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page24:同情、哀れみ、心の声は


「……で」

「……ん?」

「……何でお前が、ここにいるんだ?」

「何でって……私も肺炎で入院してるから」

「いや、そうじゃなくて……」

 一拍の間を置いて、空は重ねて訊ねた。

「何でお前が、俺の病室にいるんだよ?」

 事の発端に、別に理由らしい理由はなかった。

 そもそもどういう偶然か知らないけど、私と空の病室は隣り合わせになってしまったのだから、遅かれ早かれ顔をあわせる機会なんてものはいくらでもあったわけで。

「えーと……」

 空の問いに答えるべく、私は頭の中でそれらしいもっともな理由を考える。

「……あ、お見舞い?」

「……お前も入院患者だよな? それに、何で疑問系なんだよ」

 言われてみればもっともだった。

「ま、まぁ、いいじゃない。この際細かいことはさ」

「…………」

 そうは言ったものの、空はどこか納得がいかないような視線で私を見返していた。

「あー……あのさ、体のほうは、もう大丈夫なの? 一般病棟に移ったってことは、多分そうなんだろうとは思うけど」

「……どうだろうな。自分じゃよくわかんねぇよ」

 言って、空はふいに視線を逸らす。

「……飯塚先生、すごく心配してたよ?」

「…………」

「何ていうか、すごい取り乱してたっていうか……とにかく、普段からじゃ想像もつかないような感じで……」

「別に……」

「え?」

「……別に、そんな必要ないだろ」

「……どういうこと?」

「……何で、俺のことなんか心配したりするんだよ? 俺はそんなこと頼んだ覚えはない。ただのお節介だ」

 そういいはなった言葉はひどく冷たく、何の温かみもないものだった。


「……そういう言い方って、ないんじゃないの?」

 自然と私の口調も、低く細くなっていたのかもしれない。

 意識してそうしたわけじゃないんだけど……。

「飯塚先生がどれだけ心配したと思ってるの? それに、手術をしてくれた医者の人達は? 皆の助けがなかったら、今頃空は死んじゃってたかもしれない」

 しれないんだよと言い切るよりも早く、空が口を挟む。

「だからさ」

 その声はさらに低く。

 例えるなら、周囲にあるものをただの障害物としてしか扱わないような、そんな言葉だった。


 「――俺は、死にたかったんだよ。助けてくれなんて、誰にも一言も頼んでない」


 その双眸が、暗く揺れていた。

 澱んだ水底のように深く暗く、夜の闇に溶け込むような輝き。

 目を合わせた私のほうが、すごまれるようになってしまう。

 しかし、それでもだ。

 今の言葉は、絶対に聞き捨てならない。

「……何、それ?」

 気付いたら声が震えていた。

 空の目つきに、知らず知らずのうちに恐怖を覚えていたのかもしれない。

 それでも言葉は続く。

 震えたまま、こみ上げてくる感情をむき出しにした。

「どうしてそんなことが言えるの? どういう理由があったにしろ、無事に助かったことをよかったとは思わないの?」

「思わない。俺は助かりたいなんて思ってない。そう思ったなら、そもそも屋上から飛び降りたりなんかしない」

「っ、そうだとしても、助けてくれた人に感謝するのが当たり前でしょ?」

「言葉だけの謝礼なら、いくらだってしてやるよ。そもそも、俺が助かったことと、医者が俺を助けたことを一緒にするなよな」

 視線を移し、空は続ける。


「医者が俺を助けたのは、それが医者の仕事だからだろ? そんな義務めいたことに、何で感謝しなくちゃいけないんだ?」

「……空、本気で言ってるの?」

「……お前もお前だよな」

「え?」

「何で俺に構うんだ? 面識こそあっても、ほとんど赤の他人だろ? 同じ学校の生徒ってこと以外に、俺達に接点なんてないよな? なのにどうして、俺に構うんだよ? 放っといてくれよ。俺が死のうがどうしようが、お前に関係ないだろ?」

「…………」

「同情? 哀れみ? そのどちらも俺は頼んでない。望んでない。そういう態度は、俺の目にはただの偽善にしか映らないんだよ。なぁ、もういいだろ? 放っといてくれよ。俺なんかに構って、お前に何かメリットでもあるのか?」

