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page28:退院、お別れ、またいつか


「これでよし、と……」

 入院してから一週間、長いようで短かった病院生活とも、今日でお別れだ。

 今日の午後、私は無事に退院できることになった。

 今はちょうど、病室で荷物の整理を終えたところだった。

 とはいっても、前日のうちに大半の荷物は母さんが持って帰ってくれているので、私が持ち帰るものはせいぜい手荷物程度のものばかりだ。

 一通りの整理を終え、途端にすることがなくなって時間が空いてしまう。

 何度も読み返してしまった雑誌を手に取るが、何だか読む気にもならない。

 ようするに、暇だった。

「はぁ……」

 ゴロンと、私は真っ白なベッドの上に寝転がる。

 ようやく明日から、またいつもどおりの生活に戻ることができる。

 そういえば、期末試験がもう目前に迫っているんだった。

 病人だったとはいえ、一週間も学校を休んでしまったのはなかなか厳しいものがある。

 とりあえず明日学校に行ったら、ヒロや他の友達にノートを借りて写させてもらうことから始めなくてはいけないようだ。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、静かに目を閉じる。

 それだけで眠気もこみ上げて来たが、そのまま眠ってしまいたいと思うことはなかった。

「……そうだ。近藤さんとかにも一応、挨拶しておこうかな。お世話になったし」

 私は起き上がり、病室を出る。

 お昼が間近なこともあって、病院内は普段に比べてやや人が多い。

 廊下を抜け、私はナースステーションへと向かう。

 扉を軽くノックすると、すぐに一人の看護婦の人がそれに気づいてくれた。

「どうかしましたか?」

「あの、近藤さんいますか?」

「ああ、今ちょっと検査で出てますね」

「あ、そうですか……」

「何か、急用でも?」

「あ、いえ。そういうわけじゃないんですけど。私、今日の午後で退院するんですけど、担当だった近藤さんに一言言っておこうと思ったんですけど」

「それだったら、伝言しておきましょうか?」

「すいません、お願いしてもいいですか?」


 私は、お世話になりました、色々と優しくしてくれてありがとうと、そう伝えてくださいと言い、そのままナースステーションをあとにした。

 直接言いたかったけど、仕事中ではそれも仕方ないだろう。

 ここでまたやることがなくなってしまった私は、結局元来た道を戻って病室へと向かうのだった。

 退院に必要な手続きはすでに済ませてある。

 本当は少しくらいフライングして、抜け出してしまいたい気分もないわけじゃなかった。

 でもまぁ、そこまで急ぐ必要性も感じないし、何より色々と面倒になりそうなのでやめておく。

 ふと、病室に戻る前で隣の空の病室の扉が開いたままになっているのに気づいた。

 ちょっと部屋の中をのぞいてみると、中には空の姿はなかった。

 今日もリハビリをしにいっているのだろうか。

 わずか一週間で退院できる私とは違い、空のケガは早くても全治二ヶ月ほどはかかるそうだ。

 一番のネックはやはり、左腕の骨折だろう。

 聞いた話では、幸い複雑骨折ではなかったから治りは比較的早いとのこと。

 私は今までに骨折はおろか打撲さえ経験したこともないので、当然リハビリなんてことはやったこともない。

 多分、今まで生きてきた私の十六年の人生の中で最大のケガは突き指程度のものだろう。

 しかし侮るなかれ、痛いんだよあれ……。

 などと考えながらも、結局暇だということには変わりがない。

「少しその辺をブラついてようかな……」

 病院内部に見て回るところなどほとんどないようにも思うが、まぁ散歩だと思えばいいだろう。


 そう思って歩き出したまではいいものの、いざ歩き出すと病院という施設は構造上の問題なのだろうか、どこも似たような景色しか続いていない。

 もっとも、病人やケガ人が生活する場所に目移りするようなものがあってはそれはそれで問題だろう。

 当てもなく歩いているだけで、何だか迷子になりそうな気がしてきた。

 思わず私は来た道を引き返し、見覚えのある場所まで戻るのだった。

 廊下を抜け、エレベーターホールへ。

 そこの脇にある階段を、一段ずつゆっくり上っていく。

 近藤さんから聞いた話だと、屋上は昼間の間は開放され、休憩所のような扱いになっているのだという。

 そういえばまだ一度も行ったことがないなと思い、私は今そこに向かっているというわけだ。

 この一週間、運動らしい運動をしていなかったせいだろうか、普段学校で嫌というほどに利用している階段なのに、何だか余計な体力を消耗しているような気がする。

 入院患者にはつき物なのだろうが、どう見てもこれは体力が落ちている証拠だ。

 前までは、階段の上り下りくらいで疲れを感じることなんてなかったのに。

「ふぅ、着いた……」

 やけに長く感じる階段を上り終え、私は屋上に続く鉄の扉を押し開ける。

 灰色の石畳は、日の光に照らされて白みがかって光っていた。

 今日は珍しく晴れてくれたので、いくらか気温も暖かいほうだった。

 それでも真冬であることに変わりはないので、防寒具の一つでも着込んでないと体が震えてしまう。

 踊り場に出る。

 すでに屋上には何人かの姿が見て取れた。

 パジャマ姿に防寒具を羽織った患者の姿もあれば、白衣に身を包んだ医師の姿もちらほらと見受けられる。

 それぞれに世間話をしたり、隅のほうでタバコを吸ったりしていた。

 いくつか備え付けられたベンチもあり、そこに座って雑誌や新聞を読んでいる人もいる。

 と、その一角に。

「あれ?」

