる。
しかし空はそれに驚く様子も見せず、しかしすぐに視線を逸らすこともせず、ただ一度だけ、小さく微笑んだ……ように見えた。
だから私も、小さく笑い返しておこう。
言葉は使わず、ただ微笑むだけ。
これはきっと、小さな小さな一つの始まりなのだから。
we can not fly……私達は飛ぶことができない。
because……なぜなら。
we do not have plumes……私達は、羽根を持っていないから。
――but……しかし。
our plumes,never break down……私達の羽根は、決して折れることは……ない。
――fin.
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
本作はこれで完結となります。
長い間に渡って呼んでくださった読者の方々に、改めてお礼申し上げます。
本当はもっと短く終わらせる予定だったのですが、毎度のことながら書いてるうちに書きたいこと、どうでもいいことが次から次へと出てきて、結局長々と連載を続ける羽目になってしまいました。
そのくせケガで何ヶ月も放置という有様もあり、その際はご迷惑おかけしてすいませんでした。
とりあえず私としても、完結できて一安心しています。
本作の完結を見越して、すでにホラーのジャンルでClock Gameという作品の連載を開始しておりますので、時期的にも夏ですし、気が向いた方はぜひご覧になってみてください。
それでは長くなりましたが、本当に最後まで拝読してくれてありがとうございます。
ジャンル的にも区別しづらい部分があり、はっきりしない分だけ多くの読者の方の目に触れる機会も少なかったのですが、最後まで読んでくださった方はできれば感想や評価をいただけると幸いです。
それではまた、縁があれば別の作品でお会いしましょう。
失礼します。
やくも