 それは、完全なる拒絶。

 言葉の一つ一つが針となって、私の胸に突き刺さっていた。

 感じたことのない痛み。

 けどそれ以上に、苛立ちや腹立たしさが優先して、頭の中がこんがらがってしまっていた。

「……分かった。もう、いいよ」

 静かに、私は告げる。

「私にも、理由なんてよく分かんない。けど、さ。そんなに、おかしなことなのかな……?」

「…………」

「誰かが誰かを心配するための理由って、そんなに必要なものなのかな……?」

「……っ」

「けど、もういい。空の言いたいことは、よく分かったから。だから……」

 私はパイプ椅子から立ち上がり、最後に空を強く見て、捨て台詞のような言葉を吐き捨てた。


 「――もう、いいよ……」


 バタン。

 静かな音を立て、扉が閉まる。

 夕陽が差し込んで、真っ白な部屋の中はオレンジ色に染まっていた。

「……いらねぇよ、そんなもの」

 ポツリ、空は呟く。

 淡い色に照らし出された壁に向けて、吐き出す言葉。

「……優しさを俺に見せるな。与えるな。俺は、それに対して返せるものを何も持ってないんだ……!」

 絞り出した言葉は、静かに空気に溶けて消える。




 夕方になり、母さんが再び病室を訪れてくれた。

「あら、なんかやけに機嫌悪そうな顔してるわね?」

「……別に」

 いや、実際私はずっとイライラしていた。

 数時間前、半ば喧嘩別れのようなことをしてからずっとこうだ。

 空の言葉の一つ一つが、思い返すだけで腹が立ってくる。

 でもそれを人にも物にも当たり散らせず、結局自分の胸の中だけで八つ当たりを繰り返しているので、ちっともすっきりしない。

「そういえば、隣の病室だけど」

 と、母さんは早速その話題を切り出した。

「今朝までは無人だったのに、今は患者さんがいるのね。さっき看護婦さんに聞いたけど、アンタと同じ学校の男の子らしいじゃない?」

「……らしいね」

「らしいねって、アンタ知らなかったの?」

「……知ってたけど、知らない」

「何それ? 変な日本語使うわね」

「いいじゃん、そんなのどうだって。私に関係ないもん」

 ガバッとシーツをかぶり、私は不貞寝同然に顔を隠した。

「……相当ご機嫌ナナメみたいね。で、その原因はお隣さんにあるみたいってとこかしら?」

「っ……」

 わずかに息を呑む音が聞こえたのだろうか、母さんはそれを確認するとフフフと小さく笑う。

 相変わらず、どうでもいいことに関してはやたらと勘が鋭い。

「ねぇ、なお。少し話を聞かせてよ。全くの無関係ってわけじゃないんでしょ? 隣の子、学校の屋上から飛び降りたっていうじゃない」

「……そんなことまで知ってるの?」

「看護婦さんとの世間話の延長で、ちょっと耳にしたのよ。でもまさか、アンタの知り合いの子だとは思わなかったけどね」

「別に、そんなんじゃない。ちょっと話したことがあるくらいで……友達でもないし、クラスや学年だって知らないし」

「それでも、心配になる子なんでしょ?」

「……心配なんてしてない」

「アンタは顔に出るのよ。隠してもバレバレ。何年アンタの母親やってると思ってるのよ」

「う……」

 母さんにそこまで言われると、もう逃げ口上は通じそうにもない。

 私は少しずつ、知っている限りの空のことを話し出した。


「そっか。ちょっとワケアリの子なのね」

「詳しいことは知らないし、聞くのもおかしな話だと思って聞いてないけど……でも、多分イジメとかそういうのが問題なんじゃないと思うの」

「そうでしょうね。なおの話を聞いた限りじゃ、その空って子はいじめる側にもいじめられる側にも当てはまらない気がする。至って普通の、どっちかっていうと明るい雰囲気がするけどね」

 母さんの言葉は大体当たっている。

 普通に接する分には、空の雰囲気は社交的だと私は思っている。

「けど、そういうのは全部、表向きだけの顔なのかもしれないわね」

「表向き?」

「極端な言葉で言えば、痩せ我慢よ」

「痩せ我慢?」

「本当の自分を見せたくない、見られなくないから、そうやって表では必死にもう一人の明るい自分を取り繕ってるのよ。表面上だけでもそうしていれば、誰も自分の深い部分までには入ってこないと思ってるんでしょうけどね。でも、分かる人には分かるのよね。そうやって隠しているっていうのが」

「……母さんにも、分かるの?」

「ううん、私はそういうのははっきりとは分からないわよ。けど、何となくそうじゃないかなって思うことはあるわね。仕事とかでもそういうのはよくあることだしね。むしろ、社会に出ればいくらでもそんな場面には直面すると思うわ」

「そういう、ものなのかな?」

「そういうものよ。今は分からなくてもいいのよ。嫌でも理解するんだからね」

 そう言って笑った母さんの顔は、苦笑いなのか微笑みなのか、どっちか判断しにくい微妙なものだった。

「けど、そうだとするとちょっと厄介かもね」

「厄介って、空が?」

「ええ。その子が死にたいって言っている言葉が嘘にしろ本当にしろ、すでに一度自殺未遂なことをしてしまっている。それはきっと、今の今までギリギリのところでバランスを取っていた生と死のバランスを崩すきっかけになってるわ。だからその子、今はもう自分で自分を抑えられなくなっているかもしれない。もしも次に、心が死を求めてそれに傾いてしまったら、今度こそ本当に命を落としてしまうかもしれない」

「……っ」

 母さんの言葉はやけに説得力があって、黙って聞いているだけでもわずかに恐怖を覚えてしまうほどだった。


「そして多分、今は誰の言葉も届かない。だから、誰もその子を救えない」

「そん、な……」

「……酷だけど、こればっかりはどうしようもないわ。二十四時間体勢で監視するとかで、自殺の行動を防ぐことはできるかもしれない。でもきっと、そのうちそんなことじゃ歯止めが利かなくなる」

「じゃあ、どうすれば……いいの?」

「あのね、なお。自分は他人から救われることももちろんたくさんあるけれど、実際のところ、自分を真の意味で救い出せるのは自分自身でしかないのよ。だからこの場合、何よりもまず、その子自身が生きたい、死にたくないって強く思うようにならないと」

「……生きたい、死にたく……ない」

 私はその言葉を胸の中で何度も反芻した。

 あれだけくすぶっていた苛立ちも、今はもうどこかへと消え失せてしまっている。

 何となく、私は気付いていたのかもしれない。

 空のああいう言葉一つ一つも、母さんが言ったように自分を隠すための武器でしかなくて。

 本音の部分は、それとは真逆なんじゃないかって。

 本当は、叫んでたんじゃないかって……。


 ――助けてくれって、叫んでたんじゃないかって…………。


 そう、思える気がした。



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