 見覚えのある背格好を見つけ、私はそこに歩み寄る。

 数歩ほど近づいて、すぐにそれが空だと分かった。

 風が冷たいというのに、上着の一つも羽織らずにベンチに座っている。

 ケガ人なのに、この上風邪まで引いたらどうするつもりなのだろうか。


 もう少し近づいたところで、先に空が足音か何かに気づいたのだろうか、ふとこっちを振り向いた。

「……何だ、お前か」

 開口一番、そんなことを言われた。

「休憩中?」

「まぁ、そんなとこ」

 空はそっけない態度でそう答える。

「隣、いいかな?」

「……?」

 私が聞くと、空はやや不思議そうな表情を見せつつも無言で頷いた。

 ベンチの隅と隅、私達は並んで座る。

 しばらくそのまま会話らしいこともなく、私も空も目の前にある平凡な街並みをぼんやりと眺めていた。

 ……話しかけづらかった。

 というよりも、特に話題もないのに何で私は隣に座っているのだろうか。

 今さらになって自分の無計画さが嫌になる。

 などと、そんなことを考えていたときだった。

 ふいに空が、口を開いた。

「……お前さ、今日で退院なんだろ?」

「え? あ、うん。何で、知ってるの?」

「……今朝、聞いた。看護婦の人に」

 ……近藤さんだろうか?

 それにしたって、何でそんなことを空に教えたのだろう。

「……よかったな」

「……へ?」

「退院できるんだろ? 嬉しくねぇの?」

「そりゃまぁ、嬉しいことは嬉しいけど……」

 とは言っても、一週間だしなぁ……。

 これが半年一年とかの入院が終わったというのなら、その喜びもひとしおだと思うけど。

「……ありが、とう……?」

 一応そう返してはおいたが、自分でもなぜ疑問系なのかよく分からなかった。


「……あのさ」

「ん?」

「……答えなくなかったら、答えなくてもいいんだけど……一つ、聞いてもいい?」

「……ああ」

「リハビリ、してるんだよね?」

「してるな」

「ってことは、ケガを治すためだよね?」

「ためだな」

「…………」

「…………」

「…………何で?」

「……は?」

 いやまぁ、当然の反応だろう。

「だってほら……この前さ、ちょっともめたじゃない。その、さぁ……」

「……だな」

「……それでそのとき、言ってたじゃん。その……死にたいとか、さ……」

「……言ってたな」

「…………」

「…………」

 再び沈黙。

 何だか会話として成り立っているかどうかも不思議だったが、空は嫌な様子ではないようだった。

「だからその……何でかなって。何て言うか、心境が変わるようなことがあったのかなって、それだけ気になったから、さ……」

「……そう、だな。あったんだろうな、きっと……」

「……え?」

 その空の返事は、どこか曖昧で。

 言葉そのものはひどく頼りないものなのに、けどその表情は数日前と比べて全然違うものになっていて。

 何かこう、いい意味合いで吹っ切れたような、そんな感じだった。

 だから私は、何があったのと、すぐそこまで言いかけたその言葉をギリギリのところで呑み込んだ。

 きっとそれは、聞かないほうがいいことなんだろうと、何となくそう思ったから。


「……そっか。あったんだ」

「……ああ、あったみたいだ」

 互いにそんなワケの分からない言葉を言いながらも、どうしてか揃って小さく笑い出していた。

 ……そっか、あったんだ。

 なら、とりあえず今のところは……それでいいのかもね。

 目には見えない。

 けど、何かが確かに変わっていた。

 それはきっと、言葉にしようとしてもうまくできないもので。

 曖昧な言葉だからこそ、本当の意味で伝えることができるものなのかもしれない。

 ……うまく言えないけどさ。

 全く、難儀なことですよ。

 ……本当に。

「さて、と。それじゃ私、そろそろだから」

「……そうか」

「リハビリ、楽じゃないと思うけどがんばりなよ。空の場合、無理して逆に悪化しそうだけど」

「さっき、医者にもそう言われた。ようやくくっつき始めた骨を、自分でまたへし折るつもりかってな」

「ちょ、ちょっとシャレにならないんじゃない、それ……」

「かもな」

 そしてまた、互いに小さく笑い合う。

 ああ、やっぱりそうだ。

 普通に笑えるじゃん、コイツ。

 と、その言葉は言わないでしまっておくことにする。

 口に出せば、きっと治りかけの左腕でも殴られそうだ。


「じゃあ、行くよ。また今度、学校で」

「早くても多分、新学期からだろうな。もっとも、会うかどうかは別としてだが」

「そういえば、まだ聞いてなかったっけ。空って、何年生なの?」

「……企業秘密だ」

 以前よりも敷居が高くなっている気がする。

「前も言ったろ? そんなの気にすんなよ。とりあえず、今年で卒業ってオチはない。だから、またうっかり顔を会わせることも、確かにあるかもな」

「そっか。そんじゃまぁ、その偶然とやらを期待せずに待つとします」

「別に待たなくていいんだけどな」

「うわ、ひどい言われよう」

 そしてまた笑い合う。

「それじゃまぁ、お先に。ちゃんとケガ治しなよ」

「余計なお世話だ。さっさと行けよ」

 結局空は、最後の最後までそんな感じだった。

 私はその場を後にし、来た道を戻る。

 扉を押し開け、病院内に戻ろうとしたそのとき。


 「――…………な」


 そんな、空耳かと疑いたくなるような声が聞こえて。

 けど振り返らずに、そのまま扉を閉めた。


 さて。

 ようやく退院だ。

 とりあえず、家に帰ったら……。

 麺の固まらないパスタでも食べよう。



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